第22話「曖昧なのじゃ」
リスタ王国 ラフス教会 ──
甘味処『アムリタ』でケーキを買って帰ってきたサーリャは、シャルロットの部屋の扉をノックをしてから声をかける。
「シャルちゃん、ケーキ買ってきましたよ~一緒に食べましょう」
しばらくして、中からは元気のないシャルロットの声が聞こえてきた。
「……いらない」
サーリャはため息をつくと、わざとらしい口調で聞こえるように呟く。
「そうですか、元気がないなら仕方ないですね。そう言えば、さっきまでリリベット様とご一緒してたのですが、レオン王子は元気な子が好きだって言ってましたよ~?」
その言葉に反応したのか部屋の中がドタドタと騒がしくなり、扉が少しだけ開いてシャルロットが顔を覗かせた。
「……本当に?」
それを見たサーリャは、さらにわざとらしくケーキの箱を見せながら、からかうように言う。
「本当です。でもケーキも食べる元気のないシャルちゃんには、関係のない話でしたね。これは他の子たちと食べるとします」
もちろん嘘である。そもそもリリベットが、レオンの好みなど把握しているわけもないのだから当然だ。そして後を振り向いて歩きだすと、シャルロットが後から飛びついてきた。
「あたしも食べるっ!」
サーリャは、そんな彼女の髪を優しく撫でながら
「それじゃ、お茶を用意しましょうか」
と微笑みかけるのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 王室エリアの一室 ──
王室エリアの一室で、レオンがいつものようにヘルミナの授業を受けていた。
王立学園の入学前の予習的な内容なので、レオンならスラスラと解けてしまう程度のテストを行ったあと、その解答をみてヘルミナは満足そうに頷いた。
「さすがレオン殿下ですね。この程度の問題では物足りなかったでしょう?」
「いいえ、そんなことは……」
謙遜しつつも、あまり元気がないレオンにヘルミナは首を傾げて尋ねる。
「どうしたのですか? 元気がないようですが、ひょっとして学園に通うのが不安とか? 大丈夫ですよ。レオン殿下であれば、すぐに人気者になれます」
これはお世辞でもなんでもなく、ヘルミナの本心だった。レオンは王太子であることを除いても、顔立ちも整っており、頭も良く、運動神経も人並み以上にある。しかも王族であることを威張り散らしたりせず、誰にでも優しく接することができるのだから、皆に慕われないわけがないのである。
しかし、その心配は的を外していたらしく、レオンは首を軽く横に振ってから、ぎこちなく微笑んだ。
「えっ? いえ、学園に通えるのは楽しみですよ」
「ふむ……では、何か別に悩みごとですか? 私で良ければ相談に乗りますが」
ヘルミナの言葉に、レオンはパァと明るい顔になった。
「ありがとうございます、先生! では女性の気持ちのわかる方を、紹介していただけませんか?」
ヘルミナはレオンの予想外のお願いに、驚いた顔で少し固まってしまう。
「……女性の気持ちですか?」
「この前、僕の不注意で女の子を泣かせてしまったようなので、何とかしたいと……」
「ふむ……なるほど、レオン殿下……一つ聞いてもよろしいでしょうか?」
「はい?」
レオンが首を傾げると、ヘルミナは真剣な顔で尋ねてきた。
「女心がわかる方を紹介して欲しいとのことですが、目の前の女性はなぜ対象外なのですか?」
レオンは己が失言を悟り、慌てて言い訳を始める。
「いえ、このようなことで先生のお時間を使っていただくわけには……」
「……まぁいいでしょう。こう見えても私は、人生経験豊富なので答えて差し上げます。女性に限りませんが、こちらの不注意で泣かせてしまったのであれば、まず謝るべきでしょう」
レオンが頷いているのを確認すると、ヘルミナは話を続ける。
「その上で『良い感じ』に話を聞いてあげてください」
「先生、その『良い感じ』とはどんな感じなのでしょうか?」
「上手に話を振りつつ、話しやすい雰囲気を作ってあげるのです。しかし、女性は些細なことを気にするので言葉には、十分気を付けなければいけません」
レオンは、完全に意味がわからないといった顔で首を傾げている。ヘルミナはクスッと笑い。
「レオン殿下には、まだ少し難しかったようですね。まぁ子供同士の諍いなど、謝ればだいたい終わりです。何か勘違いしない程度の贈り物を添えれば、その子も機嫌を直してくれると思いますよ」
それを聞いたレオンは、何かを決意したように頷くのだった。
◇◇◆◇◇
クルト帝国 帝都郊外 ──
それから数日が経過し、帝都でのスケジュールを終えたリスタ王国の使節団は、帝都を出発していた。白馬に乗ったフェルト、見送りのために同行したレオナルドが馬を並べて進んでいる。
レオナルドは、微妙な表情を浮かべながら尋ねる。
「次は父上のところだったな? お前のところにも手紙は届いているのか?」
「はい、孫に会わせろとよく来ますね。兄上は同じ国にいるのですから、時々会いに行かれてはいかがですか? 父上も会いたがっているでしょうに」
フェルトは呆れた様子だったが、レオナルドは困ったような表情で軽く首を振った。
「いや、一度は連れていったのだが……子供がな、父上を見ると泣くのだ」
「あぁ、なるほど」
フェルトもレオナルドも母親似であり、彼らの父であるヨハンは控えめに言って筋肉の塊、悪く言えば熊にしか見えない豪傑である。その姿を見て子供が泣くのも仕方がないと言えた。
「聞かれたら、そのうち行くと言っておいてくれ」
「一応、伝えはしますが……」
そんな話をしている間に、使節団が今夜泊まる街が見えてきた。レオナルドは馬を止める。
「さて、私はここまでだ。父上と女王陛下にもよろしく伝えてくれ」
「はい、ありがとうございます」
別れの挨拶をする兄弟だったが、レオナルドはふと思い出した様子で話しはじめた。
「あぁ、そうだ。サリナが言っていた件だが……皇帝陛下が許可を出された。お前が帰国した頃に連絡がいくと思うから、よろしく頼む」
これはサリナ皇女が言ってた、兄夫婦で義理の妹であるリリベットに会いに行く件である。許可など下りないだろうと思っていたフェルトは驚いて聞きなおす。
「よ……よく許可が下りましたね?」
「あぁ、サリマール陛下はサリナに弱くてな。それに『レオ、お前は働きすぎだ、少し休暇を取れ』と言われてしまったよ」
あの天才と謳われた兄も妻に振りまわされていると思うと、フェルトは思わず笑ってしまうのだった。
「あははは、わかりました。帰り次第、受け入れの準備をしておきます。妻もきっと喜びますよ」
「ふむ、では道中は気をつけるがよい」
二人はガッシリと握手を交わすと、その場を後にするのだった。
◆◆◆◆◆
『サリナのお願い』
サリマール皇帝が部屋で休んでいると、普段「薔薇の離宮」からあまり出てこないサリナ皇女が、兄に会いに訪れていた。
「兄様、お久しぶりです」
「サリナか、お前が宮殿に顔を出すなど珍しいな、まぁ座るがよい」
サリマールはソファーに腰掛けると対面をサリナに勧め、サイドテーブルに置いてあったベルを鳴らして、執事を呼び出して飲み物の用意をさせる。
「それで、どうしたのだ?」
「実は夫と共に、義妹に会いに行きたいと思っておりまして」
その後、サリナに事の経緯を聞いた皇帝は唸り声をあげると
「義妹だと……リスタ王国へ行くと言うのか? まぁ、お前は好きにすればよい。しかし、レオは……」
「兄様……私たちが結婚して以来、夫はずっと働き詰めでございます。私は大変……大変、寂しい思いをしておりました」
淡々とした口調で喋りはじめたサリナ皇女に、皇帝は若干押され気味になる。
「そうだな、確かにレオは働きすぎではあるな……余も少し頼りすぎているやもしれぬ」
「少しぐらいは休暇が必要だとは思いませんか?」
サリナ皇女はにっこりと微笑むと首を傾げた。妹の見たこともない笑顔に凄みを感じたサリマールは、ぎこちなく咳払いをする。
「う……うむ、そうだな。レオにも休暇が必要だろう。リスタ王国は友好国だ、許可しよう」
「ありがとうございます、兄様!」
こうして帝国宰相レオナルドと、サリナ皇女のリスタ王国行きが決定したのである。