第21話「舞踏会なのじゃ」
リスタ王国 王城 女王執務室 ──
数日後、リリベットが届いていた書類にサインをしていると、議会から回ってきた報告書が目に留まった。
「これは……以前シグルが言っていた企画なのじゃ、どうやらヘルミナを説得できたようじゃな」
報告書に添付されていた資料には、ヘルミナを説得する際に使ったと思われる、如何にこの企画が重要で、やらない場合の経済的な損失の予想などが書かれており、シグルの細かさがよく見てとれた。
リリベットは、再び報告書のタイトルを一瞥すると呟いた。
「ふむ……『御前模擬戦』か……」
これは平和な時代が長く続いていたため、低下している士気を高揚させるために東西の城砦に駐在しているリスタの騎士と、南の城砦の紅王軍の三部隊から百名を選抜して模擬戦を行い、互いを刺激しつつ士気を高めようという試みだった。
「出来れば……穏やかに終わって貰いたいのじゃが、まぁ無理じゃろうなぁ」
リリベットはそう呟きながら、報告書を机に置いて残りの書類に目を通し始めるのだった。
◇◇◆◇◇
クルト帝国 パルト子爵の舞踏会 ──
外交官として帝都に滞在しているフェルトは、連日有力貴族たちの舞踏会や晩餐会などに参加していた。今日もとある貴族の舞踏会に招待され、ドレス姿のリュウレを伴って参加している。
「やぁフェルト殿、今日はよくおいでくださった」
「ご招待ありがとうございます、パルト卿」
にこやかに話しかけてきた老紳士に、フェルトは丁寧に挨拶をしながら握手を交した。そしてパルト子爵は自分の妻を紹介し、フェルトの横に控えているリュウレを一瞥すると
「そちらの可愛らしいレディは、お嬢さんですかな?」
「いえ彼女は護衛です。この年齢になると女性を伴わずに夜会に参加するというのも、些か格好が付きませんので」
フェルトが苦笑いを浮かべると、パルト子爵は少し済まなそうな顔をして答える。
「それは失礼をしました。よく考えてみれば、貴方の奥様はやすやすと来られる身分ではありませんでしたな。こちらで用意しなければならないものを……いけませんなぁ、この歳になるともの忘れがひどくなりましてな」
「ははは、ご冗談を。パルト卿のご活躍は未だに聞こえてきていますよ?」
パルト子爵、帝国において彼が創業したバルト商会は、知らぬ者はいないと言われているほどの大商会である。彼も若いときは強気の商人のような気性だったが、歳を経て温厚な性格になったと言われている。
「しかし、リスタ王国ですか……あの亜人の商人、ファム殿でしたか? 彼女にはしてやられました」
パルト子爵は苦笑いを浮かべているが、近年ファムの狐堂は帝国内でも勢力を伸ばしつつあり、バルト商会も徐々に押されているのだった。
バルト子爵は天才的な経営者だったが、彼の息子は平凡な人間であり、ファムのような商人に戦略的に対応できなかったためである。ファムの名前が出てきたことで、フェルトは心配そうな顔で尋ねる。
「我が国の者が、何かご迷惑をお掛けしましたか?」
「ははは、いや商人の戦いも戦争と変わりませんよ。負けたからといって、文句を言ったところで何も利益は生みません」
パルト子爵は一見笑っていたが、その目はあまり笑っていなかった。フェルトは冷や汗を一筋流しながら
「ファムさん……いったい何をしたんだ?」
と呟くのだった。
主催者のバルト子爵と別れたあとも、フェルトのところには参加している貴族たちが、知己を得ようと続々と現れていた。
リュウレは彼が見える範囲で黙々と食事をしていたが、彼女の幼い見た目からか歳若い貴族たちが続々と踊りに誘いにくるので、適当にあしらうのが徐々に面倒になってきていた。
フェルト側も、貴族たちが何を思ったのか娘を妾になどと言ってくるので、ほとほと呆れかえりながらも適当に受け流し続けていた。
かなりしつこい貴族が、リュウレに言い寄っているのが見えたフェルトは「失礼」と言って、貴族たちを置いてリュウレに近付くと彼女に手を差し伸べて
「僕と踊りませんか、お嬢さん?」
とウィンクをして、ホールの中央に連れ出した。
会場の中央でダンスを始めたフェルトたち、ダンスをしながらフェルトは小声で尋ねる。
「大丈夫だったかい?」
「正直うんざり……あいつら殺していい?」
「あはは、ダメに決まってるだろ?」
などと言う物騒な会話をしつつも、何とかリュウレの機嫌を直し無事にダンスを終えると、そろそろ良い時間だということもあり、フェルトは主催のパルト子爵に挨拶をして会場を後にするのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 教授通り 甘味処『アムリタ』 ──
その翌日のことである教授通りにある甘味処『アムリタ』という店が慌しくなっていた。
この店は特に若い世代に人気の甘いケーキや、様々な紅茶などを提供してくれるお店で、普段は学生で賑わう店なのだが、今日は別の理由で騒がしくなっていた。
突如リリベットが入店したのである。リリベットと一緒にいるのは、ラフス教会のシスターサーリャで護衛にはサギリがついている。
いつものように視察をしていたリリベットだったが、途中で偶然あったサーリャが相談があるということで、近くにあったこの店に訪れたのだった。彼女は最初メアリーに相談しようとしたのだが「忙しくて、それどころじゃなーい!」と断られてしまったらしい。
店員と客が遠巻きに様子を窺っている中、ガチガチに固まった店長が注文を取りにきた。
「へ……陛下、この度はご来店ありがとうございます! メッ、メ……メニューはこちらぁでございますっ!」
その様子にリリベットは苦笑いを浮かべながら、メニューを受け取ると
「そんなに緊張しなてくもよいのじゃ。今日はただの客として来ておるのじゃからな。私は飲み物だけでよい、何か店でオススメのものを頼むのじゃ」
と言いながら、メニューをサーリャに差し出した。サーリャは、それを受け取って一度は開くが、首を傾げてメニューを閉じると注文を口にした。
「私もリリベット様と同じものをお願いします」
サーリャは、こんなにお洒落な店に来たことはないし、リリベットに至っては注文の仕方がよくわからなかったので、店長のオススメにしたのだが責任を一手に引き受けた店長の顔は真っ青になっていた。
「それで相談とは何なのじゃ?」
注文したものが来る前に、リリベットが話を切り出した。
「実は……シャルちゃんのことなんですが、この前お城から帰ってきてから元気がないんです。私には何があったか教えてくれないし、一体何があったのですか?」
「この前、あの娘が城に来たときじゃと……」
リリベットは、医務室での出来事を思い出しながら、それをサーリャに聞かせた。サーリャは納得したように頷く。
「きっと、それですね……」
「それとは、どれなのじゃ?」
リリベットはきょとんとした顔で尋ね返した。
「診断されているところを、レオン王子に目撃されたところですよ!」
「医療行為じゃろう、なにが問題なのじゃ?」
本当にわかってなさそうにしているリリベットに、サーリャは少し驚くとリリベットを諭すように続けた。
「いいですか、リリベット様。シャルちゃんは年頃の女の子です」
「うむ、そうじゃな」
「年頃の女の子が、気になる男の子に裸を見られるというのは大事件なんです」
「そうなのか?」
リリベットは子供の頃から、身の回りのことはメイドたちがやってくれていたので、他人に裸を見られることへの抵抗が希薄なのである。
「と……とにかく理由はわかりました。なんとか慰めてあげないと……」
「よくわからぬが、きっと何か甘いものでも食べれば機嫌も良くなるじゃろう。店員が来たら何か注文すればよいのじゃ」
あくまで自分を基準で話すリリベットだったが、サーリャにも他に案がなかったので店員が来るのを待つことにしたのだった。
◆◆◆◆◆
『甘味処アムリタの店長』
リリベットたちの注文を受けたアムリタの店長が、茶葉が保管してある棚を見つめながら青い顔をしている。
彼は帝都出身だったが競争が厳しい帝都より、最近発展が目覚しいリスタ王国に来て、一旗あげようと志して入国。そして、学生たちが気軽に寄れる店を目指して、教授通りにアムリタを開店したのだった。
しかし、そんな彼の店に今まで見たことがないようなVIPが訪れ、「任せる」と言われてしまったのである。
「不味かったら捕まるのでは?」「まさか死罪?」などと考えながら、カタカタと震えるのも無理がなかった。それでも意を決して一番自信がある茶葉の缶を手にすると、真剣な表情で準備を始めるのだった。