エレノアの日常2
「お兄様とアーシェ様は午後のご予定はあるのでございますか?」
エレノアはジョーイたちとお茶をしながら尋ねた。
「いや、午後は休みだよ。さすがに視察から帰ってきたばかりで、そのまま執務はちょっと厳しいかな。報告書だってもう提出してきたし…あの厳しいグラノフ公が休んで良いと言ってくれたから存分に休みを堪能させてもらうつもりだよ。」
ジョーイは嬉しそうに紅茶を飲んだ。アーシェの父、グラノフ公は仕事に於いて、とても厳格な人だと聞く。だからこそ、国王の右腕として国王からの信も厚い。
「それでしたら、お兄様がお疲れというのは重々承知なのですが、午後お稽古をつけて欲しいのですが…ダメですか?」
エレノアは上目遣いで、首をかしげておねだりのポーズを取った。それはジョーイにとって絶大な効果があるということエレノアは学んでいたのだ。
「仕方ないな。軽く昼食をしてからにしよう。アーシェももちろん一緒に来いよ。」
「へーぃ」
大好きな妹から、そんなおねだりをされてしまっては、妹に従うしかない。ジョーイは肩をすくめ、クッキーを頬張っていたアーシェに呼びかけると、エレノアとアーシェを昼食に促した。
3人が食堂で待っていると、サンドイッチのようなものが運ばれてきた。
午後からジョーイとアーシェがエレノアに稽古事をするという事は厨房へ報告済みであり、軽めの昼食となったのだ。
昼食はジョーイやアーシェから視察先についての話を色々と聞きながら過ごした。
―――――
午後、ジョーイとアーシェは先ほどよりも軽装で王宮の庭で談笑しながら待っていた。
二人が並ぶと、そこだけ光り輝いているようだった。御伽話からそのまま出てきたのかと見紛う程であると、メイド達から、こっそり見ては眼福だと言って拝んでいることを二人は知らない。
「エレノアが来るまで、少し肩慣らしをしないか?」
ジョーイはそう言って剣を掲げると。
「そうだな、久しぶりだしちょっとやるか。身体が訛ってるから手加減してくれよ」
アーシェは首をポキポキならし肩を廻してそれに応えた。
キン!
カチャ!!
キィンキィン!!!
動きやすいパンツ姿に着替えたエレノアが庭に到着すると、ジョーイとアーシェが剣の打合いをしていた。エレノアは二人に声を掛けずに近くのベンチに座り、手に顎を載せながら二人を眺めた。
ジョーイは踊っているかのような剣捌きが特徴的だ。一方、アーシェはジョーイの攻撃をすべて受け流し、本当に文官志望なのかと疑いたくなる程の力強い太刀筋だった。
カシャーン!!!
「っ―――!!くっそ!!!!!!」
アーシェの剣が手から離れ地面に落ちるのを認めると、ジョーイは目を細め満足そうに剣を鞘へ収めた。
「アーシェもまだまだだね。」
「王子様の為に手加減してやったんです」
ジョーイの言葉に、アーシェは剣を拾い上げながら冗談っぽくこたえた。しかし、ジョーイは勝ち誇ったような顔で
「アーシェ、負け惜しみはみっともないよ。さて、次は私の可愛い妹が相手だ。怪我でもさせようものなら承知しないよ」
ジョーイは口角を挙げて微笑む。エレノアはその表情から何者も抗えないオーラが見えた気がした。
そんなジョーイにアーシェが情けない顔をした。
「そんなの無理だよぉ…お宅のお嬢さん、普通のお嬢様みたいに大人しくしてくれないもん。こっちは剣を受けるだけでいっぱいいっぱいなんだからな」
まぁ、確かに普通のお嬢様なら剣術なんて習わないだろう。しかも、エレノアは王女だ。いくら臣下達に剣術を教えてほしいと懇願しても、臣下達に断られるばかりだった。
臣下達だって命は惜しい。いや、国の為なら命だって捧げるかもしれないが、王女に怪我を負わせたという罪で捕まるなんてことになったら、たまったもんじゃない。エレノアも、そのことについては重々承知だったので、あまり無茶は言えなかった。しかし、大人しいだけの王女なんて、エレノアは耐えられなかった。
―――――
そして約1年前、エレノアが閃いたのは、『自分に特別甘い兄に頼めば良いのではないか?』という事だった。
エレノアより身分が上で、でもエレノアが操作…じゃない、お願いが出来る人物と言ったら、兄であるジョーイが適任だった。
ジョーイも当初は難色を示した。可愛い妹に怪我をさせる事は出来ないと。しかし、なかなか諦めないエレノアに降参し、1回だけという条件でエレノアと木刀での剣術の手合わせを行った。
二人が王宮の庭で木刀を構えた。そして、エレノアが木刀を振り上げる。そして…
バシィ!!!
「えぇ?!」
ジョーイは驚いていた。幸か不幸かエレノアは剣術の才能を開花させたのだ。兄妹だからか、それとも、ジョーイの練習をエレノアがいつも眺めていたからかはわからないが、ジョーイに似ている太刀筋だった。それからは、ジョーイが休暇の時は、エレノアの稽古につくことが多くなった。
しかし、ジョーイだって忙しい身分である。すぐに休暇が取れるわけでもない。そんな時はアーシェが相手をしてくれていた。まぁ、大人だと王女を怪我させてしまう可能性があるが、子供であるアーシェならたかが知れていると、大人たちも特に口を出してこなかった。
それからエレノアはメキメキと上達していった。
―――――
アーシェとの準備運動を終えたジョーイは、エレノアが掛けているベンチの横に座ると、エレノアの耳元で何かを囁いた。それに対し、エレノアは目を丸くしてジョーイを見たが、ジョーイがニヤリと頷いたので、エレノアも頷くしかなかった。
そしてエレノアは立ち上がり得物を持ってアーシェの方へ歩んだ。
エレノアが持っているのは、アーシェやジョーイと同じ剣。ではなく、小ぶりの双剣といったものだった。アーシェ達と同じ剣の扱いも慣れてはいるが、エレノアは双剣を選んだ。
エレノアは双剣を両手に構え、アーシェに倣った。
「お嬢様、手加減してくれよ?」
「手加減出来るほどの技術を持ち合わせていませんの。どうぞご容赦くださいませ?」
エレノアがニッコリと微笑み、アーシェが諦めたように溜息を吐くと、手合わせは始まった。
キン!!キキン!!キィーン!
エレノアの太刀筋はジョーイと似て異なった。ジョーイの太刀筋は踊っているように見えるが、あくまで攻撃の一種である。だが、エレノアの太刀筋は、双剣を持ち剣舞を舞っているような錯覚に陥る。だが、エレノアの攻撃は淀みなく繰り出された。そしてアーシェも反撃の隙を伺っている。
アーシェ達が扱っている剣は一太刀が重く、受けてしまえば致命傷になる。一方でエレノアの得意とする双剣は、武器自体が軽いため、致命傷こそ負わないが、連続的な攻撃を行う事が出来る。
まだ、力が弱く、体も軽いエレノアにとって、双剣は他の武器よりも得意としていた。
キィィーーーン!!!
アーシェの渾身の一振りによりエレノアは慌てて後ろへ下がる。エレノガがせっかく先程まで詰めていた距離を離されてしまった。接近戦を好む双剣使いにとって、距離を取られてしまっては不利である。
態勢を整えたアーシェがじりじりと近づいてきた。
『剣は、トドメを打つ際大振りになる。そこを狙うと良い』
エレノアはジョーイに耳打ちされた言葉を思い出した。
アーシェが剣を振り上げた一瞬をエレノアは見逃さなかった。
姿勢を低くし、アーシェの懐に飛び込んだのである。
「えぇえぇ?!?!?!!?」
アーシェは、エレノアが防御の姿勢を取ると思い、まさか振り下ろされた剣に飛び込んでくるなんて予想していなかったのだ。
アーシェは慌てて既に振り下ろしの態勢に入った剣の軌道を逸らそうとした。
――—間に合わない!!!———
アーシェは思わず目を瞑った。
ガシャーン!!!!!
アーシェの剣は高く宙を舞った。
アーシェが恐る恐る目を空けると、エレノアの得物の切先がアーシェの喉元に当たっていた。
「ちょっとぉ!お兄様!!」
エレノアはアーシェの首元から双剣を下ろしながら不満そうに言った。いつのまにかアーシェの傍でジョーイが剣を抜いていたのだ。
どうやら、アーシェの剣を弾き飛ばしたのは、ジョーイだったらしい。
「とうとう処刑されるかと思ったぁ…」
王女に怪我を負わせたかもしれない状況に、蒼い顔をしたアーシェはヘナヘナと腰を抜かして座り込んだ。
「私、一人でも勝てたのに…」
エレノアは口を尖らせている。
そんなエレノアに対しジョーイは眉を顰めて言った。
「さっき、私が言った事を実践出来たのは、凄い事だ。でも、相手の懐に飛び込む勇気と無謀を勘違いしてはいけないよ。」
ジョーイはエレノアに向き合い、優しく、だが厳しくエレノアを諭した。
今のアーシェの攻撃をエレノアは避けれていたのかもしれない。だが、万が一避けれていなかったら…ジョーイの手助けがなかったらエレノアはただでは済まなかったかもしれない。
相手がアーシェだったから懐に飛び込むこともできた。だが、実戦で同じことをした場合、命取りになる可能性は容易に想像できた。
それをジョーイは静かに怒っているのだ。
「冷静に相手の攻撃の流れを読みなさい。そうしたら勝てる隙は必ず生まれるから」
ジョーイはエレノアの頭をポンポンと叩くと、腰を抜かした情けない顔のアーシェに手を貸して立たせた。
「俺、打ち首覚悟したわ。」
ジョーイの手を取り、アーシェはヨイショと立ち上がった。
「大丈夫だよ、アーシェを打ち首になんてさせないから」
ジョーイはアーシェにニッコリと微笑んだ。アーシェは『友よぉ!!』とジョーイの言葉に感動したが、次の瞬間地獄へ叩き落された。
「だって、大事なエレノアに傷でもついたら、私がその場でアーシェを真っ二つに叩き切ってたよ。」
最上級の王子様な笑顔で言うジョーイに、アーシェは背筋がゾッとした。
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