第137話「海軍始動なのじゃ」
リスタ王国 王城 子供部屋 ──
子供部屋ではいつものようにヘレンと妖精たちが遊んでおり、それをソファーに座ったリリベットが眺めていた。
ヘレンは楽しそうに手を振って、リリベットを呼ぶ。
「かぁさま、みててなのじゃ~」
「どうしたのじゃ?」
ヘレンが突然床に寝そべったので、不思議に思ったリリベットがマリーに尋ねる。
「あれは……何をしているのじゃ?」
「最近、ヘレン殿下がお気に入りの遊びですね」
「うむ?」
リリベットが首を傾げると、仰向けで寝ていたヘレンが少しだけ浮いて、スーっと床を這うように移動したのである。
「な、何なのじゃ!?」
リリベットが驚きながら奇妙な動きをしている娘をよく見ると、彼女の下に妖精たちが入り込んで一生懸命運んでいる姿が見えた。その姿に、リリベットは微妙な表情を浮かべながらマリーに命じる。
「マリー……あの遊びは危ないじゃろう、やめさせるのじゃ」
「はい」
マリーは頷くと、ゆっくりとヘレンのところへ行き彼女を抱き上げる。突然持ち上げられたことで妖精たちは、ボトボトと落ちていった。
「陛下のご命令です。おやめください」
「ぶぅ~」
ヘレンは不満そうに頬を膨らませていたが、マリーに抱っこされているのが気持ちいいのか、すぐに機嫌がよくなっていく。
「ふかふかなのじゃ~」
「ヘレン、こっちに来るのじゃ」
マリーがその声に応じてリリベットに近付くと、ヘレンはマリーに抱きついて抵抗をはじめた。
「やぁ! かぁさま、いじわるいうからやぁなのじゃ~」
娘の言葉に、リリベットは一瞬悲しそうな顔をする。それに気が付いたマリーは取り繕うようにヘレンを窘めた。
「殿下、いけません。陛下は殿下を想って言っているのですよ?」
「ぶぅ~……やぁっ!」
それでも思いっきりマリーに抱きついて抵抗するヘレンに、リリベットはため息をつきソファーから立ち上がると、ヘレンの頭を優しく撫でる。
「わかったのじゃ、それなら母様は仕事に戻るのじゃ。マリー、後は頼んだのじゃ」
「……はい」
そのまま部屋から出ようとすると、母に置いていかれると感じたのかヘレンが大声で泣き出してしまう。
「やぁぁぁぁぁ、かぁぁさまぁぁぁ」
突然泣き出した娘にリリベットが困った表情を浮かべていると、いつの間にか妖精たちが入り口を塞ぐように陣取っていた。
「なんじゃ、こやつら?」
「おそらく殿下の元に戻るようにと言いたいのでしょう」
マリーの言葉に、リリベットは諦めたようにため息をつくとマリーに近付き、ヘレンを受け取ってあやしはじめる。
「ヘレンは良い臣下を持ったようじゃな」
「うぅ……ひくぅ……」
しばらくリリベットに抱きついて泣いていたヘレンだったが、次第に落ち着きそのまま眠ってしまうのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 女王執務室 ──
リリベットが書類に目を通しているとフェルトが尋ねてきた。予定になかった訪問に、リリベットは顔を上げて尋ねる。
「どうしたのじゃ?」
「うん、さっき兄上から手紙が届いてね」
フェルトはそう言いながら、レオナルドから届いた手紙をリリベットに差し出す。
「ふむ、お義兄様から?」
手紙を受け取ったリリベットは、そのまま内容に目を通した。その手紙には、アイラ皇女の長期留学に対する便宜を図ってほしい旨が書かれており、その内容にリリベットは首を傾げる。
「アイラ皇女を、我が国に留学させたいと書かれておるようじゃが……」
「うん、どうやらアイラ皇女を、王立学園に入学させるつもりみたいだね」
「しかし、何故わざわざ……帝都にも学校はあるじゃろう? 確か貴族専門と聞いておるが、設備も規模も王立学園より上じゃと思うのじゃが」
「う~ん、おそらく何か事情があると思うんだけど、この手紙じゃわからないな」
リリベットとフェルトはしばらく考えたが、結局情報不足であり結論は出なかった。その為、特に受け入れに問題はないと返信することにしたのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王都 西リスタ港にある倉庫 ──
リスタ王国の東リスタ港は海洋ギルドの本部があり、漁業や交易の中心地である。逆に西リスタ港は倉庫や造船所が集まっており、特に木材などの大型の貨物を搬入出する場所になっている。
そんな西リスタ港の一角にある倉庫の一つを、リスタ王国海軍の詰所として利用することが決定し、海軍転属希望の衛兵や、ノーマの海賊から足を洗いリスタ王国で暮らすことを選んだ獣人たち、さらに一般の国民からも志願者が集まっていた。
軍務大臣シグル・ミュラーから、海軍設立を一任されたエリーアス・フォン・アロイスは、手始めに兼ねてから募集していた海軍希望者を、この場所に集めたのである。
総勢で百五十名程の若者たちの前に、エリーアスが立って演説をはじめる。
「諸君、私が諸君らの上官になるエリーアス・フォン・アロイスだ。この中には船を操ったことがある者、船に乗ったことすらない者など様々いると思うが、これより諸君らは同じ軍艦に乗って苦楽を共にする仲間だ。そのことを肝に銘じ、各自奮闘努力してほしい」
全員が頷くなどの反応を示したが、エリーアスは手本として敬礼してから怒鳴りつけた。
「貴様ら、返事と敬礼をしろっ!」
「は……はっ!」
慌てて敬礼を返す若者たちに、エリーアスは力強く頷く。
「よし、では訓練を始めよう。そうだな……まずは軽く走りこむか」
「えぇぇ~船には乗らないんですか?」
いきなり走りこむと言われて文句を言う若者たちに、エリーアスは首を横に振る。
「軍隊はまずは体力が必要だ、つまり訓練をする必要がある! それは陸上でも海上でも変わらないっ! それに船がまだないのだ。諦めて走るぞ、私に付いてこい!」
「お、おぉ~!」
こうして船がない海軍の第一歩が始まったのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 女王執務室 ──
海軍の訓練がはじまってから数日後、軍務大臣シグル・ミュラーが海軍に関する報告書をまとめ、リリベットに提出しに来ていた。報告書に目を通しながらリリベットは満足そうに頷いた。
「うむ、ようやく目処が立ったようじゃな。思ったより厳しい訓練で根を上げている者もおるようじゃが」
「はい、現状船がないため陸上の訓練ばかりですから。新しいことがしたくて衛兵から転属した者も多いですし……」
衛兵隊長のゴルドの方針で、衛兵は日々訓練に明け暮れている。それが嫌で海軍に転属した者にとっては、また陸上での訓練かと思ってうんざりしているのだ。
リリベットはもう一度資料を眺めてから、首を傾げて尋ねる。
「クイーンではダメなのじゃろうか?」
「はい、クイーンリリベット号は特殊すぎますから、まずは通常の船で操船や艦隊運用を学ばせる必要があると聞いております。そこで陛下にお願いがあるのですが、現在製造中の船を五隻ほど接収したいのですが……」
このシグルの提案にリリベットは珍しく難色を示した。彼の提案は商人などの依頼で、製造中の船を海軍の軍艦として横取りするという話だったからである。
「国民から接収しては、不満が残るのじゃ」
「しかし、今から発注したのでは、完成までにかなりの時間がかかってしまいますが……」
リリベットは添付されていた資料に目を通すと、とある船の製造計画で目を止めた。
「この発注書は……わかったのじゃ、この件は私が直接交渉してみるのじゃ」
「わかりました。それではよろしくお願いします」
シグルは敬礼すると、そのまま部屋を後にした。それを見送りながらリリベットは呟く。
「これは面倒な交渉になりそうじゃな……」
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『帝立学園』
クルト帝国の帝都にある学校で、高等教育専門の学校。かつてはタクト・フォン・アルビストンが教授として在籍していた。財務大臣ヘルミナ・プリストもこの学校の卒業生である。
クルト帝国は一般市民の教育に力を入れていない代わりに貴族への教育は熱心であり、知識は支配階級差へ持っていればよいという考え方である。
その為、本の流通などもかなり制限されている。この影響もあり、リスタ王国の王立学園は平民であっても受け入れてくれるため、近隣諸国からわざわざ入学するために入国してきた子供たちもいるぐらいである。