[8] 目覚め
思えば、カザン様の様子がおかしくなったのはその時からだったとヒラは思った。
既に起きているより寝ている時間のほうがはるかに長い状態にあったカザンは、いつもと違うサイクルで目覚めるとヒラを呼んだ。
予知夢を見たと言い、書斎から何冊か古い日誌をとってこさせ、体力の続く限りページをめくっていた。だが、探していた答えを命が尽きる前に見つけることが出来なかった。
準備周到なカザンは、死期を悟ると後のことなどを前もって完璧に準備したいたが、この事は本当に思いも寄らなかったことだったのだろう。
最期は静かに黙って死にたいと日頃から言っていたカザンは、心残りが出来たことを心底悔しがっていた。
「3日後に王が助けをもとめにくる。師匠のツケを押しつけて悪いが、お前の手でちび王子
を助けてやってくれ」
命の炎が尽きるその時、ヒラの手をとり何度も繰り返し言い遺した。
師であり父と慕っていたカザンを亡くした悲しみに、寝付けないでいたその晩だった。
主のいないベッドの枕元にあった読みかけの日記をめくったが、カザンの探していた答えに繋がるものを見つけることはできなかった。そもそも、カザンの探しているものを知らなかったのだから。
だが、ヒラに遺したということは必要のあるもののはず。
そう思ってとりあえず日記の内容を頭に詰め込んだヒラだったが、今になってその中にあった点が浮かび上がり、それが繋がり線になった。
「このことは、陛下に直接お話する必要がありますが、まずは王太子殿下の問題を解決しましょう。その為にルード殿下に来ていただいたのですから」
「そうですね、今ここで論じるよりもそちらのほうが大事です。では二人に任せましょう」
「さ、ルード殿下、こちらへ」
ヒラはルーの背をそっと押してベッドの側のイスに座らせた。
自分はその傍らに膝をつく。
「ルード殿下、いや今だけは許してください。ルー、殿下の手をつないで目を閉じてごらん。キミが好きな楡の大木を思い浮かべて」
「うん」
言葉遣いが不敬だと文句がくるかとちらりと様子をうかがうと、わなわなと頭から湯気を立てて怒るバートラムをサズリーが睨みをきかせて抑えてくれている。
ヒラは安心して言葉を続けた。
「あの木は、ルー達の始祖を祝福した精霊が住む木なんだよ」
「え、でもあの木は幽霊、じゃなかった精霊の光のは出てこなかったよ。ヒラが出すまでは……」
「それは、ルーのことが大好きだけど怖がられたくなかったんだよ。ルーに安心出来る場所になりたかったんだろうね。だから姿を隠して見守ってたんだよ」
「じゃあ、あのビリってしたのは?」
「そう、精霊の祝福の力のせいでルーが苦しむのをこれ以上見ていられなかったのね。それでルーを泣かせた殿下にお仕置きをした。といっても殿下も祝福の血を持つから、せいぜい眠らせるくらいだけど。精霊もここまで長く眠らせたままにすると人間にとっては危ないことだっていうのを考えていなかったようね」
「精霊って馬鹿なの?」
「こらルー、そんなこと言っちゃだめよ。精霊は私達よりよっぽど物知りで賢い存在なんだから。ただ、人間よりはるかに高見にいるせいで、逆に些事は目に入らないことがあるの。ほら、あの木の上に登ると下に立つ人間は見えるけど、その足もとの地面はよく見えないでしょう。本当は誰かが原因に気付けばすぐに解決するから特に問題もなかったことだけど。まさかここまで誰も気付かないとは精霊も思わなかったんじゃないかな」
「原因って、オレが言ってることが本当だってこと?」
「ええ、ルーの言うことが真実だと証明されたら、もう泣かなくてよくなったと分かったら起こしてくれるはずよ」
「ほんと?」
「ほら、殿下の上に精霊達がいるでしょ? 眠らせた殿下に何か起きないよう見張って守ってるわ。だから今の殿下には魔術も効かないし、傷つけることも出来ないの。精霊にはどの魔術も適わないわ」
「そっか、兄様をにひどいことをしようとしたわけじゃないんだね」
「そうよ。だけどさすがにそろそろ起きてもらわなきゃね」
「うん。オレはどうしたらいい?」
「あの楡の木を思い浮かべて、話しかけて、王太子殿下を起こしてくれるよう頼んでごらんなさい」
ヒラは、勇気づけるようにルードが握る王太子の手の上に更に自分の手を重ねる。
「楡の木の精霊さん、僕のことを心配してくれてありがとう。でも、もう大丈夫。ヒラが幽霊じゃなくて精霊だって教えてくれたから。だから、もう分かってくれない人がいても平気。それに……もう精霊さんのこと怖くないから。お願い、ラス兄様を起こして!」
目をあけてごらんと言われてルードが恐る恐る開くと、そこには沢山の光の球が集まり絶え間なく動き回りながら密集していった。そして一つの大きな球になると、王太子の身体の上ではじけて降り注ぎ、そのまま消えていった。
「な、なに、今の…」
「精霊が力を使ったのね。あと伝言よ。怖くないと言ってくれてありがとうって。ほらみて、殿下が目を覚ますわよ」
「ラス兄様!?」
規則的だったカラスリートの呼吸音が乱れ、吐息と共に声が漏れた。
ルードが握りしめる手が微かに動く。
「なぜ、僕の部屋にこんなに人がいるんだ?」
息をするのも憚られるほど黙って二人を見守っていた背後の人々が、一斉に胸をなで下ろし歓喜した。
「おお、殿下が目覚めた!」
「よかった、ご無事で本当によかった!!」
「リアス、すぐに父上にお知らせしてください」
「はい、ただいま」
「おいおい、なんの騒ぎだ?手を握ってるのはルーか?そんなに力を入れると痛いよ」
「すみません、兄様、兄様……本当に良かった、ごめんなさい、精霊が、どうしようかと、うっくっ」
顔を涙と鼻水で洪水にし、しゃくりあげながら断片的な言葉を並べる末の弟の黒い頭をカラスリートはぐしゃりと撫でた。
「何を泣いてるんだ?王子たるもの人前で涙は…って、だから何の騒ぎなんだ?」
「王太子殿下、あなたは10日ほど昏睡されていたのですよ。詳しくは後ほどサズリー殿下がご説明なさるでしょう」
「見ない顔だが、そなたは何者だ」
(ルーと同じ青い瞳なのね。強情そうな眉もそっくり)
ヒラはルードの泣き顔と見比べて微笑みながら、怪訝そうに見上げるカラスリートに礼をとった。
「お初にお目にかかります、王太子殿下。カザンの弟子、ヒラと申します」
「魔女の弟子は王子様」を読んで頂きありがとうございます。
これで第一章「魔術師の弟子と王子様」は終わりです。