第163話「時差なのじゃ」
リスタ王国 東の城砦 アイオ家の屋敷 ──
瀕死の青年カールを救ったサーリャだったが、治癒術による消耗が激しかったためアイオ家に運び込まれることになった。同時に今回の騒動を起こしたカールは砦内の病院に運び込まれ、治療とともに拘束されていた。
サーリャが休んでいると、コンラートが慌てた様子で部屋に入ってくる。
「サーリャさん!」
その慌しい様子に、サーリャに付き添っていた彼の母が叱り付ける。
「コンラート! 騒がしいですよ」
「すみません、母上。しかし……」
コンラートが少し言い難そうにしていると、サーリャが首を傾げながら尋ねる。
「どうしたんですか、コンラートさん?」
「サーリャさん、王都から早馬が来て……ヨドスさんが倒れられたらしいんだ!」
「えっ! お爺ちゃんが!? す……すぐに戻らないと……っ!」
サーリャは立ち上がろうとするとが、上手く力が入らないのか立ちあがれなかった。コンラートはサーリャの肩に手を置くと心配そうな顔をする。
「サーリャさん、そんな状態じゃ無理だよ」
「お願いします、コンラートさん! お爺ちゃんはたった一人の家族なんです」
必死に懇願するサーリャに、コンラートは静かに頷いた。
「……わかった、でもその体じゃ馬は無理だ。馬車を手配してくるから、今は大人しくしているんだ」
「はい……お願いします」
コンラートは祈るように俯くサーリャの額にキスをすると、馬車を手配するために部屋を後にした。
しかし、コンラートが馬車を確保している間に、再び王都から早馬が届いたのだった。その報せを持って、再び部屋に戻ってきたコンラートは、サーリャの寝ている横に座る。
「サーリャさん、落ち着いて聞いてくれ」
「……何かあったんですか?」
「先ほどまた早馬が来て、ヨドスさんが……亡くなったそうだ」
「……えっ?」
サーリャは短くそう漏らすと、事態を掴めないのかコンラートを呆然と見つめる。コンラートはそんなサーリャをゆっくり抱き寄せると、赤子を扱うように優しく抱き締める。その瞬間、彼女の瞳から涙が溢れだした。
「うぁぁぁぁぁぁぁ」
コンラートは黙ったまま、そんなサーリャをいつまでも抱き締め続けるのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 リスタ港 桟橋 ──
それから数日後、ヨドスの葬儀はサーリャとその友人たち、そしてヨドスと親交があったラフス教徒たちの手によって厳かに行なわれた。国の英雄であるヨドスを悼み国葬を執り行う案も提示されたが、サーリャが祖父は騒がしいのは喜ばないとして断った。
そんな悲しみにくれるラフス教会から遠く離れた東リスタ港の桟橋の先で、一人の老人が酒を飲んでいた。
「何黄昏てるんですか、オルグさん?」
「んっ? なんだ、お前か……」
オルグに声を掛けてきたのは近衛隊長のラッツだった。彼はオルグの隣に座ると、酒瓶をオルグの隣に置いた。
「レベッカさんが、オルグさんの様子がおかしいって心配してましたよ?」
「かっかかか、孫に心配されるほど落ちぶれちゃいねぇよ」
オルグはラッツが置いた酒瓶の栓を開けると、ラッパ飲みで飲み始める。
「カァァァ、うめぇ! いい酒だな。生意気に良い給金貰ってんだろ、テメェ?」
「あはは、それを用意してくれたのはレベッカさんですよ。それでどうしたんですか?」
改めてラッツが尋ねると、オルグは髭をこすりながら答える。
「ヨドスが死んだらしいじゃねぇか。あいつぁワシより若かったし、なにより底なしの善人だった。ワシのような極悪人が長生きする中、善人はすぐに逝っちまう」
「……それに答えれるほど、俺の人生経験は豊富じゃないから何も言えないな」
オルグは豪快に笑いながら、ラッツの背中を叩く。
「がっはははは、当たり前だ! てめぇ如き若造が御託ならべたら海に放り込むぜ!」
「痛い! 痛いって!」
オルグはどこか遠い目をしながら呟く。
「しかし、さすがのワシもあと十年は生きれんだろうなぁ」
「いやぁ賭けてもいいけど、オルグさんは十年後も変わってないと思うよ」
ラッツが苦笑いを浮かべながら言うと、オルグは少し驚いた顔をするがすぐに豪快に笑い始めた。
「がっははは、じゃ賭けようぜ。十年後も生きてたらマリー嬢のケツ触らせてくれ」
「いや、それだと賭けたのがバレた時点で、俺が殺されるから賭けにならないよ」
ラッツが顔を引きつらせると、オルグは楽しそうに笑いラッツの背中をバンバンと叩く。
「しゃーねーな、じゃまたこの酒を奢ってくれよ」
「あぁそれならいい、約束だ。オルグさん、あんたはこの国にまだ必要だからさ、まだまだ元気でいてくれよ」
◇◇◆◇◇
クルト帝国 ポート領 城館 ──
帝都を出発したフェルトは、西回りでリスタ王国を目指していた。かつての仲間であるオズワルト・フォン・ポート男爵が治める地であるポート領で、一泊することになったフェルトたち使節団は、ちょうど帝都に向かっていたココロットたちの使節団と鉢合わせることになった。
「フェルト殿、お久しぶりでございます」
「ココロット殿、これから帝都に?」
ココロットとフェルトが親しげに挨拶を交していると、二人を紹介しようとしていたオズワルトは驚いた様子だった。
「おぉ、お二人ともお知り合いでしたか!」
「はい、外交の席で何度か」
フェルトが答えるとココロットも頷く。そして何かを思い出すように頷くと、笑顔なのかわからないが明るい声でフェルトに祝いの言葉を述べた。
「あぁ、そうです。フェルト殿、この度はおめでとうございます」
フェルトが何のことかわからず首を傾げる。
「何のことでしょうか?」
「おや、まだご存知じゃない? リリベット様がご懐妊したと、国中で話題になっておりましたが?」
「えっ!?」
フェルトは妻の妊娠にも驚いたが、それが国中の噂になっていることにも驚いていた。彼はオズワルトを見て頭を下げる。
「オズワルトさん、申し訳ないけど私はすぐに戻ろうと思う。すまないが使節団の皆だけ滞在させて貰えるか?」
「えぇ、構いませんよ。お急ぎになるのでしたら、足の速い良い馬を用意させましょう」
「あぁ、よろしく頼む」
フェルトはココロットに丁寧に頭を下げる。
「ココロット殿、お会いして早々ですが、私は国に戻ろうと思います」
「えぇ、私のことは気になさらずに、帝都から戻る際はまたお世話になる予定ですので……」
フェルトは挨拶もそこそこに済ませて、馬を借りるためオズワルトと共に馬の厩舎に向かうのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王都 ラフス教会 ──
ヨドスの葬儀から数日後、今後についての話し合いが持たれていた。参加したのはサーリャとメアリー、シャルロット、そしてサーリャに付いているために休暇を取ったコンラートである。
「それで、サーリャ……これからどうするの?」
「うん、メアリーちゃんとシャルちゃんが良ければ、この教会は信者の方に譲って私はコンラートさんと東の城砦に移ろうかと思うの」
これはサーリャが散々悩んで決めたことで、メアリーはシャルロットを預かることを提案していた。これは学園やレベッカの元に修行に通っているシャルロットは、易々と王都を離れられないためであり、シャルロットも了解していた。
「そうした方がいいよ、サーリャお姉ちゃん。あたしのことは心配しないでいいから!」
「そうよ、私の部屋だって、そこそこ広い……はずだから、大丈夫よ!」
新しい環境で傷を癒して欲しいシャルロットと、微妙に歯切れの悪いメアリーの言葉にサーリャは優しく微笑む。
「ありがとう、二人とも……でも出て行く前に、メアリーちゃんのお部屋は掃除していくね」
「うっ……なんで散らかしているのがバレてるの!? 大丈夫よ、シャルちゃんが来るまでに片付けておくからっ!」
メアリーも付き合っている男性がいるときはわりとしっかりしているが、いない場合は仕事に集中することでウサ晴らしするタイプで、部屋にデザイン画や試作した服が散乱していた。そんなことは、メアリーの古くからの親友であるサーリャにはバレバレなのである。
「まぁ、それは置いておいて……コンラートさん、サーリャをお願いしますね。泣かせたら許さないからっ!」
「泣かせたら艦砲射撃で吹き飛ばすからっ!」
「ははは……大丈夫だよ、必ず幸せにするから」
コンラートはそう言いながら、机に置いてあったサーリャの手を強く握る。サーリャもそんなコンラートを見つめるのだった。
◆◆◆◆◆
『サーリャの覚悟』
カールを治癒した際、ヨドスの言葉を聞いたサーリャは、ある種の予感としてヨドスの死を感じていた。その結果彼女は自身の中に祖父を感じることができ、祖父の遺言通りにコンラートとともに歩んでいく覚悟を決めたのだった。