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「あ……」
つい、やってしまった。
あたし……萌波さんを、殺してしまった……?
「萌波さん!」
エスプリ・ボワットから飛び出す。
あたしはすぐさま、スフィアを挟んで反対側、萌波さんが入っているエスプリ・ボワットを目指した。
「萌波さん、死んじゃダメです!」
熱い雫をこぼしながら駆け寄るあたしの目の前で、エスプリ・ボワットのドアが開く。
「ふ~、負けちゃったわ。意外とやるじゃないの」
平然と。
萌波さんが出てきた。
苦しんでいる様子も怪我をしている様子もない。
「え……? あれ……?」
「あら、なによ理葉さん、ほんとに泣いてるの? あははは、おっかし~~~!」
「えっ、えっ、ええっ!?」
困惑しきりのあたしに、萌波さんはさらっと言ってのける。
「禁忌の技とか、命をかけての決闘だとか、そんなの真っ赤な嘘だから」
「えええええ~~~っ!?」
騙された!
という思いよりも、あたしは萌波さんが死んでいなくてよかった、という安堵感でその場に膝をついてしまった。
「どう考えたって、ありえないでしょ? 死ぬ危険性が高い競技なんて、放置されるはずないし。仮にあったとしても、設備が整えられないならなおのこと、取り締まりの対象になると思うわよ?」
「そう言われれば、そうですね……ぐすっ」
涙まで流しているのが、心底恥ずかしくなってくる。
萌波さんはもう仕方がないとしても、他の人には見られたくない姿だ。
と思っていたのだけど。
会場内に、突如として拍手の音が響き渡った。
「なかなかいい戦いだったわ、理葉さん!」
木乃々さんだった。隣には当然のように、知念さんも立っている。
「姉ちゃんの戦い方は、危なっかしすぎだったと思うけど」
それに留架も!
「過程はどうあれ、勝ちは勝ちですよ。初めてのムスティーク・バタイユでここまでの戦いができたのですから、とても素晴らしい能力の持ち主だと言えるのかもしれませんね」
さらには所長さんまで!
涙は拭ったものの、目は真っ赤になっているに違いない。
あたしは留架たちのいるほうに顔を向けることができなかった。
「ウチ、油断したとはいえ、負けてしまいました……。所長さん、すみません……」
萌波さんは、沈んだ表情でそんなつぶやきを漏らしていた。
所長さんにまで見られていたことを知り、敗北に終わった戦いを改めて悔やんでいるのだろう。
もしかしたら今回の決闘は、所長さんの指示によるものだったのかもしれない。
寂しそうにうつむき、シュンとしている萌波さんに、所長さんはゆっくりと歩み寄る。
そして――、
頭にそっと手を乗せ、優しくポンポンと叩く。
「萌波さん、あなたはよくやってくれていますよ。理葉さんが今回あなたに勝てたのも、普段からのトレーニングの賜物だと考えられます。いわば、トレーナーである萌波さんの功績と言ってもいい。なにも恥ずべきことなどありません」
「所長さん……。ありがとうございます!」
「いえいえ。あなたには期待していますよ。これからも頑張ってくださいね」
「もちろんです!」
ほのぼのとした、温かな空気に包まれていた。
「あっ、そんなことより」
そのとき、木乃々さんが口を挟む。
ほんわかとしたこの雰囲気を、そんなことだなんて。空気読めなさすぎ!
不満を感じるあたしだったのだけど、すぐにもっと不快になる発言をぶつけられてしまった。
「早くミルちゃんに、萌波の血を吸わせなさい」
木乃々さんの言葉を、頭の中で繰り返す。
ミルちゃんに、萌波さんの血を吸わせる?
なぜそんなことをしなくちゃならないのか、まったく理解できなかった。
「ミルちゃんのエルヴァーはあたしなんですから、試合で疲れておなかがすいているとしても、あたしの血を飲めばいいだけじゃないですか?」
あたしは疑問をそのまま口にする。
「しかも、萌波さんの血だなんて! ミルちゃんが穢れてしまいます!」
「あ……あんたねぇ~……」
つけ加えた言葉で、萌波さんがなにやらこめかみをピクつかせていたけど。
木乃々さんはしっかり解説してくれた。
「これはムスティークの能力を高めるためには必要なことなのよ。ムスティーク・バタイユ協会によって決められている規則でもあるの」
本来、エルヴァー以外の血を吸う行為は、原則としてタブーとされている。
大きな問題があるわけではないものの、摂取したエルヴァーの血が薄まってしまうという弊害が出るのだ。
だからこそ、ムスティークは同じエルヴァーの血を吸い続けることになる。
普通の蚊の場合、血は生命活動を維持するための食事というわけではなく、おなかに卵を宿したメスが養分として摂取しているに過ぎず、普段は花の蜜や樹液なんかを吸って生活している。
でも、ムスティークは血しか吸わない。エルヴァーが血を与え続けなければならないのだ。
一度吸った血を上手く活用できる構造になっているおかげで、そう簡単に餓死することはないみたいだけど、それでもエルヴァーの血の摂取は必須となっている。
そうやって血を体内に取り込むことで、エルヴァーとのつながりを深め、性格に基づいた能力を得られえると考えられている。
ただ、人間が同じ食べ物だけでは飽きてしまうのと同様に、エルヴァーも同じ血だけを吸っていては飽きが生じる。
たまには別の血も吸いたいという欲求を放置していると、やがてはストレスとなり、最悪の場合死に至ってしまうこともある。
だからといって、誰の血でもいいから吸わせてしまうのは、能力を弱める結果になるため望ましくない。
そこで考えられたのが、正式なムスティーク・バタイユのあと、勝者のムスティークが敗者のエルヴァーの血を吸うという儀式だ。
試合直後でアドレナリンが分泌されている状態であれば、本来のエルヴァーの血を薄める弊害も起こらない。
そのとき、吸った血はムスティークの体内にある予備の胃袋に蓄えられる。
これにより、相手のエルヴァーの能力を一回だけ使えるという、能力的な利点をも得ることができる。
ワイルドカード。
使いきりタイプとなるこの能力は、そう呼ばれているのだという。
ムスティークが持つ予備の胃袋の数は、個体によってまちまちではあるけど、最大でも三~四個程度なのだとか。
そのため、勝利のたびにエルヴァーの血を吸い、その能力を使わずに溜め続けたとしても、胃袋の数を越えた分は上書きされてしまうことになる。
また、たとえ一回だけでも相手の能力を使えれば試合で有利に働くし、使用時の感覚は記憶として残るから、そのうち自分独自の能力として開花する可能性も秘めている。
ミルちゃんが強くなるために必要。
木乃々さんの発言は、そういった理由から出てきたものでもあったのだ。
ちなみに、何度試合をしても勝てない場合は、エルヴァーの血が薄まるのを覚悟の上で、誰か手近な人の血を吸わせるしかなくなる。
「あれ? でも、今日のって正式な試合だったんですか?」
もしそんなのでいいなら、ムスティーク・バタイユの舞台が整ってさえいれば、それだけで解決してしまう。
たとえばあたしと萌波さんなら、一勝一敗になるように戦えば、それぞれ一回ずつ相手の血を吸わせることが可能になる。
だけど、そういうことはできないようになっているらしい。
「正式な試合っていうのは、ムスティーク・バタイユ協会の許可が必要なのよ。それぞれの団体ごとに正式扱いの練習試合が許されている。年間の回数制限はあるけどね。実は今回、事前に申請してあったの」
なお、試合の様子は録画し、協会への提出が義務づけられている。
正式な試合は、スフィアとエスプリ・ボワット、各種カメラやマイクや映像設備などがすべて整った場所でしかできない。
それらの設備は協会側で一括管理されるシステムとなっているため、勝手に使用するわけにもいかない。
どうやらムスティーク・バタイユの世界というのは、いろいろと決まり事が多い風潮となっているようだ。
「それじゃあ、吸っていいわよ」
萌波さんがそっと腕を差し出す。
汗まみれとなった腕を。
「やっぱり、ばっちぃ……。こんな人の腕から血を吸わなきゃならないなんて、ミルちゃんがかわいそすぎる……」
「ばっちくなんてないわよ!」
ミルちゃんは若干躊躇しながらも、そんな萌波さんの腕に止まる。
汗で少し滑りかけたりしつつ、口から針を伸ばし、肌に突き刺した。
「ミルちゃんが……あたしのミルちゃんが、他の女の子の血を吸ってるなんて……。なんだかとっても、ジェラシー……」
「姉ちゃん、その感覚は変だから!」
留架がツッコミを入れてきたけど、そんなことに構ってはいられない。
あたしのミルちゃんが、萌波さんの血を吸っている。
意外と美味しそうに吸っているのを見ると、なんとも複雑な気持ちになってくる。
「でもこれで、シューちゃんのシールド技を、ミルちゃんも使えるようになるってことですよね?」
「まぁ、一回だけね。ちゃんとイメージできないと、使えない可能性だってあるけど」
木乃々さんが解説を加えてくれる。
「そうなったら完全に無駄になりますよね……。萌波さんの血を吸わされただけってことになっちゃいます。ミルちゃん、かわいそう……」
「あ……あんたはどうして、そんなに失礼なのよ!」
萌波さんはなぜか、眉をつり上げて怖い顔をしていた。
「まぁまぁ、萌波さん。そう熱くならずに、温かい目で見守ってあげなさい。大切な後輩なんですから」
「は……はい、そうですね、所長さん!」
所長さんにたしなめられると、萌波さんの表情は一瞬で緩む。
なんというか、やっぱり扱いやすい人って感じだ。
「萌波さん、理葉さん。我が研究所ムースバターの不動のエースと期待の新人として、これからも頑張ってください」
『はいっ!』
萌波さんと声を揃えて元気よく返事をしたあたしもまた、とても扱いやすい人間なのかもしれないけど。