第132話「案内所なのじゃ」
リスタ王国 王都 宿『枯れ尾花』──
カウンターで不機嫌そうにしているのは、この宿の店主であるリュウレである。
その原因は、目の前で楽しげに話している男女ではなく……その二人を見て絡んでくる青年のせいだった。
「リュウレさん、あの二人いい感じですねっ」
「うるさい……ケラ」
リュウレは心底面倒そうに言う。いつもの素っ気無い態度にもめげずケラは話を続ける。
「俺たちもあんな感じで……ゴフッ」
リュウレの肘打ちがケラの脇腹にめり込んで崩れ落ちた。
「そんなにしゃべりたいなら……あの二人に、ここは喫茶店じゃないって言ってきて」
リュウレはそう言いながらカウンターに置いてあった鍵を、脇腹を押さえて蹲っているケラの頭の上に乗せる。
「うぅ、了解ッス」
なんとか立ち上がったケラは頭から落ちた鍵を拾って、コーヒーを飲んでいる客の方へ歩いていった。
一階テーブル席 ──
テーブルには、デート中のコンラートとサーリャが座っていた。コンラートはコーヒーを一口飲むと、微笑みながら話かける。
「本当に美味しいですね、ここのコーヒー」
「はい、この前のお茶会の時にマリーさんに聞いたんですよ」
自分が勧めた店を褒められて、サーリャは嬉しそうに微笑んだ。少し子供っぽい笑顔ではあるが、可愛らしく笑うサーリャにコンラートは見蕩れている。
そこにケラがポットを持って近付いてきた。
「あの~お客さん、実はこの店って喫茶店じゃないんですよね~」
サーリャは驚いた顔をして頭を下げる。
「えっ、そうなんですか? ごめんなさい、美味しいコーヒーを出してくれる店って聞いていたので……」
「いえいえ、コーヒーが美味しいってのは褒め言葉なんだけどねぇ。……っということで、これをどうぞ!」
ケラはリュウレから受け取った鍵を二人に見せる。サーリャはそれを見て首を傾げる。
「鍵……ですか?」
「そそ、部屋の鍵さ。ここは宿屋なんでね、部屋を取ってくれればいつまで居てくれてもいい。コーヒーのお代わりはサービスするッスよ」
ケラはポットを少し掲げてウインクする。コンラートは席を立ってお辞儀をする。
「サ……サーリャさん、出ようか?」
「えっ、来たばかりですよ? お部屋を取ればいいんですよね、私が払いますから!」
コンラートは部屋を取るという意味がわかっていたが、サーリャは意味がわかっておらずコンラートとまだ一緒にいたいと思っての発言だった。
ケラはニヤッと笑うと、コンラートが止める間もなくサーリャに鍵を渡してしまう。
「部屋は二階の一番奥ッス、カップとかは俺が持ってきますんで、お先にどうぞ~」
ケラは笑顔でそう言うと、サーリャを二階へ上がる階段まで案内する。コンラートは慌てて追いかけてきた。
「サーリャさん、ちょっと……」
「なんですか? コンラートさん」
サーリャは純粋な笑みを浮かべながら首を傾げた。その顔にコンラートは何も言えなくなってしまい、一緒に二階に上がっていくことになったのである。
一階 カウンター ──
ケラはそのまま飲みかけのカップを回収して、カウンターのリュウレの元に戻ってきた。
「どうスッか、リュウレさん? 部屋を借りてくれたッスよ」
「ケラも……たまには役にたつ」
辛辣な物言いだが、リュウレなりに褒めてくれていることがわかるのでケラは苦笑いを浮かべる。
「それじゃ、俺はコーヒーのお代わりを持っていきますよ。はじまってからじゃ入り難いッスからね」
ケラはウインクをしてトレイにカップとポットを乗せると、カウンターから出ようと歩きだした。その背中にリュウレがボソッと呟く。
「……いってらっしゃい」
その声にケラはニコッと微笑むと、そのまま二階の階段を昇っていく。
宿『枯れ尾花』二階 ──
宿『枯れ尾花』はリスタ王国建国初期からある宿で、建物自体もかなり古くなっている。ケラが歩いている通路もギシギシと軋む音が聞こてくる。
「ボロいにも程があるッスね」
ケラは一番奥の部屋の前まで来ると扉をノックする。すぐにコンラートが扉が開いてくれたので、部屋の中に入るとサーリャが俯いて椅子に座っている。
トレイをテーブルに置く時に、サーリャの顔をチラリと覗くと耳まで真っ赤になっていた。どうやら部屋に入ってからコンラートの説明を受けたようだ。ケラはサーリャには何も言わず、部屋から出ていく時に振り返って余分な一言を置いていく。
「それじゃ、ごゆっくり~」
その言葉にサーリャはビクッと反応していたが、ケラはそれ以上何も言わずに部屋を後にするのだった。
一階 カウンター ──
ケラが二階から降りてくると、リュウレが出掛ける準備をしていた。
「あれリュウレさん、お出かけッスか?」
「ちょっと出かけてくる……店をお願い」
突然のことにケラは少し驚いていたが、リュウレがケープの中に短剣を装備しているのに気が付くと苦笑いを浮かべて尋ねる。
「それはいいッスが、また一ヶ月とか言わないッスよね?」
ケラはリュウレに店番を頼まれた時に、一月も放置されたことを覚えているのだ。リュウレは特に表情を変えずに答えた。
「今度は国内、大丈夫……じゃ、行ってくる」
それだけ言い残すと、リュウレはさっさと出て行ってしまうのだった。ケラは呆れた様子でカウンターに座ると苦笑いを浮かべる。
「いってらっしゃい、リュウレさん」
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王都 南門広場 ──
王都の正門を潜ると広場があり、そこには馬車乗降所がある。大通りは馬車の行き来が制限されているため、商人たちが荷降ろしなどで利用するためには役所の許可が必要になる。
その乗降所に東の城砦からの定期馬車が一台着いていた。馬車からは王都へ買い物に着た者や旅行客が降りてきており、その中の一人にエリーアス・フォン・アロイスがいた。
エリーアスは、正門広場から大通りを眺めると感心したように頷く。
「ここがリスタ王国の王都か、あの戦いの時は海から見ただけだったが……美しい街だな」
乗降所から周りを見渡すと『観光案内所』という看板が見えたため、エリーアスはその看板に向かって歩きだした。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王都 観光案内所 ──
案内所は小さな小屋のようになっており、中に入ると受付のカウンターがあり可愛らしい女性が座っていた。受付の女性は入ってきたエリーアスに笑顔で尋ねる。
「ようこそリスタ王国へ、観光案内をご希望の方ですか~?」
「いやグレートスカル号の船長に会いたいのだが、どこに行けば会えるだろうか?」
「黒船の船長さんですか~。あの船が停泊する港は一般公開されてない場所にあるので、海洋ギルド『グレートスカル』で聞いてみるのが一番だと思います」
黒船とはグレートスカル号の愛称で、船体がすべて黒塗りになっていることから付けられている。受付嬢の回答にエリーアスは頷いた。
「なるほど、ではそのギルドへはどう向かえばいいのかな?」
受付嬢は頷くと、カウンターに置いてある大きな地図を指差しながら案内をはじめる。
「この大通りを進んでいただいて、左手に狐堂という店があります。色々揃ってるので良い店ですよ。その十字路を右折、しばらく道なりに進むと……」
しばらく聞いていたエリーアスだったが、思ったより複雑な道順なうえ、ちょくちょく宣伝を入れてくるので困ったような表情を浮かべる。
「う~む……覚えきれるかな?」
「地図を買っていただければ、道順をお書きしますよ~」
受付嬢は笑顔で小さな地図を取り出すと、値札をチラリと見せる。少々高い値段だったが、エリーアスは財布からお金を取り出すとカウンターの上に置いた。
「ありがとうございます! いや~なかなか買ってくれる人がいないんですよ~」
受付嬢は満面の笑みを浮かべながら、地図に道順を描いている。しばらくして描き終えた地図をエリーアスに差し出しながら微笑みかける。
「はい、どうぞ~。楽しんでいってくださいね」
「あぁ、ありがとうお嬢さん」
エリーアスは地図を受け取ってお辞儀をすると、そのまま案内所を後にするのだった。
◆◆◆◆◆
『狐の教え子』
観光案内所は、国務省が提唱している観光に力を入れる政策によって建てられた施設で、王都の至るところで増えつつある。もっとも人の出入りが多い南門広場の案内所には、とても愛想のいい受付嬢がおり、リオナという名前のう少女だった。
彼女は王立学園の卒業生で特別講師として招かれたファムに気に入られ、商人とは何たるかを叩きこまれており、卒業後はファムに狐堂へスカウトされ一時は狐堂の看板娘として働いていた。しかし、憧れのリリベットのために国政の手伝いをしたいと思い、国務省が募集した観光案内所に転職した。
ファム仕込の話術で、あまり売上が芳しくない案内所の中で、彼女が務めている案内所だけはありえない売上を叩き出しているという。