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「こんなところに放置されたら後始末に困るでしょう。生物の中身ってけっこう見た目が悪いのよ」
そういって地に着き刺さっている剣の一本を抜く女。
剣が地を離れた瞬間、その中心にいた“完全”はその目の前で止まっていた剣たちの当たっていた部分から吹き飛んだ。剣たちはその場に落ち、残骸のある部分から剣の反対側へ血肉がべっとりとついている。
「ほら、こんなにも気持ち悪い」
血肉をみて言う女。だが、その目はまったく嫌がってはいない。むしろ面白がっているように見える。
「ラピス…なあ、帰っていいか?」
あきれ返った表情でアッシュは言い、回復魔術でどうにか動けるようにまで回復した体を動かす。
「逃げていいなら来るわけないでしょ?」
「だよな。
―――で、目的は何だ? やっぱり参加させることか? それとも支配か?」
聞いてはいるものの、アッシュにとってはこの問いに対する答えはわかっていたし、それ以外なら逆に安心できた。
「もちろん支配に決まってるでしょう。
―――私は“支配”全てを支配するために生まれ、この世全てを私の手の内に入れることが目的・・・・・・だけどね、私にも絶対に支配できないものがあるわ。いくつかあるけどその中でも一番といってもいいぐらいに忌々しいのが時間。いかに私が全てを手にしても、私も人である以上、どうしても寿命の問題に突き当たる。それを解決できるのがあなた。それなら私があなたを手にしたがるのは当然でしょう」
「まあ、わからんでもないが、お前の“支配”は自分よりもレベルが低いやつにしか使えないんじゃなかったか?」
今までに手にしてきた情報からの予測を口にすると、
「何を言ってるの? あなたは加護を取ってないから私よりも事実上レベルが下。だから支配できるわよ。
まあ、加護をとったからって言ってもこの状況下なら私のほうが圧倒的に優位にいるけどね」
すなわち、これを詰んだ状況といえるのかもしれないが、この程度のことは予想の範疇だ。
「じゃあ、逃げるしかないな」
簡単に言って、左腕の部分の袖をまくる。
下に出るのは深く刻まれた魔術刻印。だが、肉体に刻む行為はその後その部位が使い物にならなくなることから禁術とされる。
「それ、そっちの国じゃ禁術でしょう。よくやってるわね。
次からの到達者を相手にするときどうする気なの?」
「僕は“時空”だからな」
とだけ答えて、それをその問いの答えとした。
「なるほどね。デメリットは痛みだけか……いいえ、すぐに神経レベルで死滅するから痛みすらないのか、だからデメリットは一時的な左手の欠損だけってことか・・・普通の傷なら治癒術のほうが効率がいい。だけど治癒術でどうにかできないものとかは“そっち”のほうが圧倒的にいいし、さらに効率もいいと………利便性が高いわね。応用も利きやすいみたいだし。
―――まあ、いいわ。あなたは私が手に入れる」
そう宣言したのを聞き終えたら、アッシュは腕の転移術式を起動させて自宅に一瞬で飛んだ。
―――その後の展開は予想していないものだった。
「そんな命令に従うと思っているんですか?」
「ああ、お前はなんだかんだ言っても命令違反はないからな。今回もまた従うと思っている」
命じられたのは帝国に対して謝意を表するため、アッシュの身柄を引き渡すというものだった。帝国はあのラピスの治める国である。もちろんこの命令に従うとするとあの逃走は何の意味もなくなる。それは気分的にいやだった。左腕一本の犠牲での逃走だ。結局は元に戻ってはいるが、気分の問題では左腕の犠牲が意味が無かったような気がしていやなのだ。
「そもそも軍律違反だ。レベル申請での嘘、報告義務の無視、情報の秘匿……普通だったら打ち首なんだ。似たようなものかもしれんが、かなり軽い処分だぞ」
しかし、この男、どうやら何か勘違いしているように思える。
「レベル100なら、中にさえ入れればその都市一つ壊滅させることぐらいそれほど難しくない。つまり、いやならこの町を壊滅させてから適当に流れればいいんだよ。それに、ここは王城があるからな、王様でも暗殺してやればそっちの対応に追われるから、逃げるなんてそれほど難しくないんだ」
簡単に、だが静かに殺気を出しつつ続ける。
「―――見くびるなよ。
第四柱、時と空間のローズは決して戦闘が得意というわけではないし、ほかのレベル100のほうが圧倒的に実践向きで強いが、ただの人を殺すのに戦闘は成立しない。
1レベルの差は簡単に覆ると考える人は多いが、このレベル100の壁は他とは比べ物にならないぐらいに大きい」
その殺気はレベル72“ごとき”の男に耐えられるものではなかった。
いかに感情を殺し、恐怖を無くした暗殺者とはいえ、生物として当然持っている生存本能には抗いきれない。
「それに安心しろ、レベル100でもこなければ、十万の軍ぐらいなら何とかできる。
別にこの国を滅ぼしたくていってるんじゃなくて、あいつに従いたくないからいっているだけだ。ちゃんと敵は退けさせていただきますとも」
―――こうして、“第五柱、法と秩序のヤングのラピス”率いるモード帝国は“第四柱、時と空間のローズのアッシュ”のいるヴィアンド王国に宣戦布告した。
見渡す限りの軍勢、その数は十万、まさしくアッシュが『何とかできる』と言った数である。
それは偶然ではない。帝国の軍人の人数は合わせて二十五万程度だ。さらに奴隷兵を加えれば百万にも及ぶとさえ言われる。その中で地方の警備や国境の防衛などを考えた場合、この人数は一国をつぶすつもりであれば、予想された人数だった。内訳としては二万が正規軍、八万が奴隷兵、その他端数で義勇軍のようだ。
そんな強大な帝国に対し、こちらの総力は兵にして十五万その全てをすぐに集めることはできないし、それら全てを前線に出すのも得策ではない。内訳は全て正規軍であるが、基本的な国力に差がある。まさしく、この侵攻をとめるつもりならば神の加護が必要といえた。
国境沿いの小高い丘の上に立ち、夕日とともに前方に広がる敵軍を見て、アッシュはポツリとつぶやいた。
「ああいったはいいけど…どうやってあれを止めるか……」
方法はいくつか思い浮かぶ、基本的には先日の“完全”と同じ手段だ。恐らくそのままでも投げまくればある程度は削れる。十万の軍勢にどれだけの効果があるかはわからないが、最大出力でやったらそれなりに吹っ飛ばせるだろう。
だが、そこで止まる。一度で十万の軍勢を全て吹き飛ばすことはできない。それに、投げ終われば踏み込んだ足と投げた腕は骨が粉々に砕け散り、その痛みで倒れることは避けられない。
次に取れる手段は、加護を使うこと。
恐らくはこれが“支配”の思い描いた最高の結末。自分の手勢を十万使う代わりに僕に加護を使わせようとしている。もしくは僕が加護を使わないならこの国が手に入る。どちらになったとしても大きな損はない。いやなやり方だ。
それがわかっていて、僕に取れる手段は数少ない。
一つ、相手の思惑に乗り、加護を使うこと。
二つ、相手の思惑に乗り、かごを使わずに逃げること。
―――三つ、他の加護持ちと交渉し、協力を得ること。
はっきり言って気持ちは三つ目のものを取ろうとしている。加護を取ればまず安心とはいえ、ローズの加護は戦闘向きではない。敵を倒しきる前に魔力が尽きれば、敗北するのは僕だろう。
「だが、そうするとなると誰に助力を頼むか、になるんだが……」
加護持ちの中にはアッシュに好意的なものが多い。
アッシュは全員の加護持ちの情報を持っているし、全員がアッシュの情報を持っている。さらに、アッシュは『のんびり平和に暮らせればそれでいい、恩からこの国の益となるように行動しているが、ある程度したらやめる』と公言していて、その証明に加護をとらないという手段をとったのだ。そもそも加護持ちの戦いに勝ち抜いて得られるものが、“全ての加護持ちの身柄と神への謁見”ということで、加護持ちの方々はそれほど欲していないのだ。あのラピスもまた“老い”がいやだからアッシュを求めているが、それを抜いたら基本的に他のかご持ちに干渉するつもりはない。
―――だが、それと同時に全てのかご持ちがアッシュを求めている。
基本はラピスと同じだ。時という全てのものに等しく現れる終わりへの道を限りなく、果てしなく引き伸ばせるもの。それは肉体的な美はもちろん、生存という意味でもアッシュは多くのかご持ちに欲せられる。
「頼むとしたら1か2か7か……どれも何の対価もなしにうなずきそうもないやつらだな」
第一柱なら第七柱との席を用意することを条件に出すだろうが、それをすれば第七柱に殺される。
第二柱はそもそもどこにいるかわからない。見つけようと思えばできなくはないが、それをするには加護が必要だ。
第七柱は条件に僕自身を求められる。意味が無い。
条件が軽そうなやつらは3と6で残りの加護持ちだが、両方戦闘向きではない。僕よりも戦闘向きではないやつらだ。死にはしないだろうしちゃんとやってくれるだろうが、第三柱ならこの丘に生えるものが草木ではなく墓標の山になってしまうだろうし、第六柱ならとてもじゃないけど描写できないほどの阿鼻叫喚とした光景になる。
この昼寝にもってこいである気持ちのいい丘がそんな恐怖の殺戮のあった場所だなんて思ったらこれから来れなくなってしまう。
「どうしよう、誰に頼もうが結局僕が一番いやな目に会うじゃないか」
そうして敵の感情を無視した発言を終えて気配に振り向く。
もう暗くなった中で夜より暗い髪の女がゆったりと歩いてきていた。
「何のようだ第六柱」
「何って、どうせ誰かに助力を頼むつもりなんでしょう。だから私がやってあげようかなって思ったの」
そういう声は淡々としているが、その心のうちまではわからない。
「何が目的だ?」
「前世の知識、どんな技術が存在し、どんな文明があったか、とにかくいろいろなこと」
「“知識”に教えられるほどの知識は持っていないんだが……」
高校生が持っている知識量がいかに文明が進んでいるとはいえ、この世の全てを知るこいつに教えられることはほとんどない。
「いいのよ。少なくともそっちの文化は絶対にわからないし、どんな思想があったとか、なんだっていいのよ」
なるほど、確かに自らの知らないものを探求することを“奪われた”彼女にとって、知らないことを聞くことは“久しぶり”で新鮮なんだろう。
「だったらお願いしよう。適当に追っ払ってくれたらいいから。
―――これからもこんなことがあったらよろしく」
そういって丘の上で寝転がると夜空を見上げた。
「残念だけど、私が手を貸すのは今回だけよ。
―――あなたは結局すぐにでもそれを手にしなければならなくなる」
そういって“知識”、アリスはアッシュのすぐそばまで来ると顔を覗き込むようにしてみる。
視野にはアリスと夜空が少々。服がゆったりしている所為で胸元が見えそうだが、本人はまったく気にしていないし、アッシュもまた気にしていなかった。
「―――それでも可能な限り加護には手を出さない……それが身の破滅を呼ぶ可能性を知っていながら、それでも己を貫き通す。
悲しいわね。それぐらいでしか己に価値を見出せないなんて」
「何を勝手に他人を分析しているんだか、それに価値は見出している。そうでもしなければこんなに無責任なことはできやしないさ」
己の事情で国を巻き込む、はっきり言ってあまりにも自己中心的であまりにも“人間的”だ。
そう、それでいい。
僕は、____は人間的でなくてはならない。僕が人間であり、人間であった以上。それだけは守り通す。
例えそれが他者にとって迷惑以外の何物でもなかったとしても、それを貫くことがあの世界を生きた自分の宿罪であり、償いだ。
朝日が昇ると同時にアリスはこの大軍を殲滅する予定なのでその前にアッシュは一撃だけ入れる。
アッシュが無駄に一撃入れるのは自己満足だ。それ以外の何物でもないし、アリスもまたそう判断した。
アッシュはあくまでも『他人だけにやらせたくない、やらせる以上、ある程度は自分で手を下す』といって最初に一撃だけ入れるということで落ち着いた。
せっかくアッシュの戦闘方法がわかるかもしれないのだ。止める理由はない。
「――――――」
「―――わが声は遥かまで届き、その声を元に世界は変革を見せる―――」
作戦の決行はこの詠唱が終わったとき、まだある程度の迷いを見せるアッシュも、詠唱が続くにつれてその迷いを無くしていく。
これによって加護を受け入れたらそれはそれで面白いのだが、まあ、期待はしない。彼の意思は尊重する。
「―――この世の理より虚無へと消えよ―――」
詠唱が完成する。普通ならば全軍を持って行う戦術級魔術、ルイン・オリジン。その詠唱の完成とともに、傍らのアッシュの手から音速をはるかに超す数十本のダークが放たれる。
そのダークはただの一本のダークとは思えないほどの破壊を起こし、地は割れ、直撃した人はグチャグチャに吹き飛ぶ。
それを視認した瞬間に、名という言霊をもって魔術を完成させる。
「―――ルイン・オリジン―――」
太陽は魔力の濃密さに姿を消し、その場一帯だけが日食のときのように暗く、夜になる。
その闇は全軍を包み込み、その中に生命を見境なく食らう。そしてその中に静粛が訪れ、再び日の光が当たるとき、その場にはもう何の生命も残っていなかった。
「古代魔法なんて使わなくてもこいつら程度何とかできただろうに」
「いいじゃない。その分グロテスクなものは目にしなくてもいいのよ」
まあ、たぶん僕を気遣ってくれたのだろう。自分勝手の自己満足のために死んでいった人々を見て、僕が精神的に傷つくのを。
「さて、じゃあ聞かせてもらうけど、ここで立ち話でもいいけどできればゆっくりと座って聞きたいから私の研究室にまで来て頂戴」
「了解。
じゃあ、それまでの間にできるだけまとめておくよ」
その後、アリスは転移し、僕は歩き出した。
アリス・ウィハーブス。
魔族の研究者、到達者、この世の全てを知りし者……第六柱の加護を受け、全知を得た魔族一の女魔術師、彼女に使えない魔術はないとされ、その莫大な魔力で多彩で強力な魔術を使う。
だが、加護持ちの中では実践タイプではないし、本人も戦闘経験はほとんどない。レベル100になったのは魔術の訓練で遠くの魔獣を狙い打ち続け、あるときには遠方より現れた勇者を狙撃し、殺害したためだった。
故に、戦闘経験はない。彼女ほどのレベルの魔術師になると近づけないし、近づかせないから戦闘経験などほとんど関係ないようなものだが、まあ、その辺りはいいだろう。
齢は三百二十七(外見は20代前半)で、夜より暗い髪と目、出るところはある程度出ていてある程度引き締まっており、出すぎているわけではないし、しまりすぎてもいない。正直言って見た目はアッシュのタイプである。
そんな人との二人での会談ということも会って多少緊張と油断があった。
「ようこそ、何もないって言うには危険物でいっぱいだから変に触らないでね」
という注意を受けて研究所に入り、可能な限り物に触らないように、アリスの歩いたところを歩くようにしてついていく。
「どうぞ」
紅茶が出される。一応毒物に対する訓練は受けているが、こいつが出したものならまずいかもしれない。一応注意しておく。
「ありがとう。
―――で、どこから話せばいいんだ?」
少し広くなっていて、恐らくアリスが普段生活しているのであろう空間は侵入者向けのトラップがわかるだけでも28ある。あまりの防備に少々びっくりしつつ、話をする。
「そうね、あなたはどんな人生を歩んできたの? どんな気候で、どんな情勢だったの?」
「そうだな。
―――四季が明瞭で、雨季があったからか、基本的に生活面では自然と調和することが基本で、信仰は全ての物に感謝するっていう感じだった。
近年では他国の文化が入ってきたのもあって田舎のほうでしか日本らしい風景を見ることはないな。
僕が生きたころの世界情勢としては―――悲惨だった」
ふとアリスの表情を見ると真剣に聞いている。そして、自分の感情が爆発しないように気をつけながら続ける。
「―――為政者は事なかれ主義で、とにかく頭を下げ、金を払い、何もかもを投げ出して他国との外交を上手くいかせようとし、本来最も守らなくてはならないはずの国すらも差し出した。
一部の国民によるレジスタンスの主張は“この国を明け渡してはならない”というものだった。だが、それを国はあろうことか、国を守るための軍を持って―――粛清した。
―――そこに正義なんてものはない。過去に戦争に負け、勝者に蹂躙され、あきらめ、そして、ただの負け犬として、侵略されることを良しとしていた。
―――あるとき、その国に唯一ないと思われていた資源……当時最もといっていいほどに価値のあるものが見つかった。それも大量に。
もちろん他国はその利益を得ようとする。この国はそれに対抗するすべを持たない。だから、ある一人の男の下、義勇軍が成立した。
義勇軍は徐々に数を増やし、政権を奪取し、とうとう他国からその国を守るために戦争を起こした。
―――それが正しかったのか、間違っていたのかはわからない。
義勇軍は命をとして戦い、そして散っていった。華々しく、死に際の誇りなんてものはないと思っているが、己の信念のために命を賭ける姿は、見ていて誇らしかった。
だから、僕は参加した。
もう敗北は決まっていた。兵力にも国力にも差がありすぎた。唯一勝っているとすれば、それは兵たちの士気以外の何物もなかっただろう」
徐々に熱くなり、思わず声が大きくなってしまう。
「上陸し、進行する敵をゲリラ戦で迎え撃ち、十倍の兵力差は当たり前だった。だから死力を尽くしたし、使えるものは何でも使った。
毒、女、暗殺、狙撃、罠……いろいろだ。
いつしかそれらを使いこなす姿を見た同胞に頼られ、敵には恐れられるほどのものにはなった。当時学生でしかなかった僕だが、そのとき最も頼られたのは実力だったからな。
―――そうして、一人で何百という敵を殺してきた。己の中の正義を貫くために、敵を殺さなくてはいられなかった。
だが、そんな学生でも、敵にとってはとても鬱陶しかったんだろう。何度も狙われた。狙われたら狙ったものを暗殺し、敵軍の深くまで進入し、最高司令官を討ち取ったこともあるし、視察に来たお偉いさんを毒殺したこともある」
そして、徐々にこみ上げる怒りを抑えつつ、それでも止まらない叫びは、声として紡がれる。だが、口調はそれとは裏腹に静かになり、とても落ち着いているように聞こえる。
「―――そんな僕は、最後には裏切られて死んだよ。
久しぶりに自陣に戻ったら、眠らされて、気がつけば敵軍の牢の中で捉えられていた。何でも僕を差し出せば見逃すといったらしい。
―――別にそれをうらんでは、もういない。あまりにも人間らしい行いだ。自分の中の正義を守ると決めていた僕よりは…よっぽど人らしい」
ゆっくりと目を閉じ、落ち着かせる。
「―――――――」
アリスはずっと黙っている。
「そうして死んだよ。気がついたらこの世界で生を受けていた」
ずっと黙っていたアリスだったが、ゆっくりと口を開くと、
「―――あなたは、馬鹿なの?」
と、いきなり言ってきた。
「何をいまさら。僕は馬鹿だが?」
「そういう意味じゃなくて……あー、もう説明が面倒!」
そういってこちらを指差すと、
「要するに、あなたの世界は、それほどまで腐りきっていたって言うわけね。よくわかったわ」
なににそんなにも怒っているのかわからないが、何か感じるものがあったのだろう。
「もう寝る! お帰りはあちらです」
そういって僕の身体は一瞬で外にはじき出されていた。
―――戦争は多くのものを殺す。戦争ほどに人の殻をはずすものもない。
装うものは全て外れ、その魂のありようを示し続けることでしか生き続けることなどできはしないし、隠し続けることもできはしない。
かつてのアッシュはその殻をかぶり続けてしまった。あくまでも理想と信念という鎧兜をかぶり、それのみを支えにして立ち、その魂のあり方を示した。
だから彼はもう後には引けない。
―――人間的であること。
彼は信念のために加護を取らない。否、取れない。信念が人間的であることを目的としている以上、人外の力を手にすることで人間性と失うことを危惧し、それを嫌がっている。
アッシュは、いつになったら過去を割り切れるのか…思わず“知識”として気になりはしたが、個人的な理由でこれを待ち続けることはできない。
「―――ゴメンね。あなたの心を壊すことになるかもしれない」
もう消え去ったアッシュのほうを見てポツリとつぶやいた。
「貴様、何を考えている! 報告をせずにいろいろやっただけでなく、魔族と取引をするなぞ……恥を知れ!!」
でっぷりと太った文官に怒鳴られるがそんなものはどうでもいい。そんなことはさして気にならない。耳元で虫が飛んでいるから鬱陶しいのと同じだ。
いい加減つまらないし、眠くなってきたのであくびをするとさらに怒り出す。
―――そろそろ血管でも切れるんじゃないかと思うほどだ。
「―――そもそも貴様は我らに対して敬意が足りん。高貴な我らに対してその不遜な態度…すぐにでも殺してやりたいほどだ!!」
「―――へぇ、どうやって?」
レベル30にも満たないこいつがどうやって僕を殺すというのか、大いに気になる。
「――――っ!」
問い返せば黙り、そしてまた暴言を吐き続ける。まさしく小物。こういうやつらが国をダメにする。
私利私欲を肥やすことだけを考え、本来の役目を考えない。だめな大人の見本だろう。
「そもそも今まで食わせてもらった恩を忘れ、この国に災厄を呼ぶとは……」
一度にらみつけてやればそれで黙ってしまう。
―――本当にこいつは何がしたいのだろう。
「―――そこまでにしておいたら? あなたがやったこと間違いなく軍律違反。すなわち極刑が普通なのよ?」
「あそこからの感動の再開というところじゃないか……。
まあ、そうなるだろうな。従うつもりはまったくないけど」
先ほどまでとは違い、ちゃんと話をする。こいつが僕に対して疑問を持つのは当然だからだ。
「で、いつ100になったの? あと、あんなのといつの間に知り合いになったの?」
「いつか、と聞かれたら半年前、知り合いになったのはなった瞬間から」
「それじゃあ、私が最後に見たときと一致するじゃない。あれからほとんど時間をおかずにレベルを37も上げたって言うの?」
「ちょっと違うな、37上げたんじゃなくて、上がったんだ」
「我に向かっては答えずに、このような娘には答えるとは、どういう神経をしている!!」
話に割り込むクズに対してもう一度殺気をぶつけて、
「こいつ殺していいか?」
「ダメに決まっているでしょう」
というばかばかしい会話を一度入れてから話を戻し、
「詳しくはいえないが、ちょっとしたことがあって、エルドを使った。それで大量殺戮をやらかしてな。その結果レベル100だ」
簡単に事情を話して、
「じゃあ、そろそろ帰る。
何をしてもほとんど意味なさそうだし、攻撃されたら仕返すか、どっかに消えるだけだし、さして問題はないからな」
―――もう大切な人もいないし、ある程度の恩は返したし、正直この国にとどまる必要性は“この国を恨んでいない限り”もう無いのだ。
「家は危なさそうだから、適当に流れる。
追うのはかまわないが、それならそれ相応の覚悟をもってこい。死んでも知らんし、人道的殺人なんて不可能なことは当然できないし、おとなしく返す気も無いから。
―――それでもいいなら追って来い。まあ、仕返しはするけどな」
そう告げて、誰にも止められることなく、また求められることも無く、彼は存在を闇に消した。
さて、この世界において旅人の立場は低いが、貴族を除けばある意味誰よりも優遇される。
旅人は都市間の金を回す人の一人で情報を伝える。商人も確かに金を回すが、情報は金が無ければなかなか難しい。それを簡単に伝えてくれる旅人は重宝される。いつの時代も情報がもっとも大事だからだ。
「いらっしゃい!」
威勢のいい声を聞きつつ、ヴィアンド王国城下町を歩き、八百屋やら魚屋やらを冷やかして回る。
「―――っな!」
どこかで驚いたような声が聞こえた気がするが気にしない。
どこまでも能天気に、ゆったりとあまり着ることの無い私服姿で町を回る。
「―――ちょ、ちょっと待て、アッシュ!!」
何かは以後から殺気とともに制止を促す声が聞こえてくるが、まったく気にしない。そんなものは気にはしない。
何よりも気にしたくない。今はこうやって店を回るのが楽しいし、何より久しぶりにこうやって何の気兼ねなく回るのだ。誰かに邪魔されたくは無い。
「あー、もう、この野郎!!」
一閃、鋭く放たれたナイフを無駄の無い動きでゆるりと避ける。
続いて放たれた一撃も足で小石を跳ね上げ、起動をずらす。
「無駄なその技術が恨めしい……」
なにやら嘆きの声が聞こえないでもないが、その声をまた無視してとっとと門の外に退出。すぐさま遠くに逃げ出す。
「あ…待て! この……!」
百メートルを7秒台で駆け抜け、ある程度進んだところで隠れ家に逃げる。
隠れ家は場所がわからないようにありとあらゆる偽装工作がされており、恐らく、さすがの特務部隊といえど、一週間は見つけられないだろう。
隠れ家にある隠し通路をとおり、さらに深いところまで進む。
洞窟の奥地にて迷路のような道を進み、最後に隠し通路を通って地上に出る。
地上に出ると、ちょっと小奇麗な小屋が見え、その中に入ると別途にダイブし、寝転がる。
―――実はこの道は途中から王国の失われた地下道であり、知っているとしても王族のみ、しかもこの小屋のもともとのボロボロ具合から考えて百年以上は放置されていたのだろう。それをこれまで何年とかけて修復してきたのだ。ちなみにここを見つけたのは王国の古い資料を興味本位で覗いたときに“日本語”で書かれていたのを見つけた。書かれていた年号を考えるとおよそ千年前、当時の大きな出来事といえば最初の聖戦が行われたころであるということで、今回が二回目だ。
一回目は第七柱が勝者となったらしいのだが、詳しくは調べられなかった。ただし一つだけいえるのはその後に人間と亜人達との勢力差が大きく開いていったということだけだが、この聖戦の結果だといわれれば納得する。
―――ここは前回の第四柱……すなわちアッシュの前の人が使っていた場所でもあるようで、このヴィアンド王国の祖でもあった。
つまり、この王国は前回の第四柱の加護を受けたものの創った国ということだ。そして同じ加護を受けたものに(受け入れてはいない)よって滅びかけるというのもなんとも皮肉な話である。
溜め込んでいる保存食、井戸、背後に控える森、川……自給自足する上でほとんど必要なものはここにある。
あのときに、“完全”との戦闘で用意していなかった特別な装備もここにはおいてあるし、とんがり山の中央にこの盆地があることは知らない人のほうが多いだろう。
この盆地をワシュア教では神に最も近き山として神聖化しているが、そうでもないのが現実だ。そんなところである程度の間のんびりスローライフを過ごすつもりなのだ。