第五章(1)
「やっぱり、ここに居たんだ」
俺はきつい階段を上りきるとようやく屋上にたどり着いた。その時にはもう息も絶え絶えだったわけだが……。
部活引退してから何もしてなかったし、鈍ってるんだろうな。俺はそのままフェンスの近くに居る空の元へと歩み寄った。
「何して……うわ、すげえ……」
俺の視界に入って来たのは、夕焼け空に染まり、それを反射した水面がきらきらと光る、かつては都会であった街並みだった。
「空はいつもここにいるの?」
「この時間は大体ここにいるわ」
そう言う空は視線を変えず、フェンス越しに景色を見つめている。一体空の見渡す先には何が見えているのだろうか。
先ほどの要さんの話の後では、何か俺たちが見ているものとは別の世界が空の瞳には映っているのではないだろうか。俺はそう感じた。
俺は空の眺める先を見つめて観る。だが俺に夕焼け空にしか見えなかった。
「夕焼け、綺麗だね」
そう発した俺の声に空はこくりと首を振る。それからは互いに何も話す事ないまま、ただ時間だけが流れた。
その沈黙を打ち破ったのは、以外にも空の方だった。
「貴方は何しにきたの?」
「へ? ああ、特に理由があったわけじゃないんだけどね。興味があったんだ。下界に」
「そう。興味が湧くような物があるとは思えないけど」
「まだ来たばかりだからよくわからないけど……こっちには新世界にない物がある気がするんだ」
「ここにあるのは水と終末を迎えた世界だけ。それ以外の何物でもないわ」
「……そんな事ないって! 俺たちが忘れてる大事な物がきっとここにはあるはずなんだ」
ついつい悪い癖が出てしまった。突然張り上げられた声に、景色を眺めていた空はこちらに振り返る。
「ふふっ……貴方、面白いわね」
今までの流れからでは想像出来ない、女の子らしい表情で笑う空。その表情のギャップに思わずドキっとさせられた。
「あ、いやごめん……急に怒鳴ったりして」
「それなら探しに行きましょう。貴方の見つけたい物を」
強い夏の風に空の黒髪がふわりと宙を舞う。昼間の太陽に照らされ、感じたそれとは違う、別の顔が今の空には見えた。
「それってどういう……?」
「貴方がここに居る間、私も付いて行くわ。嫌かしら?」
「嫌なわけないってっ……じゃなくて、付いてきてくれるのは嬉しいけど、空はいいの?」
「ここの事は貴方より私のが詳しいわ。それに……貴方の言っている大事な物――そんな物があるのなら……私も見てみたいの」
「それじゃあ……お願いしてもいいかな。空」
「ええ。こちらこそよろしくね。浩人くん。早速明日から探しに行きましょう」
思いもよらない空の発言にドキドキしながらも、不安でいっぱいだったこの旅に対する気持ちが大きく変化した。
その変化は俺の旅の目的にも大きく影響しそうだ。
「ふーう……やっぱり僕ももう歳だなあ。ここまで上ってくるのが辛いよ」
「あっ、要さん。どうしたんですか?」
「いやあね、君たちが中々戻ってこないから呼びにきたんだが、ほら早くしないとせっかくのカレーが冷めてしまうよ」
研究室のフロアに戻った俺たちは要さんの作ってくれたカレーを頂きながら、明日から空と一緒に行動する事を伝えた。
放任主義なのかはわからないが、要さんはそれを快く受け入れてくれた。正直反対されると思ったんだけどな……。
「ごちそうさまでした。まさか下界でこんな美味しい物が食べられるとは思わなかったですよ」
「ハハハ、そうかい? そう言ってもらえると作りがいがあるな。食材なんかは五日置きに届けてもらえるから割と不自由はしないんだがね」
俺は平らげた食器を流しに置き、軽く洗い物を済ませると、乾かしてあったデバイスを手に取り電源を入れる……がしかし。うんともすんとも言わない。
「あー……くそっ、だめかあ……」
無駄だとわかりつつも、振ったり撫でたり祈ったりしたが、やはり動く気配はない。その様子に気付いてか、要さんが声をかけてきた。
「ん? ああ、やはり海水だときびしいね。そうだ。型遅れだけどこれを使うといい」
そういうとミニデバイスをこちらにひょいっと放ってきた。
「あっととっ……いいんですか? これお借りしても」
渡されたのは今持ってるのよりも少し大きめなミニデバイスだった。普通に使う分には申し分のない物である。
「それは空に渡してた物なんだが、全然持ってくれないんでね。あっはっは」
「私は別に必要ないわ」
液晶をタップし、中身を確認する。本当は自分のデバイスのデータを移したかったが動かない以上仕方がない。
せめてもと、覚えてる番号だけでも登録しようとするが……ワンタッチで通話の出来るこのご時世、番号なんて覚えてるわけもなく……。諦めた俺はそっと閉じた。
「それじゃあ、ありがたくお借りします」
「僕の番号は『ラボ』で登録してあるから。何かあったら連絡してくれたまえ。ああそれと、君の寝泊まりする場所なんだが二つ上のフロアを使うといいよ。ちゃんとベッドもある」
「すいません、何から何まで……」
「なぁに気にするなって。君には貴重なデータをもらったしね。これくらいお安いご用さ」
俺は言われた通りに二つ上のフロアへとやってきた。作りは研究室のあるフロアと変わらないが、きちんとベッドがあり、寝泊まり出来る空間が用意されている。
持っていた荷物をデスクの上に放り投げると、ベッドに倒れ込むように寝ころんだ。
「はぁっ……疲れたな……」
まさか下界で他の人間と接触するなどと考えもしなかった俺は、今日の新たな出会いに感謝すると共に、少し複雑な気分だった。
自分の気持ちの整理のための旅だった当初の予定が、空と言う子と出会った事でより具体的な物へと変わっていたからだ。
要さんから聞いた空の複雑な境遇と今の空とで、頭の中でぐるぐる渦巻いている。明日からは空と一緒の旅になるわけだが……果たして上手くやっていけるのだろうか。
深く考えても答えは見つからない。だけど俺は空の事をもっと知りたいと考えていた。
「月が綺麗だな……」
俺はベッドから降りると月明かりの差し込むカーテンを大きく広げた。窓に差し込んだ月明かりは、外の水辺に強く反射し、キラキラと輝いて見える。
穏やかな水面はまるで空を映しだす鏡のようで、俺は時が経つのを忘れて見入ってしまった。
ガチャ――
突然の扉が開く音に気付き後ろを振り返ると、そこには空が立っていた。余りの突然の事に驚き、あたふたしている俺を横目に空はベッドに腰を下ろした。
なんだこれはなんだこれは……俺のベッドに女の子が!! えーとこれは、えーと……つまりはそういう事か!? そういう事なのか……?
いやまだ早いだろう……俺たちまだ今日あったばかりだし、ほら心の準備とかもあるし……でもでも! 女の子に恥をかかせるわけにはいかないし。ここは俺がっ……!!
過ちを犯そうとしている直前だった俺に対して空は口を開いた。
「明日の事なんだけど」
「え……あ、うん」
危なかった。もう少し遅かったら俺は超絶勘違い野郎になってしまう所だった。
「どこか行きたい所とかのあるかしら」
「行きたい所って言うか、元々俺はある場所に行くためにこっちにきてるんだ」
デバイスのマップを表示させると、現在地から目的地までスクロールさせる。画面の中央に三隅市が表示された所で、それを空に手渡した。
「三隅市? こんな所に貴方の探している物があるのね。名前だけは知っているけれど、行った事はないわ」
「探している物って言うよりは、なんだろうな。今見ておかなければいけない気がして。まぁ自己満足みたいなものなんだけどね」
「そう……なら明日はそこへ行けばいいのね」
「いや……」
確かに最初はそう考えていたんだが、その前に行ってみたい所を思いついた。
「明日は空の好きな場所に連れてってくれないかな?」
「私の?」
「うん。どこでもいいよ。空が普段行ったりする好きな場所」
「考えておくわね。明日は朝九時に出ましょう。それじゃあおやすみなさい」
そう言い残すと空はフロアを後にした。時刻は二十一時を回った所か。身体は疲れているが今日起こった色々な事を思い出していると、まだ寝つけなさそうだ。
「覚醒、か……」
今日起こった事で一番理解出来ないのは、やはり先程してもらった能力覚醒だな。あの後身体に特に変化もないし、何か変わったという実感もない。
なのに要さんは成功したと言うし、何がなんだか……。実際に試してみようと思ったがここは室内。俺の能力からして、多分フロアを突き破る程の跳躍を見せるであろう。実際に試すのは明日外でやればいいや……。
柔らかなベッドでごろごろと転がり、俺は日課のニュースサイト巡りを行う。
いつもとかわらないくだらないニュースを流し見していが、気付いたら俺は寝てしまった。