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ムスティーク・バタイユ  作者: 沙φ亜竜
第2章 トレーニングが必要だから
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-1-

「とりあえず……特訓よ!」

「はぁ……特訓ですか」


 木乃々さんの力強い宣言に、少々首をかしげながらオウム返しするあたし。

 ムスティーク・バタイユ、すなわち、蚊の戦い。

 戦うのはミルちゃんなのだから、特訓が必要なのも当然ミルちゃんということになる。


 蚊の特訓。

 それって、なにをするの?

 そもそも特訓して、強くなったりするものなの?

 疑問は表情にありありと浮かんでいたのだろう、木乃々さんは解説を加えてくれた。


「特訓が必要なのは、あなた。理葉さんよ」

「えっ、あたしですか?」

「そう。実際に戦うのはムスティークだけど、エルヴァーの力も重要になってくるって、さっきも話したわよね?」

「つながりが大事だとは聞きましたけど……。エルヴァーって、血を飲ませてあげる人ってだけじゃないんですか?」

「強いエルヴァーの血が、強いムスティークを育てるの」


 つまりは、エルヴァー自身も鍛錬を積んで、強くなっていかなくてはならない、ということのようだ。

 なんだか、めんどくさそう。あたしは努力とか根性とかなんて無縁の人間だし。

 過酷なトレーニングが必須となったら、すぐに音を上げる自信がある。

 ミルちゃんが乗り気だったからとはいえ、ちょっと早まった判断をしてしまったのかもしれない。

 といったあたしの考えは、それからしばらくして消え去ることになる。


「まずは着替えてきて。萌波、よろしくね」

「あ~……はい、わかりました。……理葉さん、こっちに来て。留架くんはここで待っててね」


 萌波さんに連れられて、あたしは別室まで移動した。

 そして数分後、戻ってきたあたしの姿を見て、留架が目を白黒させる。


「ぶっ! なんだよ姉ちゃん、その格好は!?」

「いいよね~、これ! あたし、気に入っちゃった! 俄然やる気が出てきたよ!」


 あたしはとっても上機嫌。

 この上なく可愛らしい姿に変身していたからだ。


「いやいやいや、どう考えてもおかしいって!」


 留架はなぜか否定してきたけど。

 絶対に可愛くて最高だと思う。

 なにせ今のあたしは、蚊そのものなのだから。

 正確に言えば、蚊の着ぐるみを着た状態だけど。


「どうして着ぐるみなんだよ!?」

「それはもちろん、ムスティークの気持ちになってトレーニングするためよ!」


 木乃々さんがあたしの姿を見て頷きながら、理由の説明をしてくれる。

 そっか、そうなんだ!

 ムスティークの気持ちになる。

 ミルちゃんと同じ気持ちになれる。

 ああ、なんて最高の気分なんでしょう!


「留架くん、気持ちはわかるけど、これがこの研究所特有の訓練方法だから……」

「うわっ!? 萌波さんまで蚊の着ぐるみ姿だし!」


 遅れて戻ってきた萌波さんの姿を見て、留架がさらなる驚きの声を放つ。


「頭のおかしな姉ちゃんはともかく、萌波さんはまともな人だと思ってたのに!」


 なにやら失礼なことを言われているような気がする。


「あたしはともかくって、どういうこと~?」


 という文句は完全に無視される。


「ウチだって恥ずかしいのよ……。でも研究所の方針だから、仕方がないの……」


 萌波さんはなぜか、もじもじと体をくねらせ、顔を真っ赤に染めている。

 こんな可愛らしい格好になって、なにを恥ずかしがる必要があるというのやら。


「すっごく、バカっぽい……」


 留架は留架で、またしても失礼極まりない感想を漏らしてるし。


「なによ、留架……。あっ、もしかして……うらやましいの!?」

「違うっ!」


 即座に否定されてしまった。

 でもきっと、強がっているだけに違いない。だって、蚊の着ぐるみなんて最高の服装、憧れないわけがないもんね。

 留架は自分も着たいとわがままを言って迷惑かけないように、あえてあんな態度を取っているだけなんだわ。

 ほんと、愛い奴!


「留架くん、せっかくだし、あなたも一緒にトレーニングする? 着ぐるみだったら他にも何着か用意してあるから!」

「絶対に嫌です!」


 木乃々さんからの素晴らしい提案にも、留架は首を縦に振らない。

 もう、意地張っちゃって。可愛いんだから。


「それなら、見学かしらね。もしくは……私の部屋に来る~? たっぷり可愛がってあげるわよ~? うふふふふ♪」

「うわあああっ!」


 木乃々さんが留架を抱きしめ、執拗に頭を撫で回し始めた。

 留架をこんなに可愛がってくれるなんて、やっぱり木乃々さんはわかっていらっしゃる。


「私の部屋で、あんなことやこんなことを……でへへへへ!」


 ヨダレを垂らしながら留架を撫でまくっている姿を見ると、少々おかしいかも、という思いも浮かんでくるけど。


「ぎゃ~~~~っ! やめてください、木乃々さん! あなたの部屋になんて絶対に行きませんからね!?」

「そんなに力いっぱい拒絶しなくても~。でも、そういうところも可愛いわ~♪」


 ジタバタもがいている留架を見て、あたしは微笑ましい気持ちに包まれる。

 随分と木乃々さんに気に入られてるのね~。

 留架もあんなに楽しそうにして。ここに来て、本当によかったな。

 あたしは心からそう思った。


「うわあ~~~~っ! やっぱり来るんじゃなかった~~~~!」


 と叫び声を上げている留架は、まったくもって素直じゃない。

 一度きりの人生なんだから、ひねくれたりせずに楽しむべきだよね?




「ま、私はちょっと仕事があるから出かけてくるわ。萌波、あとはよろしくね!」


 木乃々さんはそう言い残し、知念さんを従えて研究所から出ていった。

 残されたのは、蚊の着ぐるみを着たあたしと萌波さん、そして留架の三人だけ。


「萌波さん、この研究所って、他に誰もいないんですか?」

「いいえ、いるわよ。といっても、あとひとりだけだけど。と~っても素敵な所長さんが……」


 両手――蚊の着ぐるみ姿だから両前足と言うべきだろうか――を合わせ、瞳をキラキラ輝かせながら教えてくれる萌波さん。


「萌波さん、所長さんのことが好きなんですね~」

「なっ!? そそそそ、そんなんじゃないわよ! なに言ってるのよ、もう!」


 あたしのなにげない言葉に、萌波さんは顔を真っ赤に染めて否定の意を添えてくる。

 あれ? どうしてこんなに慌ててるのかな?

 所長さんってことはかなり年上の人だと思うし、あたしとしては、お父さんやお母さんに対するような好きって意味で言ったつもりだったのに。

 きょとんとした目で萌波さんを見つめていると、


「姉ちゃんはおかしい上に鈍い……」


 留架からそんなツッコミを入れられてしまった。

 む~、鈍いってなによ。

 そりゃあ、去年の夏も蚊に刺されまくって、どうしてそこまでたくさん刺されてるのに気づかないんだ、ってお父さんから呆れられてはいたけど。


 あのときは確か、蚊に刺されて膨れている場所が全部で三十箇所以上あったんだっけ。

 とはいえ、痛みを感じないようにだ液を注入して刺す仕組みなんだから、気づかないのも当たり前だよね?

 肌に止まった時点でわかるだろ、と留架に言われたけど、あの子は単に神経質なだけだ。

 三十箇所以上っていうのは、自分でもさすがに刺されすぎだったと思うけど。


「とにかく! トレーニングを開始するわよ!」


 萌波さんの声で我に返る。

 そうだった、今はトレーニングの時間だった。

 あたしは気合を入れ直す。


「えっと……ところでトレーニングって、なにをするんですか?」


 蚊の着ぐるみに身を包んでいる状態で実施される、ムスティークとのつながりを強めるトレーニング。

 はたしてどんなものなのか、あたしとしては結構ワクワクしていた。

 努力や根性とは対極に位置するあたしではあるけど、着ぐるみ姿、それも大好きなミルちゃんと同じ姿になれたことで、気持ちが高ぶっていたのだ。

 ただ、萌波さんから返ってきたのは、こんな答えだった。


「まずは体力づくりよ!」

「え~? 地味すぎる……」

「トレーニングなんて、地味なものよ! さあ、走るわよ!」

「あたし、そういうの苦手なんですけど~」

「だからこそのトレーニングでしょ!?」


 問答無用で着ぐるみの手を引っ張られ、走らされる。

 しかも、研究所の中だけでなく、外にまで出て……。


「ちょっと……恥ずかしいかも……」

「ウチはちょっとじゃなくて、すごく恥ずかしいけどね……。しっかりトレーニングしないと、戻ってきた木乃々さんに叱られちゃうから」


 着ぐるみ、しかも普通ではありえない蚊の着ぐるみ姿ということで、すれ違う人たちがじろじろと視線を向けてくる。

 蚊に扮しているあたしを見てもらえるっていうのは、それほど嫌な気分でもなかったのだけど。


「なに? あの子たち……」

「ママ~! 蚊だよ? 大っきい蚊がいるよ~?」

「しっ! 指を差すんじゃないの。ほら、帰るわよ。目をつけられたりしないうちに……」

「なんだろう……。もしかしたら、映画の撮影とか?」

「でも、カメラなんて見当たらないよ?」


 周囲からは実に遠慮のない会話が聞こえてきていた。


「萌波さん……はぁ……はぁ……いつもこんな……トレーニング……してるんですか……?」

「そうよ……悪かったわね。はぁ、はぁ……。まぁ……今日は、理葉さんがいる分……まだマシだわ……はぁ……はぁ……」


 どうやらあたしは、道連れにされただけだったみたいだ。



 ☆☆☆☆☆



 研究所まで戻ると、留架が出迎えてくれた。


「お帰り……って、うわっ! 姉ちゃん、汗びっしょり!」


 それは当然だ。なにせ、この暑い気候の中、着ぐるみを着た状態で走ってきたのだから。


「留架~~~、疲れたぁ~~~!」


 抱きつこうとしたら、思いっきり避けられた。

 あたしは勢い余って顔面から床に激突してしまう。


「うぶぶぶぶっ! 痛い~! 留架、どうして逃げるのよ~?」

「汗臭いからに決まってるだろ!?」

「ひっど~い! あたし、臭くなんてないよ~!」


 まったく、うら若き女子中学生に向かって、汗臭いだなんて。

 きっと、抱きつかれそうになって恥ずかしかったから、そんな嘘をついてるのね。

 留架ってば、ほんと、愛い奴!


「それにしても、こんなトレーニングに意味なんてあるんですか? ただのジョギングでしかないですよね~?」


 着ぐるみを脱ぎ、汗を拭きながら、あたしは率直な疑問を口にする。

 それにはすかさず、萌波さんが回答を示してくれた。


「そんなことないわよ? ムスティーク・バタイユは、結構体力を消耗する競技なんだから」

「え~? あたし、疲れるのは嫌なんですけど~」

「あと、他にも意味はあるのよ? とくに、たくさん汗をかくって部分ね」


 どういうことかというと……。


 ――ぶぅ~~~~~~ん。


「あっ、ミルちゃん!」

「来たわね。ウチのシューちゃんも寄ってきたわ」


 あたしたちのペットであるムスティークが、それぞれのエルヴァーの腕に止まる。


「汗のニオイにつられる形で、蚊は寄ってくる習性がある。それは特別に培養されて生まれたムスティークであっても変わらないの」

「そうなんだ~」


 ミルちゃんがあたしの腕に針のような口を刺し込んで、美味しそうにちゅーちゅーと血を吸っている。

 いつも思うことだけど、実にほのぼのする時間だ。


「はうぅ……。ミルちゃん、可愛い♪」

「ふんっ! ウチのシューちゃんのほうが、圧倒的に可愛いわよ!」

「え~? そんなことないですよ~。シューちゃんも可愛いけど、やっぱりミルちゃんが一番です!」

「いいえ! シューちゃんが一番よ! この血の吸い方を見てよ! めちゃくちゃエレガントでしょ!?」

「ミルちゃんのほうが、チャーミングで愛らしい吸い方をしてますよ~! 留架もそう思うよね!?」


 なぜか呆れたような顔でこっちを見つめていた留架に、話を振ってみたのだけど。


「ふたりとも、おかしいよ!」


 とっても失礼な反応が返ってくる。


「ちょっと、どうしてよ~?」

「嬉しそうに血を吸わせるなんて、おかしいに決まってるだろ!?」

「こんなに可愛いのに……」

「まったくだわ。この可愛さが理解できないなんて、留架くんは残念な子だったのね」

「うん、残念な子なんです~」

「残念なのはそっちのほうだ!」


 どうしてここまで反発するのやら。反抗期なのかな?


「だいたい、見学ってことで残ってたのに、姉ちゃんたち、勝手に出ていっちゃうし! 僕、どうしていいか途方に暮れてたんだからね? 姉ちゃんはいつもいつも、僕を振り回して……」

「あ~、そういえばロープで縛って振り回して遊んだこともあったよね!」

「あれは遊んだっていうか、いじめられてたようなものだよ! 弟虐待だ!」

「え~~~~?」


 多大な愛情を注いで遊んであげているというのに、留架はまったく認めてくれない。

 だけど留架って素直じゃないから。本心では嬉しく思ってくれているはずだ。強がってるだけなのよね、きっと。


「留架、大好き!」

「うわっ!? 姉ちゃん、抱きついてくるなよ! 意味わからない! っていうか、汗臭いよ!」

「もう、ほんとは嬉しいくせに~! べたべたべた!」

「ぎゃ~~~っ、頬ずりしてくるな~~~! ばっちぃ~~~~!」


 姉弟のスキンシップを見せつけられた萌波さんは、あたしたちにじーっと視線を向けていた。

 おそらく、うらやましく思っているのだろう。なんたって、仲よし姉弟だもんね、あたしと留架は。


「留架くん……お姉さんがこんなで大変ね……」

「まったくですよ! 大いに変で、大変ですよ!」


 なんて言っているのだって、ただ素直になれないだけなんだよね。ほぉ~んと、愛い奴!

 萌波さんも、年上みたいだけど、可愛い人だ!


 あたしの腕の中で激しくもがく留架には、お望みどおりたっぷりしっかり、ほっぺたをすりすりし続けてあげた。

 ついでだからと萌波さんにも同じことをしようとしたら、一目散に逃げられてしまったけど。

 萌波さんも、素直じゃないんだから!




 車でここまで連れてこられたあたしと留架は、木乃々さんたちがいないと家に帰れない。

 正確には、車と運転手の知念さんがいれば大丈夫、ということになるだろうか。

 どちらにしても、徒歩で帰るには遠すぎる。

 そんなわけで、木乃々さんと知念さんが戻ってくるのを待ってから、あたしたちは帰宅することになった。


 車で送ってもらっている途中で、是非これからもムースバターの研究施設まで来てほしい、と木乃々さんからお願いされた。

 送り迎えはするから、学校のない土日と祝日にはなるべく来てもらいたい、とのこと。

 もう少しすれば期末テストも始まる時期だけど、そのあたりは本人の判断に任せる、と言われた。

 無理強いする感じではなかった。でも、なんといってもミルちゃんがやる気満々だから、あたしは素直に頷いた。


 留架は複雑な表情をしていたものの、なにも言ってはこなかった。

 あたしの決意が固いのを感じ取ってくれたのだろう。

 いつも「姉ちゃんにはなにを言っても無駄だから……」と、あたしの意思を尊重してくれるし。


「ありがとう、理葉さん。これから末永くよろしくね。期待してるわよ!」

「はいっ!」


 がっしりと握手を交わす、あたしと木乃々さん。


「はぁ……もう、どうでもいいや。せいぜい頑張ってね、お姉ちゃん」


 なんて気のないフリをしている留架も、ちゃんと毎回連れていってあげないとね!


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