八話 所持品検査
八話
8-1 所持品検査
御親領衛本部における平時の朝は、静かというより鈍い。
軍の施設なのだから号令と足音があるはずだと考えるのはもっともだが、ここはそういう場所ではない。兵が規則正しく動いているのではなく、規格の違う災害が同じ箱に入れられているだけなのである。箱の外から見れば静かに見える時間ほど、箱の中身は信用できない。
その日も朝から羽場桐は帳簿を捲っていた。
出動記録、補給申請、器材整備、外部顧問同行記録、民間協力者接触記録。記録の名を持つ紙は多いが、実態としては「何が起きても後から軍が説明できる形に直すための紙」である。そう呼んだ方が正確だろう。
彼女は机の端に置かれた時計を一瞥し、顔を上げた。
「本日午前は訓練ではなく点検です。各員、装備および私物を含めて提出範囲を確認してください。拒否権はありません」
言い方は柔らかい。内容は硬い。
部屋の空気が目に見えて濁った。
樋道芳芙美が真っ先に不満を口にする。
「えー……私物もぉ? ボクの美の秘密まで国家管理?」
「国家は樋道准尉の美の秘密に興味はありません。ただし、前回のように私物の香水瓶に分子分解領域の残滓を付着させて廊下の床材を痛めるのはやめてください」
「事故だよ事故」
「事故報告書は三枚でした」
樋道は唇を尖らせたが、それ以上は言わない。言い返せば言い返すほど過去の書類が飛んでくる相手だと知っているからである。
支倉真名は椅子に浅く座ったまま、手鏡を閉じて肩を竦めた。
「私は協力するけど、樋道くんの部屋だけ別棟にした方が早くない?」
「ひどいなぁ真名ちゃん。相方候補に向かって」
「候補で止まってるから言ってるの」
端の方で三木一葉が双葉と三葉に小声で何かを言い、三人で笑う。東雲がそれを見て小さく眉を下げた。
護国綾瀬はその少し離れた壁際に立ち、提出前の刀装具を指先で確かめていた。座らないのは癖だろう。あるいは誰かと距離を取るためか。兄である護国宗一が視線だけで様子を見たが、綾瀬は気づかないふりをしている。気づいていて、そうしている。
「三人とも、今日は勝手に能力を使って探し物をしないこと。点検の最中に魂を繋げるな。前回はそれで提出順が全部崩れた」
「はーい」 「双葉はやってません」 「あたしも半分しかやってない」
半分とは何だと問う気力を、東雲はもう持っていない顔をしていた。
護国宗一は既に自分の提出物を机上に整列させ終えている。並び方が几帳面というより、証拠物件の保全に近い。紺野健太郎はその隣で軍刀を外し、短く息を吐いた。
「……点検にどれくらいかかる」
羽場桐は帳簿から目を離さず答える。
「何も起きなければ一刻半です」
硯荒臣少将が部屋の奥から口を挟む。
「何も起きないならここは御親領衛ではないだろうな」
誰も笑わなかった。否定しづらいからである。
荒臣は机に頬杖をつきながら書類を眺めていた。見た目だけ切り取れば眠そうな少女だが、その視線が紙に落ちるだけで周囲の雑音がひとつ減る。本人にその気がなくても場を支配してしまう手合いはいる。そういうものだ。
「羽場桐中尉」
荒臣が気だるげに言う。
「今日の点検で一番問題を起こしそうなのは誰だと思う」
「候補が多すぎて絞れません」
「良い答えだな。昇進させたいくらいだ」
「遠慮します」
即答だった。
そこへ遅れて志摩龍二が入ってくる。制服の着こなしは相変わらず雑で、歩き方も軍人というより喧嘩帰りの不良だが、目だけは寝ていなかった。
「すまねえアネゴ、遅れた」
「羽場桐中尉です、志摩君。理由は」
「校門で生活指導に捕まった」
「軍務より優先される理由ではありませんね」
「だから抜けてきた。褒めてくれよ」
羽場桐は帳簿に何かを書き足した。褒める代わりに記録されたらしい。
紺野はそれを横目で見ながら思う。
この部隊はたぶん、任務よりこういう時間の方が神経を使う。
点検そのものは戦いではない。だが戦いではないからこそ誤魔化しが利かない。何を持ち、どう使い、何を隠しているか。生き方が物に出る。神術師は特にそうだ。力が内側から出る人間は、私物にまで性質が滲む。
だから羽場桐は点検をやる。
秩序のためというより、崩れる前に兆候を見るために。
この中でそれを一番よく分かっているのは、たぶん本人ではない。東雲丈雲だろう。彼は羽場桐の横顔を見て何も言わない。言わないまま、三つ子の提出物が混ざらないようにさりげなく位置を直していた。
「では始めます」
羽場桐が立ち上がる。
「番号順ではなく名前順です。軍属は階級を優先、非軍属は姓で呼称します。呼ばれた者から前へ。……あと」
彼女は一拍置いた。
「今日は硯少将の“気まぐれ検査”が入ります。覚悟してください」
樋道が顔をしかめ、志摩が肩をすくめ、高倉源三が小さく天を仰いだ。
綾瀬はと言えば、露骨な不満は見せなかったが、ほんのわずかに眉間へ力を入れた。私物点検そのものへの反発というより、自分の持ち物を「確認される」という行為それ自体を好まない顔である。排他的、という言葉はこういう細部で輪郭を持つ。
高倉がぼそりと漏らす。
「八百屋の棚卸しの方がまだ気楽だ……」
荒臣がそれを聞きつけ、楽しそうに目を細める。
「高倉君、なら次は野菜の帳簿で軍務を回してみるかね。欠落補填で数字も埋まるだろう」
「埋まっても後で地獄が来ますよ少将閣下」
「知っている。だから面白いんだろう?」
そういう問題ではないのだが、荒臣に言っても仕方がない。
この部隊で仕方がないことは多い。多い上に増える。
点検日は、そういう現実を一番穏やかな形で思い出させる日だった。
8-2
「護国少尉」
最初に呼ばれた護国宗一は、前へ出て、許可を得て、提出し、説明し、確認を受け、戻るまでが淀みなかった。
刀剣、予備弾薬、手帳、筆記具、応急処置用品。私物に分類される品まで機能別に整理されている。整然という言葉は本来こういう人間のためにある。
羽場桐が確認票に印を入れる。
「問題なし。次、護国綾瀬さん」
綾瀬は短く「はい」とだけ答えて前に出た。
動きに無駄がない。丁寧ではあるが、どこか刃のような硬さがある。机に置かれた提出物もまた本人に似て、少ない上に整っていた。手入れの行き届いた装具、予備の留め具、筆記具、教本が二冊。私物としては驚くほど色気がない。
樋道が後ろから小声で言う。
「女子高生の机じゃないなぁ」
綾瀬は振り返りもしない。
「任務中に女子高生でいる必要はありますか?」
羽場桐の口元がほんのわずかに動いた。笑ったのではない。評価を保留した顔だ。
確認は早く終わるかに見えたが、羽場桐は一本の細い糸巻きのような器具に指を止めた。
「護国綾瀬さん。これは申請外ですね」
綾瀬が一拍置く。
「……鳴子代わりの補助です」
「あなたの能力は“補助”の一言で済ませると後で困る類です。次回から事前申請を」
「承知しました」
返答は素直だが、声に温度はない。反省しているというより、規則として受け取っただけのそれである。
護国宗一が横から口を挟みかけ、やめた。兄として言うべきか、隊員として黙るべきかを一瞬迷った顔だった。
羽場桐は確認票に印を入れる。
「問題なし。次、紺野少尉」
紺野は前に出る。軍刀を机上に置き、予備の留め具と最小限の携行品を並べた。
羽場桐の視線は速い。速いが粗くない。必要な箇所だけ見て、触れて、確認する。
「……少ないですね」
「必要な物は持っている」
「必要と思っていない物は?」
紺野は一瞬黙る。
「持たない」
羽場桐はそこで顔を上げた。問い詰める視線ではない。記録する視線だ。
「分かりました。問題なし。次、東雲さん」
東雲は提出物の数そのものは少なかったが、影の媒介に使う細工物が多く、そのひとつひとつに説明が必要だった。古い癖のある道具が多く、若い隊員には用途が分からないものもある。
樋道が後ろから覗き込む。
「何これ。釘?」
「釘だよ」
「普通の?」
「普通ではないから今ここにある」
樋道は納得した顔をしていない。納得していないが、東雲の物に触ると後で羽場桐に叱られるので触らない。学習だけはしている。
次に呼ばれたのは志摩龍二だった。
「志摩君」
「はいはい、志摩龍二くんでーす」
「前へ」
「アネゴこわ」
「.....羽場桐中尉です」
志摩は肩で笑いながら前に出る。私物を机に置く。財布、煙草の箱、ライター、折り畳みナイフ、学校の教材、赤点答案、そして何故か辞書が一冊。
護国が思わず口を開いた。
「……辞書?」
志摩は胸を張る。
「勉強してるからなオレ」
「赤点でしたよね」
羽場桐の一言で志摩の胸がしぼんだ。
帳簿の前では虚勢が長持ちしない。
羽場桐は煙草の箱を指先で軽く叩く。
「これは没収です」
「えっ」
「軍施設内です」
「いや吸ってねえって」
「吸うつもりで持ち込んでいます」
「理屈が強いんだよアネゴ」
「中尉です」
志摩が頭を掻きながらライターも差し出すと、羽場桐はそれを見て眉を寄せた。
「……志摩君。これ、改造してますね」
場の空気が少しだけ変わる。
志摩の笑いが止まった。東雲も視線を上げる。紺野は壁にもたれたまま目だけを向けた。
「悪ぃ。護身用だ」
「何を仕込んだんですか」
「減衰の起点を少しだけ安定させる細工。着火石の代わりに……」
「説明しないでください。聞いた時点で私の仕事が増えます」
羽場桐は額を押さえたが、没収とは言わなかった。その代わり確認票の余白に長く書き込む。
「使用禁止。持ち出し禁止。次回出動時は申請制。無断使用で始末書三枚」
志摩が露骨に嫌な顔をする。
「ニ枚」
「四枚でもいいですよ」
「三枚でお願いします」
後ろで高倉が小さく笑った。こういうやりとりができるだけまだましだと分かっている顔だった。
高倉源三の番になると、机の上には意外なほど物が少ない。財布、帳面、小銭入れ、包丁の手入れ道具、家の鍵、そして八百屋の仕入れメモ。
羽場桐が仕入れメモを見て一瞬止まる。
「……これは軍務と関係ないですね」
「はい、帰りに市場寄るんで」
「勤務中です」
「勤務の後です」
「勤務中に考えています」
「考えるだけならタダでしょう中尉」
言い返しながらも高倉の声には棘がない。生活の重さで角が取れた人間の声だ。
羽場桐はメモを返した。
「それと、欠落補填の反動が出ている時は包丁を持たないでください」
高倉は少しだけ目を伏せた。
「……気をつけます」
その短いやりとりに、部屋の誰も茶々を入れない。反動が生活を壊すことを皆知っているからだ。笑える話ではない。
支倉真名の番では机の上が急に華やかになった。小物の数が多い。化粧道具に鏡、髪留め、喉の保護用品、香りの薄い保湿剤。
樋道が横から身を乗り出す。
「多っ」
「仕事道具だから」
「アイドルの?」
「“人前に出る人間”の」
真名はそう言ってから少し笑い、羽場桐に向き直る。
「能力の制御用に使ってる物もあるから、触る時は言って」
「承知しています」
羽場桐は必要な物にだけ触れ、確認を終える。その手つきに迷いがない。相手が何者でも基準が変わらない。変えないためにこの人は毎日帳簿を読んでいるのだろうと紺野は思った。
樋道の番で案の定ひと騒ぎあり、三つ子の番で提出物が混ざり、東雲が静かに修正し、全体として点検は順調に遅れた。
順調に遅れるというのは御親領衛では褒め言葉に近い。
最後に珠洲原陽鳥の名前が呼ばれた時、部屋の空気は少しだけ張った。
「珠洲原主任」
陽鳥は白衣のまま前に出る。笑っている。いつもの笑みだ。
柔らかく、角がなく、隙だけがあるように見える。見えるだけであることは、この場の大半が知っている。
この国ではまず見ない異国の人間の面影がある。金の髪と青い瞳はその笑みの柔らかさをかえって作り物めいて見せた。
彼女が机に置いた私物は驚くほど少ない。筆記具、薄い端末、手袋、記録媒体、携帯工具。
羽場桐が確認を進める。表情は変わらない。だが確認の時間は他より長かった。
陽鳥が楽しそうに言う。
「疑ってる?」
「確認しています」
「同じ意味に聞こえるわ」
「珠洲原主任にはそう聞こえるのでしょう」
やりとりは静かだが、刃物の腹を合わせているような薄い音がする。
この二人の間にあるのは好悪ではない。役割だ。役割同士の緊張は感情より長持ちする。
羽場桐が手袋を見て止まる。
「これは新しい物ですね」
「うん。研究局で試作品を回してもらった」
「申請書に追記してください」
「……そこは見逃してくれてもいいのに」
「見逃してほしいなら最初に出してください」
陽鳥は肩をすくめて笑った。勝ち負けではない。今日は羽場桐の土俵だと分かっている笑い方だった。
点検が終わる頃には昼を回っていた。
羽場桐は確認票を束ねて一息つく。ほんの一瞬だけ机に手を置いたまま動かない。
疲れたのだろう。誰もそれを口にしない。
代わりに荒臣が言った。
「ご苦労。では午後は休みにしよう」
樋道が顔を上げる。真名も志摩も三つ子も揃って反応した。護国でさえわずかに目を瞬かせた。
羽場桐がゆっくり顔を上げる。
「……閣下。午後は補助器材の点検が残っています」
「知っている」
「出動の可能性もあります」
「知っている」
「でしたら」
荒臣は頬杖を解き、赤い目を細めた。
「疲れた顔で現場に出る方が危険だ。休め。――ただし、敷地内」
全員の落胆が半分、安堵が半分という顔になった。さすがに外出許可までは出ないらしい。
荒臣は紙束を指で弾きながら続ける。
「平時の仕事は、平時のうちに壊れないためにやる。壊れた後で帳簿を付けても意味がない」
それだけ言って、また書類に目を落とした。
羽場桐は数秒黙っていたが、やがて敬礼した。
「……了解しました」
そして隊員達を見渡す。
「敷地内待機。呼び出しに即応。私物の返却は順番に。樋道准尉、あなたは最後です」
「なんで!?」
「なんででもです」
不満の声が上がり、小さな笑いが混ざり、三つ子が騒ぎ、志摩が煙草を返してくれと粘り、高倉が市場の時間を計算し始める。
綾瀬はその輪に入らず、返却された装具を黙って整え直していたが、兄の「休めるうちに休め」という小声には、目を合わせないまま小さく頷いた。
部屋が少しだけ賑やかになる。
その光景を見ながら紺野は思う。
たぶんこれも仕事なのだろう。
戦っていない時に壊れないこと。
それは戦うことより難しい場合がある。
御親領衛はとりわけそうだ。誰も同じ形をしていない。だから同じ秩序で綺麗には収まらない。それでも羽場桐は帳簿で繋ぎ、東雲は位置を直し、護国は線を引き、綾瀬はその線の内側で刃を研ぎ、高倉は生活へ戻す言葉を知っていて、真名は空気を整え、樋道は騒ぎ、志摩は危険を知った上で前に出る。
珠洲原陽鳥は笑っている。
硯荒臣は紙の山を見ている。
紺野はまだ、自分がここで何を担うべきかを言葉にできない。
だが言葉にできないまま居る場所としては、ここは妙に居心地が悪く、妙に離れにくい。
厄介な職場だ。
そういう職場ほど、あとで効く。




