第130話「宰相なのじゃ」
リスタ王国 王城 廊下 ──
宰相フィンが執務室へ向かう途中、前方からヘレンとマリー、そして妖精たちが歩いてきていた。フィンはスッと道を譲って脇に逸れるが、ヘレンはフィンを発見した瞬間、駆け出してフィンの足に抱きついた。
「フィンなのじゃ~」
フィンは微笑むと膝を折って話しかける。しかし膝を折った程度では、同じ目線にならないのが彼と彼女の身長差である。
「王女殿下、いきなり飛び掛るのは危ないのでお止めください」
「だっこするのじゃ~」
フィンの小言だったが、ヘレンはまったく聞き耳を持たず、両手をめいっぱい広げてアピールする。フィンは小さくため息をついてヘレンを片手で抱き上げた。抱き上げられたヘレンは大喜びではしゃいでいる。
「たかいのじゃ~!」
フィンは、はしゃいでいるヘレンを余所に側に控えているマリーに尋ねる。
「マリー殿、王女殿下はどちらに向かわれていたのだ?」
「はい、この後は子供部屋でプリスト卿のお勉強の時間です」
フィンは頷くと、ヘレンを抱き上げたまま子供部屋に向かって歩きはじめた。慌てたヘレンはフィンの顔に抱きついて駄々を捏ねはじめる。
「やぁ、もっとあそぶのじゃ~」
「いけません……プリスト卿の授業は陛下のご命令ですよ」
フィンはよくリリベットを諌めるため勘違いされるが、人一倍王家への忠誠心が高い人物である。命令自体に誤りがなければ王の命令は絶対なのだ。
結局、顔にヘレンを貼り付けたままフィンは子供部屋に向かい、そこにいたヘルミナにヘレンを託すと再び執務室に向かうのだった。
◇◇◆◇◇
仕事に一段落ついたフィンが中庭に繋がる通路を歩いていると、気合いが入った声が聞こえてきた。
「ふむ……修練所か?」
フィンはそう呟くと、修練所に向かって歩きはじめた。
リスタ王国 王城 修練所 ──
フィンが扉を開けて修練所に入ると、金髪の青年と少年が激しく打ち合っていた。それを見たフィンがボソっと呟く。
「王子殿下とケルン家のジークか……」
レオンは短めの木剣、ジークは通常の長さの木剣と大盾を装備している。七歳になって成長したとは言え、レオンとジークではかなり体格差があり、リーチの分だけジークが押している。しかしレオンは器用にジークの力を受け流し、ジークはバランスを崩されないように上手く立ち回っている。
ジークの大振りの横薙ぎを、レオンは体を沈めて潜りこんだ。しかし踏み込もうとした瞬間、ジークは大盾で殴りかかるようにレオンを吹き飛ばす。何とか剣で受けたものの、衝撃で木剣を離してしまうレオン、その隙を狙ってジークが剣を振りかぶった瞬間、フィンが彼らを止めた。
「そこまで!」
ピタッと止まったジークが声がした方向を見て、驚いた表情を浮かべた。
「さ……宰相閣下!?」
ジークは木剣を腰に据えるように持つと、深々とお辞儀をした。フィンはレオンを一瞥して訪ねる。
「王子殿下は大丈夫ですか?」
「は、はい、大丈夫です」
レオンは少しよろめきながら立ち上がると、フィンはレオンの頭からつま先までを流れるように見て、怪我がないことを確認してから窘めるように言う。
「二人とも剣術に熱心なのはよいが、試合形式をする際は誰か見ている時にするように! 怪我をしては困るからな」
「は、はいっ!」
二人は反省した様子で頷いた。それを見たフィンが小さく頷き、その場を後にしようと背を向けた瞬間、慌ててジークが声を掛けてきた。
「さ、宰相閣下!」
「どうしたジーク、何か不満でも?」
フィンは再び振り返って尋ねる。ジークは首を横に振りながら、若干緊張した様子で尋ねる。
「いいえ、不満などありません。それより宰相閣下は、騎士と同等の剣術が使えるというのは本当ですか!?」
「……どうだろうな、もう十年は剣など握ってないが」
謙遜なのか事実なのかフィンがそう答えると、ジークは深々と頭を下げて頼み込む。
「よろしければ、一手ご教授願えないでしょうか?」
「ふむ……まぁいいだろう、久しぶりに振ってみるとしよう」
目を輝かせているジークに、断るのも悪いと思ったフィンがそう答えると、彼は今にも小躍りしそうな感じで喜んだ。氷の守護者の名で有名なフィンだが、伝承によると剣術もかなりの腕前と言われている。ジークはその話を聞いた時から、いつか戦ってみたいと思っていたのだ。
ジークとフィンは、修練所中央で対峙する。ジークは先ほどの同じく通常の木剣と大盾、フィンは少し長めの木剣を手にしていた。腰を落としてがっしりと構えるジークに対して、フィンはほぼ棒立ちで剣を降ろした状態で立っている。
「どうした? いつでもかかってきてよいぞ?」
「えっ、構えないんですか?」
「このままで問題ない」
フィンの答えにジークは驚いた表情を浮かべたが、すぐに気を引き締めて構え直した。ジークは短く息を吸い込むと、息を止めて一気にフィンに向かって突進する。
「っ!」
盾を突き出しての突進は、何の手応えもないまま空を切った。ジークはフィンが左右どちらかに避けたと思い、慌てて左右に首を振って彼の姿を捜す。
「前っ!」
レオンの叫び声が聞こえた瞬間、ジークが左手に持っていた盾が右に動かされる。ジークは驚いて身構えるが、盾がズレた僅かな隙間から木剣が伸びてきて、彼の腹部に突き刺さった。
「うぐっ」
呻き声を上げて膝をついたジークは、突き刺された場所を押さえながら悶えている。それを見下ろしながらフィンが言う。
「盾は確かに有効だが、その分死角ができる……気をつけることだ」
先ほどの攻防でフィンがしたことは特別なことではなかった。大盾を構えて突撃してきたジークに合わせてバックステップして、身を躱し大盾でできた死角から、左手で盾の縁を掴むと引き戸を開くように少しズラすと、その隙間に木剣を滑りこませただけである。
「は……はい、ありがとうございました」
ジークは腹部を押さえながら立ち上がると深々と頭を下げた。派手さはないがフィンの動きは洗練されており、ジークにとっても参考になる動きだった。
フィンはレオンの方を向き、微笑みながら尋ねる。
「殿下は、どうなさいますか?」
「……せっかくですから、お相手願いますか?」
「いいでしょう」
ジークは隅に移動し、フィンは先ほどと同じく自然体の構え、レオンは少し長めの木剣に変えて両手で基本に忠実な構えをした。
体を少し揺らしながらタイミングを計るレオン、フィンは微動だにせずただ立っていた。レオンが踏み込んだ瞬間、フィンが振り上げるように木剣を振り回す。
ビュッ!
一歩前に出てすぐにバックステップしたレオンの鼻先を掠めながら、フィンの木剣が通過していく。改めて踏み込んだレオンの頭に、今度は木剣が振ってくる。
「くぅぅぅ」
レオンは体を回転させるように振り下ろされた木剣も躱すと、そのまま横薙ぎするように木剣を振る。しかし遠心力に軸足が耐えれなかったのか、自らの力に振り回されて転んでしまった。
フィンは倒れたレオンに手を差し伸べながら告げる。
「フェザーステップですか……面白い技ですが、まだ足回りの修練が足りないようですね」
「いたた……いけると思ったんですが」
フェザーステップとは、空を舞う羽のように相手の攻撃を躱す歩法である。父や兄のように大剣を使用しないフェルトは、このステップが得意で一族の中では一番の使い手と言われている。レオンもそんな父を見習って練習しているのだが、まだ父のようには動くことができなかった。
「それでは私はそろそろ行きますが、二人ともあまり無理はしないように」
「はいっ」
フィンは武器入れに木剣に差し込むと、そのまま修練所をあとにするのだった。
◆◆◆◆◆
『リスタ王国の最大戦力』
魔法や氷の守護者の異名の元になった氷龍が有名だが、かつてロードス王と共に戦ったフィンの剣術はかなりの腕前である。
氷龍召喚や魔法、そして剣などの個人的な強さはもとより、指揮能力や戦略眼なども極めて優秀な人物である。
彼こそがリスタ王国が持つ最大戦力であり、その強さは大戦時に挟撃を受ける可能性があった東の城砦をほぼ一人の力で守り、レグニ侯爵軍の侵攻を食い止めていたほどである。