第2話「近衛なのじゃ」
リスタ王国 王城 王室エリアの廊下 ──
昔から国民と触れ合う視察が好きなリリベットではあるが、大人になってからもその習慣は続いていた。そんな彼女を護衛するのは、王室専門の護衛集団である近衛隊だ。普段は白と赤を基調とした制服を着用しており、国民からも人気のある職業だが、入隊するためには衛兵隊などからの推薦が必要である。
視察用の軽装(白いシャツに赤いスカート、そして赤いタイをしている)に身を包んだリリベットが、廊下に出てくると、そこには近衛隊の制服に装飾の施された剣と、狼の意匠が目に付く黒い短刀を身に着けた、金髪碧眼の男性が一人待っていた。
リリベットは、その男性に軽く手を上げながら労いの言葉をかける。
「うむ、待たせたのじゃ」
「いいえ、陛下。定刻通りですよ」
この男性の名はラッツ・エアリス。二代目の近衛隊長であり、マリーの夫でもある。隊長に就任した際にリリベットから、『エアリス』の家名を授かりエアリスの名を名乗るようになった。数年前に他界した武術の達人コウ老師の直弟子であり、彼女から『王者の護剣』の名も譲り受けている。
「それでは出かけるとしようか、よろしく頼むのじゃ」
「はっ、お任せください」
そして、出かけようと歩き出した瞬間、リリベットは子供部屋のドアが少し開いていることに気がついた。リリベットはじーっとドアを見つめると、そのドアに向かって声を掛ける。
「そこで見ているのは、ヘレンじゃな? 覗き見はダメなのじゃ!」
少し叱るように窘めるリリベットだったが、ドアを勢いよく開けて飛び出してきたヘレンは、そのままリリベットに抱きついてきた。
「かぁさま、お出かけ~? わたしも行くのじゃ~」
「う~む、視察は遊びではないのじゃが……」
リリベットが困った顔をしていると、ヘレンを追ってマリーが慌てて部屋から出てきた。そして膝をつけて、ヘレンの目線に合わせてから手を差し伸べる。
「すみません、陛下。ほら、ヘレン様……こちらで遊びましょう」
「やぁ! かぁさまといっしょがいい!」
ヘレンはリリベットのスカートにしがみついて、嫌々と首を振っている。
「仕方がない子じゃな。わかった、一緒に行くのじゃ。レオンやラリーも一緒にどうじゃ?」
仕方がないと言いつつも、どこか嬉しそうなリリベットは、マリーの後を追って部屋から出てきたレオンとラリーにも尋ねる。しかし、レオンは首を横に振りながら
「すみません、母様。僕もご一緒したいのですが、このあとラリーと一緒にプリスト卿の授業があるので……」
と答えた。リリベットは一瞬残念そうな顔をしたが、すぐに笑顔に作って答える。
「そうか、ふむ……それなら、しっかりと勉学に励むと良いのじゃ」
そう言いながらレオンの頭を優しく撫でる。その手の感触が気持ち良かったのか、レオンは少し頬を赤くしながら微笑んだ。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王都 大通り ──
レオンたちと別れたリリベットたちは、ヘレンを連れて王城から真っ直ぐに伸びている大通りを進んでいた。幼児であるヘレンの歩幅に合わせるわけにはいかないので、最初はリリベットが抱きかかえていたが、王城を出る前に「お……重いのじゃ」と弱音を吐き始め、今はラッツが肩車をしている状態だった。
「たかいのじゃ~!」
ヘレンははしゃぎながら、ラッツの金髪を引っ張っている。
「痛てて、殿下……髪は引っ張らないでください」
ラッツは涙目でそれを止めようとするが、ヘレンはにや~と笑うと足をバタバタしながら、面白がってさらに引っ張り出す。しかし、すぐにリリベットが
「ヘレン、ラッツをいじめてはダメなのじゃ」
と首を横に振りながら諌めると、急にしょぼくれて大人しくなってしまった。
そんなやりとりをしていると、リリベットたちを発見した国民たちが
「やぁ陛下、こんにちは今日も暖かいですな」
「ヘレンちゃん、可愛いね。これ持ってきなっ!」
などと声をかけてきた。その一人一人にリリベットは微笑みながら言葉を返していく。女王が国民と普通に会話しているという。他国から来たばかりの者が見ると大層驚く状況だが、この国では日常的に見られる風景である。
そんな中で、若い女性がラッツに向かって
「近衛隊長のラッツ様ですよね。ファンです、が……頑張ってくださいっ!」
と言って、可愛らしくラッピングをされた袋を手渡してきた。
「へ? お……俺に? ありがとう」
ラッツが少し照れながら感謝を伝えると、その女性は俯いて走り去ってしまった。国民たちはちゃかすように口笛を吹いているが、リリベットはジト目でラッツを見つめるとぼそりと呟いた。
「ふむ、減点一じゃな」
それに合わせて、ラッツに肩車されているヘレンも
「一じゃな~」
と楽しそうに言った。それに対してラッツは首を傾げながら尋ねる。
「なんです、その減点って?」
「うむ、マリーに頼まれておるのじゃ。お主が余所の女にデレデレしたり、馬鹿な真似をしたら減点して溜まったら報告するようにとな」
ラッツの顔がみるみる青くなり、泣きそうな顔で懇願してきた。
「や……やめてください、マリーは怒ると本当に怖いんですから!」
そんな様子にリリベットや、その場にいた国民たちは楽しそうに笑いあうのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王都 リスタ港 ──
リスタ王国の経済の要、海運業の中心地であるリスタ港には、船着場のほかにドッグや倉庫などが並んでいる。まさに海の男という感じの日に焼けたムキムキの男たちが、船から積荷を降ろしているのが見える。
リリベットはヘレンの手を握ると、働いている船乗りたちの邪魔にならないように船着場の先まで一緒に歩いていく。そこには一人の老人が海に向かって釣り糸をたらしていた。
リリベットは、その老人に声を掛ける。
「調子はどうじゃ、オルグよ」
「あぁ? おぉ、陛下じゃねぇか、また来たのか」
この老人は、海洋ギルド グレート・スカルの元会長オルグ・ハーロード。かつては伝説の海賊とまで言われた男だが、会長職を孫娘に継がせたあとは、この場所で釣りをしていることが多くなっていた。
かなりの高齢のためすっかり衰えており、キャプテンオルグと呼ばれていた頃の面影はあまり感じられなくなっていた。
「調子ねぇ……まぁ陛下のいい尻が見れたから、元気ビンビンだぜ。釣りのほうは全然だな、がっははは」
「こらっ、人のお尻を薬か何かのように言うでないのじゃ!」
ラッツは呆れた表情を浮かべながら呟く。
「この人……本当に怖いものなしだなぁ」
「じじぃ、お尻すきなの~? ヘレンのも見る~?」
ヘレンが可愛いらしい声で、とんでもないことを言い出したのでリリベットが慌てて諌める。
「ヘレン、そんなことを言ってはダメなのじゃ」
「がっはははは、ヘレン嬢ちゃんの可愛い尻なんて見たら、嬉しすぎて昇天しちまうよ。まだ死にたくねぇからな、そいつぁ遠慮しとくぜ」
そんな慌てている大人たちに、ヘレンはきょとんとした表情を浮かべて首を傾げるのだった。
◆◆◆◆◆
『報告』
へレンを寝かせつけるために、いつものようにマリーがベッドの横に座って本を読もうと手を伸ばすが、思いとどまったのか手を引っ込めてヘレンに尋ねた。
「殿下、今日のお出かけは楽しかったですか?」
「うん、いっぱいおみやげ貰ったの~。ラッツおじちゃんも貰ってたのじゃ」
その言葉にピクッと震えるマリーは、にこやかに微笑むと再びヘレンに尋ねる。
「ほぅ……どなたに、何を貰ってましたか?」
「ん~……むにゃ……女の人にかわいいの貰ってたの……むにゃむにゃ」
いっぱい動いて疲れていたのか、ヘレンはそのまま眠ってしまった。マリーはスッと席を立つと、静かに呟く。
「女の人に、可愛いのをねぇ……へぇ……」