第164話「嫁選びなのじゃ」
リスタ王国 王城 女王寝室──
リリベットの妊娠を聞いて、ポート領から単独で戻ってきたフェルトは、すぐにリリベットの元に駆けつけた。
「リリー!」
「フェルト!? 予定より早かったのじゃな?」
いきなり入ってきたフェルトに、ベッドで休んでいたリリベットは驚いた表情を浮かべる。フェルトはリリベットに駆け寄ると、ベッドの上に乗り半身を起こしていた彼女を抱きしめた。
「リリー、よかった……嬉しいよ」
「むぅ~……フェルトよ、少し汗臭いのじゃ」
リリベットが苦笑いを浮かべながら、ペシペシと背中を叩くとフェルトは慌てて離れた。妻に会うために昼夜を通して駆けて来たのだから、多少は許して欲しいと思ったが照れたように笑う。
「ごめんよ、急いで帰ってきたから……少し身支度を整えてくるよ」
「待つのじゃ」
リリベットが微笑みながら手招きをすると、フェルトが首を傾げて戻ってくる。
「んっ!」
そんなフェルトに、リリベットは目を瞑って両手を広げた。フェルトはクスッと笑うと、彼女を優しく抱きしめて軽めのキスを交した。
「おかえりなのじゃ、フェルト」
「うん、ただいま、リリー」
リリベットは再び微笑むと、フェルトの腕をポンッと叩いた。
「フェルト、お主……帰還の報告もしておらぬじゃろう? 今後のこともあるし、着替えたら先に宰相に報告をしてくるのじゃ。そして、落ち着いたら戻ってくるのじゃぞ」
「わかった、じゃまた後でね、リリー」
部屋から出ていくフェルトの背中を見つめながら、ため息をつくリリベットにマーガレットは呆れた様子で首を横に振る。
「そんなに寂しいなら、もうしばらく居てもらえばよかったのでは?」
「……寂しくなんてないのじゃ」
リリベットは拗ねたようにソッポを向くと、ベッドから起き上がった。
「いつまでも部屋の中では気が滅入る! 散歩に出かけるのじゃ」
「ふふ……かしこまりました、陛下」
マーガレットは、すぐにリリベットの身支度の手伝いを始めるのだった。
◇◇◆◇◇
クルト帝国 帝都 エンドラッハ宮殿 薔薇の間 ──
ザイル連邦の外交大臣であるココロットは帝都を訪れていた。皇帝サリマールとの謁見のあと薔薇の間に訪れていた。ラァミル王の妃候補と面談するためである。
エンドラッハ宮殿の薔薇の間は、宮殿と後宮を繋ぐ部屋である。ここから先の後宮には皇帝以外の男性は入れないため、後宮に用がある皇帝以外の男性は、ここで女官に用件を伝えて呼び出す必要があった。
しばらくして煌びやかなドレスに身を包んだ三人の女性と、その女性によく似た女の子三人が後宮から歩いてきた。全員がサリマールに対して美しいお辞儀をする。
「うむ、よく来てくれた。ココロット殿、これが余の妻と娘だ」
この美姫たちは五人いるサリマールの妃であり、その中で彼の子を生んだ者たちだった。妃たちはココロットをキッと睨みつけているが、彼女はまるで意に介していなかった。まるで人族の軽蔑の眼差しには、慣れているといった様子である。
「初めまして、私はザイル連邦の外務大臣ココロットでございます。以後、お見知りおきを」
「ねこがしゃべったっ!」
ココロットが丁寧に挨拶をすると、妃たちは目を合わせなかったが、サリマールの子のうち一番小さい姫が驚いて声を上げた。この幼い姫はイルハ・クルトという名で、歳はリスタ王国の王女へレンと同じ四歳の姫だった。
他の妃や姉たちは獣人に対する偏見が色濃かったが、後宮から出たことがないイルハは初めてみる獣人に興味津々っといった様子で目を輝かせていた。
ココロットは従者に目配せをして、ラァミル王の姿絵を彼女たちに見せる。やや勇壮に描かれていたが、見合い用の姿絵など得てしてそういうものである。
「こちらがラァミル王でございます。王は獅子の勇敢さがありながら、民を想うとてもお優しい方です」
ココロットがラァミルを褒めているが、一番上の娘がボソリと呟く。
「獣じゃない……」
「王女、そのような態度を取ってはなりません」
さすがに他国の王に対しての発言としては、失礼であることから宰相レオナルドが窘める。しかし、ココロットは気にした様子がなかった。彼女の個人的な意見であれば、帝国側から断ってくれる分には逆にありがたいのだ。
しかし、イルハは興味を示し姿絵をじっと見つめるとニパーと笑う。
「これはライオンしゃん、イルハしってるよぉ」
「えぇ、皇女殿下。我が王はライオンでございます」
「モフモフしてるぅ?」
ココロットが自分の尻尾をイルハの前に差し出すと、イルハは喜んでそれに抱きついた。
「モフモフ~」
「王の鬣は、それより立派で柔らかいですよ」
「わぁ!」
その様子を見ていたサリマールは頷くと
「これは……決まりだろうか」
と呟いた。それに対してイルハの母は何かを訴えようとしたが、サリマールは一瞥してそれを黙らせる。彼の妃でも皇帝に意見をするのは難しいことなのだ。
帝国としてはサリマールが約束した以上、婚姻は進めなければならないが、他の娘では獣人に対して嫌悪しか持たないので上手く行くはずもない、おのずと嫁候補は絞られてしまったのだ。
「ふむ……イルハには黄薔薇の離宮を与えることにする。今日からそちらに移せ。レオ、あとは頼むぞ」
「わかりました、陛下」
そうして面会は終わり、ココロットを交えた話し合いが行なわれることになった。その結果、サリマールの娘イルハ・クルトと、ザイル連邦のラァミル・バルドバとの婚約が決まった。
婚姻ではなく婚約になったのはイルハが幼すぎるためであり、ムラクトル大陸の慣習に則り十二歳までは婚約ということになったのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 教授通り メアリーの家 ──
メアリーの実家は一度火事で失っていたが、その後同じ場所に再建されている。しかし彼女はすでに実家を出ており、教授通りで暮らしていた。小さな借家だったが職場に近いためメアリーは気に入っていた。
その家にサーリャとシャルロットが訪れていた。名目上はシャルロットを預ける上での下見であるが、掃除道具を持参している時点で、メアリーの「片付けておく」という言葉を信用していない様子である。
「そ……そんなに大荷物……それにいきなり来なくても」
メアリーがそう呟くと、サーリャが首を横に振って妙に明るく答える。
「わかってるから、早く入れて頂戴っ」
サーリャが無理に明るく振舞っていることがわかるメアリーは、大人しく扉を開けて二人を中に案内する。
中に入ると部屋を確認していく。一応片付けようとしたのか荷物が積まれていたが、ベッドの上には脱ぎ散らかした服が散乱しており、テーブルの周りには服のデザイン画がばら撒かれている。
「メアリーちゃん?」
「ごめん、片付けようとはしたんだよ?」
サーリャがメアリーをジト目で見つめると、メアリーは慌てた様子で言い訳を始める。その様子にサーリャはため息をついた。
「まぁいいわ、さっそく始めましょう」
そのまま三人はメアリーの家の掃除と片づけを始めた。寝室の掃除をしていたシャルロットが何かを持って固まっていると、不思議に思ったサーリャが声を掛けた。
「どうしたの、シャルちゃん?」
「……凄い下着だな~と思って、これならレオンさまもドキってしてくれるかも?」
サーリャは慌てて、その下着を取り上げる。
「シャ……シャルちゃんには、こういうのはまだ早いですっ! メアリーちゃんっ!」
「なぁ~に? 声が大きいわよ」
他の部屋の掃除をしていたメアリーが疲れた様子で寝室に入ってくると、サーリャは下着をメアリーに突きつける。
「こういうのは、ちゃんと片付けておいてね? シャルちゃんの教育に悪いでしょ」
「ん~? これぐらい、たいしたこと……」
メアリーの首を傾げながら答えたが、サーリャが顔を赤くしているのに気がついてニヤリと笑う。
「あ~……確かにシャルロットちゃんには早いかもね~。でも、サーリャには必要でしょ? コンラートさんもきっと喜ぶわよ?」
「わ……私はそういうのはいいのよっ」
メアリーは纏わりつくようにサーリャに抱きつくと
「いや~やっぱり新妻が、可愛い下着を身に着けるのは義務でしょ」
「……義務?」
サーリャが伏し目がちに聞き返すと、メアリーは嬉しそうに頬ずりをする。
「そうそう、だから片づけが終わったら、白毛玉に買いに行きましょ。掃除のお礼に私が選んであげるから」
「えっ!? でも……」
メアリーはサーリャから離れると、思いっきり伸びをしてから嬉しそうに言う。
「いや~楽しみだな。そうと決まれば、さっさと終わらせちゃいましょ!」
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『イルハ・クルト』
クルト帝国の皇帝サリマールの三女、生まれてから後宮を出たことがないため、彼女の世界は後宮内だけだった。動物が大好きでサリマールから貰った大型犬のラグーを、とても大事にしている。
婚約が決まってからは、無用な悪意を植えつけられないように黄薔薇の離宮に移され、そちらに暮らしているが、元々女児であったため母からはあまり関心を示されておらず、教育係で乳母に育てられていたため、母と離れたことに本人はあまり気にしてない様子である。