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お召艦比叡

山本五十六から「ゼロ戦」という暗号名を与えられた堀越二郎は、深い苦悩の中にいた。

未来から届けられた三十冊ほどの書籍。

そのすべてに目を通したが、得られる情報は断片だった。

「どうして図面がないのか」

そう尋ねたとき、山本は静かに答えた。

「敗戦のとき、全て焼かれたらしい」

つまり、未来人が送ってきたのは、断片的な記録だけだった。


数年後の自分が何を考えてゼロ戦を設計したのか。

未来の自分が書いた自伝を読むのは、どうにも奇妙な気分だった。

幸いにして機体の外形はかなり詳しく残されている。

風洞試験や空力計算は省略できる。

堀越は本を机に広げ、木製モックアップの図面制作に取りかかった。


計器板の配置は未来から贈られた本の中で詳細に解説されていた。

計器の配置はそのまま写せばよい。


主翼や胴体の断面図も載っている。

精密とは言えないが、図面を起こすには十分だ。

『未来からの贈り物』によれば、ゼロ戦の本質は徹底した軽量化にある。

高度な強度計算によって極限まで絞り込んだ機体。

問題は、その計算の中身がどこにも残っていないことだった。

大まかな寸法は分かる。

だが、部品の詳細寸法がない。

外板の厚さひとつとっても

「0.3ミリから0.7ミリまで、場所により異なる」

そう書いてあるだけだった。

どこが0.3ミリで、どこが0.7ミリなのか、まったく分からない。

さらに、敗戦後に自伝に記している記述に困った。

軽量化のやりすぎで問題が起きている……


『零戦のフレームのあまりの脆弱さが低命中率の原因ではないか』

『極端な軽量構造が祟り、空中戦による負荷や射撃の反動によって取り付け部である主翼が撓み、命中精度が落ちた』


未来の自分は徹底的に軽量化したが、やりすぎて強度不足になってしまった。

事前に判明している欠陥は改良すべきだが、強度と軽量化の加減が全く分からなくなっていた。


山本閣下は「資料があればすぐ作れる」と言っていた。

だが現実には、断片的な資料から強度計算をやり直し、図面を引き直す必要がある。

堀越は自分で書き起こした図面を睨みながら、静かにため息をついた。

「これは、何か月もかかるぞ」


問題は他にも山積みだった

引込脚なんて、まだどこの国も本格採用していない装置だ。

資料には「油圧で脚を格納する」「油圧能力不足のため左右同時には収納できない」など妙に細かい説明がある。

だが、構造図がない。

足を固定するロック機構がどのような構造なのか解らない。

堀越は製図台の上で手を止めた。

「これは、どうやって作ったんだ……」


引込脚はいったん横に置いて防弾燃料タンクの資料を広げた。

未来から特許書類が届いている。

日本製より優秀なアメリカ軍が採用した防弾タンクの資料だった。

アメリカの特許番号が2,404,766 

名称はSelf-sealing fuel tank

出願日が1941年1月21日

堀越はしばらくその日付を見つめた。

まだ出願されていない特許だった。

発明者はエルモ・E・ハンソンとチャールズ・R・パーク

聞いたこともない名前だ。

堀越は苦笑した。

「すまない……」

誰に向けた謝罪なのか、自分でも分からなかった。


工作部では、新しい工具の試作が始まっていた。

「沈頭鋲」

空気抵抗を減らすため、表面が平滑になるリベットだ。

未来の資料には、工具の図面と作業手順まで残されていた。

それはありがたい。

だが問題は別にあった。

工作部の班長が困った顔をしていた。

「主翼外板の鋲打ちなんて自信がありません」

これまで三菱が作ってきた飛行機は羽布張りだった。

全金属製の主翼はまだ作ったことがない。

薄いジュラルミン外板を精密にリベット打ちする技術など、まだ日本には存在しない。

工員たちが未来の技術を身につけるには、時間が必要だった。


それ以上に、堀越を悩ませている問題がある。

エンジンだった。

機体設計は、すでにエンジンの寸法と性能が決まっている前提で進めている。

しかし、そのエンジンは、まだ存在していない。

予定出力が出なければ、この機体は低性能機になる。

しかもゼロ戦の強みは、長大な航続距離だ。

燃料消費が予定より増えれば、戦略そのものが破綻する。

『未来からの贈り物』には奇妙な逸話が載っていた。

エンジンの生産が間に合わず『首なし戦闘機』が作られた。

機体を改造して別のエンジンを取り付けたという。

堀越は鉛筆を置いた。

事前に分かっていても、同じことが起きない保証はない。


行き詰まった堀越は、ある晩、後輩を自宅に呼んだ。

技術少佐になったばかりの青年は、軍服ではなく背広姿で現れた。

堀越は奮発して料理を並べ、酒を用意した。

軍機の仕事に関わる者は愚痴を言える相手が少ない。

杯が進むと、案の定、後輩は話し始めた。

「聞いてくださいよ」

「未来の晴嵐は、八百キロ爆弾搭載機なんです」

「それなのに山本閣下は四千六百七十二キロ爆弾を積めるようにしろって言うんです」


堀越は思わず笑った。

「ずいぶん思い切った要求だな」


「ですよね!」


後輩はもう赤い顔をしていた。

「六倍ですよ! 六倍!」

「計算できないんですかね、あの人」


堀越は苦笑した。

「で、どうするつもりなんだ」


「富岳と同じ三千馬力エンジンでなんとかしろって言うんです」

「しかも潜水艦に積めるよう折りたためって」

「双発は駄目、単発にしろって言うんです」


堀越は杯を置いた。

「その4.6トン爆弾の寸法は?」


後輩は指で空中に線を引いた。

「長さ三メートル二十六」

「直径百五十三センチ」


堀越は天井を見上げた。

「爆弾がそのまま飛行機の胴体だな」


後輩はすでに完全に酔っていた。

「そんなの運べるの、陸軍の九二式重爆くらいしかありましぇん……」


「だがあれは遅いぞ、戦場に出たら落とされる」

堀越は小さく呟いた。

「山本閣下は何を考えているんだ」


酒に弱い後輩はそのまま倒れ込んだ。

「わきゃりましぇーん……」

堀越は苦笑しながら布団を敷いた。

自分よりも無理難題を背負わされた後輩が少し気の毒だった。



その頃、一隻の戦艦がアフリカを目指して航海していた。

正確には戦艦ではなく、練習艦に分類される船の名前は『比叡』

金剛型戦艦四隻の中で一隻だけ軍縮条約により砲塔を減らし装甲を外して戦艦から練習艦に改造された船だ。

比叡は遠路アフリカの国、アンゴラのロビト港を目指していた。


比叡は単なる練習艦ではなく、天皇陛下の御召艦でもある。

比叡には大佐である艦長より遙かに階級が高い、伝説の偉人と呼ばれる東郷平八郎元帥が乗船していた。

八十三歳になる東郷元帥はすでに隠居の身だった。

それでも彼は山本五十六から託された密命のために乗り込んだ。


目的はただ一つ、ユニオン・ミニエール鉱山会社と交渉してウラン鉱石を手に入れる。


コンゴで採掘された鉱石はベンゲラ鉄道で千キロ以上の陸路を運ばれポルトガル領アンゴラのロビト港から欧州へ輸出されている。

今の時代、ウラン鉱石は夜光塗料に使うラジウムの原料にする事が目的で、ウランはどうでも良い副産物にすぎない。

原子爆弾や原子炉という概念が世界に知られてしまえば入手は困難になる。

山本五十六は誰もウランの価値を知らない今が、最初で最後のチャンスだと考えていた。

もし成功すれば開戦初日にアメリカ本土を壊滅させる超兵器を日本が手に入れる。

この航海は、大日本帝国の未来を左右する極秘作戦だった。


同じ頃、もう一つの秘密部隊が行動を開始していた。

海軍陸戦隊と石油調査団。

彼らが向かうのは中国内陸。

未来では『大慶油田』と呼ばれる場所だった。

海軍の石油消費は年間三百万トン。

大日本帝国全体では五百万トン以上必要になる。

戦争をするための最低条件だ。

調査団の任務は油田を見つけること。

いや、油田が本当に存在するか確認することだった。


しかし、仮に油田が見つかったとしても問題は山積みだった。

大慶から大連の港まで千キロ以上ある。

そこまで運んで初めて軍艦に給油できる。

年間五百万トンを運ぶには、余白をみて毎日一万五千トンの輸送能力が必要だ。

つまり、五百両のタンク車が毎日千キロを往復する鉄道が必要だった。

既存の鉄道ではまったく足りない。

石油輸送専用の新線を建設するしかない。

山本五十六から鉄道の建設計画を依頼された満州鉄道の技師は、概算見積もりを送り返した。

「完成まで二十五年」

たった一本の輸送路に石油輸送の全てを依存するのは危険極まりないが、予備を作る余裕どころか本線すら完成のめどが立っていなかった。

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― 新着の感想 ―
難しいので作品的に向かないですが、きっと層流翼型とかボルテックス ジェネレーターの資料もあったのでしょうね。まだこの時代の技師が 本をみていきなり会話できるほどではなかったとして除外するとは 作者様の…
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