第139話「皇女来訪なのじゃ」
リスタ王国 王城 正門広場 ──
リスタ王城に、クルト帝国の皇族の紋章が入った馬車が到着したのは、レオナルドがフェルトから手紙を受け取って二週間後だった。
馬車にはジャハルの他に二名の皇軍の騎士が護衛しており、帝都からはフェザー公爵軍の三十名が東の城砦まで同行し、東の城砦からは彼らと交代してリスタの騎士と従士が十二名がついていた。
馬車が開きアイラ皇女が降りてくる。その姿は前回来たときより、さらに綺麗になっており、彼女を出迎えたリリベットやフェルト、そして近衛の隊員たちを驚かせていた。
アイラはリリベットを見ると、一目散に駆け寄り抱きついた。
「叔母様っ!」
「おっと、危ないのじゃ」
リリベットは慌てて体勢を立て直したが、それでもフラついていたのでフェルトが咄嗟に彼女の腰に手をやって支えていた。リリベットは目配せだけで感謝を伝えると、抱きついているアイラの頭を撫でる。
「久しぶりじゃな、アイラ。しかし、いきなり飛びついたら危ないのじゃ」
「ごめんなさい、叔母様」
アイラはリリベットから離れて頭を下げると、今度はフェルトに向かって丁寧にお辞儀をする。
「叔父様もごきげんよう」
「うん、元気そうで何よりだ」
挨拶が終わると、リリベットはアイラの背中に手を添える。
「それではお主の部屋に案内するのじゃ」
「はい、お願いしますっ」
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 王室エリア アイラの部屋 ──
しばらくアイラ皇女を預かることになったリスタ王家では、王室エリアの空き室を彼女の部屋として整えていた。アイラ皇女が元々住んでいる薔薇の離宮に比べれば、遥かに貧相な部屋ではあるが、貴族のお嬢様が一時的に住むには最低限の体面を整えていた。
部屋を見たアイラ皇女も、特に気にした様子はなく笑顔でお礼を言う。
「ありがとうございます、叔母様。こんな素敵なお部屋を用意していただけるなんて」
「少々手狭じゃろうが、我慢して欲しいのじゃ」
リリベットは部屋の入り口で待っているジャハルを見ると、少し困った表情を浮かべた。
「しかし、護衛が付いてくるとは思わなかったのじゃ。お主たちの部屋は別に用意するので、しばらくは近衛と共に生活して欲しいのじゃ」
「はっ、アイラ様の身に危険が及ぶようなことでなければ、女王陛下の命令に従うように言われております」
ジャハルはリリベットにクルト帝国式の敬礼をする。リリベットはジャハルの隣にいたラッツに彼らのことを頼んだ。
「では、ラッツよ。そちらの皆さんのことは頼んだのじゃ」
「はっ、ではこちらにどうぞ」
ラッツが近衛の詰所に案内しようとすると、ジャハルは首を横に振って答える。
「いえ、アイラ様の側から離れるわけにはいけませんので」
生真面目な騎士であるジャハルに対して、アイラは小さく首を振って諭すように言う。
「ジャハル、それは叔母様に失礼よ。ここは大丈夫だから案内して貰いなさい」
「……わかりました」
扉を開けてラッツに連れられてジャハルが出て行くと、小さな人影が部屋の中を覗きこんでいた。その先からマリーの声が聞こえてくる。
「殿下、部屋を覗いてはいけません」
「ねぇさまなのじゃ!」
マリーの声に押されるように部屋に飛び込んできた人影は、一直線にアイラに駆け寄り抱きついた。アイラはしゃがむと微笑みながら挨拶をする。
「お久しぶりですヘレン王女、お元気でしたか?」
「げんきなのじゃ」
すぐにマリーが入ってきて丁寧に頭を下げる。
「申し訳ありません、陛下。ヘレン王女が一人で行ってしまわれて……」
「うむ、大丈夫なのじゃ。その姿を見れば大体事情はわかるのじゃ」
リリベットは困ったような表情を浮かべながら答える。マリーのスカートには、七人の妖精たちが張り付いており、歩くのを妨害している。
悪戯好きでも命知らずではない妖精たちが、自主的にこのような行動を取ることはなく、おそらくヘレンが逃げるために妖精にお願いしたのだろう。最近妖精たちを使った悪戯が増えてきたため、リリベットもマリーも困っているのだ。
リリベットは笑顔でアイラからヘレンを引き離すと、娘の顔を覗き込む。
「悪い子はどこじゃろうな?」
「わ……わるいこなんていないのじゃ~」
ヘレンは顔を背けながら答えたため、リリベットはため息をついて、ヘレンをフェルトに手渡しながら意地悪そうに言う。
「嘘を付く子は、父様にも嫌われてしまうのじゃ」
父親が大好きなヘレンは信じられないといった顔で目を見開いたあと、フェルトの顔を覗き込む。フェルトは巻き込まないでといった表情で首を横に振っている。それが拒否に見えたのか、ヘレンはフェルトの顔にがっしりと抱きついた。
「きらいになっちゃ、やなのじゃ~」
フェルトは微笑みながら、ヘレンの背中を優しく撫でる。
「大丈夫、嫌いになったりしないさ。ヘレンは良い子だからね」
アイラはそんな二人を見ながら目を輝かせている。
「相変わらず可愛いですねっ!」
「最近、悪戯ばかりで困っておるのじゃ」
父と娘の微笑ましい光景とは別に、スカートから引き離された妖精たちは震えながら頭を地面につけて、仁王立ちのマリーに謝罪をしていた。彼らも怒らせると誰が一番怖いのか身を持って知っているのである。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 子供部屋 ──
一通り案内してもらったアイラ皇女が、子供部屋でヘレンと遊んでいるとレオンが学園から帰ってきた。
部屋に入ってきたレオンは、アイラ皇女の姿を見ると丁寧にお辞儀をして挨拶をする。
「お久しぶりです、アイラ皇女。もう着いていらっしゃったのですね」
「はい、昼頃に到着しました、レオン王子」
アイラも立ち上がると、丁寧にお辞儀をして挨拶を交した。なぜかヘレンもアイラのお辞儀にあわせてお辞儀を真似ていた。
「ヘレンは何をしてるんだい?」
「ねぇさまのまねなのじゃ~」
そう言いながらヘレンは駆け出してレオンに抱きつく。レオンはそのまま抱き上げた。
「ヘレンは、本当にアイラ皇女が好きなんだね」
「だいすきなのじゃ~」
ヘレンは満面の笑顔で手をパタパタと動かして答える。レオンはニコッと笑うと、ヘレンをソファーに座らせてから、アイラの方に向き直した。
「今回はしばらく滞在されると聞いています。何か困ったことがあれば、いつでも言ってください。僕ではあまり力になれないかもしれないけど……」
「いいえ、そんな! しばらく見ないうちに随分立派になられていて驚きました。背も随分伸びたのでは?」
アイラが微笑みながら答えると、レオンは少し顔を赤くしている。慌てたレオンは、思わず思っていることを口にしてしまう。
「アイラ皇女も以前お会いした時により、さらに美しくなられて驚きました」
レオンの口から思わぬ言葉が出たことでアイラ皇女は驚いたが、すぐにやや恥かしそうな笑顔を見せて首を少し傾げると答える。
「ありがとうございます」
その笑顔にレオンは思わず息を飲み、見蕩れることしか出来なかった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王都 ラフス教会 台所 ──
その頃シャルロットはラフス教会の台所で、サーリャの調理の手伝いをしていた。
「シャルちゃん、この野菜切っといてくれる?」
「はーい」
サーリャから野菜を受け取ったシャルロットは彼女の後ろにある机の上に、木の板を置くと包丁を持って尋ねる。
「ぶつ切りでいいの?」
「そうね、適当な大きさでいいわよ」
シャルロットは頷くと、野菜を適当なサイズでカットしていく。元々器用なほうであったが、ラフス教会にお世話になってからは、積極的にサーリャの手伝いをするようになっており、料理の腕もメキメキと上達していた。
「こうしてサーリャお姉ちゃんと、一緒に料理する機会も減っちゃうのかな~」
「な~にいきなり?」
サーリャが首を傾げながら振り向くと、シャルロットはニヤニヤしながら言う。
「だって、最近コンラートさんといい感じなんでしょ? 彼と結婚したらこういう機会も減っちゃうのかな~って」
「なっ!? シャルちゃんまで、まだそんなことないわ。お爺ちゃんだっているんだし、シャルちゃんが卒業するまでは大丈夫よ」
シャルロットは微妙な顔をすると首を横に振った。
「そんなに心配しなくても、大丈夫なの……っ!?」
シャルロットはそこまで言うと小さな悲鳴を上げた。サーリャが慌てて駆け寄ると、シャルロットの左手からは血が流れはじめていた。
「切っちゃったの? ちょっと見せて」
「これぐらい大丈夫だよ」
サーリャは小さく首を振ると、シャルロットの手に治癒の力を使っていく。傷は浅く、すぐに血が止まった。そしてサーリャは微笑みがら言う。
「やっぱり、まだまだ心配みたいね?」
「これぐらい大丈夫なのに……」
「でも手を切るなんて、シャルちゃんにしては珍しいわ」
「なんか、ちょっと嫌な予感がしたんだよね」
シャルロットは理由はわからず、首を傾げながら答える。サーリャはふふっと笑う。
「ふふ……乙女の勘かしらね?」
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『おやつ抜き』
マリーの妨害をした妖精たちは、子供部屋に戻ってから彼女にとても怒られた。そしておやつ抜きの刑に処され、当然妨害を指示したヘレンもその範囲に入れられてしまい、頬を膨らませている。
この刑は結局ヘレンが、リリベットに泣きついて解除してもらうまで続いたため、その後しばらくはヘレンの悪戯も鳴りを潜めたという。