[2] 王の依頼
「どうぞ」
ドアが開き、口まわりに立派なヒゲを蓄えた初老の男がゆっくりと入室する。
アルサスと同じくらい立派な体躯を金糸の刺繍にふちどられた豪奢な服に包み、にじみでる風格と彼の持つ生気の濃さでヒラは彼が誰かすぐに察した。
人を威圧する、そして守護者たる気。これはまさに王だ。
ヒラは左手を胸に当て膝を落として、礼をとった。
その前を王は横切り、先ほどまでヒラが寝ていたソファーの奥、上座にある部屋で一番立派な椅子に座る。
「余がマクライン国9代国王、ウルドルフ・ライアン・マーハイトだ。そなたはカザンの弟子と聞いたが誠か?」
「陛下にお会いできて光栄です。カザン・ドーリスの弟子、ヒラと申します」
「カザンの弟子、か」
王はヒラに座るよう告げ、アルマに部屋を出るよう命じた。
「アルサスから報告を受けたが、カザンに拾われた娘だというが」
「はい。5年前に行き倒れていたところを助けられ、行く宛てがなくて弟子にして頂きました」
「その容貌は異国のものか?」
「はい、はるか遠い異国で生まれ育ちました。ですが突然何者かに浚われこの国に…それをカザン様に助けて頂いたのです」
「何者とは、心あたりはないのか」
ヒラは黙って首を振った。
「ふむ、最近は東の大陸と行き交う奴隷商がいるそうだがそういった輩なのかもな。まあよい、そなたが何者であれカザンの弟子だ。何よりあの森に入り住めるとは精霊が認めた者。であれば王家や国に徒なす者ではなかろう。して、カザンが亡くなったと聞いた。なぜこんなにカザンが早くに逝ってしまったのだ……」
「カザン様は今年の初めの大火の鎮火で魔力のほとんどを失われ、ほとんど寝たきりになってしまわれました。そして6日前の満月の晩、私の手を握りながら……穏やかでまるで眠るような最期でした」
「そうか。昔から死ぬときはあの森でと言っていたが、望み通りになったのだな」
「カザン様は早くに死期を悟っておいでで、色々準備をなさっていました。それで陛下に、自分が亡くなった時にはこれをお渡しするようにと託かっておりました」
ヒラは胸元から一枚の封書を取り出し差し出した。
受け取った王は施された封鑞を一瞥すると、中指にはめた紋章の指輪をそこに押し当てる。
すると、封蝋は溶けるようにかき消え、王はそれに動じることなく中から何枚にも渡る便せんを取りだした。
長い沈黙の後、王は深い溜息と共に手紙を置き、夕日に染まる窓の外の光景を、寂しさと失望感、そして喪失感の入り交じった表情でしばらくみつめた。
「ヒラよ、この手紙に余へあてた遺言と、お前がカザンの弟子で力を保証しお前を自分の後継にと推薦しておる。そなたはカザンの後を継ぎ宮廷魔術師になることを望むのか?」
「陛下、私は5年間森で暮らしてきた為外の世界を知りません。世間知らずな私がいきなりカザン様の代わりが勤まるはずはありません。それに他の魔術師の方も納得されないでしょう」
「ふむ、確かにまだ余もおまえの力は知らぬからカザンと同格には扱えぬし、すぐに王宮で使うわけにはいかんな」
「私にチャンスをいただけますか? 陛下がカザン様にご依頼されようとした件を私にお任せください」
「あのことを存じておるのか?」
「いえ、カザン様は陛下のもとで何かが起こるので、お助けするようにと命じられただけです」
「そうか……」
王はヒラの力を推し量るかのようにじっと顔を見ながら考え込んでいたが、膝をひとつ叩くと口を開いた。
「10日ほど前、王太子のカラスリートが倒れた。以来ずっと眠ったままだ。医師に診せたがただ眠ているだけで悪いところもないというが、このままだと体力が尽きてしまい危ないという」
「王太子殿下がお倒れに? それは一大事ではないですか」
「そうだ。だから表向きは武芸の鍛錬で城を開けておることになっておる」
「……後のことを考えても、病や怪我で療養ということにしておくほうがよろしいのでは」
「そなたは知らぬのだな、あれのことを。馬鹿は風邪をひかんというが病のほうが避けて通るほどの頑健さで知れておる。武芸好きで怪我などしょっちゅうでな。骨を折った程度では大人しく寝ることもせん」
(カザン様に、第一王子はやんちゃで武芸の大好きな子どもだったと聞いていたけど、今も変わらずといったところね)
「なるほど、そんな王太子殿下であれば確かに寝込まれているという状況は、大事だと思われかねないですね」
「ああ、王太子として健やかすぎるほどに育ってくれたのはありがたいが、まさかこんなことになるとは…」
「魔術による治癒は試されましたか?」
「ああ、だがあらゆる術をかけようにも魔術を一切受け付けぬのだそうだ。魔術師達はそれが何らかの術か呪いの影響ではないかと言い、手も足もでず途方にくれておったわ。それでカザンなら何か分かるかもしれんというので、あれを呼びにやったのだ」
「そうでしたか。では、私を王太子殿下の許にお連れ頂けますか? 実際にご様子をこの目で確かめたいので」
「わかった。案内させよう」
王は立ち上がると扉に向かった。
あわてて見送るために立ち上がるヒラに前を向いたまま手で制し、ひとことだけ残して去っていった。
「王太子を、息子を頼む」