第110話「女王旗なのじゃ」
ザイル連邦 首都ロイカ ロイカタル宮殿 謁見の間 ──
捕縛しようとしていた衛兵たちに激しく抵抗したラドンに対して、玉座から立ち上がったバルドバ王が一喝する。
「衛兵たちよ、もうよいっ! ラドンよ、貴様の捕縛は我の命だ、それに背くと申すか?」
「親父殿、この国では力が全てだ。そんな老いた身体で俺を従えられると思うなっ!」
吼えたラドン王子に、バルドバ王は黙ったまま一歩ずつ前に出る。ラドン王子が言った通り、老齢による衰えでかつての威風はなく、逆にラドン王子は若く活力に満ちた眩い光を放っている。
バルドバ王は羽織っていたマントを投げ捨てると、ラドン王子の目の前まで歩いてきた。そして、愚かな息子に対して挑発的に告げる。
「どうした、かかってこないのか? 力が全てなのだろう? このような老いぼれが恐ろしいのか?」
「ガァァァァ!」
その瞬間、ラドン王子は鋭い爪を剥き出しにしてバルドバ王に襲い掛かった。
「このバカ者がぁ!」
しかし、彼の爪がバルドバ王に届く前に、バルドバ王から放たれた拳が彼の鼻面に叩き込まれ、そのまま振り抜くようにラドン王子を地面に叩きつけられた。その衝撃は謁見の間の石畳を粉砕するほどの威力で、とても年老いた獅子の力ではなく、周囲の者たちも驚いた表情を浮かべている。
息があるのかも定かではない息子を見下ろしながら、バルドバ王は吐き捨てるように衛兵たちに命じる。
「離宮に連れていけ、そして命があるうちは決して外に出すな!」
「はっ!」
命じられた衛兵たちは、ラドン王子を担ぎ上げると敬礼して連行していく。それを見送ったバルドバ王は、糸が切れた人形のように崩れ去り片膝をついた。ラァミル王子は慌てて駆け寄り、バルドバ王の肩に手を掛ける。
「我が王よ、大丈夫ですか!?」
「あぁ、大丈夫だ……」
ラァミル王子は、バルドバ王に肩を貸し玉座に座らせる。深く腰を掛けたバルドバ王は、ラドン王子の手を取って告げた。
「我が息子ラァミルよ、此度の戦争の責任は我が一族にある……その不始末の責任を負わねばならんだろう。我もこの歳だ……責任を取りこのまま王位を退く、お前が王になるのだ」
「我が……いえ、父上! 何を申されますか!? 先程の一撃、まだまだ父上はご健在です!」
「お前は王になるには優しすぎると思っていた……しかし、今この国に必要なのはその優しさなのだ」
バルドバ王は目を瞑りながら、ラァミルの手を強く握る。
「ラァミルよ、後の事は頼んだぞ……困難であろうが、お前なら出来るはずだ……」
力強く握られていた手が徐々に弱まり、だらんと玉座からぶら下がった。ラァミル王子は、その手を再び握ると父を呼び続ける。
「父上、父上っ! 誰か、典医を! 典医を呼べぇ!」
ラァミル王子の悲しみの色を帯びた叫び声が、謁見の間で響き渡った。
◇◇◆◇◇
ノクト海 クイーンリリベット号 女王私室 ──
クイーンリリベット号は戦場になった魔の海域を離れ、リスタ王国へ帰国している最中である。
その途中で小型の連絡船がクイーンリリベット号から、ノクト海の海都に向かって出発していた。シー・ランド海賊連合に、ノーマの海賊をクルト帝国へ引き渡すよう伝えるためである。
一通りやれることを済ませたリリベットは、再び穏やかな船旅を楽しんでいた。今は寝る前に、鏡の前で自分の顔をじーっと眺めている。そんなリリベットにベッドの横に立っていたフェルトが声を掛ける。
「リリー、ちょっとこっちにおいで」
「ん~……どうしたのじゃ?」
フェルトに呼ばれて、リリベットがゆっくり近付くと彼は彼女の顔優しく撫でる。そして、指に付いた化粧を見て苦笑いを浮かべた。
「化粧で隠したってダメだよ」
フェルトはそう言うと、リリベットを優しく抱き上げてベッドの上に降ろした。それに対して不服そうに頬を膨らませるリリベット。
「何をするのじゃ」
「リリー、調子があまり良くないんだろ?」
フェルトの見透かしたような瞳に、リリベットは言い訳は無駄だと諦めて口を噤んだ。フェルトはベッドの端に腰を掛けて、リリベットの頭を優しく撫でる。
「……たぶん、いつものなのじゃ。こんなことなら、ルネを連れて来るのじゃった」
リリベットは目を瞑って、お腹を擦ると少し弱々しく答えた。
侍医であるルネは本来リリベットに付き従っているべきだが、ヘレンが怪我や病気になることも多いので、リリベットの命令で王城で待機している。
フェルトは手を止めると厚手の布を引き寄せると、リリベットの上から掛ける。リリベットは抗議の視線を送りながら、頭を少しフェルトに傾ける。
「もっと撫でろって? 随分甘えてくるね」
「別に良いじゃろう」
しばらく撫でていると、リリベットから静かな寝息が聞こえてきた。フェルトが撫でるのをやめて立ち上がろうとすると、無意識なのかリリベットは彼の裾を掴んでおり立つことができなかった。
「やれやれ、仕方ないな……」
フェルトはリリベットを起こさないように、彼女の隣に上手く寝転ぶと目を閉じて、帰国してからの諸々の業務を考えながら、ゆっくりと眠りについたのだった。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王都 ──
王都西方にある灯台からの報せに、王都は賑わいを見せていた。処女航海に行っていたクイーンリリベット号の姿が、水平線上に確認されたからである。
それを一目見ようと、王都の西海岸には多くの見物客が押し寄せていた。
「おい、見えたか?」
「あぁ、まだ小さいがなんとかな……あんな白くてでかい船、そうはいねぇだろ」
「おーい、誰か望遠鏡は持ってねぇのか? 貸してくれっ」
「うるせよ、いま見てんだろ! おっ、女王旗が掲げられてぜ!」
女王旗というのは、所属を明らかにする『罪喰らう龍』と呼ばれる王国旗とは違い、リリベットが乗船しているのを示す旗であり、それが高らかと掲げられているのは、彼女が無事であることを示していた。そして、その事実が国民を沸き立たせる。
歓声を送る者、リスタ王国旗を振る者、飲みすぎて裸で踊り出し衛兵に連行される者など、その行動は様々であったが、国民たちは一様にリリベットの帰還を喜んでいた。
◇◇◆◇◇
リスタ王国 王城 子供部屋 ──
無事に帰還したリリベットたちは、まず子供たちに会うためにフェルトと共にともに子供部屋に向かった。扉を開けると、中にはヘレンとレオン、マリーと何故か近衛制式服を着ているミリヤムがいた。どうやら隊長、副隊長がリリベットに付いていったため、残った近衛の世話をしていたようだ。
遊んでいた子供たちは、リリベットたちの存在に気が付くと大急ぎで駆け寄ってきた。
「かぁさま、とぉさま、かえってきたのじゃ~」
「お帰りなさい、母様っ! 父様っ!」
リリベットたちは、二人の頭を撫でながら微笑みかける。
「帰って来たのじゃ、何事もなかったじゃろうか?」
ちらりとマリーを一瞥すると、苦笑いを浮かべていた。リリベットはヘレンを抱き上げると、その頬をつつきながら尋ねる。
「ヘレン~母様に何か隠しておらぬか?」
「な、なにもかくしてないのじゃ~?」
ヘレンは目線をリリベットから外すと、先程まで遊んでいた辺りを見つめて、何か指示を送るように手を振っている。リリベットがそちらを見てみると、妖精が四人ほど慌てた様子で物陰に隠れようとしていた。
リリベットは微妙な顔をして、ヘレンの頬を引っ張る。
「母様の目には、妖精が増えてるように見えるのじゃが?」
「ふ、ふにゃてにゃいのにゃ~」
頬を引っ張られたまま喋ったので、ヘレンの言葉はよく聞き取れなかった。ため息をついたリリベットが手を離すと、さすさすと自分の頬を擦っている。
リリベットはじーっと増えた妖精を見つめると、ヘレンを降ろしてミリヤムに尋ねる。
「ミリヤムよ、なぜ増えているのじゃ?」
「さぁ? 私もよく知らないけど、居心地がいいと増えるって聞いたかな?」
こうしてリリベットたちが帰ってくると、いつの間にかヘレンの妖精が四人に増えていたのだった。
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『罪喰らう竜』
罪喰らう龍の紋章は、リスタ王家の紋章である。ムラクトル大陸内では龍の意匠は特別なものであり、クルト皇家とリスタ王家でしか使われていない。リスタ王家は黄金の龍を掲げるクルト帝国から、分かれた家系であるため使用が黙認されていた。
大きな枷を表した輪を喰らう龍の姿は、罪を許すとしたリスタ王家の再出発政策を表しており、特に再出発としてリスタ王国を訪れた国民は、敬意を持ってその旗を掲げている。