第154話「脱出なのじゃ」
リスタ王国 西リスタ港 海軍詰所 ──
リリベットとの面談を済ませたロームは、難民たちに別れの挨拶をするために、ラッツに連れられて西リスタ港の倉庫に戻ってきていた。
無事に戻ってきたロームに、動ける難民たちは心配そうに集まってくる。
「大丈夫だったかい?」
「ひどいことはされなかった?」
ロームは彼らにリリベットから聞いた話と、自分はリスタ王国を出ていく決断をしたことを伝える。大半の難民は、自身の安全が確保されたことに安堵のため息をついたが、最後まで彼に付き従ってきた領土解放戦線のメンバーは、慌てた様子でロームを止めにかかる。
「この国の外に出たら、すぐに捕まってしまうっ!」
「そんな簡単には捕まったりしないさ、君たちはこれからの道を自由に選ぶんだ」
「いいや、俺たちはアンタに付いていくぜ」
ロームは首を横に振って答える。
「それだけはダメだっ!」
きっぱりとした口調で言われたメンバーたちは、それ以上何も言えなくなってしまった。ロームは微笑みながら、一人ずつの肩を叩いていく。
「私だけ出ていけば問題ないんだ。レグニ侯爵は討たれたんだ、もう戦うべき相手もいない。しばらく混乱はあるだろうが、願わくば……君たちには時期を見て祖国に戻り、復興に尽力してほしい」
「あぁ……あぁ、約束する」
別れの挨拶が終わったロームは涙を拭くと、隅で待っていたラッツに声を掛ける。
「すみません、お待たせしました」
「いや、もういいのかい?」
「はい」
迷いの無い瞳で答えたロームに、ラッツは頷くと彼を連れて歩き始めたのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王都 宿『枯れ尾花』 ──
ラッツに連れられて倉庫を出たロームは、何か用があるというラッツに付き添って枯れ尾花に来ていた。
ラッツは店に入るなりカウンターに向けて、笑顔を向けて手を振りながら話しかける。
「よぅ、ちびっ子元気にしてたか?」
その瞬間、巨大な獣の毛皮でも剥げそうな大型のナイフが、ラッツの顔面目掛けて飛んできた。ラッツは慌ててそのナイフを躱すと、枯れ尾花のぼろい壁にナイフが深々と突き刺さった。
「な……なんだ!?」
ロームは戸惑っていたが、ラッツは壁に刺さったナイフを引き抜くとカウンターに置く。
「相変わらず、ぶっそうな店だな」
「私の方が盗人野郎より年上……ふざけたこと言うと、次は当てる」
カウンターに座っていたリュウレが、ナイフを手にするといつの間にか消えていた。ラッツが避けなければ完全に死んでいたので、苦笑い浮かべると本来の用件を切り出した。
「城から使者が来たと思うけど、用意は出来てるかい?」
リュウレは面白くなさそうにカウンターの下から背嚢を取り出すと、それをカウンターの上に置いた。
「急ぎ仕事すぎる……人使いが荒いと女王に言っとけ」
「ははは、悪かったよ。それじゃ貰っていくよ」
ラッツが背嚢を受け取ると、リュウレはさっさと出て行けといった感じに、手をパタパタを振っている。
店から出るなり、ラッツは背嚢をロームに渡す。
「これは貴方のだ、旅に必要な物が入っている」
「えっ、あ……すまないな」
そのままラッツが歩き出すと、ロームが首を傾げながら尋ねる。
「そっちは城の方じゃないのか?」
「陛下も言っていただろ? せっかくだから、グレートスカル号を見ていくといい。案内するよ」
ロームは怪訝そうな顔をしたが、ラッツがどんどん歩いて行ってしまったため、仕方がなく付いていくのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 地下専用港 ──
地下専用港に来たロームは、グレートスカル号の大きさに驚きの声を上げた。
「こ……これが船なのか?」
「サイズだけなら、世界最大の大型船になるだろうな」
ラッツが自慢げに言うと、ロームは感心したように頷いた。
「あぁ、これほどの船は見たことがない。最後に良いものを見せて貰ったよ」
「この船でかいだろ?」
「あぁ」
質問の意図がわからず、ロームが首を傾げる。しかし、ラッツは構わず話を続けた。
「ちょっと前にジオロ共和国から小さな女の子が、密航者として船に乗り込んでたんだよ。これだけでかいと密航者を見つけるのも難しいんだ、困ったもんだな」
「あぁ、そうだな……っ!?」
ロームが何かに気がついたようにラッツの顔を見ると、ラッツはわざとらしく言う。
「あぁ、ちょっと用事があるんだった。すまないが、ここからは一人で行ってくれ。あの扉が出口だ、間違ってもあっちの搬入口には行くなよ? 荷物と一緒に載せられてしまうからな」
ラッツはそのままロームを一人残して、手を振りながら歩いて行ってしまう。ロームは背嚢を抱えながら、その背中に深々と頭を下げるのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 謁見の間 ──
二週間程後、リリベットは謁見の間の玉座に座っていた。クルト帝国から使者がリリベットに謁見を求めたためである。リリベットの他には、外務大臣としてフェルトが同席している。
一見して武官と判る筋肉質の男性が、リリベットの前まで来るとビシッと敬礼をする。
「クルト帝国子爵のマーレス・フォン・アイガーです。女王陛下、此度はお目通りいただき感謝致します」
「ふむ、どのような用件なのじゃ? 先日フェルトが送った書状の返答じゃろうか?」
マーレスは頭を下げながら、手にした筒を差し出した。
「そちらに関しましては、こちらに書状を預かって参りました……お納めください」
近衛隊員がそれを受け取ると、リリベットの元まで持ってくる。リリベットは目配せをしてフェルトに渡すように伝えた。フェルトが書状を確認すると、今回の難民騒ぎの謝罪と補償を約束する内容だった。細かい取り決めなどは、後日フェルト自身が帝都まで赴かなければならないだろうが、現状では十分な内容だった。
フェルトが頷くのを確認したリリベットは、右手を軽く挙げて感謝を伝える。
「確かに受け取ったのじゃ……さて、他にも用件があるようじゃな?」
リリベットが尋ねると、マーレスは頷いて答える。
「はい、貴国に領土解放戦線のリーダーと目されるローム・フォン・ジャス子爵が、入国しているという情報を得ました。奴を我が国に引き渡していただけないでしょうか?」
鋭い眼光のまま尋ねるマーレスだったが、リリベットはキョトンとした顔をしてフェルトを見る。
「はて、私のところにはそのような情報は来ておらぬのじゃ、フェルトは聞いておるじゃろうか?」
「いいえ、女王陛下」
フェルトが答えると、リリベットは改めてマーレスを見つめて告げる。
「すまぬが、さすがに難民一人一人までは把握しておらぬのじゃ。なにせ数が多いからな、お主に難民キャンプへの立ち入りを許可するのじゃ。もし発見したのであれば、マーレス殿の判断で対処するとよい」
「……わかりました」
マーレスはこれ以上の問答は無意味と、諦めたように頷くと背を向けた。その背中にリリベットが釘を刺すように告げる。
「ただし難民は我が国の庇護下にある。くれぐれも丁重に扱うのじゃぞ? ここが我々の土地で、我々の国であることは努々忘れぬことじゃ」
「心得ておりますよ、女王陛下」
マーレスは振り返って返事をするが、リリベットの態度からすでにロームが出国していると感じていた。小さく首を横に振ると、マーレスはそのまま謁見の間から出ていくのだった。
◆◆◆◆◆
『女王の手紙』
グレートスカル号の格納庫には、リスタ王国からジオロ共和国向けの輸出品が、大量の木箱に入れられて積み上げられていた。帝国産の酒や加工品がほとんどだが、中には土竜の爪製の武具や金具なども入っている。
その木箱の間に潜んでいる人影があった。領土解放戦線のリーダーローム・フォン・ジャスである。ラッツと別れた彼は、その足でグレートスカル号の積荷の中に紛れ込み、見事密航に成功したのだった。
ラッツから渡された背嚢の中には、食料や水の他にジオロ式の服やお金が入っており、この密航が王国側の差し金であることを示していた。
しかしロームには、リスタ王国がなぜここまでしてくれたのかがわからなかった。彼らからすれば、自分など邪魔にしかならない存在なのにである。背嚢を漁っていると、一枚の手紙と赤い紐が結ってある鈴がポロリと落ちた。
同じく背嚢に入っていたランプに火を灯すと、彼はその手紙を読み始めた。
「貴方たち一族が領地を追われた一因が、僅かばかり我が国にもあるのじゃ。そのことを謝罪すると共に、我が国のため自ら出国を決めた貴方に敬意を示し、この鈴を贈るのじゃ。この鈴を持ってジオロ共和国のコウ家か、リョク家を頼るとよいじゃろう。きっと貴方を助けてくれるはずなのじゃ。貴方の旅路に幸があらんことを祈っておるのじゃ リスタ王国 女王 リリベット・リスタ」
その手紙を読み終わるとロームは静かに泣き崩れ、同封されていた鈴を握りしめるのだった。