芋
エルが奴隷として生活をし始めてから数週間が経っていた。その間にエルは16歳になったが、皆から祝われる成人の儀を催されるわけもなく、屋根裏部屋でひっそり一人で成人を迎えたのだった。
「じゃあ、今日は芋の皮剥きを頼む。」
「わかりました!」
その日エルは厨房の隅に腰掛け芋と格闘していた。
いつもの仕事は終わったが、まだ新しい仕事をハンクからは任せてもらえないので、エルは何か手伝おうと厨房までやってきたのだ。
使用人達は始めこそ仮面を被り表情が見えないエルに対し不信感を抱いていたが、エルが文句を言わず一生懸命手伝う姿や、素直な性格、そして顔に火傷を負っている(本当は無い)が健気に元気に振る舞う姿に庇護欲をそそられ、使用人、特に女性に気に入られていた。
今日の厨房はいつにも増して騒がしい。
明日はコンラッドの戴冠式なのだ。招待客へのもてなしの準備で厨房は前日から大騒ぎだ。
前世ではピーラーで簡単に皮を剥いていたが、ここでは小さなナイフを使って剥くらしく、なかなか慣れない作業にエルはてこずっていた。
「料理長!言われていたトリュフが届きましたよ!」
「あぁ。そしたら芋の隣に置いてくれ。」
芋と格闘しているエルはメイドが料理長の指示に従い箱を抱えエルが剥いた芋の方に歩いてきた事に気付かなかった。
「ぴやぁーっ!!!」
突然の悲鳴に驚いたエルは持っていた芋とナイフを落としそうになり慌てて持ち直した。エルは悲鳴の主を見上げるとそこには顔面蒼白なミラが箱を抱え立っていた。
「えええええエレノア様こんなところで何をしてらっしゃいます!?」
ミラは声を上擦らせながらエルに近付いてきた。エルは慌てて人差し指を口の前で立て、静かにするような仕草をした。
ミラもはっと我に帰り口を手で抑え周りを見回したが、幸い戴冠式の準備で騒がしい厨房では二人を気に留める者など一人も居ない。
ミラはもう一度エルに向き合うと今度はきちんと声のトーンを落としてエルに問いかけた。
「元王女ともあろう貴女がここで何をなさっているのですかっ!!!」
「えぇ。私はあくまでも『元』王女であり今は奴隷のエルよ。ちなみに、今は芋の皮剥きをしているの。意外と難しいけど楽しいわね。」
そういうと、エルはぎこちない手つきで皮剥きを再開させる。
その姿にミラは頭を抱えた。
ミラはエルと会うのはあの日以来だった。エルはそれまで周りから蝶よ華よと、まあ、剣術や木登り等、令嬢達とはだいぶ違う点もあったが、それでも王宮で大切に育てられてきた。
そんな彼女が芋の皮剥きなど。
ミラは悲しくて悔しくて唇を噛み締めた。しかし、その様子をみたエルはナイフの手を止め、ミラがいつの間にか硬く握っていた拳に手を置いた。
「ミラ、貴女が私の為に憤ってくれるのは嬉しいわ。でもね、もう私にはそのような資格はないの。もし、貴女が私の為を思ってくれるのなら、静かに見守って欲しい。私は罪を償う必要があるから。今はそんな大それた事は出来ないけど、いつかきっと。」
「そんなっ!罪なんて…」
ミラは何かを言いかけて口をつぐんだ。エルはすっと首を横に振り、ミラはそれ以上の言葉を飲み、別の言葉を選んだ。
「そしたら、せめて、そのバサバサの頭をどうにかさせてください。あれから何週間経ったと思ってるんですか!?切られた時のままですか!?せめて身嗜みは人並みにしてください」
「あぁ!良かった!自分ひとりじゃ後ろ側は見えないからどうしようと思ってたのよ!」
仮面を被っていても、エルの表情がコロコロ変わるのがよくわかる。
この事もエルが周りの使用人達から慕われる要因の一つだった。
エルは芋の皮剥きを終えるとミラを屋根裏部屋に案内した。ミラはとても簡素な部屋を見て青ざめたが、エルがニッコリ微笑むと、諦めたように息を一つ小さく吐き、髪切り鋏を準備した。
「すみませんが、仮面が邪魔です。外して頂けますか?」
「わかったわ。」
エルは難なく仮面を外した。ミラに髪を弄られるのは王女以来であり、ミラは慣れた手つきで髪を整えていく。エルの輝くような金色の髪は床に散らばるとキラキラと光を反射していた。
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「コンラッド様、いかがされましたか?」
執務室ので腰掛け腕を組み、項垂れるコンラッドの隣でハンクには頭を抱えていた。
どうしたのでしょうか。ここ最近は機嫌が良かったコンラッド様が、戴冠式を目前に落ち込んでいるとは…。まさか、戴冠式に緊張しているのでしょうか。それとも好きな女性に逃げられたのでしょうか。
慰めるべきか慰めないで見守るべきかハンクは一人迷っていた。
「よぉ!って何だこの空気!重っ!!」
アーシェは執務室に入るや否や辛気臭い顔をした二人を眺めた。
「おい、コンラッド。何落ち込んでるんだ?気分転換に手合わせしようぜー!ハンク!コンラッド借りるぞー!」
アーシェは元気のないコンラッドの首根っこを掴むと、有無を言わせず引き摺っていった。
ハンクはアーシェの流れるような鮮やかな手口に呆気にとられたたまま二人を呆然と見奥った。
アーシェの父グラノフ公はクーデターを機に宰相を辞任し爵位をアーシェに譲り領地へと引っ込んだ。そして、アーシェは次期宰相を目指すため文官として王宮に勤めている。
しかし、それでなくても最近やたらとコンラッドを訪ねている。しつこい程に。
「そんなに頻繁に来なくてもいつかエレノア王女には会えるだろ。」
首根っこを捕まれながらコンラッドはアーシェにだけ聞こえるように言った。アーシェはエレノアを好きだった。それは成人の儀の時の態度でわかっていたが、エレノアと出会ったコンラッドは、アーシェにエレノアを渡したくはなかった。アーシェにはまだ伝えられないコンラッドの秘密である。
「ばっ!!違うよ!明日は戴冠式だからコンラッドが緊張してるだろうと心配で来ただけだよ!!」
コンラッドの言葉に一瞬動揺したのか、アーシェはコンラッドを引っ張る手を強めた。
「すまない。」
アーシェの慰めにコンラッドは謝罪しか出なかった。
コンラッドとアーシェは剣の打ち合いをし汗を流した。だがいくら剣の打ち合いをしてもコンラッドの気分は晴れなかった。
打ち合いを終え、アーシェと別れるとコンラッドは彼女に会いたくなった。
いつもの時間とは違い、今はまだ昼間。部屋にいなかったら諦めよう。
コンラッドはいつの間にか、彼女と夜二人きりの時間を過ごすことを密かに楽しみにしていた。彼女は尋問されるという不快感を露にいつも表情は曇っていたが、それでもコンラッドは屋根裏部屋に繋がる階段を逸る気持ちで目指した。
コンコンコン━━━
「エル、ちょっと良いか?」
コンラッドはノックをするが返事はない。
いない?
コンラッドはふとドアノブに手をかけるとそれは抵抗なく開きコンラッドを部屋に招いた。
「エル、いるなら返事を…」
そこまで良いかけてコンラッドはギョっとした。
コンラッドの視線の先には大きなタライで裸で湯浴みをするエルがいたからだ。彼女は背を向けており、顔は見えない。エルは切った髪を洗い流すため湯浴みをしたのだろう。しかし、そんな事をコンラッドは知る筈もなくエルの入浴中にタイミング悪く入ってきてしまったのだ。
白い陶磁器のように細い首筋、艶かしい背中にコンラッドの視線は釘付けになりその場に立ち尽くした。
エルは眠っていたのか船を漕いでいる。
ふと、バランスを崩し、エルはそのままタライに頭をぶつけそうになり、コンラッドは慌ててエルの頭を支え、そして後悔した。
コンラッドは動けなくなっていた。それはもう色々な意味で。
右手で支えたエルはそのままコンラッドに寄りかかるように眠っている。そのためコンラッドは『不可抗力だ』と思いながらも、エルの豊かな胸に目がいってしまった。薄いタオルが濡れて貼りついているだけのそれは、余計に扇情的だった。
まずい。緊急事態だ。
コンラッドの脳内では今だかつて無いほど警報が鳴り響いている。
エルが起きる前に立ち去らなければ!
いや、どうせ自分の奴隷なのだ。このまま襲ってしまおうか。
ふと、危険な思考か過りコンラッドは頭を振った。
このままではエルが危ない。そして俺も危ない。
精一杯の理性を働かせ、コンラッドは息を潜めながらタライの縁にエルを静かに寄りかからせると、前屈みのままコンラッドは部屋から出ていった。
そして、その夜、エルへの尋問はコンラッドが惚けてまったく進まなかった。
「聞いてきたのはコンラッド様ですよ!!聞いてます?」
「あ、あぁ。すまん。」
エルの目を見れないコンラッドはどこか落ち着きがなく辺りを見回している。そんな様子にエルは溜め息を吐いた。
「そんな様子で明日の戴冠式は大丈夫ですか?」
「あぁ。すまん。」
先程から謝罪しかしないこの次期王が、エルには耳を下げた犬にしか見えなくなっていた。
エルは『ちょっと待ってて下さい』というと、部屋から出ていき、暫くすると簡易的な茶器を持って戻ってきた。
「厨房で余った茶葉を分けて貰いました。ハーブティーです。緊張を和らげますよ。明日の戴冠式、緊張してらっしゃるのですか?」
「いや、ちが…いや、そうか…そうだな…」
コンラッドは何か否定をしようとしたが、考え直しハーブティーを飲んだ。
それは喉に優しくすっきりした味わいだった。
コンラッドは、お茶を飲み、落ち着きを取り戻したのか弱音を吐露した。
「俺は明日の戴冠式を貴女に祝って貰えるか不安なのだ。」
コンラッドはカップをソーサーに戻すとエルを見つめた。
エルはコンラッドの言葉の真意を図りかねて首を傾げた。その姿を可愛らしいと見惚れてしまったコンラッドは慌てて緩んだ表情筋を引き締め言葉を続けた。
「俺は貴女から家族や幸せを奪い、血の玉座に付いた。貴女に祝って貰おう等、烏滸がましい事を願ってしまったのだ。俺を恨んでいるだろうと。」
エルは考えるようにカップを両手で包んだ。エルがコンラッドを見つめると、コンラッドの瞳は不安に揺れていた。
エルは息を吐き、一つ一つ言葉を選び紡いだ。
「私は貴方の事を恨んではいません。私の幸せは国民が幸せになることであり、それは私の父ではもうなし得られないものになってました。なのに私は止められず、貴方が代わり血を浴びる事になった。私は貴方に感謝することはあっても恨むことはありません。戴冠式おめでとうございます。」
エルの言葉が終わると沈黙が訪れた。コンラッドはエルの顔を様子見たが、嘘をついているようには、見えなかった。しかし、心から祝辞を言っている様子でも無かった。
きっとまだ心の整理がついていないのだろう。だが、恨まれてはいない。その言葉はいとも簡単にコンラッドの不安を取り除いた。
コンラッドはお茶を飲み干すと、再び視線をエルに向けた。
「そういえば、髪型少し変えたか?」
あれ以来バサバサだったエルの髪型が今日はまとまりよく落ち着いていた。
「はい。ミラに直して貰って…」
エルはコンラッドに髪型の事を聞かれ予想外だったのか驚いていた。
「そうか、似合ってる。お茶を入れてくれてありがとう。それじゃ明日はハンクのサポートを宜しく頼む。」
コンラッドは優しく微笑みエルの頭を撫でた。それは、コリンとして会っていた時と同じ表情だった。
コンラッドは部屋を出ていったが、エルはその姿を呆然と見送る事しか出来なかった。
しかし、ふと我に帰るとエルは顔を真っ赤にしながら枕に顔を埋めた。
先程のコンラッドの表情からエルの淡い恋心が再燃してしまったのだろう。心臓が鷲掴みされたように痛む。
奴隷の分際で国王に恋をするなんて、無謀にも程がある。しかも、自分はこれから男と偽り生きようとしている。コンラッドに対し感謝こそすれ、横恋慕など赦されるはずもない。
この気持ちを封印しよう。何度も封印した恋心。次はいつ再燃するのだろうか。
エルはギュッと目を瞑り布団を頭まで被った。
翌日、戴冠式は厳かに行われた。
その間、エルはハンクのサポートいうより雑用として、裏方を走り回っていた。
「ったく、いくらなんでも人使い荒すぎでしょ!」
そのときもエルは忙しく走っていた。ハンクが眼鏡を戴冠式の会場である教会に忘れたらしい。忘れ物を確保し慌ててエルは夜会の会場まで持ってきた。
戴冠式の後は新国王主催の舞踏会が行われるのだ。
エルは会場につくと、そこは彩り華やかな場所で、眩しさから思わず目を細めた。
渡すのが遅いと、ハンクにどんな嫌味を言われるかたまったもんじゃない。
エルは急いでハンクを探そうと会場に足を踏み入れた。
豪華絢爛なドレスの美しい女性や端正な顔立ちの男性達が大勢集まり賑やかな雰囲気だ。エルはふと人だかりになっている場所に目が止まったかと思うと、吸い寄せられるようにそこへ近づいた。
中心にいたのはコンラッドだった。昨夜の不安など無かったかのように新王としての立ち振舞いは完璧だった。
ハーシェル家の者のみが着用を許された深紅の軍服はコンラッドの魅力を最大限に引き出している。エルは思わず見とれてしまった。しかしそれも長くは続かなかった。美しい女性達が入れ替わり立ち代わりコンラッドに寄り添い然り気無く腕を組むなど親しい様子が見てとれた。そしてコンラッドも満更では無さそうだとエルは感じた。
エルと同じくらいの年齢の女性達は綺麗なドレスを着て正々堂々とコンラッドに愛を囁く権利がある。しかし、私は…。
エルは自分の今の格好を思いだし惨めになった。エルは従者用の服を着用していた。
彼女達が華なら私は何だ。ただの道端に転がる芋じゃないか。
エルはハンクを見つけ出し強引に眼鏡を押し付けると逃げるように会場から出ていった。
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その夜、エルは待っていたがコンラッドは部屋に来ることはなかった。
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