第33話「天才児なのじゃ」
リスタ王国 ガルド山脈の麓 ──
その日、ガルド山脈の麓に山賊のような男たちが集まっていた。そこに紫の髪を後ろで束ねた女性が、男たちの前に進み出る。彼女はリリベットに温泉を提案した、ガルド山脈を研究している学者のドロシアである。
「皆さん、お集まりいただきありがとうございます」
ドロシアが頭を下げると、男たちは手にした工具を振り上げて応えた。この一見山賊にしか見えない集団は木工ギルドのメンバーであり、国務大臣エイルマー・バートラムの要請で、ドロシアの温泉発掘の手伝いをすることになったのだ。
木工ギルドの作業員がぶっきらぼうに尋ねる。
「しかし、温泉だっけ? そんなもん本当に出るのかい?」
「えぇ、もちろんです。私のこれまでの研究と、この一月山野を巡って調査した結果、この一帯に温泉の水源があると思われるのです。本当にこの一月は大変でした! 謎の獣に何度も小突かれたり、追い回されたり!」
それまでの苦労を噛みしめながら語るドロシアだったが、木工ギルドの作業員たちはその言葉にどよめきはじめた。その雰囲気を察したドロシアが首を傾げながら尋ねる。
「えっ、どうしたんですか?」
「お嬢ちゃん、その謎の獣ってどんな感じだったんだぃ?」
「いえ、姿を見たわけじゃないんですが、何か半透明の獣っぽいのが、ずっと付いてきて時々小突いて妨害してくるんですよ」
その言葉に確信を持ったのか木工ギルドの作業員たちは、一斉に街に向かって歩き始めてしまった。それに驚いたドロシアは大声で呼び止める。
「えっ、ちょっと待ってください。皆さん、どこに行くんですか!?」
ドロシアの声に、一番最後尾にいた作業員が振り帰って答える。
「お嬢ちゃんが言ってるのは山神様だぜ。木工ギルドに山神様の許可がない開発を手伝う奴ぁいねぇ! 山神様の管轄は女王陛下なんだが……あんた、ちゃんと陛下に話通して貰ったのか?」
「もちろん、女王陛下の許可を貰っています! これを見てください」
ドロシアは腰に下げていたカバンから、リリベットのサインがされている開発許可書を見せると、作業員は呆れた顔をして首を横に振った。
「山神様は大猪だ。獣だぜ? そんな紙っきれじゃ意味がない。よそ者のあんたが小突かれる程度で済んだのは、あんたから陛下の匂いを感じたからだろうな。まぁ、とりあえず陛下に頼んで、山神様の許可を貰ってくれ。そうしなきゃ俺らは、あんたを手伝えないからよ」
作業員はそう言い残すと、さっさと他の作業員たちを追いかけてってしまった。ドロシアはその場で崩れ落ちると
「な……なんなのよ、それ」
と悲嘆にくれるのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 通路 ──
マーガレットを連れたリリベットが子供部屋に向かうために通路を歩いていると、通路の端で道を譲っているヘルミナと一人の男の子が立っていた。それに気が付いたリリベットは彼女に声を掛ける。
「うむ? ヘルミナよ。その子は、確か……?」
「はい、息子のジェニスです」
この少年の名前はジェニス・プリストといい。ヘルミナとタクトの子供である。年齢は八歳で、彼も今期の王立学園に入学することになっていた。
「おぉ、やはりジェニスか、久しいのじゃ。しばらく見ぬ間に、随分と大きくなったようじゃな」
「お久しぶりです、陛下」
ヘルミナと同じく淡い茶色の髪で、可愛らしくお辞儀をする姿は利発そうな印象を受ける。
「しかし、ヘルミナが子供を城に連れてくるとは珍しいのじゃ、何かあったのか?」
「いえ……実は世話係が腰を痛めまして、本日の職務が終るまで私の部屋で待たせておこうかと」
「ふむ、それは大変じゃの……そうじゃ、私はこれから子供たちに会いにいくのじゃが、良ければジェニスもマリーに預かって貰ってはどうじゃろうか?」
リリベットの提案に、ヘルミナは恐縮して首を横に振った。
「いえ、さすがにそれは恐れおおいので……」
「なにジェニスはレオンたちより大きいし、マリーもさほど手間でもないじゃろう」
「そ……そうですか、ではお願いします。ジェニス、大丈夫ね?」
ヘルミナは了承しつつも、心配そうな顔で息子に尋ねる。
「はい、お母様」
頷いたジェニスにリリベットは手を差し伸べ、手を繋ぐとヘルミナに一度頷いてから子供部屋の方に向かい歩きはじめた。
「ジェニスよ、お主はレオンとは歳が近い、子供同士であればさほど気を使わなくてもよいじゃろう。息子と仲良くしてくれると嬉しいのじゃ」
「はい、女王陛下!」
愛想よく返事をするジェニスに、リリベットも微笑みかけるのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 子供部屋 ──
リリベットとジャニスに続いてマーガレットが子供部屋に訪れると、部屋の中にはヘレン、レオン、ラリーとマリーの四人がいた。その中でヘレンとレオンが駆け寄ってくる。
「かぁさま~! ……!?」
しかし、ヘレンだけは途中で止まってレオンの後ろに隠れてしまった。その瞳はじーっとジェニスを見つめている。
「ヘレン、どうしたのじゃ?」
すっかり抱き止める体勢に入っていたリリベットが、戸惑いながら尋ねるとマリーは近付いてきて代わりに答えてくれた。
「知らない男の子がいたので驚いたのでしょう。その子は確か……プリスト卿の?」
「うむ、ヘルミナの息子なのじゃ。マリー、今日は預かって貰えぬじゃろうか?」
リリベットがそう頼むと、マリーは頷いてから優しく微笑むと、ジェニスに手招きをする。
「はい、任せてください。ではジェニス君、こちらに」
「お願いします」
それに対してジャニスは少し照れた表情を浮かべながら返事をして、子供たちで遊びはじめたのだった。
リリベットはソファーに座り、マリーが用意してくれたお茶を飲みながら尋ねる。
「それで、今日は何をしていたのじゃ?」
「トントン~を見てたのじゃ~」
リリベットに纏わりついていたヘレンが答えてくれたが、リリベットは首を傾げてマリーに助けを求める。マリーはクスッと笑うと、レオンたちの方を一瞥すると答えてくれた。
「レオン殿下とラリーは、ボードゲームで遊んでましたね」
「ほぅ、ボードゲームか……私も寝る前にフェルトと時々やるのじゃ」
リリベットがレオンたちの方を見ると、レオンとラリーが対戦しており、ジェニスがそれを眺めている。コマを置く度にトンッ! と軽い音をさせており、ヘレンはこの音に合わせて「トントン!」と歌うように言っている。
「それで、勝敗はどんなものなのじゃ?」
「ラリーも頑張ってはいるのですが、今のところレオン殿下の全勝ですね」
マリーは少し弱ったように答えた。盤面を見る限り、今回の試合もレオンが優勢のようだった。
「う~ん、どうすれば……」
ラリーがどうコマを動かせばいいのか悩んでいると、後で見ていたジェニスが声をかけてきた。
「レオン様、僕が彼に助言をしてもいいですか?」
レオンは少し驚いたが盤面が完全に有利だったこともあり、天才と呼ばれた両親の子供で、本人も天才児だと有名なジェニスへの興味もあり、微笑みながら掌を見せて許可を出した。
「うん、せっかくだからラリーを助けてあげて」
「わかりました。では……」
許可が降りたジェニスは、ラリーの耳元で囁くように助言をしていく。その助言に、ラリーは納得したように頷いてコマを動かしはじめる。
しばらくあと……
「ま、負けた……」
「やった、わーい!」
ジェニスの助言を受けたラリーは徐々に盤面をひっくり返していき、ついにはレオンを倒してしまったのだった。これにはマリーもリリベットも驚いていた。
「ジェニス、僕ともう一戦しよう!」
その後、何度かレオン対ジェニスでボードゲームを興じたが、結果はレオンの全敗だった。しかし、負けたはずのレオンは何故か満面の笑顔を浮かべているので、それに驚いたジェニスは恐る恐る尋ねた。
「レオン様、その……悔しくはないのですか?」
「うん? もちろん、悔しいけど。それ以上に嬉しいんだ」
「何故ですか?」
「だって君みたいな優秀な子が、将来この国を助けてくれるんだろ? こんなに嬉しいことはないよ」
その予想外の答えにジェニスは驚いた表情を浮かべたが、すぐに目を輝かせながら
「はい、大きくなったら……きっとこの国のために頑張りますっ!」
と答えるのだった。
◆◆◆◆◆
『ジェニスの夢』
天才と謳われ十六歳の頃から財務大臣として働いていたヘルミナは、完全に仕事人間ではあるが休暇は、すべて一人息子と過ごすために使っていた。
「ごめんね、ジェニス。いつも寂しくはない?」
「はい、僕のことは心配しなくても大丈夫です。お母様」
すこしぎこちなく笑う息子を、ヘルミナは優しく抱きしめる。
「い、痛いです……」
「あぁ、ごめんなさい。とにかく無理はしないでね、ジェニス」
「僕のことより、ずっと働いてらっしゃるお母様の方が心配です。僕、大きくなったら、きっとお母様のお仕事の手伝いをしますから」
目を輝かせながら語る息子に心配もあったが、その言葉は心底嬉しかったのかヘルミナは目頭を押さえながら、ジェニスの頭を撫でるのだった。