上海空戦
アメリカ海軍アジア艦隊司令長官、モンゴメリー・M・テイラー大将はマニラへ帰還した早々に南シナ海の制海権を取れと命令されて困っていた。
自分の指揮下にある艦艇は旗艦だったヒューストンが沈んでしまい、駆逐艦19、潜水艦12、河用砲艦9しかない。
中国の揚子江にいる河用砲艦は自分の指揮下といっても、遠すぎて現地指揮官任せだった。
艦隊兵力が足りない……
19隻の駆逐艦は第一次世界大戦の旧式でまともに艦隊戦なんて出来ない。
広い南シナ海を哨戒させるだけで精一杯だ。
潜水艦には哨戒して日本の船を発見したら攻撃ぐらいしか命令できることが無い。
それ以上に面倒だったのは、イギリス海軍もオランダ海軍も一切の協力を拒否して中立を宣言している。
東郷元帥を殺したアメリカが悪いと非難までされている。
テイラー大将は孤立無援だった。
アメリカ海軍が何も出来なくても、すでに戦火は上海へ広がっていた。
昭和七年一月、アメリカは中華民国との同盟を宣言し、上海方面への軍事介入に踏み切ったのである。
『未来からの贈り物』には『第一次上海事変』と記されていた。
だが、もはやその呼び名は実態にそぐわない。
歴史の本来の流れでは、局地的衝突にとどまるはずだった戦いは、いまや中国とアメリカを相手にした戦争へと姿を変えていた。
アメリカはこの時点では、まだ上海方面に大規模な地上戦力を持っていなかったが、
フィリピン・ルソン島にあるニコルズ飛行場に駐留していた第4混成グループの中から第3航空隊が送り込まれた。
これまで相手が中国軍だけなら、恐るべき相手ではなかった。
だが、そこへアメリカ軍の航空戦力が加わったことで、戦力の均衡は一挙に崩れた。
日本軍の前に現れたアメリカ陸軍航空隊の指揮官はロバート・ショート大尉だ。
つい最近まで中国軍に義勇兵として参加していた予備役だったが、日米開戦により現地に一番詳しい将校として大尉に昇進の上で指揮官に任命された。
中国軍と連携するパイプ役としても期待されていた。
日本海軍は、これに対抗して空母加賀と鳳翔を派遣した。
海の上を吹き抜ける冬の風は鋭く、甲板員たちの頬を容赦なく打った。
その冷気のなかで、誰もが理解していた。これから始まるのは、日本の航空戦史における新しい時代の幕開けだと。
戦闘機同士が空で噛み合う、本格的な空中戦。
日本海軍にとって、初めて経験する空中戦が始まろうとしていた。
加賀の搭乗員待機室で大西大佐は出撃する搭乗員に声をかけた。
彼の胸中には、確信に近い期待があった。
『未来からの贈り物』によれば、この戦いで日本側は初の戦闘機撃墜を記録することになっている。
しかも、その栄誉を手にする者の名を、彼はすでに知っていた。
だからこそ、大西は搭乗員の一人へ声をかけた。
「生田乃木次中尉。敵戦闘機との交戦が予想される。奮闘されたし」
それ以上のことは言えない。
『未来からの贈り物』の存在は一部の高級将校しか知らぬ軍機だった。
うかつに話す事は許されない。
できるのは、こうして意味ありげな激励を与えることだけだった。
生田中尉は敬礼すると乗機へ向かった。
三式艦上戦闘機が三段飛行甲板の最上段を滑走する。
風を切り、機首を上げ、そのまま灰色の空へ吸い込まれていった。
そのあとに、僚機が続く。
僚機の操縦席に座るのは、坂井三郎だった。
未来の世界では「大空のサムライ」と呼ばれることになる男。
だが今はまだ、満年齢でいえば十五歳にすぎぬ少年でしかない。
坂井三郎をここまで引き上げたのは、山本五十六だった。
東京の伯父に引き取られ、上京してきた坂井を探し当てた山本五十六は彼を海軍少年航空兵として予科練へ誘った。
練習生の中では操縦が上手いほうでもなく、微妙な成績だったが、未来の撃墜王だと思い戦時特例で早期卒業させ、年齢を水増しして18歳の三等航空兵曹として加賀に配属させた。
そのうえで、海軍少将じきじきにこんな言葉まで与えている。
「撃墜王になったら『大空のサムライ』を名乗れ」
十五歳の坂井三郎にとって、それは毒のように甘い言葉だった。
彼は胸を熱くし、自分が特別な人間なのだと本気で信じ始めていた。
大空へ舞い上がる前から、心のほうが先に高く舞い上がっていたのである。
海軍が未来の撃墜王たちを先回りして確保しようとしていたのは、坂井だけではなかった。
二〇二機を撃墜する海軍最強のエース、岩本徹三は、まだ益田農林学校の学生だった。
だが、卒業後すぐに航空科へ進ませてもらうため、すでに家族を説得していた。
百二十機を撃墜し、のちに「空戦の神様」と呼ばれる杉田庄一に至っては、まだ新潟で長い山道を歩いて小学校に通う小学生だった。
そのため、帝都に住む退役中将の家へ養子に迎え、東郷元帥の推薦状を添えて学習院へ転校させていた。
軍人の家で学ばせ、早くから帝国海軍の空気を吸わせれば、未来以上の戦果が望めると、半ば狂信じみた期待があった。
未来を知る者たちは、歴史を手繰り寄せられると思っていた。
九機の戦闘機を送り出した大西大佐は、艦橋で帽子を振りながら、胸の内で戦果報告を待っていた。
初撃墜の報が届いたなら、何と言ってやろうか。
英雄には、英雄にふさわしい言葉を与えねばならない、そんなことまで考えていた。
数時間後。
戦闘機隊は帰ってこなかった。
燃料が切れる時間になっても戻ってこない。
時間が経つにつれ、加賀の艦内には説明しがたい不穏さが満ちていく。
見張りは何度も空を見上げ、通信士は沈黙する受信機に苛立ち、甲板員たちは顔を見合わせながら何も言わなくなった。
しばらくして、海軍陸戦隊からの連絡が届いた。
「敵戦闘機十二機編隊と交戦。味方戦闘機、全機墜落」
その報告を聞いた瞬間、大西大佐は思わず叫んでいた。
「そんな馬鹿な!」
敵は四機程度ではなかったのか。
そうでなければ辻褄が合わない。未来の記録では、もっと小規模な戦闘のはずだった。
九機を出せば圧勝できると、そう踏んでいたのである。
だが、ここでようやく大西は、自分が犯した致命的な見落としに気づいた。
本来、この戦いが起きる時点では、まだアメリカは正式な交戦国ではない。
飛来する敵機は、個人的に中国側へ加わった義勇兵にすぎなかった。
だが今の上海は違う。
アメリカはすでに日本と戦争状態にあり、正規軍の航空部隊を送り込んでいる。
数も違えば、運用も違う。
何より『未来からの贈り物』に書かれていた通りに敵が来るという前提そのものが崩れていた。
その事実が、ようやく大西の全身に冷たい汗となって滲み出した。
彼はまだ起きていないミッドウェー海戦の記録まで読んでいた。
空母が一瞬の判断ミスで炎上し、海の底へ消える未来を知っていた。
知っているからこそ怖かった。
いまここで加賀を失えば終わる。
艦も、人も、未来も、一度に失う。
大西は、誇りよりも保身よりも、まず恐怖に従った。
「敵航空戦力の勢力圏から離脱する」
加賀は上海沖から退避した。
上海での地上戦自体は、上陸した陸軍の奮戦によって辛うじて勝利に持ち込まれた。
だが損害は六千人を超えた。
これは「上海事変」ではなく「上海会戦」だった。
しかも戦局はなおも不安定で、終結の見通しは立たない。
防空は陸軍航空隊へまかせ、空母部隊は後方へ退いた。
しばらくして、佐世保へ待避した加賀へ、二人の生存者が送り届けられた。
生田乃木次中尉と坂井三郎三等航空兵曹だった。
九機のうち、生きて戻ったのは二人だけだった。
ほかの七名は戦死していた。生田と坂井のみが、落下傘降下と不時着によって、どうにか命をつないだのである。
生田中尉は、大西大佐の前で深く頭を垂れた。
部隊を全滅させたことへの懺悔だった。
指揮を預かる者として、部下を帰せなかった責任がそのまま背中にのしかかっているようだった。
一方、坂井三郎は、立っているのがやっとという顔をしていた。
彼はようやく思い知らされたのである。
自分は未来の英雄などではなく、ただ期待と称賛に浮かれていた子供にすぎなかったのだと。
だが、大西大佐は二人を責めなかった。
それどころか、ひどく丁重に労った。
理由は単純だった。
大西は、まだ『未来からの贈り物』を信じていたからである。
この二人は、戦後まで生き残るはずの男たちだ。
実際、部隊が壊滅したにもかかわらず、二人だけは生きて戻ってきた。
ならば、やはり運命に選ばれているのだろう。
もし搭乗機が三式艦戦ではなく零戦なら、二人は倍の敵に囲まれても返り討ちにできたはずだ。
そんな根拠薄弱な考えが大西の中で強まっていた。
二人には歴史の神に守られた不死性のようなものがあるのではないか、とまで思い始めていた。
その頃。
中国の新聞には、日本の戦闘機隊を全滅させたショート大尉を称える記事が、大きな見出しで躍っていた。
蘇州公共体育場ではショート大尉を讃える式典が開かれ、江蘇省蘇州市呉中区では「ショート大尉」を讃える記念碑の建設が始まっていた。
アメリカの新聞にも始めて日本の戦闘機を撃墜した英雄として讃える記事が並んでいた。
ショート大尉はアメリカと中国の双方から勲章を授与された。




