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SeaSideStory  作者: 結城ゆき
第一章
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序章

八月九日


「あっちい……」

 全くなんて暑さなんだ、下の世界ってこんなに暑いのか……。

 奮発してエレキボートにしておいてよかったな、手漕ぎだったらどうなっていた事やら。俺はひたすらにボートを走らせていた。

 初めてみる光景だが、デバイスのミニマップが機能しているおかげである程度進めている。

 まさか下界にまでマップが対応しているとは思わなかったな、だが全て旧地名なのでわかりにくい事に変わりはないが……。

 こんなことならもう少し歴史で下界について勉強しておけばよかったか。


「ここが東宿か」


 マップに目を通しながらこれからのルートを確認する。新世界の地名は旧国のそれに準えてつけられているのがまだ幸いか。

 どれだけボートを走らせただろうか、周りには水面から顔を出している背の高いビルがたたずんでいた。

「下界にもこれだけの高層ビルがあったんだな……」

 普段自分達が生活している新世界と大差のない高層ビルを目の前にし俺は驚きを隠せない。

 これだけ発展し進んでいた科学を持ちながらなぜここは水の底に沈んでしまったのか。

 全てにおいて謎の多い下界の水位上昇に伴った水没は、今の科学をもってしても解明出来ていない。

「うーん、ここからどう行けばいいんだ……」


 デバイスが指す場所は中江駅。


 駅の場所がある程度高台に位置していた為、ボートを着ける事が出来そうだ。

「いい加減水の上でふわふわしてんのも疲れたな……」

 ボートを丁度ホームの端に着け、碇を下ろす。ホーム内はそんなにくたびれた様子もなく、あちこち苔が生えているくらいで、綺麗にすればすぐにも運行再開が出来そうなくらいだった。

 ただ線路内が水で満ちているのを除けば。

 そのまま俺はとぼとぼホームを散策する様に歩き続ける。少し歩くと目の前にでかい筺体が現れた。

「販売機のデザインは今とさほど変化がないのか」

 そう言いながら転がっていたコーラの空き缶を蹴り飛ばす。


 ちゃぽん――。


 アーチを描きながら空き缶が水面に着水し、その音が辺りに響き渡る。

 ……その音の響き方に周りには誰もいないのだと言う事を実感させられた。

 ホーム中程まで歩いて行くと駅のロータリーから商店街に続く道が見えてきた。

 かつては人で賑わっていたであろうその場所は、今はその面影すら感じさせない。

 商店街入口から商店街にかけては水で満たされ、人が行き来したと思われるロータリーはもう既に水の底。

 そして移動用であろう手漕ぎボートが数隻紐で繋がれ、浮いているだけだ。

 不思議な気持ちだった。

 寂しさよりも先に別の感情が湧いてきた。

 この水に沈んでしまった街に対して俺は……。

「落ち着くな……」

 今現在、俺達が生活している新世界は人も多く騒がしい。

 そんな世界で自分だけが時間の流れに取り残されているんじゃないかと、時折不安に感じていた。

 でも、今目の前に広がる世界は水の流れのように、ゆっくりと動いている気がした。

「どうすっかなぁ」

 デバイスの時計に目をやる、現在の時刻は十二時を回った所だ。

「しっかし……くそ暑いな、なんだよこれ……」

 そう、気温が明らかに違うんだ。

 新世界の影が掛かり、陽の当らない場所も存在するわけだが、日陰に居ても多少マシなだけで、ちっとも涼める気がしない。

 下界がなぜこんなに暑いのか、いや暑く感じるのか。

 それは単純な事だった。

 そう、新世界は屋外であろうと空調が働いているんだ。

 その所為で季節感がなくなるという事はないが、その季節に合わせある程度生活しやすいように気温の調整がされている。

「来るんじゃなかったか、これは……」

 下界に降りて早々に弱音を吐き、帰りたくなる衝動をぐっと堪える。

 そしてすぐ目の前に広がる線路を満たしている水、これがよくない。

「くそっ……さすがに、なぁ」

 今すぐにでもこの水の中に飛び込んでしまいたかったが、水着も用意がない。

 それに謎の水位上昇による水だ、水質もわからないしそんなむやみやたらに泳ぐわけにはいかない。

 とりあえずはこのホームの日陰にあるベンチで一休みするとしよう。

「ふう……」

 持ってきたリュックの中から携帯食料と水筒を取り出し、一食分の一粒を口に運ぶと、水筒の水で流しこむ。

 もしかしたら長くなるかもしれないこの旅に携帯食料は必需品だった。

 そんなに安いものではないが、仕方あるまい。

 俺はこの旅に出るのに今まで貯めていたお年玉を殆ど使ってしまった。

 この携帯食料、ミニデバイス、飲料水、エレキボートのチャーター代、入国管理費、その他もろもろに金がかかった。中でもこのミニデバイスはとても優秀だ。衛星回線を用いているため、世界中どこに居ても高速回線を利用出来る。ミニデバイスのブラウザを起動すると、いつものようにいくつかのニュースサイトを巡回するが、特に目新しい情報も手に入れられず、そのまま気象予報サイトに飛んだ。

「どれどれ、うへぇ……この猛暑が一週間は続くのかぁ、出発の日取り間違えたな……」

 どうやら滞在期間中はずっとこの暑さに耐えなければならないらしい。

 現代人(?)には辛いモノがあるな。

「さ、ってと」

 三十分くらいは休んだだろうか、陽が沈む前に目的の三隅市へ行く為、そろそろ出発しないと間に合わなくなる。

 俺は重い腰を上げ、辺りを見渡した。

 すると視界の中にぼんやりと『何か』が入ってきた。

「ん? なんだ、あれ」

 ホームから商店街をもう一度確認すると、『何か』動く物が見える。

 バスの停留所か何かの屋根のだろうか、目を擦り焦点を合わせるが、この距離ではまだ捉える事が出来ない。

 俺はホームのフェンスに飛び越えるような勢いで近づき、今度は確実に『何か』捉える。

「人……? いや、まさか何でこんなとこに……」

 ベンチに戻り、置いてあった鞄を肩にかけると今度は助走をつけ、フェンスによじ登る。

 ガシャリ――!

 大きな音を立てて軋むフェンス、その先にバスの停留所だと思われる屋根目掛け飛び降りた。

 ガンッ!

 ホームと屋根の高低差で強い衝撃を脚に受けると、鈍い痺れるような痛みに襲われた。

「っつう……!! いってぇ……」

 もろに衝撃を受けた脚をさすり、庇いながら顔を上げる。

 先ほど見つけた『何か』を確認する為に。

「……誰?」

 かすかに発せられたその声は、隣の停留所屋根からだった。

 真っ白なワンピースを身に纏い、その生地はまるで天使の羽を想像するかの様だ。

 黒く、長い絹の様な髪が風に靡き、白と黒で絶妙なコントラストを表している。

 そのワンピースから覗かせるしなやかでほっそりとし、それで居て女性的な柔らかさを持つ脚、水面に波紋を立たせる爪先から踵までの曲線美。

 その全てに俺は心奪われ魅了された。

 今までに感じた事の内、言い表せない感情は行き場をなくし、こう漏らす事で精一杯だった。

「君は……天使?」

 俺はこの夏、一人の天使に出会ってしまった。


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