第106話「ガトゥム要塞攻防戦なのじゃ」
魔の海域 南東 クイーンリリベット号 ──
ノクト海を進んでいたクイーンリリベット号は、ようやく魔の海域に差し掛かっていた。夜も明けようという時間帯、リリベットは火照った身体を冷ますためにローブを羽織り、ワインを片手に甲板まで上がってきていた。
もちろん操舵士を含めた船乗りが数名いたが、リリベットは特に気にせず甲板の先まで歩いてきた。そこには一人の女性が胡坐をかいて座っている。
「何をしているのじゃ?」
「ん? あぁ、主上かい」
その人物はコウジンリィだった。ジンリィはリリベットの姿を見て、苦笑いをすると忠告をする。
「主上、さすがにその格好は危ないと思うよ? まぁ主上を襲うような馬鹿はいないだろうし、その後ろにいる女中さんを、倒せる奴もそうはいないだろうがねぇ」
リリベットはとても薄い服にローブを羽織っただけの姿であり、火照った顔が艶っぽく、手が出せない男たちには目に毒だった。そんなリリベットが後ろを向くと、いつの間にかマーガレットが後ろから付いてきていた。
マーガレットの存在にリリベットは特に驚いた様子はなく、ジンリィの横に座ると改めて尋ねた。
「それで何をしているのじゃ、ジンリィ」
「いやね……だいぶ戦場が近いようだ、この独特な空気は海の上でも同じらしい」
ジンリィはどこか懐かしいものを見るような瞳で、水平線の彼方を見ていた。その感覚がよくわからなかったリリベットは、首を傾げながら手にしたワインをグラスに注いで、ワインボトルをジンリィに差し出す。
ジンリィは、それを受け取りながらニヤリと笑う。
「おっ悪いねぇ」
そのままラッパ飲みでワインを飲むと、豪快に笑い出す。
「はっははは、こいつぁ……上等な酒だねぇ」
「気に入ったようで何よりなのじゃ」
リリベットは、先程のジンリィの言葉を思い出しながら呟く。
「今日か明日には、戦場じゃろうか……」
◇◇◆◇◇
魔の海域 クルト帝国連合艦隊 ──
まだ霧が濃い海上で、クルト帝国連合艦隊は作戦を開始していた。まずは分散して超遠距離攻撃を躱しながら要塞に取り付かなければならない。
第一から第六までに再編成された艦隊は、それぞれの判断でガトゥム要塞に向かっている。濃い霧のせいか、半ばぐらいまでは攻撃の気配はなかったが、ようやく要塞から発見されたのか、散弾が雨のように降り注いできた。
「回避っ!」
それぞれの艦長が、ぶつからないように決められた回避運動を取りながら進み、損害が数隻程度で遠距離攻撃の射程の内側に侵入することができた。
艦隊を再集結させると、迎撃に出てきた護衛艦隊を相手にする艦隊、攻める場所を悟らせないようにかく乱する艦隊、敵の攻撃力を削ぐために砲撃で砲門を狙う艦隊といったように、それぞれ決められた作戦を開始する。
その中でエリーアス提督が率いている第一艦隊は、とある大型船の護衛についていた。
「狙うのは南西の水門だ! 悟らせるなよ」
囮になった南東方面では、艦隊と要塞の激しい攻防が繰り広げられていたが、南西方面から進入してきた第一艦隊には、散発的な攻撃が飛んでくるだけだった。
「面舵いっぱい! 左舷砲門開けぇ」
エリーアス提督の号令で、ノインベルクを先頭に第一艦隊は急速に右旋回を開始する。そして、要塞側に見せた左舷の砲門から一斉射撃を開始、そのまま東へ向かって進みながら撃ち続ける。
要塞側からも旗艦であるノインベルクに向けて反撃が行なわれたが、第一艦隊のトルハルト号が庇うようにノインベルクの前に出て盾になっていた。
「提督、トルハルトが盾になっています!」
「すぐに下がるように伝えろっ!」
そんなエリーアス提督の命令だったが、集中攻撃を食らっていたトルハルト号は耐えられず、急速に減速してしまった。その瞬間、何かがぶつかる音とともに要塞に大きな衝撃が走った。
ザイル連邦軍が第一艦隊に集中している隙に、第一艦隊が護衛していた大型船が南西の水門に突撃、そして満載された爆薬と油に点火させ大爆発を起こしたのだ。
「よし、やったか? 水門の状況は!?」
「現在、確認中です」
煙の隙間から見える水門は確かに破壊されていたが、爆破した大型船も炎上中であり、その隙間から中に入るのは難しそうだった。それでもエリーアス提督は、要塞攻略の指示を出したのだった。
第一艦隊は大きく旋回して、要塞の攻撃射程外に出ると船首を破壊された水門に向ける。
「提督、確認できる隙間は艦一隻分ぐらいです! 少しでも失敗すれば、後続も足止めされてしまいますよ!?」
副官の報告に、エリーアス提督は首を横に振った。
「構わん、この艦を先頭に突っ込むぞ!」
エリーアス提督がそう命じた瞬間、ガトゥム要塞の西側で海面が山のように膨れあがった。
◇◇◆◇◇
魔の海域 ガトゥム要塞 ──
南西の水門破壊の報告は、すぐにラドン王子の元に届けられた。
「何をしているかっ! すぐに火力を集中させるのだ、奴らを近寄らせるなっ!」
「は……はっ!」
ラドン王子に怒鳴りつけられて、報告に来た兵はすぐに命令を伝えるために走り去っていった。
「人族め、やってくれるっ!」
ラドン王子は歯をむき出しにしてそう吐き捨てると、迎撃部隊の指揮をとるために司令室をあとにした。
ラドン王子が水門に向かっている最中、再び報告が届いた。先程より慌てた様子の兵は、何度もつっかえながら報告をする。
「お……王子! ま、ま、まじゅ……魔獣ですっ!」
「何だと!?」
ラドン王子は慌てた様子で通路の窓から外を見る。そこには紫色の鱗に覆われた水龍が、今まさに要塞に取り付こうとしていた。
魔の海域と呼ばれるこの海域には、昔から魔獣と呼ばれる存在が確認されており、多くの船舶がその犠牲になっていた。先程の大爆発が、その魔獣を呼び起こす結果になったのだった。
その水龍はガトゥム要塞の強固な城壁を軽々とひしゃげさせると、水のブレスをクルト帝国の艦隊に向けて発射した。突然の攻撃にクルト帝国の艦隊は、吹き飛ばされるように横転し航行不能になっていく。
その攻撃はクルト帝国もザイル連邦も関係なく行なわれ、双方の被害は爆発的に広がる一方だった。
突然の魔獣襲撃に騒然となる両軍だったが、その耳には戦場に似つかわしくない綺麗な声が響き渡った。
◇◇◆◇◇
魔の海域 クルト帝国連合艦隊 ──
突然現れた水龍にエリーアス提督を含むクルト帝国軍も慌てていたが、それ以上に突然頭の中に囁くような綺麗な声が響いたことに戸惑いをみせていた。
「何の声だ!?」
「わ……わかりません、戦争をとめるように呼びかけているようですが?」
エリーアス提督の疑問に、副官は首を傾げながら答える。この声は戦場全域に聞こえているようで、双方の攻撃は停止していた。
しかし暴れまわっている水龍がいるため、そんな声などを気に掛けている場合ではなかった。
「声に惑わされるなっ、あの化け物を倒さなければ要塞に近づけん。全艦集結、順次攻撃せよっ!」
「はっ!」
その後、行なわれたクルト帝国連合艦隊の攻撃とザイル連邦軍の同時攻撃に、水龍は怯むと水中に潜行して身を隠した。
しかし、逃げたわけではなく再び姿を現すと、水のブレスを四方八方吹きながら暴れまわりはじめた。
「くっ、手に負えん!」
魔獣に対する対応策が見つからなかったエリーアス提督が、艦隊に撤退の指示を出そうと口を開いた瞬間、南東方面から眩い閃光が海を切り裂き、ガトゥム要塞の一部ごと水龍の上半身を消し飛ばした。
そして今度ははっきりした声で、戦場にいる全員の頭の中に響きわたる。
「今すぐ戦闘をやめるのじゃっ!」
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『魔の海域の魔獣』
精霊種ではなく竜族の一種で、ガトゥム要塞より一回り小さな体躯に、紫色の恐ろしく堅い鱗に覆われている。どんな船より早く泳ぎ、水のブレスを吹き、頑丈な要塞の城壁を軽くひしゃげさせる力を持つ。
魔の海域の名前の由来になった化け物で、古来より数多くの船舶を沈めている。