ひばり
とても暑くて短い夏が終わった、秋の初めの日。サクの小さな庭に一羽の雲雀がやって来ました。
「お庭のお花がとてもきれいね。私、お花に詳しいって訳じゃないんだけれど、こんなに素敵なお花を育てている人はどんな人なのかと思って見に来たの」
雲雀は、サクの肩にちょこんと止まり嬉しそうにそう言うと
「ほうら、やっぱり私の思っていた通り、あなたの目はなんて優しそうなんでしょう」
と、歌いました。
優しそうだなんて――と、サクも悪い気はしません。だって随分と長いことひとりっきりで、お花の世話だけをしてきたんですから。
けれど、曇りなく明るい雲雀の歌は、サクの心に灰色の水彩絵の具をポタリと、ほんの一滴落としました。
――どうしてこの子はこんなにも、きらきらとした眼でボクを見るんだろう。
何しろ屈託のない雲雀の歌は、晴れ渡った空に高く響いていたものですから、サクにはそれがちょっとだけ眩しく、煩わしく思えたのでした。
「私は最近この近くに引っ越してきたのよ。あなたのお名前は?」
「サク」
雲雀は名前を聞くと『ふーん』と一言さえずり、しきりに頷きます。
サクはと言えば、たかだか名前を教えただけでこれ程納得されたことがなかったものですから、目の前の無防備な小鳥が可愛らしくもあり、鬱陶しくもありました。
ポタリ。
それからというもの雲雀は、頻繁にサクの小さな庭へとやって来ました。
そして、自分の好きな物や楽しいことなど、聞かれもしないのに歌います。
それは本当に嬉し気に、はしゃぐ様子は小さなこどものようです。
雲雀の話は大抵自分のことでしたし、分からないことがあるとサクを質問攻めにしたりもしましたが、サクはそれを聞くことが嫌ではありませんでした。
彼女の歌は明るく弾むようで、落ち葉のカサカサという音さえも聞こえなくなりますし、もうじきやって来る冬を忘れてしまいそうなくらい、そこだけ暖かな桜色に見えました。
――雲雀はきっと今までどんなにか幸せで、誰かに傷付けられたことなどなかったに違いない。
だって、ボクがどんな人間かも知らないのに、これ程疑いもしないのだから。
ポタリ。
ある日、簡単に他人を信じてしまう雲雀が、とても危なっかしく見えたサクは言いました。
「きみはボクをよく知りもしないで自分のことを話してしまうけれど、世の中には怖い人たちがたくさんいて、きみを裏切ったり騙したりするかもしれないんだよ」
それを聞いた彼女はいつになく真剣な表情で、じぃっとサクを見上げるとたった一言『ふーん』とつぶやきました。
サクは少しだけドキリとしましたが、雲雀はまたひとしきり歌うと帰って行きました。
その後、何日か彼女の来ない日が続き、サクはちょっぴりの淋しさを感じましたが、それと同時にホッとしてもおりました。
何しろ、もうずっと長いことひとりっきりで過ごしていた物ですから、ワクワクしたり、ポカポカしたり、ドキドキしたりすることが何やら恐ろしくもあったのです。
そんなサクにも昔はたくさんの友達がおりました。
いえ、正しくは『友達であると思っていた人』だったのかもしれません。
ほんの少し融通の利かないサクはある時、間違ったことをする『友達』に意見したために誰からも相手にされなくなりました。
それから長いこと、サクはひとりぼっちでした。
丹精込めればきれいな花を咲かせる植物だけが彼の心のよりどころでした。
じっと動かず、何も語らぬ花々だけが平穏でした。
ただただ、このまま波風のない毎日を送れることが、サクの望みでありました。
だから雲雀がこのまま来なくなったからと言って、サクは一向に構わないと思っておりましたし、むしろその方が良いとさえ思っておりました。
しかし、雲雀はやって来ました。
「こんにちは、サク。ここ何日かの間私が何をしていたのかわかる?」
肩に止まった彼女の歌は、相も変わらず高い空によく響き渡り、知らぬ間に秋が深まっていたことを告げるようでした。
「さぁ、ボクにはわかるはずもないよ」
それでもサクは初めの頃と変わらぬ素振りで、そう答えました。
「サクは私のお友達でしょう?」
ポタリ。
「どうしていつも、そんなに素っ気ないの?」
ポタリ。
屈託のない雲雀のさえずりが、サクに灰色の液体を注ぎます。
雲ひとつない秋の空は瞬く間に泣きだしそうになりました。
だからでしょうか。
「ボクたちは友達なの?」
思わずサクはそう問いかけていました。
サクには長いこと友達などと呼ぶ相手はいませんでしたし、友達と呼んでいいのはどれほど親しい相手なのかもよくは分からなくなっていました。
だいいち、自分だけが友達だと思っていても相手は同じように思っているとは限らないのだと、そう考えるくらいには悲しいことがあったのです。
すると雲雀はほんの一瞬動かなくなり、それからサクの肩を飛び立つと、すっかり葉の落ちた庭木の枝に移り鳴きました。
「サクは最初から私のことを迷惑だって思っていたんでしょう? いつだってつまらなそうに返事はするけれど、自分から何かを話すことなんてなかった。話をするのもお願いをするのも、いつだって私ばっかり、こんなの友達じゃないわよね」
それはサクが初めて聞く、雲雀の鳴き声でした。
「いいの、私が勝手にやって来て、さんざんあなたを振り回しただけなんだから迷惑がられても当然よね。私はもうじき南の街に行くつもりだから心配しないで」
サクの心臓はドクドクと大きく脈を打ちました。
「どうして? まだ引っ越して来たばかりなのに、ボクのせいなの? ボクが上手に笑えないから、きみを傷付けてしまったの?」
いつも楽し気に歌うばかりの雲雀が悲し気に鳴くなんて、そしてそれが自分のせいかもしれないなんて。サクの心臓はバクバクと大きな音を立て、からだ中の血はぐるぐると逆流しました。
「そうじゃないの、別にあなたのせいじゃない。ただ、この街は冬を越すには少しだけ寒すぎて、だからもうじき引っ越そうって前から思っていたのよ」
「だったら、春になったら戻って来るの?」
サクの唇は思いもかけず、そう雲雀に問いかけていましたが、そのことを一番驚いていたのはサク自身でした。
雲雀は友達なのだろうかと考えると、サクにはまだよく分からないけれど、彼女がいなくなったら困るのかは分からないけれど――それでも、雲雀を傷付ける自分を許せないことだけは確かでした。
「どうしてそんなことを聞くの? あなただって私がいない方が良いでしょう? あなたは私のこと好きじゃないって、私だってそれくらいは気付いていたけれど……」
――違うんだ、そうじゃない。ボクはただ誰にも深入りしたくなかっただけなんだ。
「でも、あなたのお庭があんまりきれいだったから。いつかあなたとお友達になれたら、どんなにか素敵だろうと思っちゃったのよ」
――ボクは誰かを好きになって、その相手に嫌われるのが怖いだけ。
「でも、私が間違っていたわ。今までごめんなさい」
雲雀はそう鳴き、飛び立って行きました。
取り残されたサクは、いつまでもその場に立ち尽くしておりました。
あくる日、サクは何年か振りに出掛けて行きました。
何年か振りに見知らぬ人に道を尋ね、ようやく雲雀の家を見つけました。
けれど、そこにはもう誰も住んではいないようでした。
それからサクは冬の間、何度もその家を訪ねました。
最初の頃に持って行った庭の花も枯れ、そのたび新しい花をポストに挿しました。
それが雲雀に届くかと言えば、多分届きはしないのでしょうが、それでもいいと思いました。
自分が臆病だったばっかりに、雲雀の歌を受け入れられなかったのだと、せめて誤解を解きたいと、何より、ボクはきみを嫌ってなんかいないんだと――何もかももう、遅いのだとは思っても。
次ぐ春に一羽の雲雀が、サクの庭に芽吹いた枝へとやって来ました。
そのくちばしには、南の街の花の種が銜えられておりました。
春告げ鳥はうぐいすのことだけれど、ひばりもまた春を告げる鳥なのです。