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ムスティーク・バタイユ  作者: 沙φ亜竜
第4章 敵はすぐ近くにいるものだから
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-1-

 研究所に戻ったあたしは、「大きな口を叩いてすみませんでした」と萌波さんに謝った。

 萌波さんは、「あ~、やっぱり負けちゃったか」とつぶやき、あたしの頭を撫でてくれた。

 謝罪を素直に受け入れてくれたのは、あたしが涙まで流して何度も頭を下げていたからだろう。


 強くなるには、トレーニングしなくてはならない。

 頼れる先輩であり、有能なトレーナーでもある萌波さんの力が、今のあたしには欠かせないのだ。


「あとは、場数を踏んでいくことかしらね。潤平くんや鮎季さんと戦ってみて、よくわかったでしょ?」

「はい……」

「でも、ウチだってこの事務所のエースとして強くなっていく必要があるんだから。あなたにばっかり、構ってもいられないわ」

「うっ……、そうですよね……。あたしなんて、お荷物なだけですよね……」


 マイナス思考に囚われ、完全にうつむくあたし。

 それを見て、萌波さんは慌てて明るい声をかけてくれた。


「えっと、だから、お互いに頑張りましょう、ってことよ! 自信過剰はダメだけど、自信を持つのは悪いことじゃないの! 理葉さんには素質があるんだから!」

「そ……そうですよね! あたし、素質ありますよね!?」

「え……ええ。ただ、素質だけじゃ勝てないんだから。トレーニングにはしっかりと取り組むこと! いいわね!?」

「はいっ!」


 というわけで。

 あたしと萌波さんは、蚊の着ぐるみに着替えた。

 体力づくりなどのトレーニングの他に、萌波さんと直接戦ったりもした。

 空手の組み手ような感じだろうか、キックやパンチなんかを繰り出して、腕や足をぶつけ合う。

 着ぐるみを着た状態で素早く体を動かすのはかなり大変だったけど、試合をイメージする上ではこれも有効な訓練なのだという。


 トレーニングでたっぷりと汗をかいたあとは、食事の時間になる。

 もちろん、あたしたちのムスティーク、ミルちゃんとシューちゃんの食事だ。


「さ、ミルちゃん。たっぷり吸ってね!」

「シューちゃんも、ほら、どうぞ!」


 着ぐるみを脱いで薄着になったあたしと萌波さんが、それぞれのムスティークに汗まみれの腕を差し出す。

 嬉しそうに寄ってくる、ミルちゃんとシューちゃん。

 あたしはミルちゃんにじっと視線を向ける。


「いただきます」

「はい、どうぞ」


 声はないけど、目で会話する。

 二の腕辺りに止まったミルちゃんは、その場で何度か体の方向を変え、吸いやすい場所を探しているようだった。

 肌の上で六本の足がうごめくと、ちょっとくすぐったい。

 やっぱり、ミルちゃんって可愛いな。撫でてあげたい衝動に駆られるけど、ぐっと耐える。潰してしまうかもしれないし。


 ミルちゃんはすぐに動きを止め、あたしのほうを見つめながら、細長い口を伸ばしていく。

 ぷすっ。

 なんて音がするわけじゃないけど。

 ちくりとほんの一瞬だけ痛みがあったように感じる。

 肌を切り裂いて針を突き刺したのだから、当然と言えば当然か。


 蚊は血を吸う際、最初にだ液を流し込んで血液が固まらないようにする。それは特別に培養されて誕生したムスティークでも変わらない。

 このあと、かゆみも出てくるだろうけど、ミルちゃんとのつながりの証でもあるわけだし、心して受け止める。


 それにしても、こんな小さな体なのに、ムスティーク・バタイユの世界に身を投じる戦士だなんて。

 かわいそうにも思えるけど、それがミルちゃんの存在意義であり生きがいでもある。

 あたしはエルヴァーとして、ミルちゃんを思う存分戦わせてあげる立場にあるのだ。


 鮎季さんは、ムスティークは頑丈だからミサイル攻撃を食らったとしても死んだりしない、と言っていた。

 たとえそうだとしても、少なくとも衝撃はある。

 声を発することはないからよくわからないけど、痛みだってあるに違いない。

 どんなに愛しく思っていても、ぎゅっと抱きしめてあげられないのが残念でならない。


 ミルちゃんのおなかは今、真っ赤に染まって膨らんでいる。あたしの血をたっぷりと吸ったからだ。

 針を抜こうとするミルちゃん。

 そこで二の腕の筋肉にぐっと力を入れて意地悪をする。

 引き抜こうとしても上手くいかず、焦っている様子のミルちゃんを、微笑ましく見つめる。


 ミルちゃんはどうにか針を抜き、空中に舞い上がった。

 いつにも増してふらふらと軌道を乱している。

 吸った血が重すぎて機敏に動けないミルちゃんもまた、ラブリーだった。


「よし! シューちゃんたちの食事も終わったし、今度は実戦トレーニングをするわよ!」


 萌波さんも血を与える代わりに、癒し成分をたっぷりと摂取したのだろう、元気に指示してくる。


「はいっ! お手合わせ、お願いします!」


 当然あたしも、勢いよく返事を響かせる。

 そしてそれぞれのムスティークを引き連れ、研究所の奥にあるバタイユ・ルームへと向かった。




『行くわよ! シールド乱舞!』

「わわわっ! 開始早々の総攻撃なんて、ずるいです!」


 エスプリ・ボワット内のスピーカーを通して、お互いに声を張り上げる。

 戦い始めた瞬間から、いきなりクライマックスの様相だった。


『ずるくないわ! これは実戦! 戦争なのよ!』

「練習ですから~! きゃ~~~っ!」


 投げつけられたシールドが、ミルちゃんの小柄な体をかすめゆく。

 どうにか直撃は免れた。

 よし……反撃だ!


「ミルちゃん、やっちゃいなさい!」

「合点承知!」


 ミルちゃんが答えるはずはないけど、あたしの心にはその声がしっかりと聞こえたような気がした。

 ふらふら飛ぶミルちゃんの視界が、モニターに映し出されている。

 スピードは遅い。おなかに残っている血が、まだ重いのだろう。

 だからといって、負ける気なんてさらさらない。


「ミルちゃん、ミラージュ・アタックよ!」


 鮎季さんとの試合前に頭の中でイメージしていたものの、結局は不発に終わった技の名前を叫ぶ。

 あたしの声に合わせて、ミルちゃんはふらふら度を増す。


『な……っ!? 七色に輝いてる!?』


 驚愕する萌波さん。

 ミルちゃん視点の映像ではわからないけど、萌波さんにはそう見えているのだ。

 オートエフェクト機能に、あたしのイメージが反映されているということなのだろう。


 不規則な動きを伴って、ミルちゃんがシューちゃんへと迫る。

 萌波さんは焦っている。

 これなら、勝てる!

 と思った矢先、背後から衝撃が襲いかかる。


「えっ!? なに!?」

『シールドをブーメランのように使っただけよ!』


 次々とぶつかってくるシールド。

 気づけば目の前の小型モニターには、『You Lose』の文字が表示されていた。




「む~、負けちゃった……」

「ウチはエースだからね。負けっぱなしじゃ終わらないってことよ。でも、なかなか楽しい試合だったわ」


 エスプリ・ボワットから出たあたしと萌波さんは、がっちりと握手を交わす。

 汗でべちょべちょして正直ちょっと気持ち悪かったけど、それはお互い様だと思うし黙っておいた。


「あっ、負けたってことは、あたしの血をシューちゃんにあげないといけないですよね?」


 勝ったほうのムスティークは、負けたエルヴァーの血を吸って、能力をワイルドカードとして取り込むことができる。

 そういうルールになっていたはずだ。……と思ったのだけど。


「いいえ、それは正式に協会から認められた試合のあとだけよ」

「え? そうなんですか?」


 つまり、非公式の練習試合などでは、血を吸わせる必要はない、ということだ。


「正確には、血を吸わせちゃいけないの。吸わせると本来のエルヴァーとのつながりが弱くなってしまうから」


 ムスティーク・バタイユの舞台となっているスフィアと、エルヴァーが入るエスプリ・ボワットは、協会側で準備しているものなのだという。

 ムースバター研究所のようなムスティークを研究する機関は、協会に申請して必要な機材を貸し出してもらっている。

 研究所の設備が正式な試合会場なんかと比べてチャチな印象なのは、レンタル用の機材だからだったようだ。


 ムスティークは、試合直後のアドレナリンが分泌されている状態ならば、相手の血を吸っても本来のエルヴァーとのつながりは弱まらないで済む。

 以前、そういう話を聞いたけど、それなら敗者のムスティークが勝者のエルヴァーの血を吸っても、ワイルドカードを得られそうなものだ。

 あたしは、決まりとして勝ったほうだけの特権になっている、と考えていたのだけど、実はそうではないらしい。


 スフィア内で戦い、勝ったムスティークには、スポットライトが浴びせられる。その状態が、会場のモニターに勝者の姿として映し出されるわけだけど。

 スポットライト自体が特殊な光になっていて、それにより予備の胃袋が機能するようになる。

 そこへアドレナリンの大量に分泌された血液が入ってくることで、ワイルドカードとして確保できる仕組みになっているのだそうだ。


 このとき、もし対戦相手以外の血が入ってきたとしても、胃袋には溜められず、そのまま流れ出てしまう。

 本来のエルヴァーの血であれば、同じように試合でアドレナリンが分泌されている状態のため、取り込むことも可能ではあるけど。

 取り込んだ相手の能力を一回だけ使える、というのがワイルドカードの役割なのだから、それでは意味がないのは明白だろう。


 勝者へのスポットライトを管理しているのは、ムスティーク・バタイユ協会だ。

 正式な試合として申請が通っていれば、自動的に特殊なスポットライトが勝ったほうのムスティークに向けて放たれ、その情報がネットワークを介して協会側に送られる。

 なお、スポットライト照射の回数はカウントされていて、申請した分しか使えないシステムになっているのだとか。


「ムスティーク・バタイユに参加する団体ごとに、正式な練習試合の回数制限があるのよ。無制限にワイルドカードを取得させないようにするためらしいわね」

「へ~、そうなんですか~」


 いろいろと説明してはもらったものの、あたしにはよく理解できなかった。

 まぁ、あまり気にしなくてもいいよね。あたしはあたしらしく戦えばいいんだし。




 そんな感じで、あたしは萌波さんと一緒にトレーニングを続けていたのだけど。

 体力づくりはいいとして、練習試合に関して言えば、同じ相手とばかりではトレーニングの効果は弱まってしまう。

 お互いに手の内を読み尽くしていて、戦いの場以外では仲よくお喋りもするような関係では、おざなりな試合になるのも仕方がないのかもしれない。


 あたしは萌波さんと、楽しくトレーニングをしていた。

 楽しく。

 言い換えれば、楽に。

 まったくの無意味ではないにしても、気の抜けたトレーニングで身になるものなどあるわけがない。

 それを見抜いたのだろう、木乃々さんが話しかけてきた。


「このままじゃダメね」


 自分でもわかってはいた。

 萌波さんだって、わかっていたはずだ。

 それでも、楽しいからいいや、と思ってしまっていた。


「今日は別の相手と戦ってもらうことにするわ」


 とすると、別の団体に所属する誰かに、正式に試合を申し込んできたということか。

 あたしはそう考えたのだけど、それは間違っていた。


「正式な試合は回数制限もあるし、頻繁にはできないわ」


 ならば、どういうことなのか。

 その答えはすぐに示された。


「新たなエルヴァーに来てもらったんですよ」


 所長さんが事務所のさらに奥から現れ、強面の顔に似合わない爽やかな声を響かせる。

 あたしは驚いた。

 所長さんの顔や声に、ではない。その隣に並んでいる新たなエルヴァーの姿を見て、驚いたのだ。


「彼が、この研究所の三人目のエルヴァーとなります」

「えっと、よろしく、萌波さん、それと……姉ちゃん」


 紹介された三人目のエルヴァーは、あたしの弟、留架だった。


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