第32話「帰還なのじゃ」
リスタ王国 王城 謁見の間 ──
模擬戦が終わってから数日、リリベットは謁見の間に赴いていた。フェルトを代表とした使節団が帰国したのである。彼らが出発してからおよそ一月、今回は予定通りの旅程だった。
謁見の間では、リリベットの他に宰相と近衛隊、そして何故か部屋の隅の目立たないところに、マーガレットとルネが控えていた。
フェルトが帰ってくると、いつも満面の笑顔を浮かべるリリベットだが、今回は少し暗い顔をしており、いつもより少しだけ張りがない声で彼らに声を掛ける。
「フェルト・フォン・フェザー、及び使節団に参加した皆もご苦労だったのじゃ……数日はゆっくり休むとよいのじゃ」
リリベットはそう告げると軽く右手を上げて、その後は宰相が引き継いだ。
「報告書の提出は、明日中に私にするように。その後は七日間の休暇を与える。休暇後は通常の職務に戻るように」
フィンの言葉に使節団はそれぞれ敬礼すると、フェルトを除き謁見の間を後にした。皆が出ていったあと、フェルトはリリベットに近付いて心配そうに尋ねた。
「どうしたんだい、リリー? 大丈夫かい?」
「うむ……大丈夫、少し体調が優れぬだけなのじゃ」
フェルトは心配そうにリリベットの肩に手をやり、近づいてきたルネに尋ねる。
「先生、リリーは大丈夫なんですか?」
「うん? あぁ、だたのいつものさ」
「いつもの?」
「うん、いつもの」
頷きながらルネが答えるとフェルトは何のことか気が付き、少し弱った様子でリリベットの肩をやさしく撫でるのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王都 枯れ尾花──
フェルトたち使節団が王城に戻ったころ、リュウレは自分の店である枯れ尾花に戻ってきていた。
ドアを開けると、いつものようにコーヒーの良い香り漂っており、問題なく営業しているのがわかる。リュウレがカウンターの前に立つと、カウンターの奥から身を乗り出した青年が大声を上げる。
「リュ、リュウレさん! やっと帰ってきたんですか!? ヒドイですよ、こんなに掛かるなら先に言っといてくださいよ!」
「……まだ居たんだ」
表情一つ変えずにボソッと呟いたリュウレに、青年はガクッと肩を落とすと、これ以上なにを言っても無駄だと悟ったのか、カウンターの奥へ向かいリュウレのコーヒーカップとポットを持って戻ってきた。
「まぁ、お疲れ様でした。聞きましたよ、フェルト様の護衛に付いてったんですよね?」
青年はそう言いながらコーヒーを注ぎ、リュウレに差し出した。それを受け取ったリュウレは、コーヒーを一口飲むと
「ケラも……ご苦労さま」
と呟くのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 女王寝室 ──
その晩のこと、いつものように子供たちを寝かせたあと、フェルトがリリベットの寝室を訪れていた。そしてベッドの上に乗り横になっているリリベットの横に座ると、彼女に向かって声を掛ける。
「リリー、大丈夫かい?」
「……別に、そんなに心配するほどのことではないのじゃ」
やや元気のない声で答えるリリベットだったが、フェルトはそれでも心配そうな顔をしている。
「うぅ……お主が帰ってくるから、旅の疲れを優しく癒してやろうと思っておったのじゃが、ルネの奴が『馬鹿なこと言ってないで、ちゃんと休養してください』などと言うのじゃ」
「うん、それはルネ先生が正しいね。僕は大丈夫だから、ゆっくり休むんだ」
フェルトは彼女の頭を優しく撫でる。そのぬくもりに、リリベットは気持ち良さそうな顔をしながら、フェルトの服の端を掴むと今回の旅について尋ねはじめた。
「今回の旅はどうだったのじゃ?」
「そうだね、色々と懐かしい顔と会えたよ」
嬉しそうに語る夫の顔を見てながら、リリベットは優しく微笑んだ。そして、ふと思い出したように尋ねる。
「そう言えば前回送られてきた手紙に、サリナ皇女とレオナルド殿が、我が国に訪問すると書かれておったのじゃが?」
「うん、何故かサリナ皇女が乗り気でね」
「私も会ってみたかったので楽しみなのじゃ。お主の兄上殿とも会えるしの」
フェルトが微妙な顔をすると、リリベットは頭を撫でていたフェルトの手に触れて微笑む。それに対して、フェルトは首を傾げて尋ねた。
「どうしたんだい?」
「ん~……なんでもないのじゃ」
その後、色々な話を聞かせていると、リリベットはいつの間にか眠ってしまっていた。フェルトは眠っているリリベットの頬に軽くキスをする。
「おやすみ、リリー……って、あれ?」
立ち上がって自分の部屋に行こうとしたところ、がっしりと服を掴んでいるリリベットの手がそれを許さなかった。フェルトは少し呆れた表情を浮かべると、諦めてその場で横になるのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 会議室 ──
それから数日後、リリベットの調子が元に戻ったころに、外務省経由で帝国宰相レオナルドから書状が届き、正式に協議するために女王リリベット、宰相のフィン、外務大臣フェルト、財務大臣ヘルミナ、典礼大臣ヘンシュ、軍務大臣シグルの六名が集まっていた。
まずは議長であるフィンが手紙の内容の要約を伝える。
「帝国宰相レオナルド・フォン・フェザー殿と、彼の妻でありクルト帝国皇帝の妹でもあるサリナ・クルト皇女殿下、その息女アイラ・クルトの三名と、彼らの護衛騎士五名が我が国に訪問されるそうだ」
まずは典礼大臣ヘンシュが、目を輝かせながら口を開いた。
「やはり盛大に歓迎せねばならないでしょう。それこそ国の威信を掛けて!」
「お待ち下さい、ヘンシュ殿。確かにクルト帝国の宰相ともなれば、それなりの歓待は必要でしょうが、あくまで最低限に抑えるべきです」
そう発言したのは、もちろん財務大臣のヘルミナだ。それに対して、フェルトが付け加える。
「おそらく兄上たちも、それほどの歓待を望んでいるわけではないと思うよ」
「う~む……しかし、私とて少しは兄夫婦によい格好をしたいのじゃ」
珍しくフェルトと意見が割れたリリベットに、ヘンシュが便乗する。
「そうですぞ! お二方は陛下の義理のご兄弟でもあられるのですぞ? ここは盛大にパレードをいたしましょう」
「しかし、予算というものがございますから……」
こうしてヘルミナとヘンシュのバトルが、繰り広げられている間にシグルが尋ねてきた。
「宰相閣下、先方の護衛は五名ですか? 随分少ないような気がしますが……」
「うむ、我が国への配慮なのだろうな。その分、問題が起きた場合はこちらの警備体制の問題になるだろうな」
「その期間中は、衛兵隊と共に紅王軍にも協力を仰ぎましょう。直衛としては、陛下の近衛隊に担当していただきたいと思います」
シグルがリリベットを一瞥すると、彼女は頷くのだった。
「ゲストの対応に関しては、フェルト殿と……」
「無論、私も対応するのじゃ」
リリベットが答えるとフィンは頷く。そして、未だに言い争っているヘルミナとヘンシュに対して告げる。
「訪問を希望する日取りは、およそ一月後だ。プリスト卿とヘンシュ殿は、大まかな予算とスケジュールの策定を! 遅くても今週末までには、私に提出するように」
「はいっ!」
二人は言い争いを止めて敬礼する。
「それでは閉会する。それぞれ準備に取り掛かるように」
こうして帝国の宰相夫婦を、迎え入れる準備が始まったのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 女王執務室 ──
リリベットが会議室から戻ってすぐに、学芸大臣のナディアが執務室を訪れていた。
「陛下、次期の入学式の件なのですが」
「ふむ、次期というと……そう言えば、もうすぐじゃったな。準備の方は順調じゃろうか?」
リリベットの質問にナディアは頷いて、話の続きを口にする。
「はい、特に問題はありません。それで陛下、今回の入学式のご挨拶はいかがいたしましょう?」
「そうじゃな……今回は、ナディアが代行して欲しいのじゃ」
ナディアは少し驚いた表情を浮かべると、改めて尋ね返す。
「よろしいのですか?」
「うむ……今回はレオンの家族として、参加することにするのじゃ」
「あぁ、なるほど! わかりました。では、そのように手配致します」
こうして一月を切った入学式の準備も、本格化し始めるのだった。
◆◆◆◆◆
『メイドの会話』
フェルトが帰ってきてから数日後の朝、マーガレットと女王付きメイドの一人が、女王の寝室を整えていた。激しく乱れたシーツを取り替えながら、マーガレットがボソリと呟く。
「昨夜は一段と激しかったようね」
「まぁ陛下もお若いですから……何しろ一月もお預けのうえに、さらに数日待つことになりましたからね」
もう一人のメイドが苦笑いを浮かべながら答えると、マーガレットは頷きながら呟いた。
「この調子なら、三人目もすぐかもしれないわね」
二人のメイドは生々しい会話をしながら、ベッドメイクを整えていくのだった。