彼女に憑りついた幽霊に惚れてしまいました。
よく分からないけれど、僕の彼女が幽霊に憑りつかれてしまったようだ。
「ねぇ、信じてくれた?」
僕が着ている服の裾を指でつまんで、不安そうにこちらを見る。いつもの強気な態度が嘘みたいに可愛らしい。
「ごめん、まだ信じられない」
そっと頭を撫でながら僕は目の前の彼女に謝った。
「そう、だよね……」
しょんぼりと下を向いてしまった姿は全くの別人だ。
いつもの彼女なら頭を撫でられるのを嫌がって、僕の手を払いのけてしまうのだから。では目の前にいるのが僕の知っている彼女でないのなら、一体誰だというのだろうか?
「ねぇ、本当に彩香じゃないの?」
「うん……」
「じゃあ、君の名前は?」
「ごめんなさい。わからないの……」
下を向いたまま首を振る姿は、見ていてとても可哀想だ。そのまま放っておいたら、どうにかなってしまいそうで、僕は思わず彼女を抱きしめた。
彼女は一瞬ビクリとした後、そのまま僕の胸に顔を埋めて泣き出してしまった。
はぁ……。
どうしたらいいのだろう。
僕は腕の中にいる彼女の頭を撫でながら、どうしてこうなったのかと振り返る事にした。
僕の記憶に間違いがなければ、少なくても昨日の夜まではいつも通りの彩香だった。いや、いつも以上にトゲトゲしていたのを覚えている。
ここのところ、僕達は会うたびに喧嘩をしていた。喧嘩の理由はどれも些細な事ばかりで、本当に虚しくなる。仲良くしたいんだけど、どうゆう訳かそれができない。
昨日だってそうだ。せっかく彩香が泊まりに来てくれたのに、僕らはくだらない事で喧嘩をして、気まずいまま眠りについた。
付き合いだしたばかりの頃は最高に相性が良かったはずなのに、いつの間にか衝突してばかり。気付かない内に僕達の間で、大切な何かがズレてしまったように感じられた。
だから今日、僕は彩香と別れようと考えていた。
本当はまだ好きだけど、このままだと間違いなく嫌いになってしまうから。
そのはずだったのに……。
朝起きたら彼女が別人のようになっていた。理由を聞けば「私は幽霊で……」なんて事を言い出した。正直からかわれているだけだと思ったんだけど、どうも様子がおかしい。
もしかしたら、彼女は本当に幽霊に憑りつかれてしまったのかもしれない。
「ねぇ」
少しだけ落ち着きを取り戻した彼女に問いかける。
「なに?」
僕の胸に埋めた顔をそのままに、彼女は答えた。
「名前、彩って呼んで良い?」
「あや?」
「うん。さすがに同じ名前で呼ぶ気にはなれないから。嫌だったら変えるけど……」
「――嫌じゃない」
彼女は僕の胸に頭を擦りつけるようにして返事をした。
「じゃあ決まり。彩に聞きたい事があるんだけど良いかな?」
「うん……」
「怒ったりしないから大丈夫だよ」
「うん」
まるで幼い少女のような反応に僕は苦笑しながら、彩の頭をそっと撫でる。
「まず確認だけど、彩はどこから来たのか、どうして彩香に憑りついたのか、自分でも全くわからないんだよね?」
「うん、気付いたらここにいたの」
おずおずと顔を上げた彩が不安そうな目で僕を見た。
僕の腕の中にいる彼女は間違いなく彩香の顔をしているのに、完全に別人だ。いい加減諦めて、信じるべきかもしれない。
「分かっているのは彩の正体が幽霊で、彩香に憑りついたってゆう事だけ?」
「うん、たぶん……。あっ、あと、彩香さんの記憶とか気持ちとか、そうゆうの全部共有しちゃってるみたい……」
「そっか」
少し気まずそうに答える彩に対して、僕はどう答えていいか分からずに、再び彼女を抱きしめたのだった。
結局、何の解決策も浮かばないまま時間だけが過ぎてしまった。
そろそろ彼女を家まで送り届けなくてはいけない。中身は違っても外身は彩香のままなのだから。このまま家に帰さなければ、彼女の両親が心配してしまう。
「きっと上手く演じてみせるから」
車を降りる前に、小さくガッツポーズを作って見せた彼女の頭を僕は撫でた。
「頑張ってね」
「うん!ありがとう。帰り気を付けてね」
車から降りて手を振る彩に「おやすみ」と告げて僕も手を振り返した。
あれから一ヶ月程が過ぎた。だけど彼女は相変わらず彩のまま。
どうにか出来ないかと色々と画策してみたけれど、全てが無駄に終わった。
でも……。
正直、彩香には申し訳ないけれど、僕はもうこのままでいいような気がしていた。だって今の彼女は本当に素直で可愛いから。
「どうしたの?」
「なんでもない」
僕は腕の中の彩をそっと抱きしめた。
あれから僕達の関係は大きく変わった。
今こうしているように、僕は彼女と別れる事をやめた。
逆に彩の方から別れを告げてくるかとも思っていたのだが、彩香の記憶や気持ちと言ったモノを共有していたおかげで、僕の恋人でいる事に疑問を抱かなかったようだ。
それどころか。
「前よりずっとずっと好きになっちゃったみたい」
なんて可愛く言われたら、もうお手上げだ。
僕の完全敗北。
あっという間に、彩にメロメロにされてしまった訳だ。
彩香の時に出来なかった恋人らしい関係を僕は今、彩と二人で築いている。
と、言うのが建前だ。
なぜなら僕は彩香の事が今も変わらず好きだ。
もちろん彩の事も。
こうやって言うと酷い男になったみたいだけど、そうじゃない。
僕は誰よりも彼女の事が好きで、誰よりも彼女の事を見て来たのだ。
そんな僕が彼女の嘘に気付かない訳がない。
でも幽霊に憑りつかれた事にしてまで、僕と一緒にいようとしてくれている姿はとっても好感が持てる。むしろ惚れ直したって言っても良いと思う。
きっと彩香は、あの時の僕の心を察したんだと思う。
だからあんな一世一代の大嘘をついたに違いない。
それに気付いた時、嬉し過ぎて泣きそうになったのは内緒だ。
だけど、僕が気付いたって事はまだしばらく黙っているつもりだ。
なぜなら。
今がとても幸せだから。
それにもしかしたら、僕が気付いている事も察しているかもしれない。
だとしたらお互い様だ。
彼女の好意に甘えさせて貰うとしよう。
「ねぇ、彩」
「なに?」
「ありがとう」
「何の事?」
こちらを見上げる彩の頭をクシャクシャと撫でた。
「一緒にいれて嬉しいって事」
「うん」
目を細めて嬉しそうに笑う彼女が堪らなく愛しく感じた。