エレノアの日常3
その日の晩餐。
エレノアは夕食を家族で取っていた。そこには王妃が決めたルールがある。
『特別用事が無い限りは家族で夕食をする事』
エレノアの家族。つまり、王、王妃、第一王子ジョーイ、第二王子パトリックとエレノアの五人だ。
王は執務が忙しく、滅多に晩餐には参加しないが、それでも今日は偶然全員が揃う事となった。特段、家族の雰囲気は悪いわけでもないので、エレノアはいつものように隣に座るパトリックの相手をしながら食事をしていた。
本日のスープはエレノアが好きなコンソメスープ。ちなみに、エレノアが一番好きなスープはミネストローネスープだ。
エレノアは美味しそうにコンソメスープを飲んでいた。
「そういえば…」
向かい側に座っている王妃が何か思い出したように手をパチンと叩いて話し始めた。
「さっき、ミラから聞いたんだけど。今日、グラノフ公の長男坊から一本取ったんですって?ねぇエレノア」
「ブフォッッッッ!!!!」
エレノアは飲んでいたスープを危うく吹き出しそうになった。
「おぉおぉおおおお母様!?どうしてそれを?!」
ハっとして王妃の隣に座るジョーイを見るが、ジョーイは素知らぬふりをしてスープを飲んでいる。エレノアはジョーイを恨みがましく見ながらナフキンで口の周りを拭くが、動揺が隠せなかった。
剣術を習っていることを隠していたわけではないが、両親に知られてしまったら、きっと『はしたない』や『品がない』と言われ、顔をしかめられてしまうかもしれないと思い、敢えて話してこなかった。
また呆れられたらどうしよう…。
エレノアは恐る恐る王妃を見た。すると、エレノアの予想とは裏腹に、王妃の様子は違っていた。目を輝かせてエレノアに興味津々といった様子が見える。
「グラノフ公の長男坊、名前はなんだったかしら。」
「アーシェです」
ジョーイが王妃の質問に答えた。
「そうそうアーシェ君!!彼、同い年の中では剣の腕が立つ方じゃなかったかしら??」
「そうですね」とジョーイは頷くも、黙々と運ばれてくる食事を食べている。巻き込まれないように存在感を消してることはバレバレだった。
「い、いえ。今日はジョーイお兄様のアドバイスがあったので勝てたようなものです。」
「ブフォッッッッ!!!!」
エレノアからの告発に今度はジョーイが吹き出した。
「なんだぁ!ジョーイも知ってたならワタクシの事も呼んでくれれば良かったのに」
王妃は心底残念そうな顔をしていたが
「ちなみにエレノアは剣の扱い方はもう慣れたの?」
「い、いえ。私は剣よりも、もう少し小ぶりな双剣の方が好きでして…。」
王妃の興味はどんどん増すばかりで、エレノアは変な汗を掻きながら答えるだけで精一杯だった。
そして
「次に行うときは是非ともワタクシも呼んでね?」
王妃はウィンクをしながらいたずらそうにエレノアに笑いかけた。
王妃は呆れないでくれた。
一瞬ヒヤっとしたが、稽古についてお咎めは無いようで、エレノアは一安心して、王妃に微笑みかけた。
だが、いつまでもこの話題ではエレノアの寿命が無くなってしまう。エレノアは何か話題を変えようと口を開いた。だが、すぐに王妃によって阻まれてしまった。
「でも、せっかくならアーシェ君じゃなくて、ハーシェル公の長男坊に教わったら?」
王妃の興味は全然薄れていなかった。
「ハーシェル公の長男坊の名前も忘れちゃったわ。嫌だわ最近もの忘れがヒドくて。なんだったかしら。コ…コペ…違う気がするわ。コル…コルク?これも違うわね。」
王妃は頭に手をあてて「う~ん」と唸っている。
「コンラッドです」
またしてもジョーイが答えた。
「そうよ!!!そうそう!!!コンラッド君!!彼に稽古を付けて貰うのはどうかしら?騎士団最高責任者の息子なだけあって剣の腕も一番だと聞いたわ!!!」
長年、今の王家と玉座を争ってきたハーシェル家は国軍とも言える騎士団の最高責任者を務める事を条件に和盟を締結し、争いは無くなった。
法の最高責任者が王であり、騎士団の最高責任者がハーシェル家であるという約束の下、国の均衡は保たれてきた。
「彼は無理ですよ。」
この話題にして初めてジョーイが存在感を露わにした。
「数年前に彼の父親が他界してから、彼は次期当主となるため留学中です。ここ数年は帰ってきてない筈ですから」
ジョーイは淡々とだが、少し寂しそうに話した。ジョーイとアーシェとコンラッドの三人は同い年であり、幼馴染だった。だが、コンラッドの父親が他界したことにより、彼の幼い肩に多くの責任が圧し掛かる事となった。だが、コンラッドはそれら全てを背負えるはずもなく、彼の父親の弟、つまり叔父が代理当主を務める間、コンラッド本人は当主になるべく留学へ旅立ったのだった。
「そう、残念ね。」
王妃は、自分のアイディアが断念されたこと、そしてコンラッドがいなくなった当時、ジョーイが寂しがっていた事を思い出し、声のトーンが下がってしまった。
「お姉しゃまも剣で闘うの?」
一瞬、暗い雰囲気になったと思ったら、先程までパンを一生懸命千切っていたパトリックが、真ん丸の目を輝かせてエレノアに聞いてきた。
「そうよぉ。王族ともなると、女性だって自分の身は自分で守れるくらい強くなくっちゃ」
「しゅごぉい!ディアナ姫みたいだ!!!」
王妃は身を乗り出し、パトリックに興奮気味に答えると、パトリックは最近お気に入りの絵本の主人公『ディアナ姫』を想像し、頬を紅潮させてキャッキャと喜んだ。『ディアナ姫』とは主人公のディアナ姫が、悪い魔法使いを、姫自らが倒す話である。
「やっぱり、エレノアは私の娘ね…。」
「どういう事ですか?」
エレノアは王妃の言葉の真意を測りかねて首を傾げた。
王妃は椅子に座りなおすと、懐かしむようにエレノアを見つめ、口を開いた。
「ワタクシは幼い頃、とても病弱だったの。だからね、身体を丈夫にする為に乗馬の他にも色々運動をしていたのよ。剣術とかね」
「「えぇ!?」」
その話には、エレノアだけでなくジョーイも驚いていた。
「しかもね、ワタクシもエレノアと一緒で双剣の扱いの方が得意だったのよ。ただねぇ、ワタクシは一人娘でエレノアのように教えてくれる兄もいなかったの。だから剣術の稽古はお父様が相手してくれたのよ!」
「ん?お父様?お父様ってあの、厳格なおじい様の事ですか?」
王妃の言葉にエレノアは違和感を覚えた。王妃の父親は厳格な騎士で、自分の娘とはいえ、女性に剣術を教えるなんてエレノアには想像が出来なかったのだ。
「え?エレノア何言ってるのよ。あの人がワタクシに剣術なんて教えてくれる筈ないじゃない。お父様って貴女達のお父様の事よ」
「「えええぇえ!?」」
「ウォッホン!」
エレノアとジョーイが驚いて王妃の人差し指で指した方向をゆっくり辿ると…気まずそうな国王が咳払いをしていた。
「エリザベート、その話は、その、もう良いんじゃないか?な?」
「あら、せっかくなら貴方に不意打ちを仕掛けて泣かせちゃった話とかもしたかったんだけど…残念ね」
王は慌てて王妃の名前を呼んで窘めた。
王妃は『仕方ないな』と肩をすくめると、続きを話す事をやめたが、いつもは威厳ある王が、珍しく動揺していた。
国王を動揺させるなんて、恐るべしお母様。
エレノアは改めて母親の凄さに感心した。
「それにね、エレノアが幼い頃、よくメイド達と遊んでいるのをワタクシ達が咎めたじゃない?あれもね、実は、ワタクシの幼い頃にそっくりで二人で焦ってたのよ。ワタクシみたいなお転婆な女の子に育ったら大変!って。でも、いくら言っても聞かないし、ワタクシも人の事を言える立場じゃないから諦めちゃったのよ、ウフフ」
『ウフフ』てお母様!!今日は驚くことが多すぎてエレノアは思考回路が追い付いていかない。
「今日はお食事中にいっぱいお話しちゃったわ。まぁ、でも家族だけなんだし良しとしましょう」
ほとんど王妃が一人で話していた気がするが、そこは誰も触れなかった。食事もいつの間にか、食後のデザートとなっていた。
「あ、そうそう。エレノア?」
「はひぃ!」
エレノアはまだ王妃から話しかけられる事があるのかと、驚いて声が裏返ってしまった。
「お転婆も良いけど、怪我だけはしないようにね。お父様が悲しがるから」
「えっと…怪我というと、政略結婚に影響が出るから…とかですか?」
エレノアはいつ何時、政治のカードとして切られるか分からない身であると王から言われ、許嫁というものも存在していなかった。
「あら、何言ってるのよ。そんなのお父様の照れ隠しに決まってるじゃない!」
「エ、エリザベート!!もう分かった。分かったから!!」
え?!ちょ!?えぇ?!
王の動揺する姿に、エレノアも動揺してしまった。さっきまで、驚きの連続で、もう驚かないと思っていたエレノア。まさかここで今日一番の大きな爆弾が投下されるとは思っていなかった。
「何なら、つい先日、どことは言えないけど隣国からエレノアへの縁談が来たんだけどねぇ、お父様ったらその縁談を見た瞬間不機嫌になっちゃって。大変だったんだから。まぁ、ちゃんと丁重にお断りしたから安心して頂戴。という事でこれからもお稽古を程々に頑張ってね。」
そう言うと、王妃は満足そうに食後の紅茶を飲み干した。
―――――
今日は疲れた…
エレノアはベッドに横になると今日一日を思い出した。
今日一日で何か月分の情報を聞いただろうか。王妃の話を聞いて、真っ赤になって縮こまっている王を思い出し、エレノアは「フフフ」と笑った。
王とは何となく距離を置いていたが、これからはもう少し歩み寄ってみようとエレノアは考えた。
明日は一日家庭教師も無いしあちらへ行ってみよう
エレノアは眠りについた。
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