[2] 魔術師の死
それは今年の年明けのことだった。
東の平原で野火が発生し、それは瞬く間に乾いた平原を舐めるように広がっていった。
この国の冬は、地面に氷が張るが、雨が降ればすぐ溶けてしまう程度。北方の国からくる旅人は、薄氷に大騒ぎをする人々を鼻で笑う。
この冬は、雨がちっとも降らなかった。
お陰で乾燥した大地の上を、ささいなきっかけから生まれた火は炎となり、大火となって近隣の村を1つ、また1つ飲み込んでいった。
そこにかけつけ、炎を鎮めたのがカザンだった。
天に巨大な雲を呼び出し雨を降らせる。
精霊達の営みにに干渉するこの魔法は、彼に多大な魔力を消費させた。
力の大きい魔術師は生命力に魔力を付加することが出来、老いから解放され、再生能力など様々な力を持つ。
魔力をなんらかの方法で回復することが出来れば、それは永遠のものとなる。
そして、既に生命力が尽き、魔力のみで生きている場合は魔力の枯渇は死と同義となる。
ゆえに「魔術師は死ぬと塵になる」という世間で馴染みの伝承通りに、死ねば魔力という支えを失った肉体はばらばらになり塵に、そして最後は消えてしまう。
東の平原から戻ってきたカザンの魔力は既に空も同然になっていた。
そして何代もの王の側で国を守ってきたカザンの命に灯る魔力が尽きる最期の日を、この家で静かに迎えたのだ。
「じゃあ爺は魔力が尽きたから死んだのか。いや、魔力なら補給すればよかっただろ?何か助ける術はなかったのか?」
ヒラは首を振りながら溜息をついた。
「カザン様は、数年前から魔力の回復を拒んでおいででした」
「そんな、何故だ!」
「何を考えていらっしゃったかは私にも。ただ「ジャスローの償い」だとおっしゃっていました」
「ジャスロー、そうか、爺はあれを気に病んでいたのか……」
「ジャスローでいったい何があったのですか。お尋ねしても結局教えていただけなかったのです」
「これは、伏せられている話ではないから教えてもよいだろう」
アルサスは黒髪の少女に、未だ人々の記憶に残る、だが将来の王国史には残されないだろう出来事を語った。
歴史ある古い家柄の大貴族の領内で内乱が起こり、カザンは調停役として赴いた。
領主の圧政に苦しみ起ち上がった、領内全ての無辜の民。怒れる群衆となった彼らは、脅しも妥協案も受け入れることなく誰も止めることは出来なくなっていた。
正義は民にあるが、腐っても大貴族。
謀略に長け様々に手をまわしていたその大貴族に厳しい咎めを与えられなかったことが更に民を煽る結果となり、怒りの矛先は国、そして王へも向けられた。
カザンは王命をもって民に向けて力を振るわざるをえなかった。
その後すぐ、カザンは宮廷魔術師長という地位を辞してこの辺境の森に引きこもってしまった。
家族同然の存在だった彼のことを王家の者は気に掛け、行事など理由をつけては王宮に呼び出してはいたが、足を運ぶのは年に1度、しかも可愛がっていた王子達の顔を見たら早々に帰ってしまう。
火事の件がなければまだもうしばらく、王子の孫の代までは年に1度でも彼の顔を見続けることが出来たかもしれない。
「そうか、爺は逝ってしまったか……」
アルサスは、椅子に深く座り直すと、天井を見上げながら深く溜息をついた。
ヒラはそんな彼を静かに見つめていた。
しばらく上を睨んだままのアルサスだったが、やがて顔をヒラに戻して力なく微笑んだ。
「わかった。師匠のことは残念だったな。我が国にとっても我が王族にとってもとても残念だ。このことは、急ぎ父にも……陛下にも伝えねば……」
「あの、殿下」
立ち上がったアルサスにヒラは声をかけた。
「なんだ、ああお前のことか。心配するな、このままここに住まうことが出来るよう父にはからっておく」
「いえ、カザン様から私に遺されたご命令があるのです」
「爺から? なにを命じられたんだ」
「殿下がカザン様にご依頼されようとした件を解決するようにと」
「お前が? お前はまだ見習いなのだろう?」
「殿下とあろうお方が、魔術師を外見で判断なさるとは」
「なんだと?ガキだと思っていたが、俺より年上なのか…もしかして案外婆さんなのか?」
「22歳ですよっ」
「弟のサリとあまり変わらないじゃないか。見た目は一番下のちびルーと変わらんのに」
「この身体は17歳です!」
途端に、アルサスは腹を抱えて笑い出した。
「なんだ、その中途半端な歳は。年を止めるんならもうちょっとこうなんとかできなかったのか?そりゃあ青い果実が好きな男も多いが、俺はもっと熟れてるほうが好きだぞ」
「わ、私のどこが青い果実ですって!」
「そんなに怒るな。ほんの軽口だ。多少未発達でも充分美人だ」
「殿下、今すぐお帰りください」
「すまんすまん。で、俺から見ればまだまだ駆け出しの魔術師にしか見えないお前が、王からの依頼を解決できると?」
「はい、師の命ですから」
「失敗すれば、ただではすまないのだぞ?」
「他にあては無いのではありませんか?」
「それは……」
アルサスは腕を組みしばらくヒラを睨みつけた後、彼女に背を向けた。
「お帰りですか?」
「早く支度をしろ。先に外で待っている」
アルサスは外に出ると、胸一杯に大地の香りを吸いこんだ。
カザンの愛した場所。子どもの頃歴史の教師でもあったカザンが、授業の合間に話してくれた、精霊達の住まう、彼の愛する森。
鍵もかけず衛兵もいないと聞いて心配する王子達に、「森が守ってくれるから心配はいりませんよ。わが家に入れるのは王子達ご家族だけですからね。ただ、遠くにありますから遊びに来るのは大人になってからにしてくださいね」と笑って答えていた。
精霊に会えると想像を巡らせ、訪れることを楽しみにしていたのに、成人すると王子ゆえの多忙さにいつしかその事はすっかり忘れていた。
「くそっ、もっと早く爺に合いにくるべきだった」
後悔からの苛立ちをまぎらわすために足元の石を蹴ろうとしたが、その脇に小さな紫や黄色の野花が目に入り、振り上げた足をそっと降ろす。
大好きだったカザンの愛した森。
アルサスはその姿を焼き付けるようにあたりを見渡した。
そして最後に、そっとドアを閉めた白い魔術師のローブ姿の少女に向けた。
少し緊張した面持ちで彼に向かい合ったヒラは告げた。
「さあ、参りましょう」
プロローグはアルサスを中心に進めましたが、次回からは主人公のヒラがメインです。
後で矛盾がでてきてしまったので、ヒラの歳を少し下げました。すみません