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追跡者

作者: 青い夕焼け

あくまでフィクションですので現実世界とは少々異なる部分があることをご了承ください。


コツコツコツ。足音が響く。

人の喧騒は聞こえない。辺りに人気はなく、コンクリートを踏み歩くヒールの音だけがその場を支配していた。吹き抜ける風は水気を含み、どこか不快な感覚が体を包む。額に滲む汗がふつふつと湧き出る7月の夜、サークルの飲み会を終え、玲子は家へと向かっていた。


最初の集まりくらいは顔を出しておこうとサークルの新歓に参加した玲子は、いつも通りバカ騒ぎする景子の傍らでちびりちびりと梅酒を舐めていた。機を見計らってさっさと帰ろうとしていたのだが、タガが外れたかのようにはしゃぐ先輩に絡まれ、隣に座った名も知らぬ後輩の与太話に付き合った。飲みなれていないのか、なんだかわからない話を延々と繰り返すその後輩は何故か玲子にべったりマークしたまま離そうとしなかった。抜け出すタイミングを逃した玲子は普段ならまず飲まない焼酎を3杯も飲み干し、体重を気遣ってセーブしていた締めのうどんをこれでもかと胃に詰め込み、勢いに任せて二次会のカラオケでは山盛りのポテトにオニオンリングを平らげた。

当然気分の悪くなった玲子はトイレに2時間ほどこもり、ため込んだカロリーを水へと流した。

へろへろの状態で部屋に戻る頃には皆すっかり酔いつぶれそのままお開きとなった。


「あー気持ち悪ぅ、どっかビジホでも止まればよかったかな」


そして今、滑り込んだ終電でなんとか家へと帰るべく千鳥足で歩いている。

足元が定まらず、ふわふわした感覚が今自分が何をしているのかを分からなくさせる。

踏み出す足が異様に重たく、しかし頭はどことなく軽い。アンバランスな体の感覚と今にも胃から逆流しそうな気持の悪さが身体の中を満たし、倒れそうになる欲求を増大させる。


「うっ」


ふらふらと前に出した足が着地点を見誤り、履きなれたはずのヒールが体の支えを放棄した。

ぐにっとひねった足首が酔った頭に鈍い痛みを与えてくる。


「痛〜」


しゃがみこんだ玲子は砂利の散らばるコンクリ製の歩道に座り込んだ。


「うぅ」


じんじんと熱を発する右足を抑え、痛みに呻いていると


ジャリっ。


「え?」


テンポよく響いていた玲子のヒール音は足をくじいたことにより、そのリズムを崩した。今何か音がするならばそれは他の人物の足音に過ぎない。だが、その音がやけに近くで聞こえたのはどういうことか。

後ろを見ても人影は見当たらない。


「……っ」


気味悪くなった玲子は痛む足を庇うように片足で立ち上がる。ふらつく体は重心が揺れていたが、構わず歩き出した。


コツ、コツ、コツ。


先ほどよりもワンテンポ遅いヒールのリズム。痛む右足は引きずるようにして前に出すのがやっとだった。


ーもう最悪っ


得体のしれない恐怖が体を固くし、悪態を吐くことなく胸の内に留まらせた。

気味の悪い感覚をどこからともなく感じとり、汗のかいた体に寒気が走る。


歩くペースが自然と早まり、呼吸が段々と早くなる。


「はぁ、はぁ」


ーいる。追ってきてる。


アルコールがかった頭だが、確信があった。

踏み出す音に合わせて、足音を重ねるように付けてくる気配がある。


ーストーカー?


人生で初の体験だが、実際にテレビで見るのとはわけが違った。自分の動きに合わせて付きまとってくる気持ちの悪さ。当たりに誰もいない静けさが感じる恐怖を倍増させる。


ー怖い。気持ち悪い。どこか、コンビニか何か


キョロキョロと当たりを見回すが、この時間帯、辺りに入れそうな店がないことは既に分かっている。何度となく通った道だ。

それは玲子が1番わかっている。

分かっていても縋りたくなる怖さが玲子を襲っていた。


ー誰か、誰か、誰か


焦る気持ちが足を動かし、迫る恐怖が玲子の口を強ばらせた。


「あっ」


後ろの気配に気を取られ、前方の段差に気づかずに足を引っ掛けてしまった。

咄嗟に手を出したが、小走りの勢いは簡単に止められずに地面に付いた手が盛大にコンクリートを擦りあげた。


「ぐぅ……」


今日はとことん付いていない。手のひらを見れば汚れた箇所と血が混じり、ドロドロの有様だった。


ーそんなことより早く逃げないと


もつれた足も痛む手も今は大した問題ではない。早くストーカーから逃げたい気持ちが膨れ上がり再び玲子を立ち上がらせるが、


トンっと軽く肩に触れるものがあった。


「キャアアアア」


思わず悲鳴をあげながら振り返ると、そこには玲子と同い年くらいの男が一人、困ったような顔をして立っていた。


「あれ?」


「あの、大丈夫ですか?」


「え、はい」


何が起こったのか、むしろ何も起こらなかったことに玲子は混乱した。男をよく見てみると想像していたよりも無害そうな顔をしており、どうそていいか分からないような困惑した表情は玲子の危機感を薄いものに変える。


「良かったらこれ使ってください」


男はポケットからハンカチを取り出すと、腰を抜かした玲子に差し出した。


「ありがとうございます……」


状況を上手く把握できないでいる玲子に何を思ったのか、申し訳なさそうな顔で男が話し出した。


「これ、落としたので届けようと思ったんですけど」


そう言って再びポケットをごそごそしだした彼をみて、ようやく今自分がどういう勘違いをしていたのかを理解した。


ーうわ恥っず


顔が赤くなっていくのがわかる。玲子は恥ずかしさを誤魔化すように笑顔を浮かべてみたが、頬の筋肉が引き攣りかけるように上手く動いてくれなかった。

しかし、ぎこちない不格好な笑顔を浮かべる玲子に対し、男は何も思わなかったのか不思議そうな顔でこちらをまじまじと見つめてくる。


ーやばい、黒歴史確定だわ


動揺して、思わず目線を右往左往する玲子。

思考があっちこっちと忙しく駆け回り、目の前の男にどう言い繕うかを考え始めた時に何か引っ掛かりを覚えた。


ーん?


何か妙な感じがする。


じっと男の顔を見るが、しかし何も思い出せない。ぼやっとした頭は2転3転するでもなく、主の感情に振り回されて反応が鈍くなっていた。


「これです。」


「あ、すいません」


考え事をしていた所に声を掛けられ、意識が引き戻される。


ー何だろう?


引っ掛かりに答えを出せないまま玲子は男へと答える。

そして座り込む玲子に取りやすいようにしゃがむ男に申し訳なさを感じながら、差し出された落し物を受け取ろうとして、


「キャアアアア」


玲子は2度目の悲鳴をあげた。



2年前、友達と旅行に行った際に購入したのがこのストラップだった。

手で握りやすいように伸びた紐の先、編み込まれた小さいクマのぬいぐるみが可愛らしく

四肢を投げ出す格好で座り込んでいる。

一目見て気に入った玲子はカバンに付けて持ち歩いた。

異変に気づいたのは先月、部屋で景子と電話をしていた時だたった。


「それであの時あたしがちょっと借りてさ、返した時にアンタ凄い怒ってさー大変だったよもう」


「あれは景子が悪いでしょ、私の大事なハンカチ破ってヘラヘラしてるんだから」


「ちょっと引っ掛けただけじゃん。それにあのハンカチ無くしちゃったんでしょ? 大切なものだったらそう簡単に無くさないと思うけどなー」


「あれは違うの! 確かにカバンに入れてたのにいつの間にかなくなってたんだって!」


「またまたー素直に無くしたって認めちゃえよー」


部屋のベットに寝転がり、携帯はスピーカーモードにして枕元に置き、少し煽るような調子でからかってくる景子にムキになって反論する。そんな他愛無いやりとりを何回か繰り返した。

初めに気づいたのは景子だった。

玲子がいつもカバンに付けているのを見て気に入ったらしく、譲ってくれないかと言い出した景子に二日前、買い物に出かけた時にストラップを渡した。

だが、どうやらその後すぐにどこかへ無くしてしまったという。


「せっかくあげたんだからもっと大事にしてよね」


拗ねたような口調で告げる玲子にたじろぐ景子。いつもよりしおらしい態度で話す景子が電話越しにいう。


「でも、さっきのあんたじゃないけどどこかへ落とした記憶とかはないんだよね。あんたにもらってからすぐにカバンにつけたし、もし落としたら付いてる鈴がなるはずだし……」


「景子だって人のこと言えないじゃん」


笑っていう玲子だったが、枕元を見て訝しげな表情を作った。


「何で……?」


視線の先には知らぬ間に部屋の片隅に座るストラップがあった。


「どうしたの?」


「今話してたストラップがさ、私の部屋にあるんだけど……」


玲子はえもいわれぬ気味の悪さを感じていた。


「え? ……最近あたしあんたの部屋行ってないけど」


景子も事の不自然さに気づいたのか、声のトーンが低くなる。


「だよね、それに景子に渡したの一昨日だし……」


少し間が空き、黙り込んだ2人に代わるように扇風機の回る音が大きくなった。ぐるぐると考えが巡るがそれらしい理由は何も思いつかなかった。


「明日、持っていこうか?」


「いや、あたしもういらないや」


ポツリと出た言葉はすげなく断られた。

その日、玲子は一日中ストラップに目が向いてしまうのを抑えられなかった。




後日、部屋に置いておくのが気持ち悪くて近くの店でストラップを売ることにした。景子以外の友達、知人にあげるという考えは無くなっていた。ネットを使って売ってしまうことも考えたが、特定の誰かに自分が押し付けているような感覚が否めなかった。


「ありがとうございましたー」

やたら元気の良い店員の挨拶を背に店を出る。ついでにいろいろ見て回っていたら入ってから数時間が立っていた。 ストラップは二束三文にしかならなかったが、それまで感じていたいい知れぬ不安感はなくなった。玲子はその事に満足し、気晴らしに梅酒を買って帰った。

軽くなった足取りで部屋へ入り、酒を冷蔵庫にしまう。テレビの電源を入れて床に座り込むと、そのまま買ってきたおにぎりや惣菜を取り出していつもより少し早い夕飯をとった。


1時間ほどかけてのんびり食事を済ませ、酒を取るべく立ち上がって気付く。


ー何の音?


部屋をぐるっと見回す。何か高い音が聞こえた気がしたが、見た限りでは何も変化はない。リモコンも、箸もスプーンもさっきと同じ位置にある。


すると、玄関のドアが少し空いていることに気づいた。


帰ってきた時に閉め忘れたのか、女の一人暮らしとしては考えられない不用心さだと思いながら、玄関へ向かう。


「危ない危ない」


鍵を閉め、チェーンをかける。ついでに散らばっていた靴を揃えようとして


「え?」


先ほど売ってきたはずのストラップが無造作に転がっていた。

少し土の付いたその紐。手の先端が欠けたくまのぬいぐるみ。

間違いなく玲子の持っていたストラップだった。


「は?」


薄々勘づいていた考えが頭をよぎる。

だが、それをはっきりと認めてしまうのはなんだか怖くて、すぐに頭を振って下手な考えを散らす。


ー気のせい気のせい、そんなわけない


きっと店員さんが間違えて私に渡したままにしちゃっただけだ。そう思い込む。

自己暗示とは案外役に立つもので何度も自分にい聞かせていると次第に本当にそうだったような気がしてきた。

玲子は何事もないようにストラップを拾い上げ、机の上に乗せて晩酌を始めた。


それから何度も同じようなことが起きた。

あのストラップはどこへ置いても、どこへ捨てても玲子の元へと戻ってきた。

初めは偶然って続くなぁだとか何でまた戻ってきてんだよ、と笑いながらツッコミを入れたりしていたが次第に取り繕うのも難しくなっていった。


そして隣町の川に投げ込んだ翌日、流石にもう大丈夫だろうと新歓に参加したのだ。

夜道を一人で帰るのは怖いからと早めに帰るつもりが、雰囲気に流され、楽しい空間に恐怖が勝ってしまった。



あの後、狼狽する玲子を落ち着かせた男は近くの自販機で購入した水を玲子に渡し、心配そうに去っていった。

しばらくその場を動けなかった玲子だったが、もらった水を飲んでいる内に力の抜けていた足も動くようになった。

渡されたストラップはその場に置いていってしまいたい欲求に駆られたが、下手に放置して、後から脅かすように部屋に現れるのを嫌い、持ち帰ることにした。



大学へ顔を出す玲子の顔色を見て景子は心配そうに声を掛けてくれた。



「今度はどっか山の中に埋めて見る? 流石にガチガチに固めた土の中からなら出てこれないんじゃない?」


冗談としか思えないような出来事ばかりだったが、とてもふざけているようには見えない玲子の態度に景子も事の本気さを感じとり、真面目に相談に乗っていた。


「先輩達、何の話をしてるんですか?」


声をかけてきたのはサークルの一年生だった。あまり、サークルには顔を出さない玲子よりも景子のほうに懐いている後輩だ。


「あー真理か、実はさ」


黙り込む玲子の代わりに景子が事情を説明する。

大学の食堂で話すような内容かは分からないが、他の生徒の喧騒によって周りの生徒には話が漏れてはいないようだった。


「その話マジですか……」


顔色の悪い玲子の方を少し見たあと、信じられないとばかりに目を見開いた真理は少し考え込んだ後告げる。


「だったら私いい方法知ってますよ」


3日後、真理から紹介された神社に玲子と景子の2人はやって来た。電車で30分かけてやって来た場所は住宅街に囲まれ、街路樹が並ぶ道路沿い。見上げるようなビルは無いものの、大型スーパーやそこそこ大きいゲームセンターが立ち並ぶ街だった。

想像していたよりも近くに存在していたことに気を取られ、神社の前で2人が立ち尽くしていると


「どうしましたか」


後ろを振り向くと、神社の神主らしき恰好をした男が立っていた。


「あの、私たち友達の紹介でここを進められたんですけど」


「あぁ、聞いていますよ、どうぞこちらへ」


そういって神社の中へと案内してくれる男。

鳥居をくぐり、コンクリートで整えられた道を男に連れられて歩く。

道の突き当りにはお賽銭箱と鐘があり、その奥には畳の敷き詰められて部屋が広がっていた。


「今日は何やらお祓いをしてほしいものがあるとうかがったのですが」


客間らしきところに通され、座布団の上に座る二人。緊張して身を固くする二人に柔らかい口調で話しかける男。

そのおだやかな口調にどことなく清涼な気配を感じるのはおそらく場所の効果が大きいからだと玲子は思う。


「これなんですけど」


玲子はカバンから例のストラップを取り出してテーブルの上に乗せた。

目をそらしながら神主の方へ押しやると、ちらりと薄目で神主の顔を見る。


「これですか……」


慎重につかみ取り、興味深そうにストラップを観察している。

玲子は内心どんな反応をされるかとドキドキしていたが思いのほか反応が薄いことに拍子抜けしていた。


「あまり祓わなくてもいい気はしますが、一応祓っておきますか?」


「え、祓わなくていいんですか」


予想外の返答が返ってくる。

何回外へ捨てても、店へ売っても必ず数日後には玲子の元へと帰ってくる薄気味悪いストラップがどうして祓わなくてもいいという結論になるのか、玲子には理解出来なかった。


「まあどうしてもというならやりますが……」


そんな言葉をかけてくる神主に躊躇う玲子だったが、


「お願いします」




何やら手順があるということでストラップを神主に預け家へと帰宅することにした玲子たち。

お祓いが終わった後、ストラップをどうするか聞かれた玲子はそのまま神主に処分してもらうことにした。

あの得体のしれない恐怖とそれを起こしている物体をこれ以上家に置いておきたくなかった。もう二度と見ることはないだろう。


「じゃあ、あたしはここで」


「うん、今日はありがとね」


「今度あんたの家行くから、美味しいもの用意しておけよー」


帰りの電車、行きより顔色が良くなっていた玲子をみて、もう大丈夫だと判断したのか景子はいつもの最寄り駅よりも二駅早い駅で降りて行った。


考えていたよりずっと簡単に解決してしまった。

存在するなんて思いもしなかった幽霊の存在があんなにあっさり受け止められたこともそうだが、それ以上にこの一か月背負ってきた重荷から解放されたことがうれしかった。


ーー帰ったらゆっくり晩酌しよう。朝まで飲んで、ゴロゴロ有意義に過ごそう


改札をくぐり、階段を下りて家への道を歩く。先日ひねった足はすっかり元の状態へと戻り、どの角度へ力をいれても痛みを感じることはなくなった。


ーーあと来ないだの男の人に会ったらお礼しないと


「ひゃあ!!」


後ろからポンと肩を叩かれた。振り返ればこの間の男が微笑みながら立っていた。


「あ、この前の」


「こんにちは、今日は大丈夫そうですね」


「あの、この間はありがとうございました。なんかお礼もしないままで……」


ちょうどお礼をしないと思っていたところに渡りに船とばかりに声を掛けてきた男。

明るい場所で見る男の顔は前髪が長く、青いジーンズに白いシャツというシンプルな格好。玲子の大学でもかなりの数の男がこのスタイルを取っている。

そこでふと、頭をよぎるものがあった。


「間違ってたらアレなんですけど……もしかしてうちの大学に通ってたりします?」


「あ、やっと気づいてくれました? 」


ーやっと?


気になる言い方をする男だったが、その嬉しそうな反応をみて


「えっとどっかで鉢合わせとかそてましたっけ? ちょっと覚えてなくて……」


「サークルの飲み会に参加したんですけど覚えてませんか? この間の新歓で、ほら」


そこでスッと感じていたつっかかりがとれた。


ーあ、新歓で見た顔だったのか


どうりで見たことある顔だと思ったと一人スッキリすると同時に借りたハンカチを返していないことに気づいた。


「あ、これ貸してもらってたハンカチ返すね? 助かりましたー」


そう言って男にハンカチを差し出す玲子だったが、


「ああ、そのハンカチならあげますよ、僕はもう一つ持ってるんで」


ーは?


男がカバンから取り出したハンカチで首元を拭う。玲子に見せつけるように行うその行動も意味が分からなかったが、それ以上に玲子には気になる事があった。


「それ、さぁ」


「どうかしましたか?」


白々しく笑みを浮かべる男が持つハンカチ。

淡いピンク色のそれは男性が持つには珍しく、くまの刺繍があしらわれた女性向けのもの。


そして見覚えのあるほつれは景子に貸した時に出来たもの


「何であんたが持ってんの……」


「だってこれはあなたが僕にくれたものじゃないですか、僕が持っているのは何もふしぎではないですよね?」


ーなんだこいつ


話しているうちに段々と会話が噛み合っていないことに気づく。

こちらを見ているようで見ていない、そんな錯覚に陥る。


「後、これこれダメじゃないですか落としちゃ」


男が渡してくるのは先ほど確かに預けてきたはずの


「だから、何であんたが持ってんの!?」


「せっかく僕が拾ってあげてるのに……何度も何度も大変なんだよね」


そう言って薄ら笑いを浮かべる男。


「ゴミに出した時も」


「僕が探して届けてあげた」


「店に売った時も」


「僕が買い戻して届けてあげた」


「川に投げ込んだ時も」


「僕が拾って届けてあげた」


ペラペラと得意げに話す男の目には何か玲子には見えないものでも見えているかのような薄暗いものを写していた。


「気持ち悪い……」

心の底から言葉が出た。

ーー間違いなくやばい奴。それも周りに害を与えるタイプだ


男が何かに酔いしれているうちに周囲を伺いみる。

大通りを曲がった路地。建物が乱立する狭い道には他の人影はいない。

玲子と男。今、車の音すら遠くに聞こえる場所でふたりきりは不味い。


「私のハンカチはどうやって手に入れたの? 私はお前じゃなくて景子に渡したはずなんだけど。」


こんな奴と会話をしたいわけではなかったが、今は誰かが通りかかってくれるのを待つしかなかった。


何故かうっとりしている男は玲子に話しかけられるのがうれしいのか、その表情をどんどん蕩けたものに変えていく。


「君ら不用心だよ、カバンを置くなら片方に見てもらわないと」


ヒラヒラと自慢するようにハンカチを見せつけてくる男に苛立つ心が沸き立つが、何も出来ない。

このいかにも頭の外れたような輩が何を携帯しているか、かんがえるだけでもいやになりそうだった。


そして、遂に男がこちらへ向かって歩き出した。

小さな動物をいたぶるように、わざとじわじわ迫ってくる。ニヤけた面が男の考えていることを伝えてくる。


ー逃げよう


すぐに決断し、後ろに向き直って走り出す。

だが、


「だからさぁダメだって」


振り返る瞬間、あっという間に詰め寄ってきた男に腕を掴まれ、振り払おうと上下に動かしている間にもう片方の腕も掴まれた。


「ちょっと、このっ離せっ!」


ーこいつ力強っ


がむしゃらに力を込めて暴れてみるが、細身のように見えて案外に力が強い。

とてもではないが玲子の腕力ではふりきれそうになかった。


「このハンカチさぁ、毎日毎日大切につかってるんだぁ君の匂いが薄ら香ってさぁ」


顔を近づける男の顔から必死に顔を背ける。

背けた顔の下、首元に狙いをつけた男が擦り付けるように鼻をくっつける


ーキモいキモイキモイ


全身に鳥肌が走り、一刻も早く抜け出したいのに掴まれた腕のせいで上手く動けない。

感じる気持ちの悪さが徐々に恐怖へと変わっていく。


「ひっ」


思わず漏れた悲鳴が男の笑みを深める。


ー誰かっ


「こっちこっち、ここですほらあそこの男!」


大通りの道からこの道へ入る曲がり角で、景子が警官を連れて大声を出しているのが目に入った。


「何やってんだお前!」


「玲子大丈夫!? 」


駆け寄ってきた景子に支えられ、思わずもたれ掛かる。ズルズルと体が落ちていき、ぺたりと地面に膝をついた。

張っていた緊張の糸が切れたのか上手く足に力が入らない。


ー最近こういうの多いな……


男を追いかけてる警官の声が遠ざかる。

傍にいる景子の顔をみると無性に気分が緩むのがわかった。





数日後、例によって食堂で景子から男の顛末を聞いていた。


「あの後無事に警官が捕まえてくれたらしくてさ、無事に逮捕されたって」


「よかったーあの時は本当助かりました」


「全く私が真理からの電話で駆けつけてなかったらどうなってたかわからんよ?」


玲子たちが神社へストラップのお祓いをお願いした直後、玲子たちをつけていた男が知り合いを名乗ってあのストラップを引き取ったそうだ。

同じ大学で同じサークルということで特に疑問に思わなかった神主があのストラップを渡し、それを真理に電話したのだという。

玲子の知り合いでそんな男の存在は知らなかった真理が急いで景子に連絡し、近所の警察署に事情を話、連れだって現れたというわけだった。


「にしてもあの男はなんでストラップを執拗に玲子に送り付けてたのかね?」


「なんでも事情聴取の際に話していた内容によると、自分の持っていたストラップとおそろいだとかなんとか」


「はあ? そんなことでわざわざ!?」


思わぬ理由にどっと体の力が抜ける玲子。苦笑しつつも元気になった玲子をみて真理と恵子は心の中で安心していた。


「で、結局あのストラップには何の幽霊もついてないし特に呪われていたわけではなかったってことですよね?」


「まあそういうことになるかな、よかったよホント」


店に打っても捨てても部屋へと戻ってきたのは全部あの男が原因らしかった。

玲子をつけて家を確認した男は玲子の知らぬところで近所の住人に目撃されていたらしい。

その話を聞いて自分の鈍感さに驚きを隠せない玲子だったが、自分の家を知られていると変な警戒をし続けることになっていた可能性を考えると知らぬが仏ということなのだろうか。


「部屋に届けたのは一回だけだとか言ってるらしいですけどそういう問題じゃないですよね」


「もう怖くて一人暮らしできないよ、二人とも良かったらうちで暮らさない?」


「良いですね、飲んで騒いで遊びましょうよ! ナイスアイデア!」


「え、ほんとに? うーん、どうするか……」


軽いノリで提案した玲子だったが、真理の食いつき思いのほかいいことで少し本気で考え始める。


「布団をリビングに引けば何とか寝るスペースは確保できるけど二人だとちょっとせまいか……」


ぶつぶつと実際に暮らすシミュレーションを始めた玲子。そんな玲子をみて何気なく景子が言う。


「そういえばあの男一回だけしか部屋に行ってないとか言ってたけどあたしとの電話の時に見つけたストラップは何だったの?」


「へ?」


「何の話ですか?」


「あの男がストラップを玲子に拾って届けてたのは大体が家の外、大学にいるときにカバンに入ってたりしたんだけどあたしが電話をかけてるときに枕もとに戻ってきたようなことをいってたんだよね……」


景子の話を聞いて、玲子が言う。


「あれはだからあの男が私の部屋に置いたってことでしょ? 枕のところに」


「いや、だから一回しか部屋に入ってないって言ってたってことは玄関に転がってたって話はなんなの?」


「あれは……」


玲子が部屋でストラップを見つけたのは2回、もしも本当に男が部屋に一度しか着ていないならもう一回は……


「そ、そんなのあいつが勝手に言ってたことじゃない。絶対嘘。何回かきてるんだよ」


「そっかまあそうだよね、じゃあ今日はどうする? 景気づけにどっか飲みに行く?」


あっけらかんと玲子の意見に納得した景子が切り替え早くはしゃぎだす。


「じゃあいつものとこにしましょう、私今日はがっつりいきます!」


「あ、私もいくからね」


立ち上がってなじみの居酒屋へと向かう二人。肩にカバンをひっかけ、二人の後を追う。しかし玲子は今の景子の話に嫌なものを感じてしまっていた。


ーーまあ、気のせいだよね……


視線を下した先にはチャックに結ばれたストラップ。擦り傷の増えたくまが静かに揺れていた。


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