表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ムスティーク・バタイユ  作者: 沙φ亜竜
第1章 ミルちゃんは家族だから
1/17

-1-

 ペット。

 それは人の心を和ませたり癒したりしてくれる愛玩動物。

 飼い主はその可愛らしい仕草や可愛らしい声に狂喜乱舞し、ペットをまるで家族であるかのように……いや、完全に家族として受け入れる。

 ペットがそこにいてくれるだけで、そしてたまに愛らしい声で甘えてくれるだけで、飼い主は言いようのない幸福感に包まれる。代わりに、ペットは庇護と食事とこの上ない愛情を与えてもらえる。


 世話や餌代などに困って捨ててしまう事例がある、といった問題もないわけではない。

 でも、元来人間はペットを求めるもの。

 古代の壁画にすら、ペットとして飼われている動物が描かれたりしているのだから。

 いわば、欲求のひとつと表現してもいい。人間の三大欲求に「ペット欲」を加えることを提唱したいくらいだ。


 なお、ここで「飼育欲」と言わないのは、飼育すること自体に喜びを見い出すのではなく、相互関係が重要だと思っているからに他ならない。

 もちろん、飼育すること自体を楽んでいると主張する人だって、中にはいるだろう。その場合、飼い主はいわばマスターで、ペットとのあいだには主従関係が結ばれていることになる。

 それはそれで構わない。


 だけどあたしとしては、ペットは家族であり、さらには友達でもあるという姿勢を貫き通したい。

 お互いに与え合う。

 それこそがペットとの正しい関係だと、あたしは常々考えている。




「ミルちゃん、ご飯よ~!」

「…………」


 あたしはペットのミルフィーユにご飯を差し出す。

 愛称はミルちゃん。やっぱりペットは可愛らしく呼びたいしね。

 ミルちゃんは嬉しそうに、あたしのほうへとすり寄ってきた。


「さ、どうぞ! たっぷり召し上がれ!」

「…………」

「どぉ? 美味しい~?」

「…………」


 一心不乱に食事を続けるミルちゃんは、喜びの声こそ発しはしなかったものの、あたしの問いかけに肯定の意思を示すように自らの身を微かに震わせた。


「そう、よかった~♪」


 満足そうなミルちゃんを見ていられるだけで、あたしは幸せな気分になれる。

 こういった時間こそが、あたしを和ませ癒してくれる。


「…………姉ちゃん…………」


 ふと、こちらに視線を向ける弟から、呆れを含んだような声がかけられた。


「あっ、留架(るか)! どうしたの~?」


 首をかしげて見つめ返す。


「はたから見てると、すっごく……変だよ?」


 なんですと?

 姉であるあたしに向かって、変だとは。


 そんな弟に育てた覚えはありません!

 なんて文句をぶつけたら、姉ちゃんに育てられた覚えはない、と言い返されるだろうな。

 そもそも、あたしにだって留架を育てた覚えなんてないし。


 留架がもっと小さかった頃には、転ばないように手を引いてあげたりとか、それくらいはした記憶があるけど。

 どう考えても、育てた、などと大手を振って言える立場ではない。

 とはいえ、『変』と言われたことに対しては腹を立てる。


「え~? なんでよ~? ペットにご飯をあげてるだけだよ~?」

「そりゃそうだけどさ……。でも……」


 あたしの剣幕に若干引き気味ながらも、反論を返そうとしてくる留架。

 そのタイミングで、ミルちゃんが「ごちそうさま」とばかりに身を離す。


「あっ、ミルちゃん、食事終わったのね~! どぉ? 美味しかった~?」

「…………♪」


 あたしが再び問いかけると、ミルちゃんは嬉しそうに、あたしの周囲をくるくると回り始めた。


「あはっ! ミルちゃん、目が回るよ~!」

「…………姉ちゃん…………」


 ミルちゃんとあたしのあまりの仲のよさに嫉妬でもしたのか、留架はなんとも微妙な感じの表情を見せる。

 さらには怒鳴りつけるくらいの勢いで、こんなことをも叫んだ。


「普通、『蚊』をペットになんてするか!? しかも、自分の血を餌としてあげて!」

「え~? すっごく可愛いよ~?」

「その感覚が変だっての!」

「全然変じゃないよ~。小さくて守ってあげたくなっちゃう愛くるしさ、耳に心地よく響いてくるか細い声、足とか口とかもシャープでカッコいい造形美だし、すごく繊細なところも魅力的で最高じゃないの~!」

「守ってどうするの!? それと声じゃなくて羽音だから! カッコよくもないし、繊細ってのはそうかもしれないけど、べつに魅力的ではないよ!」

「ええ~~~~っ!?」


 あたしは不満で唇を尖らせる。ミルちゃんみたいにシャープにはならないけど。

 ぽりぽり。


「それに、ほら! 血を吸わせてたところ、掻いてるじゃん! かゆいんでしょ!?」

「うん、そりゃあ、かゆいよ~。ミルちゃんは蚊だもの、当たり前じゃない」

「どうしてかゆくなるのがわかってるのに、自分の腕を差し出すのさ!?」

「だって、ミルちゃんのご飯だから~。かゆくなるのは、代わりにミルちゃんからだ液をもらってるってことなのよ~。あたしは血を与えて、ミルちゃんはだ液を与えてくれてるの~」

「それ、お礼みたいな感じで与えてるわけじゃないから! 吸った血が固まらないために注入してるだけだから! しかも、アレルギーでかゆくなるんだから、逆に嫌がらせ的な要素すら含まれてるよ!」

「嫌がらせって、それはひどい言い草だよ~! あたしはミルちゃんから癒しをもらってるもん。それだけで充分、ご飯をあげる理由になるんだよ~!」

「だいたい、蚊が血を吸うのは産卵時の栄養を得るためだから! ミルちゃん自身のご飯ってわけじゃないから!」

「え~? そうなのぉ~? でもミルちゃん、美味しそうに血を吸ってくれてるよ~?」


 ぽりぽりぽりぽり。

 かゆみが強まってきていたため、あたしはひたすら腕を掻きまくる。


「うわっ、めっちゃ膨れてるじゃん! ひぇ~、かゆそう~! 姉ちゃん、そんなに肌が強いほうじゃないってのに。あまり吸われてると、そのうちすごくひどい状態になっちゃうんじゃない!?」

「あら、留架。あたしのこと、心配してくれてるの~? あっ、そうだ! だったら代わりに、留架がミルちゃんにご飯をあげる係になるってのはどう?」

「絶対ヤダ!」


 語調を強めての激しい拒絶。

 どうしてこの子は、こんなにも聞き分けのない弟になってしまったのだろう。


「ま、いいわ。あたしはミルちゃんが好きなんだから~。留架になにを言われたって、飼い続けるもん!」

「はぁ……。べつにいいけどさ。どうせそんなに長生きできるわけでもないし」

「ミルちゃんは何年もあたしと一緒に生きるんだもん! ねぇ~?」


 ――ぶ~~~~~~~~ん。


「…………♪」


 ミルちゃんは頷いてくれているかのように、あたしの目の前で素早く旋回を繰り返す。

「蚊が何年も生きるか~~~~!」

 そして留架からは、激しいツッコミの声が飛んできた。




 あたしは生田(いくた)理葉(りは)。中学二年生のごく普通の女の子だ。


「いや、姉ちゃんは絶対に普通じゃないから!」


 ……心の声にツッコミを入れてくる留架こそ、普通ではないと思う。


 そんなあたしの弟、留架は小学三年生。

 五歳違いと少し離れてはいるものの、というか、離れているがゆえなのか、あたしとはとっても仲がいい。

 そう思っているのはあたしだけ、というわけではないはずだ。たぶん。きっと。

 だって留架は、昔からいつもいつも、あたしにべったりくっついてきているのだから。


 といっても、文句やら苦言やら呆れ声やら悪口やら、なにかと心外な言葉をぶつけられてはしまうのだけど。

 そういうのだって、おそらくは愛情の裏返し。あたしのことが大好きだからこそなのだろう。

 ふふっ、愛い奴め。


 ただ、今のあたしとしては、留架なんかよりもペットのミルちゃんのほうが大切だったりする。

 数日前に見つけた蚊、ミルちゃん。

 なんだかやけに懐いてきて、ひたすら血をちゅーちゅーと吸っていた。

 何ヶ所も何ヶ所も刺しまくって。


 そうなんだ。あたしの血ってそんなに美味しいんだ。だったらいいよ、どんどん吸って!


 腕だけに限らず、足も顔も、なぜだか服の下に隠れていたはずのおなかや肩の辺りまで。

 ミルちゃんは飽きることなくあたしの血を吸っていたようだ。

 小さくて目では追いきれず、気づいたら膨れ上がってかゆくなっていただけだから、もしかしたら他にも蚊がいたのかもしれないけど。

 それでも、家に帰って部屋に戻ってもくっついていたミルちゃんに、あたしはきゅーんとしてしまった。


 ペットとして飼おう。

 そういう結論に至ったのも、ごくごく普通の反応だったと言えるはずだ。


「いやいやいや、普通じゃないから!」


 またしても留架が心の声にツッコミを入れてくる。


「そんなツッコミ体質だと疲れない~?」

「姉ちゃんがツッコまれ体質すぎるの!」

「え~? あたし、普通なのに~」

「普通の人は蚊をペットにしようなんて思わないよ!」

「こんなに可愛いのに~。ねぇ~?」


 ――ぶうぅぅぅん!


「…………♪」


 ミルちゃんもこくこくと頷くように上下に飛ぶ。


「蚊なのに言葉を理解してるみたいに見えるのも、僕としては信じられないよ!」

「ほんとに理解してるんじゃないかな~? あたしだって、ミルちゃんの考えてることとか、なんとなくわかるし」

「やっぱり姉ちゃん、普通じゃない!」


 留架とは一緒にいる時間が長いからか、こうやって反発されることも多い。反発、と呼ぶのは相応しくないかもしれないけど。

 お母さんに言わせれば、「あんたたちは完璧に似た者同士ね。絶対確実に姉弟だわ、間違いない」とのこと。

 それって、もし間違いがあっちゃったら、いろいろと問題があるんじゃないだろうか。


 とまぁ、それはともかく。

 一緒にいる時間が長い理由は、あたしと留架が同じ部屋で生活しているからでもある。

 部屋数の少ない我が家では、それぞれ個室を与えてもらうことはできなかった。


 今のところ、あたしは大して気にしていない。いつでも話相手がいて、寂しくなくていいと思っているくらいだ。

 留架のほうだって、散々文句を言いまくったりはするけど、なんだかんだであたしと話すのを楽しんでくれていると思う。

 少し前までは、二段ベッドの上側で寝ているあたしところに、「なんか眠れなくて」とか言って入ってきたりもしていた。

 その話をすると、留架は顔を真っ赤にして恥ずかしがる。べつに恥ずかしがらなくてもいいのにね、兄妹なんだし。


 ちなみに、ペットであるミルちゃんを、あたしは部屋の中で飼っている。

 そのあたりも、留架が文句を言う原因となっていたりするのだろう。


 さすがにあたしでも、ミルちゃんを放し飼い状態にはしていない。透明なプラスチックの虫カゴを用意し、その中に入れるようにしている。

 虫カゴの上部には空気穴が開いていて、そのままではミルちゃんが通過できてしまうので、薄手の布を張って補強もしてある。

 時間になったら虫カゴから出してご飯を与えてあげるのも、今のあたしにとっては楽しみのひとつなのだ。


 そこで留架から、変だ変だと言われてしまったわけだけど。

 あたしには全然変だなんて思えない。

 ペットを愛でているだけなのに。

 ペットにご飯を与えているだけなのに。


「さてと。それじゃあミルちゃん、食後の運動のため、散歩に行きましょうか~!」


 ――ぶうぅぅん、ぶぅぅん!


「…………♪」


 ひと際大きな円を描いて喜びを表すミルちゃん。


「それも変だから! どうして蚊を散歩に連れていくのさ!? 意味わかんないよ!」


 留架はどういうわけか、またしてもツッコミの声を響かせていた。



 ☆☆☆☆☆



 ミルちゃんを散歩に連れていく際は、一応ヒモをくくりつける。

 すごく懐いてくれているし、逃げてしまうだなんて思いたくはないけど、ミルちゃんは空を飛べる上にサイズも小さいため、もしどこかに行ってしまったら見つけるのが非常に困難だからだ。

 ミルちゃんはもう、家族同然の存在。いなくなったら寂しくて泣いてしまう。

 だから、念のため。そう言い聞かせて、自分を納得させている。


「よく蚊にヒモなんてくくりつけられるよな」


 留架からそんなふうに言われたこともあったっけ。

 実際のところ、あたしはべつに器用ではない。むしろ、大雑把で適当な性格だから、細々した作業には向いていない。

 それでも、ミルちゃんがあたしの意図を汲み取ってくれるのか、しっかりと身を預けてくれるおかげで、問題なくヒモを巻きつけることができる。

 普通の蚊と比べるとサイズが大きい、というのも、ヒモを巻きつけやすい要因となっているのだろう。


「それも、おかしな部分なんだよな。本当に蚊なのかな? やけに目が大きくて、なんだかマンガとかに出てきそうな感じというか……」


 留架はそんなふうにも言っていたけど、あたしはやはり気にしていない。

 ミルちゃんにしっかりとヒモをくくりつけ、ついでに留架にもロープをくくりつけ、さあ、準備万端。


「それじゃ、行きましょう~!」


 ミルちゃんと留架に声をかけ、部屋を出ようとする。


「……姉ちゃん、なんのつもり?」


 あたしが引っ張るロープの先が巻きつけられている留架から、なにやら疑問が飛んできた。


「ミルちゃんの散歩に行くのよ~?」

「うん、それはわかるよ。だけど、僕に巻きつけられてるこのロープはなにかって聞いてるんだけど」

「そりゃあ、留架の散歩もついでにしてあげようと思ったからに決まってるでしょ~?」

「僕は姉ちゃんのペットじゃない!」

「ええ~~~~っ!?」

「ええ~~~~っ、じゃない! こっちこそ、ええ~~~~っ、だよ!」

「だってほら、ミルちゃんばっかり構ってると、留架はすねちゃうでしょ~? ひとりで部屋に残していったら寂しがるだろうし~」

「すねたりしないから! 姉ちゃんがいなくなって、せいせいするから!」

「そんなに強がらなくてもいいのよ~? さ、行きましょう~!」

「ぐあっ、ほんとにこのまま出かけようとするなよ! せめてロープは解け~~~っ!」

「だって~、解いたら逃げちゃうでしょ~? これだから忠誠心のないペットは嫌ね~」

「逃げないから! あと、ペットじゃない!」

「はいはい。ごちゃごちゃ言ってないで、行きましょうね~」

「だから、ロープは解いてってば!」


 留架はじたばたと暴れながら涙目になっていた。ちょっとからかいすぎただろうか。

 それにしても、玄関までロープで引っ張ってきたくらいで、そこまで嫌がらなくてもいいのに。

 ……あたしが留架に同じことをされたら、確実にどつき倒すだろうけど。

 ともかく、仕方がないのでロープは解いてやる。


「逃げないでちゃんとついてきてよ~? あたし、留架と一緒に散歩するの好きなんだから~」

「……まぁ、僕だって嫌じゃないけどさ……」

「やっぱり、ミルちゃんが散歩のメンバーとして加わって、すねちゃってるのね。可愛いんだから」


 ぷにぷに。留架の柔らかいほっぺたをつつく。


「そ……そんなんじゃないから!」


 留架はあたしの指を手で払いながら、素直じゃない言葉を吐き出す。でもその顔は真っ赤に染まっていた。




 もともとあたしは、留架とふたりでよく散歩していた。

 学校から帰ってきたら、一緒に出かける。それが昔からの日課みたいなものだった。

 その道中で、ミルちゃんとも出会ったわけだけど。

 留架としては、大切なお姉ちゃんであるあたしがミルちゃんに奪われてしまうと思って、いじけているような状態なのだろう。ほんと、愛い奴だ。


 今日も日差しが強いけど、たまに吹き抜けていく風はとても心地よい。

 主に散歩コースとしているのは河川敷。川面にキラキラと反射する太陽の光が視覚を存分に楽しませてくれる。


 平べったい石を水面すれすれに投げて、何回跳ねるかを競ったり、

 色とりどりの草花や、そこに集う虫たちを観察したり、

 明るい声を響かせる子供たちの様子を微笑ましく眺めたり。

 そんなことをしながら、ヒモでくくりつけられたミルちゃんを伴って、あたしと留架は歩いていく。


 若干、周囲からちらちらと目線は向けられたりもしていたけど。

 ごくごくありふれた散歩風景、といった感じだった。

 あの人たちが目の前に現れるまでは――。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ