第157話「委任なのじゃ」
クルト帝国 帝都 薔薇の離宮 ──
リスタ王国でリリベットの懐妊が発覚していたころ、フェルトは帝都にある薔薇の離宮に来ていた。兄の勧めで帝都滞在中は、大使館ではなく薔薇の離宮に滞在することになったからである。
応接の間に通されると、この離宮の主であるサリナ皇女が待っていた。彼女はゆったりとした服装で、ややふっくらした体型になっていたが、その美しさは普段と寸分違わぬ気品に満ちている。
そんなサリナにフェルトは笑顔でお辞儀をする。
「お久しぶりです、サリナ皇女。そして、おめでとうございます」
「ふふふ……ありがとうございます、フェルト様」
サリナは優しげに微笑みながら、フェルトに対面のソファーを勧める。フェルトが腰をかけると、サリナ皇女は首を傾げながら尋ねてきた。
「アイラはどうしているかしら? ちゃんとお淑やかにしてる? ご迷惑をおかけしてないとよいのだけど」
「ははは、お淑やかに……かはわかりませんが、レオンたちとは仲良くしているようですよ」
見た目に反して活発なアイラを思い出して、苦笑いを浮かべるフェルトにサリナ皇女も微かに笑うと
「やっぱり……私の目が届かなくなると、すぐお転婆が顔を出すんだから困ったものですね」
と答えた。サリナ皇女も娘は身体を動かすほうが、性にあっていることは理解しているのだ。
「それで、リリベット様はご壮健かしら?」
「はい、最近はレグニ領の件で少し忙しいのですが、元気にしておりますよ」
レグニ領という言葉に、サリナ皇女は少し複雑そうな顔をして首を横に振った。
「リリベット様がお元気そうなのは何よりですが……そうですか、レグニ領の……民を巻き込んだ戦いになったそうですね? レオは私に心配させまいと、あまり詳しく教えてくれませんが」
「えぇ、かなりの被害が出てしまったようです。我が国に難民が流れてきており、今回の帝都訪問はその話をしに来たのですよ」
フェルトの言葉に、サリナ皇女は頭を少し下げた。
「貴国であれば、彼らに対して無体なことをなさるとは思いませんが、何卒我が民をお願い致します」
「お任せください。難民の扱いに関しては我が国からは支援のみをしており、彼ら自身が管理しています。今後の方針は、本人たちの意思を尊重することが決まっております」
サリナ皇女はホッと一息つくと、何かを思い出したように
「あぁ、私ったらお茶も用意せずに、失礼しました」
と後に控えていたメイドに頼もうと振り向こうとしたが、少し膨らんだお腹に気遣ってか途中でやめる。それに気が付いたメイドの一人は、すぐにサリナ皇女の前まで来る。
「何かご用でしょうか、サリナ様?」
「フェルト様にお茶をお願い、私にはいつものを」
「かしこまりました」
メイドは丁寧にお辞儀をすると、優雅な佇まいのまま部屋を後にした。
フェルトは、少し心配そうに尋ねる。
「大変そうですね。何ヶ月目ですか?」
「六ヶ月目になります。これでも、だいぶ安定してきたのですよ」
サリナ皇女はお腹を優しく擦りながら答えると、微笑みながら尋ねる。
「フェルト様とリリベット様は、三人目のご予定はないのかしら?」
「ははは、まぁ……子供は授かりものですから」
鼻を掻きながら少し照れた様子で答えるフェルトに、サリナ皇女は満足そうに頷くのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 女王寝室 ──
リリベットが休んでいると、部屋にマリーに連れられたヘレンと妖精たちが訪れていた。
「かぁさま~」
ヘレンがリリベットに飛び乗ろうとしたので、マーガレットに襟を掴まれて猫のようにプラーンと浮いている。ヘレンは手足を、ジタバタと振り回しながら頬を膨らませる。
「なにをするのじゃ~」
ヘレンに合わせて妖精たちも抗議するが、マーガレットの一睨みですぐに震え上がって沈黙する。
「殿下、いけません。陛下に飛び乗るなんて」
何を怒られているのかわからなかったが、何かを怒られたことがわかったヘレンが泣きそうな顔になると、リリベットは優しく微笑みながら手を差し伸べた。
「マーガレット、良いのじゃ。ヘレン?」
「ふぇ……かぁさま~」
リリベットは、ヘレンをお腹に乗せないように抱き寄せると、頬や額にキスをして落ち着かせる。ヘレンもすぐに笑顔になり、リリベットの頬にキスを返していた。
「よく泣かなかったのじゃ。ヘレンは偉いのじゃ」
「えらいのじゃ~」
「ふふ、それにもうすぐ姉様になるのじゃぞ?」
「アイラねぇさま?」
ヘレンの中ではすでに姉様とは、アイラのことになっており首を傾げる。それに対して、リリベットは軽く首を横に振る。
「違うのじゃ、ヘレンが姉様になるのじゃ。まだ先の話じゃがな」
ヘレンはまだ意味がわからないのか、キョトンとした顔をしている。リリベットは優しく彼女の髪を撫でるとマリーに目配せをした。マリーはヘレンを抱き上げると、そのままリリベットに頭を下げる。
「おめでとうございます、陛下」
「おめでと~なのじゃ~」
お祝いの言葉を述べたマリーに、反応したヘレンは一緒になってお祝いの述べた。リリベットはクスッと笑う。
「うむ、二人ともありがとなのじゃ」
そんな話をしていると、今度はレオンが慌てた様子で入ってきた。
「母様、大丈夫ですか!? 倒れられたと聞いてっ!」
どうやら学園にいたレオンには、リリベットが倒れた時点で連絡が行っており、急いで帰ってきたようだった。心配そうな顔をした息子に、リリベットは微笑みかける。
「うむ、どうやら子を授かったようなのじゃ。それで、ちょっと調子を崩しただけなのじゃ」
レオンは驚いた表情を浮かべたあと、笑顔に変わるとお祝いを言う。
「それは……おめでとうございます、母様!」
リリベットは小さく頷くと、少し真剣な表情に変わった。
「レオンよ……ヘレンが生まれた時はお主も小さかったが、もう七つなのじゃ」
「はい」
「私は、その頃から立派な王じゃったのじゃ」
マリーとマーガレットが伏せ目がちに視線を逸らしたが、リリベットは気にせずに続ける。
「私はしばらく政務を務めることができぬのじゃ。基本的な政務に関しては宰相や父様、そして各大臣などがやってくれるはずじゃが、対外的に王族が対応せねばならぬ時があるかもしれぬのじゃ。その場合は、王太子としてお主が対応するのじゃ」
「は……はい、頑張りますっ!」
リリベットは、ベッドサイドまで来ていたレオンの頭を撫でる。
「そんなに不安そうな顔をするではないのじゃ。大丈夫、お主が一人で対応することはないのじゃからな。必ず宰相か父様について貰うのじゃ」
「はい、母様」
レオンの返事にリリベットは満足そうに頷いたが、子供たちにはわからないぐらいの小さなため息をついた。それに気がついたマーガレットはマリーに目配せする。
「さぁ、お二人ともそろそろ行きましょうか?」
「はい」
「わかったのじゃ」
マリーはお辞儀をすると、レオンとヘレンを連れて寝室から出ていった。それを笑顔で見送ったリリベットは、扉が閉まった瞬間顔を歪ませた。
マーガレットは、手際よく嘔吐用のトレイと水を差し出す。
「陛下、あまりご無理はなさらぬように」
「……子供たちに心配させるわけにはいかんのじゃ」
リリベットはグラスに入った水だけ受け取ると、少し口に含むように飲んだ。
「じゃが……これがしばらく続くとなると、さすがに気が滅入るのじゃ」
◆◆◆◆◆
『リリベットの妊娠期間』
レオンをお腹に宿したとき、まだ十五歳という多感な時期であり、初めての妊娠・出産への不安から、政策への判断が上手くできなくなっていた。まだリリベットしか王族がいない状態だったこともあり、最終決定者を失った国政は少なからず混乱してしまった。
それでも夫であるフェルトの献身的なサポートや、宰相フィンが元々許されていた権限を最大限に使うことで乗り切ったのである。
そのことを反省したリリベットは、ヘレンを産む際はさほど取り乱したりはしなかったが、国政は今回と同じく執政職のフェルトと宰相フィンに委ねることにしたのだ。さらに正式に委任状を発行することで、混乱は最小限に抑えることができるのだった。