第152話「激突なのじゃ」
クルト帝国 レグニ領 トニス街道 ──
レグニターンからフィフニート砦を経由して、フェザー領方面まで続くトニス街道。その街道を挟むように陣取った両軍は、十分に距離を取り突撃隊列を組んだ状態で対峙していた。その数はフェザー公爵軍約二千に対して、レグニ侯爵軍五千弱の騎兵である。
ヨハンは公爵軍の隊列に向かって、大剣セラフィムを突き上げながら騎士たちを鼓舞していく。
「フェザーの騎士たちよ! 我らこそ黄金の龍の剣なり、皇帝陛下の威光をここに示すのだっ!」
「おぉぉぉぉぉぉ!」
フェザー公爵の騎士たちは、それぞれが手にした武器を掲げて声を張り上げる。
「相手はレグニ侯爵の騎兵隊で数は倍はおるぞ! 相手にとって不足はないな? 大陸最強の騎兵が、どちらか教えてやるのだっ!」
「我々が最強だぁぁぁ!」
より一層の大声で応える騎士たちにヨハンは満足そうに頷くと、セラフィムを再び天高く掲げる。戦いの空気を感じた軍馬たちも、早く駆けさせろと嘶く。広大な領地を誇るフェザー領は軍馬の生産地としても有名で、数々の名馬を産出している。幼い頃から軍馬として育てれた彼らもまたフェザー公爵軍の一員なのだ。
対面のレグニ侯爵軍がゆっくり動き出すと、ヨハンは大剣セラフィムを侯爵軍に向けて振り下ろす。
「いくぞっ! 突撃っ!」
「やぁっ!」
剛剣公ヨハンを先頭に、騎士たちは一斉に駆け出した。こうして後に『トニス街道の戦い』と呼ばれる戦が動き出したのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 宰相執務室 ──
『トニス街道の戦い』が始まった頃、リスタ王国宰相フィンの元に、ようやくフェザー公爵のレグニ領侵攻の報せが届いていた。
報告を聞いたフィンは驚いた様子で、報告に来ていた密偵に確認するように問いただす。
「フェザー公爵がレグニ領に攻め込んだだと?」
「はい、クルト皇帝の旗 ─ 黒地に黄金の龍 ─ を掲げていましたので、おそらくレグニ侯爵征伐勅命が下ったのかと」
中年の密偵がそう答えると、フィンは唸りながら考え始める。
「もうすでに数日経過している……フェザー公であれば、もう勝敗は決しているかもしれんが、とりあえず陛下とフェルト殿には私から伝えよう。お前はミュラー卿に伝え、そのまま東の城砦に走り騎士団に国境を固めるように伝えよ」
「はっ!」
フィンの指示に中年の密偵は敬礼をすると、そのまま執務室を後にするのだった。
◇◇◆◇◇
クルト帝国 レグニ領 トニス街道 ──
同時に突撃を開始した両軍は、今まさにぶつかろうとしていた。突撃隊列の後方にて剣を掲げたエヴァンは、前を走る騎士たちに号令を掛ける。
「弓を構え……放てぇ!」
騎士たちは前進しながら、向かってくる公爵軍に向かって矢を一斉に射掛ける。少しでも相手の突撃力を削ぐための斉射だが、エヴァンの予想通り先頭を走るヨハンがセラフィムをかざすと、突然突風が吹き荒れ全て吹き飛ばされてしまう。
「ちぃ、やはり効かぬか……構わん、突撃ぃ!」
「うぉぉぉぉぉぉ!」
その号令に騎士たちも覚悟を決めたのか、雄叫びを上げて槍を構えて馬を走らせる。
兵科の中で最も突進力を誇る騎兵同士の正面衝突である。双方かなりの被害が出ることを覚悟の上だった。騎士たちの雄叫びは、その恐怖を否定するように戦場に響き渡る。
「フェザー公爵だ、先頭を走る公爵を討てば勝てるぞ!」
「おぉぉぉぉぉ!」
対面のフェザー公爵軍 ──
フェザー公爵は、総大将ながら常に先頭を駆る武人である。一軍の将としては愚の愚だが、その強さに誰も止めるようなことはしない。その強さと勇気に付き従う騎士たちは、彼のために死ぬことは名誉あることだと感じているし、彼の命令であればどのような敵にも果敢に飛び込んでいく。
世が世であれば王にもなりえたヨハンの強烈なカリスマが、フェザー公爵軍の強さであり弱点でもあるのだ。
「いくぞ、フェザーの騎士たちよっ!」
「フェザー公と黄金の龍に勝利をっ!」
レグニ侯爵軍から放たれた矢雨を、セラフィムの力を解放し打ち落としたヨハンが叫ぶと、騎士たちも勝利を願う言葉を発しながら敵軍に突っ込んでいった。
「うわぁぁぁ」
「ぎゃぁ!」
正面衝突をしたた騎兵たちは、槍に突き殺されたり、衝突により落馬して馬に蹴られていく。レグニ侯爵軍はヨハンを討つために、中央正面に分厚い壁を作っていたが、それでもフェザー公爵軍、特にヨハンの突撃の威力は削ぐことが叶わなかった。
「そのまま突っ切るぞっ!」
正面を破ったヨハンは僅かな直衛と共に、そのままエヴァンがいる本陣に突撃を敢行する。その前に、大柄な鎧姿の将軍が飛び出してきた。将軍は大きなポールアックスを振り上げながら叫ぶ。
「我こそは、レグニ侯爵の臣下にて将軍のボーゼンだ。剛剣公よ、覚悟せよっ!」
しかし将軍が振り下ろしたポールアックスは、フェザー公が振り上げたセラフィムの一撃を止めることは叶わず、彼は武器や馬ごと胴から肩にかけて斬り伏せられてしまう。
「ひぃぃぃぃ! 将軍が討たれたぞ、ば……化け物だっ!」
輪切りなって吹き飛んだ将軍を見て、エヴァンを守るはずの騎士たちは恐怖に駆られ逃げ出してしまう。一人の猛将によって勝負が左右されることがある。この時点で勝敗はすでに決していたと言える。しかし、レグニ侯爵エヴァン・フォン・レグニは、馬上で剣を構えて前に出てきた。
「フェザー公よ、一騎討ちを所望するっ!」
「うむ、よかろうっ! 一騎討ちだ、手出し無用だぞっ!」
即答で答えるヨハンに対して、両軍は戦闘行為を止めることになった。ヨハンの言葉だったが、戦意を失いつつあった侯爵軍も諦めた様子で武器を下ろしていく。
二人の大将が程度距離を取ると、エヴァンがヨハンに剣を突きつける。
「この勝負に負けたほうは軍を退く! それでよいなっ?」
「構わん」
再び即答で答えるヨハンに、エヴァンは苦笑いを浮かべる。ヨハンの瞳からは、万に一つも負けるつもりがないことが感じられるからである。もっともそれはエヴァンも同じだった、彼自身が一番ヨハンに勝てると思ってはいないのだ。
エヴァンも剣術に関しては、一介の将軍並の実力は有している。しかし、それ故にヨハンに勝てないことがわかってしまうのだ。
エヴァンは剣を構えながら目を閉じる。しばらくして覚悟を決めたように目を開くと、手綱をしならせ馬を駆けさせる。それに対して、ヨハンも応じるように馬を走らせた。
「いくぞ、フェザー公っ!」
「来い、レグニ卿っ!」
そして、交差する二人の間に閃光が閃いた。
◆◆◆◆◆
『おっちゃん密偵』
近衛隊長のラッツが女王執務室の門衛の任務を終えて、昼食を取るために食堂に向かっていると、宰相執務室から中年の男性が出てきた。職務上人の出入りには敏感なラッツだが、彼を見ると明るい顔になり軽く手を上げながら声を掛けた。
「おっちゃん、お久しぶり!」
「おっ? 坊主じゃねぇか」
中年男性も気さくに返事をしたが、少し気まずそうな顔をすると首を軽く横に振った。
「いえ、失礼しました。今はエアリス卿でしたな」
「そんなに改まらないでくださいよ、貴方には大恩があるんだ。今まで通り坊主で構いませんって」
この中年密偵は、以前はレティ領のとある街に滞在していた。マリーが引き起こしたシュレー男爵暗殺事件に関わり、ラッツやマリーが逃げる時間稼ぎを買って出た人物である。事件の後は生死不明とされていたが、ほとぼりが冷めた頃に帰国、今はレグニ領方面の密偵として活躍している。
中年密偵は、照れたように鼻頭を掻く。
「それじゃ遠慮なく……坊主、最近はマリー殿とはどうなんだ?」
「あははは、相変わらず尻に敷かれてますよ」
「はっははは、あれだけの美人だと大変そうだな」
しばらく、くだらない雑談を交したあと、ラッツは彼を昼食に誘った。
「今から食堂に行くんですが、一緒にどうですか?」
「あぁ、すまねぇ。俺はこの後ミュラー卿に用があんだよ」
中年の密偵に断られると、ラッツは残念そうな顔をして答える。
「そうですか、それじゃまた王都に来た時は尋ねてきてくださいよ。マリーの手料理は絶品ですよ?」
「はっははは、わかったよ。惚気なら、また今度聞いてやるさ。それじゃな、坊主」
手を振りながら振り返って歩き出した密偵に、ラッツも手を振りながら別れの言葉を口にした。
「おっちゃん、身体には気をつけてっ!」
「はっ、年寄り扱いするんじゃねぇよ!」
ラッツは彼の背中を見送ると小さく頷いてから、食堂に向かって歩き出すのだった。