第128話「老人の心配なのじゃ」
リスタ王国 王城 応接室 ──
サーリャとコンラートのデートからしばらく経ったころ、リリベットの元に一人の老人が尋ねてきていた。執務室ではなく、一階にある応接室に通された老人はソファーに腰を掛けていた。
その部屋の扉が開きリリベットが入ってくると、老人はソファーから立ち上がって挨拶をしようとするが、リリベットは慌てて制止する。
「ヨドス、立たなくてよいのじゃ」
「す……すみませぬな、陛下」
ヨドスはラフス教の司祭でサーリャの祖父である。長く患っていた腰が最近特に悪化しており、リリベットも彼の対応には気を使っている。ヨドスは治癒術の達人だが、彼らが使う治癒術は本人には効果を発揮しないため、自身の治療はできない。
リリベットは、ヨドスの対面のソファーに座ると改めて訪問の理由を尋ねる。
「お主が尋ねてくるとは珍しいのじゃ、今日はどんな用じゃろうか?」
「はい、実は陛下にお願いがありましてな」
「ふむ、お主は大戦時の英雄の一人なのじゃ。私に出来ることであれば良いのじゃが?」
通称「幼女王の聖戦」と呼ばれている十二年前の大戦で、ヨドスは後方支援として参加、彼の治癒術によって多くの者が一命と取り留めている。リリベットが彼を英雄と呼ぶのは、そのような理由からである。
「実は孫のサーリャのことですじゃ。最近、あの子に恋人ができたようで……」
「うむ、コンラートのことじゃな? 話は聞いておるのじゃ」
「やはりご存知でしたか、実に素晴らしい男性でしてな。彼になら安心して孫を任せられる」
リリベットもコンラートに対しては、同じ印象を持っていたので小さく頷いてから改めて尋ねる。
「ふむ、お主も気に入っておるのなら……何も問題はないと思うのじゃが?」
「ははは、ワシが交際を止めるように頼むとでも思ったのですかな? ワシももう長くない、孫には幸せになって貰いたい」
ヨドスはかなりの高齢であり、自分の寿命がそろそろ尽きそうなのを自覚している。しかし、リリベットはそれでも首を横に振った。
「何を言っているのじゃ、まだまだ大丈夫そうなのじゃ」
「自分のことです、自分が一番よくわかっておりますのじゃ。そこで相談なのじゃが……あの子たちがこのまま進んだ時、ワシが足かせになるかもしれん。もしそうなったら……陛下、どうかあの子を諭してやってほしいのですじゃ」
サーリャがコンラートと結婚するとなった場合、アイオ家がある東の城砦に居を移すことになる可能性が高い。心根が優しいサーリャが、ヨドスを置いてそんな選択をするとは思えなかったのだ。ヨドスはその事態に陥った場合、ヨドスを置いていくようにサーリャの説得を依頼しているのだ。
「うむ……話はわかったのじゃが、サーリャは私が言っても聞かぬじゃろう」
「ははは、ああ見えて頑固者ですからなぁ。しかし、陛下やメアリーさんの言うことなら、きっと納得してくれると信じておりますのじゃ」
リリベットは少し考え込んだあとに、真剣な表情で頷いた。
「……わかったのじゃ、もし必要な状況になれば、私から口添えすると約束するのじゃ」
リリベットの答えに、ヨドスの皺だらけの顔が緩む。
「おぉ、陛下! よろしくお願いしますぞ、これで安心できました」
ソファーから立ち上がるのに手間取っているヨドスに、リリベットは手を差し伸べて立ち上がるのを補助する。
「誰か来て欲しいのじゃ」
リリベットが扉に向かってそう呼び掛けると、近衛の隊員たちが部屋に入ってきた。
「お呼びでしょうか、陛下?」
「うむ、ヨドスを馬車で教会まで送り届けて欲しいのじゃ」
「はっ!」
近衛の隊員たちは、リリベットと交代してヨドスを支える。ヨドスは深く頭を下げた。
「何から何まですみませぬな」
彼らが部屋を出て行くのを見送りながら、リリベットは亡き祖父のことを少し思い出していた。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 近海 ──
年季を感じる小型の老朽船が、風を受けて進んでいた。その船上では複数の船乗りたちがぎこちなく動いている。その船乗りたちに褐色の美女が発破を掛けていく。
「ほらほら、遅いっ! そんなんじゃ、裏帆を打って停まっちまうよっ」
「ア、アイアイサーッ!」
大声で指示を出しているのは、海洋ギルド『グレートスカル』会長のレベッカ・ハーロードだった。そのレベッカに返事をしているのは十歳前後の少年たちだった。その中に紅一点で舵を握っている少女は、舵の重さに悪戦苦闘しながら叫ぶ。
「レベッカさん、この舵重過ぎるよっ!」
レベッカはニヤッと笑って、少女の背中を叩く。
「ほら、もっと力を入れるんだよ、シャルロットちゃん。その重さが乗組員全員の命の重ささ」
このシャルロットを含む、少年少女たちは船乗りを目指しており、多くは海洋ギルドのメンバーの子供たちだった。レベッカは彼らの練習として休日を利用して、東の港から王城沖を通って西の港までの簡単な航海を企画したのだ。
「ぐぎぎぎぎ……」
老朽船ということもあり、かなり重く感じる舵を何とか戻すと、シャルロットは涙目で自身の二の腕を擦っている。
「二の腕が太くなったら嫌われちゃうかな?」
「あははは、このまま続けていれば、こんな感じになるよっ!」
シャルロットの呟きを豪快に笑いながら、レベッカは力瘤をつくる。その太い腕は女性とは思えないほど膨張していた。それを見たシャルロットは嫌そうな顔をして呟く。
「そんな風になったら、絶対レオンさまに嫌われちゃう……」
しばらくして、日差しに照らされて暑くなって来たシャルロットは、滝のような汗を流していた。舵以外の操船をしていた少年たちは、とっくに脱ぎ捨てて上半身裸で操船をしている。
「シャルロットちゃんも、熱いなら脱いじまったほうがいいよ」
「う~ん……仕方がないか」
あまりの暑さにシャルロットも上着を脱ぎ捨てて、首のスカーフを外すと胸元を少し開けた。
「ふぅ……涼しい~!」
ようやく少し落ち着いたシャルロットが一息ついていると、周辺の少年たちがからかうように口笛を吹いて歓声をあげている
「ヒュ~♪」
少し色気づいていた年齢の子供たちだ、最近少し胸が膨らんできたシャルロットの小さな胸でも大喜びである。シャルロットは胸元を隠して少し顔を赤くしながら叫ぶ。
「見るなっ! あんたらに見せてるわけじゃないっ!」
からかわれたシャルロットが、少年たちを威嚇しているとレベッカは笑いながら言う。
「あははは、あれぐらいの男どものちょっかいは、海に出たらいつものことさ。気にしてたら船乗りなんてやってられないよ」
「ぐぬぬぬ」
シャルロットが歯軋りをしていると、マスト上の見張り台から声が聞こえてきた。
「左舷、王城と水門だ!」
その声に少年たちは、一斉に左舷に集まってワイワイと騒いでいる。王城は街からも見えるが、水門は海上からでしか見えないため、見たことがない者も多い。シャルロットも望遠鏡を腰の鞄から取り出すと王城のほうを見つめはじめた。しばらく見つめていると、王城の一角で光が反射しているのに気がつくと、シャルロットはその光の先に望遠鏡を向けた。
「あっレオンさまだっ!」
王城のバルコニーからレオンが望遠鏡を片手に手を振っている。事前に王城沖を通ることは伝えてあったが、まさか見ててくれるとは思わなかったシャルロットは嬉しそうに手を振って応えた。
そして、気合が乗ったところで手を振り上げると少年たちに叫ぶ。
「あんたたち、残り半分も気合入れていくよっ!」
「おぉぉぉぉ!」
今回の練習航海の船長はあくまでレベッカだったのだが、後半はシャルロットが指示を出すようになっており、指示自体も特に問題がなかったので、レベッカは満足そうに成り行きを見守っていた。
「これは船長の資質がありそうだねぇ」
しばらく後、苦戦しながらも何とか西リスタ港に到着したシャルロットたちは、練習航海の無事を皆で祝ったのだった。
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『治癒術』
一言で治癒術と言ってもいくつか種類がある。ヨドス司祭が使う「治癒」の力は、ラフス神への信仰と慈愛の心を源にしている。自身に使えない代わりに熟練者になれば瀕死の者でも回復できる。
通常の治癒術士も、仕えている神は違えど同じ仕組みになる。
ミリヤムやフィンが使う「癒しの風」は精霊力を使用するため、自身にも効果があり持続的な回復が可能であるが、効果は司祭が使う治癒よりは劣る。
またジオロ共和国では「気」と呼ばれるものを操作することで、治癒を促進する術に長けている。