第150話「フィフニート砦戦なのじゃ」
クルト帝国 レグニターン南西 『フィフニート砦』 ──
ノクト海でブラックスカル号が難民船を曳いている頃、レグニターン南西にあるフィフニート砦にレグニ侯爵軍が集結しつつあった。急な召集だったが、賊軍討伐に展開していた部隊がいたため、近隣の砦に配置してある部隊を含めて、その数は二万程になっている。
砦の城壁の上に立ち、眼下を見つめるのはレグニ侯爵エヴァン・フォン・レグニである。彼の瞳には、フェザー公爵軍およそ二千騎が映っていた。大陸最強と謳われるその部隊を前に、エヴァンは息を飲むと気合を入れるように拳を握りしめた。
「フェザー公爵、我が領土に攻め入るとは、いったいどのような了見か!?」
エヴァンの問い掛けに、公爵軍の先頭に立つ一際大きな男ヨハン・フォン・フェザー公爵が数歩前に馬を進めると答える。
「どのような了見かだと? 領民を省みぬ貴殿の所業に、皇帝陛下は大変お怒りだ! 勅命である! 大人しく縛につくのだっ!」
ヨハンもここまでの道程で、焼かれた街をいくつも見てきていた。その怒りがエヴァンに向けられる声に篭っている。
「何を馬鹿なことを、賊軍の討伐は陛下のご意向であるっ!」
エヴァンはギリギリと歯軋りをすると、腰の剣を抜き放ち切っ先をヨハンに向けと、待機していた兵たちに命じる。
「えぇぃ、奴を射殺せっ! フェザー公さえ討ち取れば、後は烏合の衆だっ!」
その号令に隠れていた弓兵が一斉に立ち上がり、ヨハンに向けて一斉に矢を放つ。まさに雨のような矢がヨハンの頭上に降り注ぐが、彼は手にした家宝の大剣セラフィムを掲げると咆哮をあげた。
「おぉぉぉぉ! その牙は我が身を届かず、その一振りは大海を裂く!」
ヨハンが祝詞ような言葉を口にするとセラフィムは光輝き、ヨハンを中心に竜巻のような風が巻き起こった。その突風がすべての矢を弾き返すと、ヨハンはそのままセラフィムを振り下ろした。光輝くセラフィムの斬撃の軌跡はそのまま刃と化し、レグニ侯爵軍が立てこもる要塞の城壁の一部を切り裂く。
その衝撃に倒れこんだエヴァンは、立ち上がりながら舌打ちをする。
「ちぃ、この化け物めっ!」
こうしてフェザー公爵軍と、レグニ侯爵軍の戦いの火蓋が切って落とされたのだった。
◇◇◆◇◇
クルト帝国 フィフニート砦 作戦室 ──
ヨハンの一撃によって始まった戦いは、レグニ侯爵軍が砦から出てこなかったため、両者矢を射掛ける攻防になった。城壁上から射掛けるレグニ侯爵軍に対して、フェザー公爵軍は馬を走らせながら射掛けては離れる一撃離脱戦術で対応していた。
しかし、しばらくして矢が尽きたのか、フェザー公爵軍が砦から離れ撤退した。その時間を使って、エヴァンは将兵を作戦室に呼び、今後の方針を決める作戦会議を開いていた。
「とにかく篭城です。それしかありません!」
中年の将軍が進言すると、残りの将兵も頷いている。すべてが騎兵で構成されているフェザー公爵軍は、城砦攻略には向いていない。しかし、一度野戦になれば比類なき強さを発揮する。そんな部隊を相手に作戦もなく討って出るほど、レグニ侯爵の臣下たちは愚かではなかった。
「公爵軍はしばらくすれば退却せざる負えぬはずです。その時を待って追撃すればフェザー公と言えど、ひとたまりもありますまい!」
公爵軍は強行軍で進軍しているため、食料や物資なども最低限しか持ってきておらず補給路も心許ない。しばらく篭城すれば、おのずと退却していくだろうという目算なのだ。
「現在、召集に遅れている部隊もこちらに向かっているはずです。しばらくの時を稼げばいいのです」
フェザー公爵軍の進撃が速過ぎたため遅れているが、他の将兵もこの砦を目指しており、時間が経てば経つほどレグニ侯爵の兵力は増していく計算だった。
「つまり貴様らは、篭城こそ最適解だと言うのだな?」
エヴァンが確認するように尋ねると、将兵は一斉に頷く。しかし、エヴァンは机を叩きながら怒鳴り声を上げた。
「この愚か者がっ! あのフェザー公が、その程度のことがわからぬと思うのか?」
「し……しかし……」
「奴の狙いはレグニターンを急襲することで、各地に散っていた賊軍討伐部隊を一箇所に集めることだ」
「集めてどうするというのです?」
将軍の一人が尋ねると、エヴァンは重々しい口調で答えた。
「当然倒すつもりなのだ、おそらく後方には物資を運んでいる増援部隊がいる。今の内に先鋒隊である奴らを倒さなければ、我々に勝利はないぞっ!」
エヴァンが考えている通り、ヨハンは強襲戦術を選ぶことで短期決着を狙っていた。しかし、それは苦しむ艇国民を救うためであり、強襲することで各地に散っている部隊が召集されることも計算の内である。
そして、オーフェル侯爵が率いている後続部隊と共に、一気にレグニ侯爵軍と決着をつけるつもりなのだ。それを読んだエヴァンの攻勢案だったが、将軍たちの反応は芳しくなかった。
「お気をお鎮めください、閣下。しばし耐えれば敵軍の撤退は確実なのです」
「そうです。もし討って出るにしても、彼奴らが撤退を開始してからでも遅くありません」
エヴァンは腰を深く掛けてため息をつくと、亡き父を思い出していた。もしここにいるのが自分ではなく父であれば、将軍たちも黙って従っていた。そんな事を考えながら、自分の力不足を痛感するのだった。
結局エヴァンの攻勢案に将軍たちは納得せず、しばらく篭城することで会議は終了となったのである。
◇◇◆◇◇
クルト帝国 レグニ領 フェザー公爵軍の陣 ──
フィフニート砦を少し南に行ったところにある廃棄された砦を中心に、フェザー公爵軍は陣地を張っていた。陣地と言っても簡易的なテントを張ったもので柵などは設けていない。この陣地は輸送隊と、その護衛部隊が敷いたものである。
現在は食事中で、メニューは煮だった鍋に穀物を入れ粥状にして、皿に盛り付けるとナイフで薬味を削って入れてるだけの簡単な食事である。兵士たちはもちろん、隊長たちと食事を共にしているフェザー公も同じ食事を口にしていた。
食事を取りながらヨハンと隊長たちは、部隊の状況確認をしていく。
「糧食の残りは?」
「人馬ともに節約しても二日ぐらいかと」
「矢は?」
「あと二戦は」
厳しい状況ではあるが、ヨハンと彼に付き従う兵たちにとってはいつもの事であり、不平を漏らすものなどはいなかった。
「奴らは、どう出る思う?」
「おそらく亀のように砦から出てこぬでしょう。我がほうが小勢なのに情けない奴らだ」
「……とは言え、砦に立て篭もられては手の打ちようがないのも事実、何とかしておびき出したいところだが」
今後の戦況について隊長たちが考え込んでいると、一人の若手の隊長が進言する。
「このまま北上して、レグニターンを落としてしまえばどうでしょうか? 彼奴らとて都市は失えないでしょうから、砦から出てくるのではないでしょうか?」
「う~む、妙案ではあるが、オーフェル殿の後続部隊とあまり離れすぎるのもな」
オーフェル侯爵が率いている後続部隊からは輸送隊が来ているため、近くまで来ていることは確認しているが、ヨハン率いる先発隊に比べると規模が大きいため到着するまでは、まだ時間が掛かる予定だった。
彼らの話を聞いていたヨハンは、手にした皿を置くと隊長たちに作戦を告げる。
「もう一戦仕掛けてから、そのままオーフェルたちと合流する。その後一気に叩くとしよう」
「はっ!」
◆◆◆◆◆
『オーフェル侯爵が率いる後続部隊』
ヨハンたちの出征から遅れること二日、オーフェル侯爵は各地より集まった将兵を率いてレグニ領に進攻していた。
各所の砦や支城にはレグニ侯爵よりフェザー公爵軍の阻止を指示されていたが、フェザー公爵軍を恐れて沈黙を保っていた。その為オーフェル侯爵は、各砦に少数の監視部隊を残し先を急ぐのだった。
後の歴史家たちは語る……
この部隊を少しでも足止めしようという気概が、砦や支城の将兵にあれば歴史は大きく変わっていただろうと……。