第161話「暴動なのじゃ」
リスタ王国 王都 ラフス教会 ──
マリーとヘレンがアムリタでケーキを食べているころ、メアリーは王城からラフス教会に戻ってきていた。
サーリャは丁度洗濯が終わったところのようで、庭でシーツや服を干しているところだった。メアリーはそれをパッパと手伝うと、ヨドスにサーリャのことを相談するため彼女を連れて彼の元を訪れた。
「ヨドスさん、お久しぶり」
「おぉ、メアリーちゃんか、よく来たね」
久しぶりにヨドスにあったメアリーには、彼が小さくなっている気がした。かつては自分より大きく、優しくしてくれた老人が今は見る影もない。その事実がメアリーが一歩を踏み出すのを躊躇わせた。
「メアリーちゃん、どうしたの?」
「えっ……あぁ、うん」
これは彼の希望なのだが、年老いたヨドスとサーリャを引き離すのは心苦しく感じてしまったのだ。
「あれ~……なんだったかな?」
「おかしなメアリーちゃん、ご飯食べていくでしょ? 用意するね」
メアリーがとぼけてみると、サーリャは微笑みながら厨房に向かった。残されたメアリーは、ヨドスに頭を下げる。
「ヨドスさん、ごめんなさい。やっぱり私でもサーリャを説得するのは無理みたい」
「あぁ、そうか……陛下に聞いたんじゃな? 大丈夫、きっとあの子もわかってくれるはずじゃ。……おぉ、そうじゃ! メアリーちゃんは、確か服屋じゃったな?」
ヨドスが何かを思い出したように尋ねると、メアリーは首を傾げてから頷いた。
「うん、そうだけど?」
「おぉ、渡したいものがあるのじゃが、ワシの部屋まで来てくれるか?」
メアリーは黙って頷くと、ヨドスに肩を貸しながら部屋まで移動した。ヨドスの部屋に来ると、彼は衣装入れから、箱を一つ取り出した。それをテーブルに置くと、蓋を開けてメアリーに見せる。
「これの補修を頼みたいのじゃが……」
「これは?」
「これは娘……あの子の母が使ったものじゃよ。これを見ると昨日のように、あの時のことを思い出せるよ」
どこか遠い目をしながら答えるヨドスに、メアリーはそれの状態を確認してから頷く。
「うん、これぐらいなら何とかなると思うよ」
「おぉ、そうか……頼めるかな?」
「えぇ、任せてっ!」
メアリーがその箱を受け取ると、同時に外に馬の嘶きが聞こえ、すぐに扉を叩く音が聞こえてきた。
「なんだろ?」
メアリーが首を傾げていると、サーリャとなぜか城砦に戻っていたはずのコンラートが現われた。
「お爺ちゃん、城砦のほうが大変なんだってっ!」
「ヨドスさん、すみません。彼女の力が必要なのです! 彼女の安全は私が必ず守りますので!」
事情が掴めないメアリーが戸惑いながら問い返そうとしたが、ヨドスはそれを止めるように前に出ると、やさしく微笑みながら告げる。
「行ってきなさい、サーリャ。お前を必要としてくれる人たちに、ラフス様の愛を分け与えてあげるのだよ」
「うん、行ってくるねっ!」
「すみません、お預かりします」
二人は慌てた様子で外に出ると、そのまま馬に飛び乗り駆け出した。その直後、学校帰りのシャルロットが戻ってきて首を傾げる。
「いまサーリャお姉ちゃんが、飛び出していったけど何かあったの?」
「あっ、おかえり。うん、城砦のほうで何かあったって……」
その時、メアリーの後ろでドサッと何かが倒れる音が聞こえた。彼女が振り返ると、ヨドスが苦しそうな顔を浮かべて倒れていた。
「ヨドスさん、どうしたの!?」
「おじいちゃん!」
二人が駆け寄ると、ヨドスは明らかに苦しそうな表情で胸を押さえている。動揺したメアリーは、立ち上がると
「サ……サーリャを呼び戻してくる。急げばなんとか!」
「や……やめてくれ、このままで……いいんじゃ。あの子にはあの子が必要な人々がいるんじゃ」
ヨドスが弱々しく答えると、メアリーは怒鳴るように言う。
「何を言っているの、ダメだよ!」
「メアリーお姉ちゃん落ち着いて! 今からサーリャお姉ちゃんを追いかけても無理だよ。相手は騎士の馬だよ? 絶対追い付けないって、それよりお医者さん呼んでくるからっ!」
メアリーより落ち着いているシャルロットは、そう言い放つと医者を呼びに飛び出ていった。メアリーは自分の無力さを感じながら、弱っていくヨドスの手を握ることしかできなかったのである。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 東の城砦 難民キャンプ ──
時間は少し遡る。領土解放戦線リーダーの引き渡しを要求していた帝国からの使者マーレスは、無駄だと思いながらも単独で難民キャンプを捜索していた。
しかし、難民の中には帝国貴族であるマーレスを信用しない者も多く、「国外に出た」程度の情報しか得られなかった。そろそろ引き返そうとしたとき、その事件が起こったのだ。
ある青年が飛び出して、マーレスを背中から刺したのだ。しかし鎖帷子を着たマーレスには致命傷にはならず、反射的に剣を抜いたマーレスに斬られてしまう。
騒ぎを聞きつけた難民が集まり始めたため、マーレスは慌てて東の城砦に逃げ込むことになる。仲間を傷つけたことに怒った難民たちは、東の城砦の前に集まると一斉に抗議を始めたのだ。
要塞を守る騎士団としても、他国の使者であるマーレスを引き渡すわけにもいかず、静まるように要求したがヒートアップした難民は止まらなかった。そこで騎士団長ミュルンは、これを治めるには難民たちに信頼されているサーリャが必要だとし、コンラートを王都に走らせたのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 東の城砦 ──
東の城砦から王都まで、片道でどんなに急いでも三時間は掛かる。その為暴動が起きてから、すでに八時間が経過していた。
いつまでもマーレスの引渡しに応じない東の城砦に、難民の行動はヒートアップしており、城門に対して投石を始めている。もっともその程度でリスタ王国建国時から東の国境を守ってきた城砦が揺らぐわけもなく、ミュルン団長は警戒しながらもどうしたものかと考え込んでしまっている。
国境を守る騎士団が難民とはいえ、民衆に向ける剣などないのだ。そんな時、別の門から入ったコンラートとサーリャが到着した。二人の姿を見たミュルンは、両手を広げて喜ぶ。
「おぉ、待ちかねたぞ!」
「すみません、お待たせしました。微力なれど出来る事があれば、何でも言ってください」
ミュルンは頷くと、集まってきている難民たちを指差しながら頼む。
「ひとまず彼らの説得を試みてくれ。騎士たちよ、彼女を守れ!」
「はっ!」
ミュルンの命令に、四人の騎士が大きな盾を持ってサーリャの周りに付く。その状態で、城壁の端に立つと難民たちに向かって語りかける。
「皆さん、聞いてくださいっ!」
サーリャの声に反応した難民たちは、一斉に城壁上を見上げる。
「おぉ、聖女様だ!」
「リスタの聖女だっ!」
サーリャの姿を見た難民たちは怒声を張り上げるのを止め、祈るように手を組んで祈り始めた。しかし一人の女性が叫び声を上げる。
「聖女様、あの人を助けておくれよぉ! まだ生きてるんだよっ!」
その訴えにサーリャは目を見開くと、護衛として囲んでいた騎士を押しのけながら叫ぶ。
「どいてください、治療に向かわなくてはっ!」
そのまま城壁の階段を駆け下りていくサーリャに驚きながら、ミュルンがコンラートに命じる。
「コンラート! 彼女を守れっ!」
「はっ!」
コンラートは敬礼もせず急いでサーリャを追うが、先に降りていった彼女にすぐに追いついた。門を守る騎士たちが開門を拒否したからである。
「開けてくださいっ!」
「ダメだ、団長の命令もなしに」
サーリャは必死に訴えたが、騎士は命令なしには動けない。特に外には暴徒化した難民がいるのだ。そこにコンラートが到着した。
「騎士団長付き従士コンラート・フォン・アイオです。団長の許可は得てます、門を開けてください」
「コンラートさん!」
「よし、開門しろっ! 気を付けろよ!?」
城門は重い音を立てながら、僅かに一人が通れる分だけ開く。サーリャとコンラートは、その隙間を抜けて難民たちの前に躍り出るのだった。
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『単独行動』
クルト帝国の使者マーレスに対して、リスタ王国からは護衛を付けると申し出があったが、マーレスはそれを拒否した。難民キャンプの治安が安定していることもあったが、騎士として自身の腕に自信もあり、王国に監視されるのを嫌がったためである。