紹介
ここからエレノアではなくエルと表記になります。
空が明らみ始める頃、アーシェとエルは王宮に着いた。二人はそのまま馬小屋へ向かうと、そこには先に到着していたコンラッドが馬に水を与えていた。
コンラッドはエルを一瞥すると「付いてこい」と言い王宮へ入っていったので、エルは慌ててアーシェに馬を託し、去っていく後ろ姿を追いかけた。
コンラッドが王宮内屋敷の扉を開ける時、エルは漸く息を切らしながらコンラッドに追い付いた。
「待って下さ「コンラッド様ぁ!今までどこにいたんですかぁ!!!探したんですよ!!」
エルがコンラッドに話しかけようとした瞬間、扉が開き中から男が物凄い勢いで怒りながら出てきた。
エルは思わずその勢いに硬直してしまったが、コンラッドは特に気にするわけでもなく足を進めた。エルは突然の男の登場に圧倒されたが、我に帰りコンラッドの後を追いかけたが、その間も男はコンラッドの後を追い説教をしている。
「どこか出掛けるなら言ってくださいとあれほど申し上げたじゃないですか!!また娼婦館ですか?!」
「言ったらどうせ付いてくるだろ。」
「当たり前じゃないですか!!娼婦館だろうが地獄だろうが、どこだって私は一生コンラッド様についていきますよ!!」
「ハンク!!」
「!!」
コンラッドに突然呼ばれ、先程から鼻息荒く捲し立てていたハンクと呼ばれた男は口をつぐんだ。すると、コンラッドは振り返りハンクと呼んだ男をじっと見つめ、フッと笑みを溢した。その笑みに思わずハンクとエルは見惚れたが、すぐに我に帰りハンクは言葉を続けようとした。
「ちゃんと反省してるんですか!?コンラッド様!!!」
「ハンク!!いつも心配掛けて悪いな。お前、助手が欲しいって言ってただろ。連れてきた。俺の奴隷、エルだ。ハンク色々教えてやれ。」
「そんな、突然調子良いこと言ったって、私は騙されま…」
コンラッドは、ハンクの言葉を遮りハンクの後方を指差し、ハンクはいぶかしみながらコンラッドの指し示す方向をやれやれといった表情で振り向いた。
ハンクが振り向くとエルが所在なさげに立っていたが、ハンクはエルを見た瞬間石化した。
「エルと申します。どうぞ宜しくお願い致します。」
エルは極めて礼儀正しく見えるよう、恭しくお辞儀をしたが、残念ながらハンクには伝わらなかった。
それどころか、ハンクはエルを見て小刻みに震え始めた。
「ななななななんですか、このチンチクリンは!!」
「ちんち…」
エルは思わずハンクの言葉に反応し、眉を潜めたが、ハンクの反応はそれどころではなかった。
ハンクはよく通った鼻筋に皺を寄せ、表情は苦々しく歪みエルを指差しながらすっとんきょうな声をあげた。
「どこの出自の方なんですか!?」
「知らん。拾った。」
ハンクの問いにコンラッドはいけしゃあしゃあと答えたが、その答えにハンクは目を大きく見開き体の震えは更に激しくなった。
「ひろった…!?それなら今すぐ元あった場所に戻して下さい!!」
捨て犬じゃないんだから。
エルはハンクの荒れっぷりに圧されながらも、内心ツッコミをいれた。
「だいたい!!こんな怪しげな仮面つけて!!どこの馬の骨かわからないような子供をここに置いておけるわけないじゃないですか!!」
「仮面は俺がつけさせた。」
「コンラッド様御自ら!?」
「あぁ。顔に大きな火傷があるからな。だから仮面を外してやるなよ?」
「火傷…?」
ハンクはコンラッドを振り返り聞き返したが、コンラッドは軽く頷くだけだった。
コンラッドはエルの仮面について偽りの説明をしたが、ハンクは偽りだと怪しむ様子はなく、納得したようにうなだれた。ハンクはコンラッドの言葉を全て信じているのだろう。
ハンクは大きな溜め息を吐くと、もう一度エルを胡散臭そうに振り返った。
「私はハンク・マイヤーと申します。非常に不本意ですが、コンラッド様からの命令ですので、仕方なく貴方に仕事を教えましょう。非常に不本意ですが。」
余程納得していないのか、ハンクは『不本意』だと強調してエルに挨拶した。それに対し、エルは深々とお辞儀を返した。
「誠心誠意努力致しますので宜しくお願いします。」
「子供とて容赦はしませんよ?」
「あ、三日後に16歳になります!」
「失礼。もう子供ではないんですね。では、その心積もりでいてください。では、コンラッド様。我々は仕事がありますので、彼を連れていきます。」
「あぁ。俺は少し眠る。」
ハンクは諦めたのか、先程とはうってかわって淡々と自己紹介を済ませると、コンラッドに一礼しエルを連れだってその場を後にした。
ハンクとエルは無言で長い廊下を歩く。
数日前までエルはこの廊下を主人の一人として当たり前に歩いていた。
この長い廊下には歴代の王の肖像画が飾られている。初代王から始まり何人もの男達の肖像画が飾られ、肖像画郡の最後にはエレノアが知っている人物が飾ってある。
リチャード王。
エレノアの父親であり先代国王。
そして、この隣にはこれからエルが奴隷として仕える事人物が飾られる事になる。これからどうなるのか、一抹の不安を抱えながら、エルは父親の肖像画を見つめ口を結び静かに覚悟を決めた。
いつか、国民へ何らかのカタチで贖罪が出来る日を期待して。
「エル、貴方の部屋はここです。貴方の服はだいぶ汚れているようなので、中に着替えがありますから、それに着替えなさい。着替えたら馬小屋まで来るように。道が解らなければ誰かに聞きなさい。そろそろ他の者達も起きる頃だ。」
ハンクはエルを屋根裏だろう部屋に案内すると、エルを部屋の前に残し階段を降りていった。
エルはハンクを見送ると部屋に足を入れたが、部屋は長い間使われていなかったのか、埃の臭いがエルの鼻腔を突いた。
エルは一瞬顔をしかめ、部屋奥の窓を開き換気をしながらひとりごちた。
「近々大掃除だな。」
エルは着替えを手に取り、服を眺めた。
準備されていたのは、少年用のシャツにズボンだった。
エルはこれから男として生きるのだから、その服装で間違いはないが、同世代の少女よりは若干豊かなバストがネックとなった。エルの母親はもっと大きなバストだったので、エルもこれから成長する可能性はある。
「今日はこれで我慢するか。」
エルは部屋に置いてあるタオルで胸囲をサラシのように巻いた。
今度スポブラみたいなものを作ろう。
やはり、約16年間、女として生きてきたエルにとって、サラシで胸が潰れる事は許せず、胸の肉が他の部分へ流れないようにするにはどうしたら良いのか、無意識に考えていた。
エルが馬小屋に向かうと既にハンクが待っていた。
「すみません。お待たせしました。」
「大した時間じゃありません。」
エルがハンクに一礼すると、ハンクはエル連れを一匹の馬の前立った。
その馬はコンラッドが騎乗していた馬だった。
ハンクはその馬の鼻を撫でてやりながらエルに説明を始めた。
「この馬はコンラッド様の愛馬『イーサン』です。貴方にはこの馬の世話を任せます。餌やり、干し草の交換、ブラッシング等ですが、わからないことがあれば、他の馬達の世話人に聞きなさい。まぁ、イーサンは穏やかな子だからそんなに苦労はしないでしょう。」
説明の間、ハンクは先程までの仏頂面を綻ばせ目を細めて愛しそうにイーサンを撫で、イーサンはそれに応えるようの気持ち良さそうに顔を刷り寄せている。エルは凄いものを見てしまったような気分だったが、彼らはお互いを信頼していることはよくわかった。
「では、私は朝の仕事があるので。一通り終わったらまた私のところに来て下さい。次の仕事を教えますので。」
先程までの甘い表情をスッと引っ込め、仏頂面に戻ったハンクは説明を終えると、エルとイーサンを残し足早に去っていった。
エルはハンクの後ろ姿を見送ると、イーサンに向き直った。
「イーサン、今日から宜しくね!」
エルがイーサンにニッコリ笑い掛け撫でようとしたが、イーサンはエルの手を避けるように顔を背けた。
「ん?」
エルは一瞬、嫌な予感がしたが、気のせいだと思いもう一度撫でようとした。
ヒョイッ
そんな擬音が鳴りそうなくらいの勢いでイーサンはまたエルの手を避けそっぽを向いていた。
これはもしかしなくても嫌われている…。
エルは内心ショックを受けた。今まで動物に懐かれる事はあっても、嫌われる事は無かったので、今回の仕事というのにも多少の自信があった。しかし、イーサンの態度を見ると、嫌われている、そう考えずにはいられなかった。
「あんたが新しくきたエルかい?」
エルが振り返ると、馬小屋の入り口に、いかにも好々爺然といった老人が立っていた。
「今、ハンク様とすれ違う時に言われたよ。儂は馬の世話をしているトムだ。トム爺さんとでも呼んでくれ。よろしく」
「私はエルといいます。宜しくお願い致します。」
トム爺さんが差し出した手をエルは握り握手をした。ふと、エルはトム爺さんの足元に視線を移した。トム爺さんの左足は膝から下が足ではなく木の棒だった。
「あぁ、これは山賊にやられてしまってな。だが、仕事には支障が無いから安心してくれ。」
エルの視線に気づいたトム爺さんはそう言うと、イタズラっぽくウィンクをした。
その言葉通り、エルに教えるトム爺さんは片足が義足だと感じられないくらいテキパキと働いていた。トム爺さんの第一印象は優しそうな好々爺だったが、いざ干し草の片付けや小屋の掃除を始めると、筋骨隆々な姿にエルは驚いた。
ある程度片付けが落ち着くと、トム爺さんとエルは小屋の近くのベンチで休憩をすることにした。
今までは、たまにハンクがトム爺さんのお茶の相手をしていたらしい。
「儂の足が気になるかい?」
エルはトム爺さんの言葉に気まずそうにコクリと頷いた。
「はははっ正直なのは良いことじゃ。」
トム爺さんはエルの反応に気を悪くすることもなく、エルの頭を撫でながら話し始めた。
「儂はここに来る前は、騎士団にいたんだ。こう見えても隊編成の時は隊長をやらて貰ってたんじゃ。」
トム爺さんはおどけるように腕を曲げエルに力こぶを見せるとニカッと笑った。
その姿にエルも笑みを返した。
「しかしな…儂は異例の出世といわれ、驕っていた。その驕りが油断となって山賊討伐に出てしまった。ろくな準備をしなかったせいで部下を窮地に追いやってしまったのじゃ。幸い、儂が庇って部下は軽傷ですんだが、その時に儂は左足を失った。部下を庇ったとは聞こえは良いが、もとは儂が蒔いた種じゃ。部下を庇ったと美談にする事は儂には耐えられなかった。カッコをつけ褒章を拒否し退役したはいいが、片足では新しく職につくこはできず、呆気にとられていた。そんな時、軍最高責任者であるハーシェル家の当時党首様が儂を拾って下さりこの仕事を与えて下さったのじゃ。だから今でもこうして仕事を続けられている。とても感謝しておるよ。」
トム爺さんは残りのお茶を一気に飲み干すと立ち上がった。
「おっと爺の昔話ほどつまらないものは無かったな。さて、まだまだ仕事は残っておる。さっさと片付けるかのぅ。エルはまだこれから別の仕事があるんじゃろ?」
エルがどう言葉を掛けて良いか悩んでいると、その事を察したかのようにトム爺さんはニコリと笑い馬小屋へ戻っていった。
エルもトム爺さんに倣うように立ち上がり、馬小屋へ走った。
しかし、その日、エルはイーサンに避けられ全く触れられなかった。
イーサンは雄馬です。




