あるサルマンの一日
ちょっと空いちゃってごめんなさい
ここはルドラ王国の首都、サルマン。
王宮はこのサルマンの南東部に位置している。
「よぉ、エル!今日もよろしくな」
「よろしくお願いします」
エルと呼ばれる少年は理髪店の主人ロジェットにペコリとお辞儀をした。
エルは大きなハッチ帽にこれまた大きな瓶底眼鏡がトレードマークだ。
エルはお辞儀によってズレた眼鏡を直していた。
エルはサルマンの中心街に店を構える理髪店で下働きをしている。といっても、毎日ではなくロジェットの要望とエルの予定が合う時に手伝いをする程度だ。
「エル、そういえば今日の午後、少し店番頼めるか?そろそろ研師に出したハサミを受け取りに行かないとなんねぇんだ」
「大丈夫ですよー!店番任せてくださいー」
ロジェットが仕事用具を確認しながら言うと、床磨きをしていたエルがヒョコっと顔を出して答えた。
そして、二人が開店の準備を終える頃、一人の屈強な男が開店を待ち、店に入ってきた。
「いらっしゃい」
「ぅはよーっす、今日もお願いしやぁす。」
ロジェットが出迎えると、男性は鏡台の前の椅子にドカッと腰かけた。
「いつもと同じで」
「はぃよ、お前が来るってこたぁ、また遠征か?」
ロジェットは客の男性に前掛けをしながら聞いた。
「そうなんすよ、どうも北西部で武器の需要が高まってるらしいんすよねぇ。だから俺達で調査してこいとさぁ」
「北西部かぁ…じゃあ、そんなに心配する事無さそうだな。あそこら辺はそんなに力を持った貴族はいないだろうしなぁ」
ロジェットが少々思案しながらどんどん散髪を進めるのを眺めながら客は溜息を吐いた。
この客はガルカンという騎士団兵士である。彼は出兵の前には必ずこのロジェット理髪店で髪を切っている。彼なりのルーティンのようだ。
「こんな平和なのに、なんで武器なんて欲しがるんだかなぁ。遠征ばっかりで隊長に払う散髪代だけで破産しちまう。」
「もうお前は俺の部下じゃねぇよ。今やお前は金ヅル…じゃなかった、大事なお客様だ。」
ロジェットはニヤリと笑った。ロジェットは元々騎士団の小隊長だったが、足の怪我を機に退団したと、以前エルは聞いていた。
そして、ガルカンは当時を思い出すかのように目を細め話始めた。
「そうですよねぇ、平民から異例の出世をするくらい隊長は兵士として優秀だったのに、まさか美人な奥様とずっと一緒にいたいからと隊長が退団した時はさすがに俺も驚きましたよ。」
ジョキン!!!
ハサミで何か嫌なものを裁断した音が響き、蒸しタオルを作っていたエルが思わずその音がした方向を見ると、エルは目を見開いた。いつもは穏やかなロジェットが顔を真っ赤にして動揺している。
「ななな何言ってるんだ!ちちち違う!違うぞ!おお俺は足の怪我で退団したんだ!けけ決してミモザから離れたくなかった訳じゃなくてだな…だ、誰がそんな出鱈目を言ってるんだ!」
「いや、有名な話ですよ。皆知ってます。隠せてると思ってたのは隊長だけっすから。というか、今、嫌な音しましたけど、変な所切ってないっすよね?」
ギクッ!!!
「いや、その、あれだ。たまにはもう少し髪を短くした方が気分転換になるかと思ってだな。ははは…」
ジョキジョキジョキ…
エルが立っている角度から、ガルカンの後頭部に明らかに違和感のある刈り上げが見えた。
「勘弁してくださいよ」
ガルカンは、はぁっと溜息を吐きながら自分の髪型の変容を眺めていた。
「今、ミモザさんは出産準備で実家に帰ってらっしゃるらしいですよ。」
エルはロジェットへ蒸しタオルを渡しながらガルカンに話し掛けた。
「へぇ、隊長に愛想尽かして実家に帰った訳じゃなかったんすね。最近奥様を見掛けないから隊長があまりにも溺愛し過ぎて愛想尽かされたって専らの噂ですよー…アッチィ!!!」
「変な噂なんてわざわざ教えてくれなくて良い!」
ロジェットがガルカンの顔に蒸しタオルを冷まさずに押し付けたところだった。
─────
当初の予定よりも短くなった髪型を触りながらガルカンは会計を済ませた。
「遠征が無ければ、赤ちゃんが生まれた頃にまた来ますよ。」
「おぅ、待ってるぞ。他の奴らにもよろしく伝えといてくれ。」
ガルカンは釣銭を受け取ると「エルも、じゃあな」と右手をエルに軽く向け店を後にした。
ガルカンが店を出てすぐに、数人の新たな客が入ってきた。
「さて今日も忙しくなるぞ」
ロジェットが気合いをいれると、エルもそれに倣い腕捲りをし気合いをいれた。
─────
「エル、洗髪が終わったら、その奥の席に蒸しタオル準備しといてくれ」
「はい!今すぐに!」
昼頃には、3台ある散髪台は満席となり、後ろのベンチでも数人が待っていた。待っている客は特別急ぐ様子もなく、お互い雑談やチェスを楽しんでいる。
「そういやこの前、騎士団に殲滅された村ってなんて名前だっけ?」
「あー…村とは名ばかりの、ゴロツキの溜まり場かぁ。なんだっけ?」
「ローランっていうんじゃなかったか?確か…」
「以前から治安が良くないとは聞いてたが、王様も思いきった事をなさる。あそこにいた盗賊は容赦なく全員見殺しって噂だろ?」
「まぁ、近隣の村に強奪、強姦、人殺し、他にも色々やってたって聞くし、自業自得だろ?むしろ、今の王様になって、厳しく取り締まってくれるから犯罪が減ったって聞いたぜ?」
「希に見る『法の番人』らしいな。しかも王妃様だって『法の良心』として、かなり名君らしい」
「治安が良くなるならもう少し商売拡げても良いなぁ」
客同士の会話が聞こえてくると、エルは口角が上がったように見えた。
午後になっても、なかなか客足は減らず、未だに数人が待っていた。
エルは仕事道具を確認し、午前中に使用したタオル等も全て洗い終わると、思案した。
「ロジェットさん、良ければ僕がハサミ受け取りに行きますか?洗濯も全部終わったから、多分最後までタオルの在庫は切れないと思うので…」
エルは、洗髪中のロジェットに話し掛けた。
「えぇ!?良いのか?いや、でも、あそこは危ない…」
ロジェットは最高の提案だと顔を輝かせたが、すぐに残念そうな表情に変わった。
「研師って、ダウンタウンのバリー爺さんか?」
エルとロジェットの会話に洗髪されている客が口を挟んできた。
「あぁ…」とロジェットが頷くと、
「バリー爺さんってんじゃ、娼婦街だろ?エルみたいな子供なんて逆に相手にされないよ。まぁ、エルが大人になりたいってんなら赤いランプの点いてる店に入ると良い。ヤラせてくれる店だぜ」
「…まだ子供のままで良いです」
下世話な笑顔を見せた客にエルは顔をしかめた。しかし、客は続けて
「まぁ、ローランが殲滅されたんだ。人拐いだって今は成りを潜めてるだろぅ」
「しかし…」
「ロジェットさん、僕なら大丈夫です。そんなに心配ならここの髭剃りナイフ一本護身用に借りてきますよ。」
「うーん…じゃあ、すまないけど…」
エルの提案にロジェットは難色を示したものの、今あるハサミの切れ味もそろそろ悪くなってきてしまい、背に腹は変えられなかった。
エルは、ロジェットからハサミの引換証を預かると、ダウンタウンまでの乗合馬車に間に合うよう店を出掛けた。
もう少し続きます