第136話「提督の決断なのじゃ」
クルト帝国 フェザー領オルフィ 城館 ──
オルフィの街はフェザー領の中で最も西に位置し、帝都を含む皇帝直轄領に最も近いため、交易の要所として栄えている街だ。この地を納めているのはフェザー公の腹心オーフェル侯爵である。
宰相レオナルドとその娘アイラは、護衛を二十名ほど連れてオルフィの街に来ていた。レオナルドたちはさっそくオーフェル侯爵に会うために城館に向かったが、そこで予想外の人物と鉢合わせることになった。
「おぉレオに! それにアイラではないかっ!」
いきなりハグを求めてきた大男から、娘を守るために前に出たレオナルドは、呆れた様子で尋ねた。
「父上、こんなところで何をしているのですか?」
「何ってアイラが無理やり嫁がされそうと聞いたものでな、今らか帝都に直談判しに行くところだ」
そう答えたのは、レオナルドの父でフェザー領主のヨハンだった。あまりに予想通りの行動に、レオナルドは首を横に振って答える。
「父上、皇帝陛下にそのつもりは無いとのことでした。ご覧の通りアイラも無事です」
「むぅ、そうだったのか?」
ヨハンは顎を擦りながら疑惑の目でアイラを見つめていたが、アイラが微笑むとヨハンの顔も笑顔に変わった。そこにオーフェル侯爵が提案をする。
「お二人とも立ち話ではなんです。城内へどうぞ」
◇◇◆◇◇
クルト帝国 フェザー領オルフィ 城館 応接室 ──
アイラ皇女は席を外し、オーフェル侯爵婦人が相手をすることになった。残りのオーフェル、レオナルド、ヨハンの三名は応接室に来ていた。貴族の城館の応接室にしては質素な造りで、申し訳程度に美術品が数点置かれている。
事の顛末を一通り説明したレオナルドに、ヨハンは頷きながら答える。
「なるほど、そういうことだったか」
自身の早合点を反省した様子のヨハンが呟く、フェザー家とクルト家が争うという最悪の事態は免れたことに、レオナルドは安堵のため息をついた。
「しかし、そういう考えを持つ者がいるのも事実というわけだな?」
「……そうですね」
後宮が今後どのような対応をしてくるかわからないので、アイラを守るためには何か対策を練らねばならなかった。
「それならば、いっそのこと婚約してしまえばどうだ? アイラももう十二だ、社交界にデビューしていい歳だし、婚約者がいてもおかしくはないだろう」
アイラに婚約者を作ることで、この問題に巻き込まれないようにするというヨハンの提案だったが、レオナルドは渋い顔をしている。彼から見れば、アイラはまだまだ小さな女の子なのだ。
「婚約と言っても、娘に見合う人物がいないでしょう?」
「そうだな……フェルトの息子はどうだ? 小国と言えど王太子だし、なかなかよい男になりそうだ。それに歳もさほど離れていないしな」
「レオンですか……」
ヨハンの言葉にレオナルドは考え込む。彼から見てもレオンは子供ながら好感が持っていた。しかし、まだ娘を嫁に出すのは早いと思っているのだ。
「やはり婚約というのは、ちょっと早いのではないかと」
「ふ~む、よい案だと思ったのだが」
二人が悩んでいると、オーフェル侯爵が話に割って入ってきた。
「では、留学ではどうですか? 聞くところによると、かの国にはそれなりの学校があるとか? とりあえず帝都から引き離してしまうのです」
オーフェル侯爵の提案に、二人は顔を見合わせて考えはじめる。レオナルドは難しい顔をしながら口を開いた。
「留学か……しかし、前回の旅行とは違い、我々は付いていくことができない。まさか一人で行かせるわけにもいかないだろう?」
「そこはフェルト殿を頼ればよろしいかと」
ヨハンはニヤッと笑うと、レオナルドの肩に手を置く。
「はっはは、良い機会だ! お前も子離れするんだな」
ヨハンの言葉に眉をピクッと動かしたレオナルドは、置かれた手を叩いて退かす。
「父上だけには、言われたくはありませんよ」
レオナルドも誰よりも子煩悩であり、身内のためには手段を選ばない父にだけは言われたくはなかったのである。
「とりあえずフェルに一通送るとしよう。侯爵、紙とペンを貸していだけるか?」
「わかりました……お持ちしろ」
オーフェルが近くに控えていた執事に命じると、すぐに手紙を送るための一式を用意してくれた。レオナルドはスラスラと一筆書き終えると、指輪を使って手紙に封蝋をした。
「では、この手紙をリスタ王国のフェルに届けてくれ」
「畏まりました」
手紙を受け取った執事は丁寧に頭を下げると、そのまま部屋を後にするのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 軍務大臣執務室 ──
数日後、エリーアスがシグルを尋ねて彼の執務室に来ていた。彼が入ってくると、シグルは笑顔で迎えソファーを勧める。そして秘書官たちに向かって席を外すように頼んだ。
「君たち、済まないが二人で話したい。少し席を外してくれないか?」
「はっ」
秘書官たちは、敬礼をすると前室に下がって行く。シグルはエリーアスの対面に座り尋ねる。
「よく来てくれました。例の件でしょうか?」
「あぁ、申し訳ないが……」
その答えを予想していたのか、シグルの表情に変化はなかった。
「一応、理由を聞かせていただいても?」
「自ら辞職したとは言え、私は帝国の臣民だ。他国の軍に籍を置くことなどできないだろう」
「そんな理由なら、提案した時点でお断りになっていたでしょう? 貴方は生粋の船乗りだ、この国に惹かれているのを自覚している。それを認めるのがお嫌なのではないですか?」
シグルが少し煽るように言うと、エリーアスは首を横に振る。
「私が何に惹かれていると言うのだ?」
「この国の発展にです。特に造船や新しい技術による戦術の発展に興味があるはずだ」
「……っ!?」
見透かされたように言われたエリーアスは言葉に詰まってしまった。確かにエリーアスは、リスタ王国の技術力を高く評価していたし、可能であればそれを学びたいと思っていた。
その背景にはクルト帝国の基本方針にあり、陸軍国家であるクルト帝国では海軍の扱いは低く、予算も少なければ造船などの技術の発展もだいぶ遅れていた。そのことが長年エリーアスを含める提督たちを悩ましていたが、このリスタ王国では常に新しいものが出てきている。そのことを前回の海戦で思い知ったのだった。
「この国なら、貴方の力を最大限に活かすことができます」
シグルが発した言葉は深くエリーアスの心に刺さる。それから目を瞑って黙って考えはじめたエリーアスに、シグルも何も言わずに答えを出すのを待っていた。
それからどれほど時間が経ったか、ようやくエリーアスが口を開いた。
「私はこの国と戦争した身だ、多くの国民を殺している。私が仕官したいと言っても許されぬだろう」
「では、陛下に聞きに行きましょう」
「なっ……なんだと!?」
シグルは席を立つと、エリーアスにも立つように手で示した。そして、ニヤッと笑うと尋ねる。
「もし陛下がお許しくだされば、この国に仕えていただけますね?」
「……わかった。許されるのであれば、この国に仕え忠誠を誓うことを約束しよう」
エリーアスが頷くのを確認した後、シグルは彼を連れてリリベットの執務室に向かうのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 女王執務室 ──
軍務大臣シグル・ミュラーはエリーアスを連れて、リリベットの執務室を訪れていた。リリベットは首を傾げて尋ねる。
「シグル、今日はどうしたのじゃ? ……隣にいるのは、確かエリーアス殿じゃったか?」
「はい、エリーアス・フォン・アロイス殿です」
「お久しぶりです、女王」
挨拶と共にエリーアスは丁寧にお辞儀をする。リリベットは右手を軽く上げてそれに応じた。
「陛下、実はお許しがいただきたく参りました」
「ふむ、どのような用件なのじゃ?」
「こちらにいるエリーアス殿を、幕下に加えたく存じます」
事前に聞いていなかったリリベットは、突然の話に驚いた表情を浮かべた。
「なんじゃと!?」
「彼は我が国にとって大罪がある身ですが……もしお許しいただけるなら、この国のために忠誠を捧げたいと申しております」
シグルの言葉に、リリベットはエリーアスをじっと見つめる。彼の真剣な瞳に嘘ではないと感じたリリベットは小さく頷く。
「ここはリスタ王国なのじゃ……全ての者は、一度は罪を許され再出発することができる国、お主の罪がいかに重くともそれは変わらぬのじゃ」
「それでは?」
シグルが確認するように尋ねると、リリベットは大きく頷いた。
「リスタ王国女王リリベット・リスタの名において、エリーアス・フォン・アロイスの罪を許し、リスタ王国の国民となることを認めるのじゃ」
リリベットの宣言に、エリーアスは感慨深げに深く頭を下げる。
「……ありがとうございます、女王陛下。貴女と貴女の国に忠誠を誓います」
「うむ、以後はシグルに任せるのじゃ。彼の言は私の言葉と考えるのじゃ」
「はっ!」
エリーアスは見よう見真似であったが、リスタ王国式の敬礼で返した。それが彼なりの忠誠の証であり気遣いだった。こうして海軍提督エリーアス・フォン・アロイスを得たリスタ王国は、海軍設立に向け一歩前進したのである。
◆◆◆◆◆
『クルト帝国の海軍事情』
ムラクトル大陸は中央に帝都があり、大陸最大の領地を誇るフェザー領を除けば、中央から離れるほど身分の低い貴族や、かつて反乱に加わった貴族など領地がある。
特に先代皇帝の時代までは、海岸線の貴族が主導で設立される海軍は中央からは疎まれる存在だった。サリマールに代替わりしてからは、多少は払拭されたものの未だに根強く差別意識があり、その為エリーアスなどの有能な提督が、評価されてこなかった歴史があったのである。