第144話「難民なのじゃ」
リスタ王国 東の城塞 城壁上 ──
朝方シトシトと降る雨に城壁上で、見張りの任務に付いていた騎士は、憂鬱な気分で東方を見ていた。見張りの任務と言っても先の大戦以降、十年以上大きな動きはなく騎士たちにもあまり緊張感は見られなかった。時々発破を掛けにくる団長のミュルンの見回りが、彼らに取って一番緊張するイベントだと言える。
その騎士が雨を避けて城壁塔まで来ると、他の騎士が塔の入り口で珈琲を入れていた。雨よけに使っていたフードを脱ぎながら
「交替だ」
「わかった、すぐに行く。どうだ、お前も飲むか?」
「あぁ助かるよ」
珈琲を受け取ると少し冷ましてから口を付ける。雨で冷えた体に染み込むように珈琲の熱が伝わって行くと、ようやく一息ついた。
「しかし、毎日毎日いくら見張っても敵なんて来ないし、こんな日ぐらい休みにしてほしいな」
「あぁ、まったくだ。……とは言え、これも任務だからなぁ」
リスタ王国における騎士の役目は国防である。東西の国境を監視し、外敵を排除するのが彼らの役目なのだ。しかし最近は襲撃などもなく、日々の任務も張りが無いものになっていた。
そんな時、頭上からけたたましく鳴り響く鐘の音が聞こえてきた。その音に騎士たちは持っていたコップを落として腰の剣を手にする。
「なっ、なんだ!?」
「警鐘だ、何かあったんだ」
その騎士たちは顔を見合わせると、城壁塔の階段を駆け上がり始めた。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 東の城塞 城壁塔の上 ──
騎士たちが城壁塔の上まで上がってくると、そこには慌てた様子で鐘を鳴らしている従士がいた。
「何事だっ!?」
騎士の一人が怒鳴りつけるように尋ねると、その従士は鐘を鳴らすのを止めて敬礼をする。
「はっ、東方に多数の人影が見えましたので、規則に則り警鐘を鳴らしております」
「人影? どうせ商隊か何かだろ?」
騎士がそう言いながら、望遠鏡を手に窓から東方を覗き込む。雨のため見えにくいが確かに人影がこちらに向かってきている。
「全員徒歩のようだが……? いや、待て! 数がどんどん増えていくぞ!?」
「なんだと!? 俺にも見させろっ」
もう一人の騎士が望遠鏡で覗き込むと、大勢の人影が東の城塞に向けて進んできているのが見える。
「な……なんだ、あの数!? どんどん増えていくぞ、百や二百じゃ効かないかもしれん」
その騎士は、鐘を鳴らしていた従士に向かって命じる。
「すぐに団長に報告しろ。非番の連中も全員叩き起こせっ」
「はっ、はい!」
従士は再び敬礼をすると、塔の階段を駆け下りるのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 東の城塞 騎士団詰所 団長室 ──
従士が団長室に飛び込むと、ミュルンは彼女の従士たちに手伝わせて鎧を着ているところだった。警鐘は当然団長室にも聞こえており、それに備えて準備をしていたのだ。
ミュルンは神妙な顔をすると、入って来た従士に尋ねる。
「何が起きている?」
「はっ、国境線上に多数の人影を確認、推定で二百以上は確実かと」
「二百以上? どこの者たちだ?」
「雨が強く、視界が不良のため所属までは不明です」
従士の報告にミュルンはうなり声を上げる。
「う~む……わかった、私もすぐに行く。貴様は持ち場に戻れ」
「はっ」
報告に来た従士は敬礼をすると、再び自分が仕える騎士の元に戻るため部屋を後にした。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 東の城塞 城壁塔の上 ──
城壁塔の上まで上ってきたミュルンに騎士や従士たちが敬礼をする。そんな彼らにミュルンが尋ねる。
「状況は? どこの者かわかったか?」
「はい、それが……」
騎士の一人が言い難そうにしていると、ミュルンが怒鳴りつける。
「いいから報告をしろっ!」
「はっ……はい、報告しますっ! どうやら移民、もしくは難民のようです」
ミュルンは驚いた顔を浮かべると、従士から望遠鏡を受け取って東方を覗き込む。
「難民だと……?」
ミュルンの視界には、数百人にも及ぶ民衆がこちらに向けて歩いてきているのが映り込んだ。女子供や年寄りなども多く、かなりゆっくりとした進行である。
「一体何が起きたというのだ?」
ミュルンの記憶はもちろん、騎士団の公式な記録にもこれほど大規模な民衆の移動はなかった。ミュルンは従士に望遠鏡を戻すと、騎士たちに命じる。
「偵察に出る。十分以内に三十騎を城門前に集めろっ」
「はっ!」
騎士たちは敬礼をすると、仲間の騎士たちを呼ぶために動き始めるのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 東の城塞 国境近く ──
ミュルン率いる騎士たち三十騎とその従士九十騎は、難民と思われる集団の近くまで来ていた。その多数の民衆の中には怪我をしている者も多く含まれているようだった。
ミュルンは連れてきた騎士たちに待機を命じると、民衆の一団に近付き声をかける。
「私はリスタ王国騎士団長のミュルン・フォン・アイオだ! お前たちは何者で、どのような目的で我が城塞を目指しているのだ?」
「騎士様だっ!」
「助けてくださいっ、騎士様っ!」
助けを求める民衆たちは、ミュルンはあっという間に囲んでしまう。それに驚いた騎士たちは彼女を救出しようと動き出すが
「動くなっ! 私は大丈夫だっ!」
とミュルンが叫ぶと、その動きを止めて最初の命令通り待機している。ミュルンが事情を聞くと、その民衆たちはレグニ侯爵領の者たちで、領土解放戦線を一掃しようとした、レグニ侯爵の強硬策に住んでいるところを焼きだされて逃げてきたという。
その話を聞いたミュルンは強く憤ると、彼らに対して言う。
「自分の民を守るどころか、焼き出すなど……わかった、君たちは我々が保護しよう。しかし、城塞にこれだけの数は収容できない。キャンプを用意させるので、しばらくそこに入ってくれ」
「おぉ、ありがとうございます!」
ミュルンは騎士たちを呼び寄せると、誘導とキャンプの用意を命じるのだった。こうしてミュルンの独断であるが、レグニ領の難民を受入れることになったのである。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 大会議室 ──
レグニ領から難民が流れ着いた報告は、東の城塞からの早馬で女王リリベットの元に届いていた。リリベットはすぐに諸大臣を招集、大会議室にて話し合いが行われることになった。
冒頭にリリベットからの状況説明があると、ヘルミナが困ったような表情を浮かべる。
「数百人規模の難民ですか……それは厳しいですね。近年は移民の数も増えており、移民街の増設も間に合ってない状況です」
リスタ王国は近年の発展により移民の数が増え、人口も爆発的に増加中だ。そこにこの難民騒ぎでは受入れるにしても限度があるのだった。
「ふむ……しかし、我が国を頼って来た者たちなのじゃ。無下には扱えぬじゃろう?」
「陛下のお考えもわかりますが……しかし、先程の話ではまだまだ増加するかもしれないのですよね? さすがに無理があるかと」
財務を司るヘルミナの意見はもっともだった。リリベットは助けを求めるようにフィンを一瞥する。それに対してフィンは小さく頷いて立ち上がった。
「プリスト卿の意見はもっともである。しかし助けを求める者を拒否してしまえば、我が国の国是にも反すると言える。現状王都に収容できぬのなら、しばらくは東の城塞の周辺に難民キャンプを設けるのはどうだろうか?」
「私はその意見に賛成です」
フィンの意見に賛同したのは、軍務大臣のシグル・ミュラーである。
「国防の意味でも、その数の難民を王都に入れるのは問題があるでしょう。しばらくは不便でしょうが、受け入れるなら難民キャンプを設けるべきかと思います」
「しかし、援助するにも資金面が……」
ヘルミナの反論に、今度は外務大臣のフェルトが答えた。
「この問題はクルト帝国の問題でもあります。資金に関しては、彼らからも援助してもらいましょう」
「……出来るのですか?」
「サリマール皇帝は話がわからない方ではありませんので、私に任せてください」
きっぱりと答えたフェルトに、ヘルミナは少し考えると小さく頷いた。
「わかりました。そう言うことであれば、私に反論はありません」
リリベットが各大臣たちの顔を見回すと全員が頷いた。
「他に反論はないようじゃな? では、宰相の意見を受入れることとするのじゃ。怪我人も多いと聞く、治療班の派遣や食料の輸送など、宰相を中心に速やかに進行するのじゃ」
「はっ」
宰相を含め各大臣たちは立ち上がると敬礼で応えるのだった。
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『治療班』
リリベットの命令により侍医のルネを筆頭に、すぐに医者や治療士を集め治療班が結成された。その中にはルネの娘であるミルや、ラフス教会のシスターサーリャも含まれていたのだった。