第113話「講和会議なのじゃ」
フェルトが帝都を訪れて帝国の方針を聞いてから、すでに二ヶ月が経過していた。その間にノーマの残党たちは、帝国の騎士団に護送され帝都にて公開処刑されていた。しかし、すべてが処刑されたわけではなく、帰順を示した者はリスタ王国の名の元に許されザイル連邦へ移送されていた。
これはノーマの海賊を全滅させてしまうと、ザイル連邦の海運に大きな影響があるための処置であり、帝国側も黙認していた。
そして、現在クイーンリリベット号は講和会議の会場に参加するため、ノクト海を進んでいる。
ノクト海 クイーンリリベット号 ──
今回もリリベットとフェルトが乗船しており、機関室にはミル、レベッカに誘われてシャルロットが、それぞれ見習いとして乗船している。
そして、何故かフェルトの父ヨハン・フォン・フェザーが乗船していた。
リリベットがフェルトと共に甲板で風に当たっていると、後ろからヨハンが声を掛けてきた。
「おぉ我が娘よ、今日も美しいな。まるでヘレンを見ているようだ」
彼が言うヘレンとはリリベットの母であり、ヨハンの妹だったヘレン・フォン・フェザーのことである。声を掛けてきたヨハンにフェルトは呆れた顔をして尋ねる。
「まったく、父上……その話、何度目ですか?」
「まぁよいのじゃ、母様と似ていると言われて、私も悪い気がしないのじゃ」
リリベットは亡くなった母のことが大好きであり、今でも世界一優しく綺麗な女性だと思っている。その母と似ていると言われれば悪い気はしなかったのだ。
「それで義父様、何か御用じゃろうか?」
「いや、船旅というのも少々飽きてきたのでな、甲板で素振りでもしようかと考えておったところに、お前たちがいるのが居たのでな」
つまり用などないということなのだが、フェルトはさらに呆れた顔をする。
「こんなところでも鍛錬ですか? 調子に乗って甲板は傷つけないでくださいよ?」
「はっははは、鍛錬を怠るわけにはいかんからなっ」
フェザー公が豪快に笑っていると、後ろから女性の声が聞こえてきた。
「おや、鍛錬かい? どうせなら私と立ち会ってくれると嬉しいんだがねぇ」
声を掛けてきたのは、今回も乗船しているコウジンリィだった。お互いリスタ王国にいる間に挨拶を済ませていたが、その申し出にヨハンはニヤリと笑う。
「おぉ武神殿か、私ならいつでもよいぞ」
「本当かい? じゃ今すぐにでも」
ジンリィは手にした双竜刀をヒュンヒュンと振り回して構えを取った。対するヨハンも大剣を担ぐように構える。それを見たリリベットは慌てて、二人の間に止めに入った。
「ま、待つのじゃ! お主たちに暴れられたら、さすがのこの船も沈んでしまうのじゃ!」
その言葉にヨハンもジンリィも仕方がないといった表情を浮かべると、武器を下ろして構えを解いた。
「……ということのようだが?」
「仕方ないねぇ、じゃ陸に上がったときに頼むとするよ」
ジンリィはそう告げると、手を振りながら甲板の後ろのほうへ歩いて行ってしまった。それを見送ったヨハンも、素振りをするために甲板の前のほうに去っていく。
こうして沈没の危機を回避したクイーンリリベット号は、ノクト海を西に向けて進んでいくのだった。
◇◇◆◇◇
ノクト海 港町アーレン近海 クイーンリリベット号 甲板 ──
クルト帝国とザイル連邦のおよそ中間地点に当たる港町アーレン近海が、今回の講和会議に指定された場所だった。南からはクルト帝国からは西方艦隊およそ三十隻、北からザイル連邦からも二十三隻が集まってきている。
ザイル連邦からは高速艦が一隻出発し、クルト帝国からはノインベルクがクイーンリリベット号に近付いてきた。ついに両国の講和会議がはじまるのである。
クイーンリリベット号に接舷したノインベルクからサリマール皇帝とエリーアス提督、護衛の皇軍の上級騎士、そして事務処理を行なう文官たちが甲板まで上ってきた。
サリマール皇帝は、にこやかに微笑みながらリリベットに近付いてきた。
「貴女がリスタ王国女王リリベットだな? 以前あったときは、こんな子供だったが見違えるように美しくなったものだ」
サリマール皇帝が腰の辺りで手を振って、十二年前のリリベットの姿を思い出していると、リリベットは微妙な顔をしながら告げる。
「私が義兄上殿に会ったのは十二年も前なのじゃ。変わっていて当たり前じゃろう」
「確かにその通りだな、いや済まなかった。此度は会場として艦を出してくれたこと感謝するぞ」
サリマール皇帝は、そのまま用意されていた席に着く。その後ろには帯剣したヨハンが護衛として待機している。
しばらくしてザイル連邦側も到着し、若獅子とココロット、ヴィーク師団長、それに獣人兵が五名ほどが甲板まで上がってきた。その若獅子は丁寧に頭を下げて名乗りを上げた。
「お待たせしましたか? 私がザイル連邦王国のラァミル・バルドバです」
当然、事前に聞いていたとは言え、サリマール皇帝は少し驚いた表情を浮かべている。ザイル連邦は今回の戦いの責任を取るという形で、ライガー・バルドバが退位隠居して第一王子だったラァミル・バルドバが王位についていたからである。
蛮王と謳われたライガーの突然の退位は、ザイル連邦内でも大きな衝撃を与えたが、ラドン第二王子が病床についたという噂と、バルドバ王の義理の弟であるラッカー将軍が背信の疑いで更迭されたと聞き、ラァミル王子の戴冠に異論を挟むものはいかなった。
サリマール皇帝は、席から立つと握手を求め手を差し出した。
「余がクルト帝国皇帝サリマール・クルトだ、さほど待ってもいないし時間通りであろう」
二人が握手を交わすと、今度はリリベットが名乗った。
「私がリスタ王国女王リリベット・リスタなのじゃ、今回の講和の調停役なのじゃ」
リリベットは、二人を座らせると自分も席に腰を掛けた。
「さて、さっそく話しを詰めたいと思うのじゃが……」
リリベットがそこまで言うと、ラァミル王が片手を上げて制止した。
「サリマール殿、まずそちらの要望をお聞かせいただけますか?」
サリマール皇帝は眉を少し動かすと、隣にいた文官に目配せをする。文官は手にしたスクロールを開き、今回の損害状況を説明と賠償金の要求の口上を述べた。
その要求額は途方も無い額で、ラァミル王は唸り声を上げる。彼としてみれば無条件で要望を飲み、王としての寛大さを示すつもりだったのだが、それすら躊躇われる金額だったのである。
「これが我が国の損害に対して、請求するつもりだった額だが……」
サリマール皇帝は文官からスクロールを受け取ると、それを床に投げ捨てた。
「責任を取り退位を決断した先王ライガー殿の心意気を買おう。貴国が賠償を要求せぬのなら、余はそれ以上の責任を貴国に求めるつもりはない」
この発言にはラァミル王やザイル連邦の者たちより、サリマール皇帝の隣にいた文官たちの方が驚いていた。示そうとしていた寛容さを、逆に示された形になってしまったラァミル王だったが、この提案を断るとサリマール皇帝の面子を傷つけることになるため、素直に感謝の言葉を述べる。
「サリマール殿、貴方と貴国の寛容さに感謝致します」
ココロットはこれが大きな借りになり、今後の交渉が困難になる予感を感じていたが、それでもはじまったばかりで磐石とは言えないラァミル王の治世に、莫大な賠償金を要求されるよりはマシだと考えていた。
「ふむ……拍子抜けするぐらいすんなり決まったようじゃが、講和の調印に移ってもよいじゃろうか?」
リリベットの問い掛けに、サリマール皇帝もラァミル王も頷く。リリベットは席から立ち上げリ告げる。
「それでは準備をするのじゃ、しばらく歓談でもして待たれるがよいのじゃ」
調印式の準備のためにリリベットが席から離れあと、サリマール皇帝がラァミル王が尋ねた。
「ラァミル殿、お主結婚はしているのか?」
「いいえ、若輩者ゆえ」
「ふむ、では余の娘を娶る気はないか? これを機会にザイル連邦とも、より友誼と結びたいと思っているのだが」
突然の提案にラァミル王は戸惑っていたが、それ以上に同席していたココロット大臣の動揺が激しかった。それを見たラァミル王は、ココロット大臣の肩を掴んで問いかける。
「ココロット、大丈夫か?」
「へ……陛下、とても……とても良い話ではないですか、ぜ、是非お受けください」
明らかに動揺の色が隠せないココロットに、サリマール皇帝は思案顔で一唸りすると付け加えるように告げた。
「ふむ、色々あるようだな……」
「すみません、ありがたいお申し出ですが、王の結婚ともなれば国政に関わる問題ですので、国に帰ってから検討させていただきます」
「あぁ、よい返事をまっておるぞ」
そのような会話をしていると、リリベットたちが調印のための準備を整え戻ってきたのだった。
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『結婚外交』
国同士の関係では王族同士の結婚により、親族となり友誼を結ぶことはよくあることである。
リスタ王国とクルト帝国は元々親族同士だったが、フェルトとリリベットとの結婚、そしてレオナルドとサリナの結婚により、両国の君主同士が義理の兄弟姉妹の関係になり、十二年前に戦争を経験しているにも関わらず良好な関係を築いている。