第158話「婚約なのじゃ」
リスタ王国 王城 応接室 ──
リリベットの元にコンラートとサーリャが尋ねてきたため、二人を応接室に通しリリベットも応接室に向かった。マーガレットを連れて部屋に入ってきたリリベットに、ソファーに腰を掛けていたコンラートとサーリャが立ち上がって頭を下げる。
「遅くなったのじゃ」
そう言いながら対面のソファーに座るリリベットは、ゆったりめのドレスを着ていたためサーリャは首を傾げた。彼女はお茶会のような軽い席でも、しっかりした服装をしていることが多いからである。
対するリリベットもコンラートとサーリャの二人が、普段より上等な服を着ていたため、首を傾げながら手で座るように示す。二人は頷くと一緒にソファーに腰を掛けた。
「それで、今日は何の用なのじゃ? 二人で尋ねてくるとは珍しいのじゃ」
「はい、実は私たち婚約をしまして、その報告に参りました」
コンラートが婚約の報告をすると、サーリャは恥かしそうに俯いた。その報告にリリベットは我がことのように喜ぶ。
「それはよかったのじゃ! サーリャよ、私は自分のことのように嬉しいのじゃ!」
「ありがとうございます、陛下」
サーリャは顔を真っ赤にしながら微笑む。しかし、リリベットの顔を見て何かを感じたのか、すぐに真剣な眼差しになる。
「陛下、大丈夫ですか? ひょっとして調子を崩されているのでは?」
リリベットは少し驚いた表情を浮かべると、すぐに苦笑いをする。心配をかけないようにちゃんと顔色を隠すために化粧をしているのだが、十数年の付き合いがある友人であり、治癒術士でもあるサーリャの前では、その程度の偽装は無駄だったようだ。
「いや、今は調子がよい……うっ」
リリベットは、最後まで言いきれず蹲ってしまう。驚いたサーリャがソファーから跳ぶように立つと、リリベットに治癒術をかけようと手を差し出した。しかしマーガレットが慌てて、それを止める。
「いけません、陛下は妊娠中なのです」
「えっ?」
サーリャは驚いて手を引っ込めた。コンラートはリリベットが妊娠していることも驚いたが、サーリャが治癒しようとしないことに驚いていた。
「サーリャさん、陛下がこんなに苦しんでるんだ。早く治癒をしないと」
「コンラートさん、それはダメなんです。出産時の痛みはともかく、赤ちゃんが成長してる時期の治癒は避けたほうがよいと、おじいちゃんが言ってました」
諸説あるのだが、この大陸では治療薬や治癒による胎児への影響は、あまり研究されておらず、避けるようにというのが定説になっていた。サーリャは治癒術の変わりにリリベットの背中を優しく擦る。
「それでそんな格好をしてたんですね、陛下?」
「う……うむ、ありがとなのじゃ……」
調子が少し落ち着くとマーガレットが、リリベットを連れて部屋から出ていってしまった。取り残されたコンラートとサーリャは、どこか意識したように顔を背けるのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 女王寝室 ──
寝室に戻ったリリベットは気持ち悪そうに唸りながら、マーガレットを呼んだ。
「何か御用ですか、陛下? お水ですか?」
「違うのじゃ……代筆を頼むのじゃ」
「はい」
マーガレットは頷くと引き出しから紙を取り出し、机の上からはインクと羽ペンを持つと、それをベッドサイドのテーブルまで移した。
「準備できました、陛下」
「親愛なる友メアリー……」
から始まるリリベットの言葉を、マーガレットはつらつらと書いていく。その内容は自身の妊娠についてと、メアリーにサーリャの説得を頼むもので、以前サーリャの祖父であるヨドスに頼まれたことについてだった。
「……リリベット・リスタ。それを至急、メアリーに届けて欲しいのじゃ」
「はい、わかりました……が、よろしいのですか?」
マーガレットは書き終えた手紙のインクを乾かしながら尋ねる。
「何がなのじゃ?」
「ご懐妊の公式発表はまだですが、メアリーさんが知れば、あっという間に広がってしまうかもしれませんが?」
メアリーはとても噂好きであり、彼女の口を塞ぐことはリリベットでも無理なことである。リリベットは少し微妙な顔をしたが、すぐに首を軽く横に振る。
「むぅ……仕方がない、ヨドスとの約束が優先なのじゃ」
その言葉にマーガレットは頷くと、伝令を出す準備を着々と進めていくのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 教授通り 白毛玉 ──
リリベットの手紙は、すぐにメアリーの職場に届けられた。王家の紋章入りの封筒に、美人店長アンジェラは驚いた顔をしてメアリーを呼んだ。
「ちょっと、メアリー! また王家から手紙が来ているわっ!」
「はい、はーい! 陛下からかな? 今度はなんだろ?」
メアリーは、そう言いながら受け取った手紙の封を切っていく。手紙を取り出して読み始めると、口に手を当てながら大声で
「えっ……陛下、妊娠したの!?」
と言ってしまう。もちろん営業中の人気店白毛玉である。この時間は婦人を中心に大賑わいだった。その噂好きの婦人たちが、ザワザワと騒ぎ始める。その騒ぎにアンジェラは青い顔をして、メアリーの肩を掴むとガクガク揺らす。
「ちょっとメアリー!」
「えっ? あっ……」
婦人たちはメアリーに詰め寄ると、口々に尋ねていく。
「えぇ、本当なの? メアリーちゃん?」
「それはおめでたい話だねっ! 何ヶ月なんだい?」
「これは大ニュースだわ、急いで皆に知らせなくちゃ!」
公式発表がされてない情報を、公衆の面前で喋ってしまったのだ。アンジェラも内心、王家からお叱りがあるかもと心臓が潰れる思いである。
そして、アンジェラの不安を嘲笑うかの如く、リリベットの懐妊の報せは白毛玉を中心に爆発的に広がっていき、半日ほどで王都全域に広がることになったのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王都 ラフス教会の一室 ──
王城を出たコンラートとサーリャは、ラフス教会に戻ってきていた。サーリャは晩御飯を作るために厨房におり、ヨドスとコンラートがテーブルの席に座っている。
ヨドスはニコニコと笑いながら、コンラートを見つめる。
「よく決心してくれましたな。孫はまだ幼いところもあるが、よろしくお願いします」
「いえ、私の方こそ未熟な身です。サーリャさんには色々と手伝って頂いております」
コンラートは謙遜してそう言うが、ふと気になっていたことを尋ねることにした。
「あの……本人に聞く機会がなかったのですが、サーリャさんのご両親は?」
「あぁサーリャが赤子の頃に、二人とも事故でのぉ」
サーリャの両親もラフス教の司祭だった。とある災害時に家屋が倒壊してしまい、サーリャものとも巻き込まれてしまったのだ。教会にいたヨドスが駆けつけたときには、二人とも息を引き取っていたらしい。
そんな中、まだ幼かったサーリャは母親に抱かれ無傷で救出されていた。彼女が無傷だったのは、母が息を引き取るまで治癒術を掛け続けていたからだった。
ヨドスはサーリャを引き取り、彼女が出歩ける大きさになるまではその国で暮らしたが、サーリャが大きくなるにつれ、時折娘夫婦のことを思い出すのが辛くなり国を出ることを決意。リスタ王国への布教を理由に移り住んで来たのだという。
「そんなことが……」
「だからワシは、孫には幸せになって貰いたいのじゃ……どうか頼みますのじゃ」
ヨドスの皺だらけの手を掴んで、コンラートは力強く頷く。
「任せてくださいっ!」
その後、しばらくヨドスとコンラートが話していると、学園からシャルロットが帰ってきた。
「ヨドスお爺ちゃん、ただいま~! うっ、何でいるのよ? ……という事はサーリャお姉ちゃんも帰って来てるの!?」
帰宅の挨拶と同時に視界に映ったコンラートに、シャルロットが嫌そうな顔をするが、サーリャを捜してキョロキョロと辺りを見回した。
「おかえり、シャル」
「お邪魔してるよ、シャルロット君。サーリャさんなら厨房にいるはずだよ」
それを聞いたシャルロットは、すぐに厨房に向かおうとしたが何かを思い出したようにヨドスに言う。
「あぁ、そうだ、ヨドスお爺ちゃん聞いてよ!」
「どうしたのじゃ?」
「外ではお義母様がご懐妊したって、すごい噂になってるんだよ!」
すでにサーリャから聞いていたヨドスは、驚く様子もなく頷いた。
「うむ、どうやらそのようじゃな。さっきサーリャからも聞いたが久しぶりに良いニュースじゃ」
「な~んだ、もう知ってたのか~」
シャルロットが残念そうにしていると、扉が開いて鍋を持ったサーリャが入ってきた。
「あら、シャルちゃん。おかえりなさい」
「サーリャお姉ちゃん、やっと帰ってきた~」
「わっ、ちょっと!? 今、危ないから」
シャルロットに抱きつかれたサーリャは、鍋を落とさないようにバランスを取る。なんとか落とさずに済んだサーリャは、鍋をテーブルに置くと改めて尋ねた。
「シャルちゃん、そのお話どこで聞いたの?」
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『引き継がれた才能』
ヨドスの娘つまりサーリャの母は、ラフス教の司祭の中でも、ヨドスを超えるほどの治癒術を身に付けた天才だった。サーリャが若くしてヨドスに次ぐ治癒術を扱えるのは、遺伝的な要因と最後の力と希望を娘に託した母の力であるところが大きいのである。