第17話「大陸の二姫なのじゃ」
クルト帝国 ポート領 城館 ──
旧レティ領の南部に位置するポート領は、ポート男爵の領地である。規模もさほど大きくはなく主要な産業などはないが、交通の要所として交易が盛んである。
フェルトたちは帝都に向かう途中で、ポート男爵に招かれて城館に一泊することになっていた。
執事に部屋に通されたフェルトとリュウレは、勧められたままソファーに座っている。その部屋はフェザー公の屋敷と似た雰囲気で、帝国貴族にしては調度品も控えめの部屋だった。
しばらくすると扉が開き、四十近いと思われる中年の男性が現れ、フェルトを見るなり駆け寄ってきた。フェルトもそれに合わせて立ち上がり、熱い握手を交わす。
「お久しぶりです。フェルト様!」
「本当にお久しぶりですね、ポート卿」
「ポート卿なんて他人行儀なことを言わず、以前のようにオズワルトとお呼びください」
この男性がポート男爵である。フルネームをオズワルト・フォン・ポートといい。かつてはフェルトの騎士として仕えていた。彼の一族が起こした女王暗殺未遂事件の責で一度は取り潰されたポート家だったが、大戦時の功績により皇帝から再興を許され、現在では彼が男爵としてポート家の当主になっている。
彼はポート家を再興させると同時に、没落した際に彼女の実家により引き裂かれていた、かつての妻だった女性を連れ戻し再婚。現在は幸せに暮らしていると聞いている。
オズワルトは、フェルトの横に控えていたリュウレに気がつくと驚いた顔をした。
「リュウレ! リュウレじゃないか、確かリスタ王国にいるとは聞いていたが、お前ともこうして会えるとは!」
「オズワルトも久しぶり」
リュウレはシュタッと右手を軽く上げながら、まるで数日ぶりに会ったかのような気楽さで挨拶をする。
「ははは、お前はまったく変わらんな! しかし、こうして三人でいると昔を思い出しますな」
「そうだね、本当に懐かしいよ……あれから十年以上も経っているのだからね」
フェルトは懐かしむような表情で呟いた。オズワルトは上機嫌な様子で、フェルトの背中をそっと手を添えながら
「ははは、積もる話は食事をしながらしましょう。妻にも紹介したいのです」
と言ってフェルトたちを食堂に案内するのだった。
食堂に通されると、オズワルトの妻と使用人たちが出迎えてくれた。
「フェルト様、彼女が私の妻のカトリーです」
「カトリエーヌと申します、フェルト様。お噂は夫からかねがねお聞きしております」
カトリーと紹介された彼女の妻は、綺麗な所作のカーテシーでフェルトに挨拶をする。フェルトはカトリーの手を取ると軽くお辞儀をして
「お初にお眼にかかります、ポート夫人。貴女のようなお美しい方とお会いできて光栄です」
と微笑んだ。カトリーは少し照れながら答える。
「ふふふ……大陸の二姫の一人を妻にされた方に、そう言ってもらえるとは光栄ですわ」
この「大陸の二姫」とはリスタ王国の女王リリベットと、クルト帝国のサリナ皇女のことを指しており、帝国でも有名な吟遊詩人が「ムラクトル大陸に二人の美姫あり」から始まる彼女たちを賞賛した詩を歌ったことから、帝国内では有名な呼び方である。
その後、オズワルトの家族と共に食事をした使節団の一行は暖かな歓待を受け、翌日には帝都に向けて出発するのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 修練場 ──
フェルトたちがポート領から帝都に向けて出発したころ、王城の修練場にリリベットとレオンが剣の修練のために訪れていた。長い髪をかなり高めで結い、珍しくズボン姿のリリベットは、腰にレイピアのような装飾が施されている剣と短剣を装備している。
ぱっと見では、いっぱしの女騎士に見えなくもないが、その表情はまったくやる気が感じられないものだった。
「のう……ラッツよ、私は忙しいのじゃが……」
「そんなこと言ったって駄目ですよ。俺、一月に一度は陛下の剣術を見るように、師匠に頼まれたんですからっ!」
面倒そうな顔をしたリリベットに、木剣をもったラッツがニコッと笑いながら答えた。ラッツはコウ老師の死後、王家の指南役を継いでいるのだった。
「では素振りからですよ。はい、構えてください」
レオンはフェルトに教わった通り基本に忠実な構えをする。リリベットは短剣を真っ直ぐ立てるように構えた。彼女は剣術は元より身体を動かすこと自体が苦手なので、事あるごとに剣の指南をサボろうとするが、息子の手前いい加減な姿をみせるわけにもいかず、今回は参加することにしたのだった。
リリベットの横には彼女を補助するために、近衛隊副隊長のサギリが少し長めの木剣を両手で構えていた。
「はい、一! 二! 三!四! ……」
ラッツが手を叩きながら数を数えると、剣を構えた三人は一斉に振りはじめる。しばらくするとリリベットが遅れ始めるが、予想の範囲なので特に気にせず素振りは続けられた。
素振りが終るとリリベットは隅の方で息を荒くして座りこんでおり、サギリに差し出された水を飲んでいる。
その間に、ラッツはレオンと共に打ち込み稽古を開始していた。レオンが打ってラッツが受ける練習だが、ラッツも「王者の護剣」のような受け流しはせず、木剣で丁寧に受けていく。
しばらくして休憩に入るとラッツが、うんうんっと頷きながらレオンを褒める。
「相変わらずレオン殿下は、筋がよろしい。さすがフェルト様に、教えていただいているだけはありますね」
「そうですか? ありがとうございますっ!」
レオンはニコッと笑みを浮かべながら喜んでいた。リリベットは、そんな息子を見つめながら、横に控えていたサギリに尋ねる。
「お主から見て、レオンの剣術はどうじゃろうか?」
「はい、六歳にして基本はしっかり押さえてらっしゃいますし、子供相手なら負けることもないのではないかと」
「ふむ……私には、よくわからんのじゃ」
リリベットは困った表情を浮かべながら首を傾げた。そこにレオンが駆け寄ってきたので、その頭を撫でながら
「レオンは上手じゃの、まるでフェルトを見ているようなのじゃ」
と褒めると、父親のようだと言われたのが心底嬉しかったのか、満面の笑みを浮かべるのだった。
しばらく休憩したあと、リリベットの構えが他の人と違うことを、不思議に思ったレオンが首を傾げながら尋ねてきた。
「母様の構えは、なんでそんな感じなんですか?」
「うむ、これはじゃな。コウ老師に教えて貰ったのじゃ。こう見えてもラッツと同門なのじゃぞ、しかも私のほうが姉弟子なのじゃ!」
リリベットは自慢げに答えたが、意味がわからなかったレオンはさらに首を傾げる。リリベットも剣術のことなど説明が出来るわけではないので、困った表情を浮かべていた。そして、鍛錬を再開していたラッツとサギリに向かって命じる。
「ラッツよ。すまぬが、レオンにコウ老師の剣術を見せてやってほしいのじゃ」
「はっ、わかりました。では、サギリ相手役を頼めるかな?」
サギリは頷くと、長めの木剣をラッツに向かって構えた。ラッツはリリベットと同じように短剣を立てて構える。リリベットはレオンを抱き寄せると邪魔にならないように、さらに隅まで移動した。
「よく見ているのじゃぞ……では、始めよ!」
リリベットが号令を掛けると同時に、サギリが一足でラッツの間合いの中まで踏み込むのだった。
「ヤァァァァァ!」
まさに一閃、リリベットはもちろん見えていないし、レオンにも殆ど見えない速度での踏み込みである。
キュイン!
という独特の音と共にサギリの木剣は地面に突き刺さった。完全にラッツの頭をカチ割るつもりでの振り下ろしである。ラッツがその剣を踏んで動きを封じようとした瞬間、サギリは遥か遠くまで跳び下がっていた。
「サギリ、そんな剣速じゃレオン殿下だって見えないだろう? 本気を出しすぎだよ」
まるでゴルドのように飄々した態度で窘める。その態度は彼の自信の表れと言えたが、サギリは歯軋りをしながら謝罪を口にした。
「すみません、加減が難しくて」
リリベットも音で一撃を躱したことがわかったが、正直よくわからなかったのでレオンに尋ねる。
「どうじゃ……見えたじゃろうか?」
「なんとなく凄いことだけは、わかりました」
レオンもあまりの速い攻防に目を丸くして驚くのだった。
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『フェルトの嫁取り』
『フェルトの嫁取り』という言葉が帝国にある。正確にはフェルトは婿に当たるのだが、一般慣習として女性が嫁ぐことが多いので、誤解がそのまま広まった言葉である。
当初リリベットと結婚したフェルトを、帝国の社交界は「女性など選り取り見取りだろうに、あんな子供と結婚するなど……」と思いっきり馬鹿にされていた。
しかし、時が経つと徐々に美しく成長していくリリベットに評価を改め、リリベットが大陸の二姫とまで賞賛されるようになると、先見の明があったと羨む声に変化していった。
結婚当時は評価が低くても、成長して化けることがあるので馬鹿にしてはいけない。という戒めを込めて『フェルトの嫁取り』という言葉が出来たのだった。