[1] 出生の秘密
「ヒラー! 何かお菓子ある?」
「……ルー、今はバートラムさんの王国史の授業じゃなかった?」
「えーだって、あのおやじの話つまんないもん」
ノックもなしにヒラの研究室に入ってきた小さな訪問者は、勝手を知った足取りで部屋の奥の窓辺に置いたソファーに倒れ込んだ。
そして、深い泉のように青い瞳をくりくりとさせて、上目遣いに菓子の催促を続ける。
「さぼってる人にあげるお菓子はないわ」
「えーケチ! ヒラのブス!」
「私が何ですって?」
「え、あ、いや、その……お菓子ちょうだい」
深窓の王子様がいったいどこでそんなひどい言葉遣いを覚えてくるのか。
ヒラは呆れながらもルーのあどけない笑顔を見て、ついつられて微笑んでしまった。
この子の背負う業を肩代わりは出来ないけれど、今は側で支えてあげたい。
彼女は王太子が目覚めたあの日の晩のことを思った。
王太子の部屋でヒラはサズリーに王と二人きりで話したいと願い出た。
案の定バートラムはいい顔をしなかったが、サズリーは怖いほどあっさりと手配をしてくれた。
「知る必要のあることなら、知る機会はいつでもありますから」という、ヒラの背中をひやりとさせる言葉と共に。
そしてその夜設けられた二度目の王との接見場所は、王の書斎だった。
年代物で艶やかな飴色の立派な机に座り心地の良さそうな革張りの椅子。暖炉の上には現王家一家の肖像画。そして王のために揃えられた年代物の本や、王のお気に入りなのだろう、比較的新しい英雄伝や武芸書、諸国漫遊本などがつまった本棚が並んでいる。ここは王が一日の終わりにくつろぐためにある部屋だ。
そこに通されたヒラは、ゆったりと椅子に座る王に恐縮しながら膝を折った。
「おくつろぎの時間に、申し訳ありません」
「いや、お前がルードのことで話しがあると、極めて私的なことだと言うのでな。遠慮せずとも良い、そこに座れ」
ヒラは用意されていた、机の斜め前に置かれた椅子に座った。
「今日はカラスリートをよくぞ救ってくれた。改めて礼を言わせてもらう」
「いえ私はお手伝いしただけ、実際にはルード殿下の力です」
「そのルードだがなぜあんなことに? サズリーが、余に直接でないと話せないと言ってたが」
「はい。そのことを皆様に知らせるかどうかは、陛下自身がお決めになることだと思ったのです」
「余が?」
「ええ。失礼ですがルード様の出生にかかわることなのです」
「ルードの母のことは国中の者が知っておるぞ。妾妃ミルナスの子だと。そして確かに余の種だぞ」
「そう伺いました。確か陛下の従妹殿でいらして、妾妃にあがられたと」
「ああ。幼い頃母を亡くして、幼い頃からよく父親の伯爵に連れられて城にあがっておった。5つ年下の黒髪の美しい娘でな。大人しくていつも余の後ろをついてまわっていた。伯爵家の年頃の合う娘だと、一番の妃候補だとも言われていたよ。だが、彼女は私の従妹として王族の末席であった為に、外交情勢の急変で他国の王子との婚約を決められてしまってね。妹のような存在に思ってたのが、その時になって初恋だったことに気付いたのだよ。だが、政治の前にまだ若造だった余は無力だった」
王は暖炉の薪がはぜるのを見ながら懐かしむように語った。
失恋の傷が癒える間もなく先王が早逝した為、王になり周囲によって王妃が決められた。
渋々であったが、正妃となったロザリアの白百合のように可憐で清純、そして何よりも彼女の慈愛の心が王の心を癒し、以来仲の良い夫婦として三人の王子を設け、臣下と国民を安堵させ喜ばせた。
だがそんな彼の前に再び初恋の相手、ルミナスがあらわれた。
彼女の婚約者だった王子の国との国交が悪化し、結婚問題が宙に浮いたままになってしまっていた。
そして長い保留の末、先方から政治的理由で婚約を破棄されたのだ。
だが元王妃候補で他国とはいえ王子の元婚約者。しかも既に婚期を逃してしまっている。
そんな彼女の処遇に困った親族達が王の妾妃にと押しつけたのだった。
王子に恵まれ夫婦も円満なため妾妃を持つ理由もないのだが、彼女の為と言われ、王として政治の駒になった彼女への哀れみもあって、ルミナスを妾妃に迎え入れた。
情けで迎えられた妾妃が幸せだったのかは、誰も分からない。
だが一度限りの王の渡りで彼女は身ごもり、王子を産み、そのまま短い生涯を終えた。
「同情といえば嘘になる。国の事情で振り回された彼女をこれ以上肩身の狭い思いをさせたくなくてな。だが確かに彼女への忘れられぬ想いもあった」
ヒラは王の告白を黙って聞いてきたが、そろそろ頃合いと口を開いた。
「ルード様の精霊の祝福は、恐らく始祖に近い血の濃さによるものなのです」
「ではルミナスとの従妹同士の交わりが原因だと?だが今までも王族間での従妹同士の結婚はよくある話だ。もちろん血が濃くなりすぎぬよう吟味もされる。現にルミナスは元王妃候補であったし問題はないはずだ」
「そのルミナス様ですが、お母上は陛下の叔母君の、先王と同腹の妹君ですよね」
「ああそうだ。叔母君は夫君のジエン伯爵に降嫁したが、ルミナスを産むと身体をこわされ彼女を抱くことなく亡くなられたそうで、余は幼い時に一度お目にかかっただけだ。ルミナスが母上と同じ運命をたどるとは悲しいことよ」
「実は、カザン様の遺された日記の中にこのようなものがありまして…」
ヒラは、一冊の日記をとりだすと、あるページを開いて王に手渡した。
それに目を通した王の手が震える。
「これは……父上、あなたはなんということを……」
おまたせしました。第2章のスタートです。
今回は所々重い話も出て来ますが、ほっこりエピソードを出来るだけ入れていきたいと思います。あとラブも!…がんばります