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幻想帝都 神州御親領衛記  作者: ニュートリノ鈴木
二章 珠洲原陽鳥という女
74/193

七十二話 戻した手順


七十二話


72-1 戻した手順



外で拾った嫌な手つきは、消えたわけではない。

消えていないまま、御親領衛の朝は少しだけ元へ戻された。


札の角は揃えていい。貼り位置も固定に戻す。搬入口の声も、必要な時は必要なだけ使う。二日続けた「持たせない運用」は、現場の手を守る代わりに、現場そのものを疲れさせるやり方だった。長く抱える値段ではない。羽場桐妙子は、そこを切るのが遅くない。


「札、戻します」


護国宗一少尉が言う。

詰所前の机で、札束の角を一度だけ揃える。紙の端が合う音は小さい。小さいのに、近くにいた人間の肩がわずかに落ちる。現場はそういう音で楽になる。


「やっと……」


双葉がその音を聞いて、露骨に息を吐いた。

一葉はもう次の束を揃えに行こうとして、東雲丈雲に肩を止められる。


「一葉さん、ひと束ずつ」

「分かってる!」

「分かっている人の足ではないですね」

「一葉ちゃん、今日ちょっと速いー」


三葉が笑う。

東雲は笑いながらも、三人の位置を先に揃える。声より先に位置。外の線を畳んだあとも、この癖だけは部隊に残る。残していい癖だった。

搬入口では、紺野健太郎がいつもの短い声に戻していた。


「止まれ」

「そこへ置け」

「札が先だ」


昨日まで試していた長い言い方——理由を添えて、相手の安心を差し込まれにくくする言い方——は使わない。使えることが分かったからこそ、常用しない。常用した瞬間、それはまた盗まれる側の癖になる。


「今日はふつうだな」


高倉源三は荷台の脇で、積み方だけを見ていた。帽子のつばを指で上げる。


「運ぶやつが楽したい積み方してる。こういう方が、むしろ安心する」


機械の話はしない。部品の話もしない。高倉の仕事は、現場の人間が何を「ふつう」と感じるかを見ることだけで足りる。


羽場桐はその言葉を聞きながら、端末のメモを閉じた。外周接続線の観測欄は、もう増やさない。増やさないと決めて、昨夜のうちに荒臣少将へも通してある。


導入観測は終えた。

手口の輪郭は取った。

隊内では、陸軍筋外郭の先行工作として扱う線まで引いた。


あとは、崩れない形で残すだけだ。

そういう切り方の後の現場は、少し静かで、少し疲れている。


「羽場桐中尉」


護国が紙束を持って来る。


「時刻管理線の整理、午後で入れます」

「お願いします」


羽場桐は頷く。


「搬入口は通常運用に戻したまま。異常がなければ、外周線は報告だけで」

「はい」


護国が短く返す。

その横で、紺野が搬入口の外を見たまま言う。


「異常があっても、追わねえんだろ」

「導入観測としては追いません。主線を食うので」


羽場桐は視線を上げない。


「分かってる」


紺野は鼻で息を吐く。言いながら、まだ少し不機嫌だ。


「分かってるから、余計に苛つく」


羽場桐はそこでやっと顔を上げた。


「その苛立ちは持っていてください」


静かな声だった。


「使う順番だけ、こちらで切ります」


冷たい言い方だ。冷たいが、いまはそれでいい。

東雲が少し濃い茶を盆に載せて通り過ぎる。紺野の前にだけ、あとで置くつもりの温度だと羽場桐には分かった。


72-2


資料室の机には、あの紙はまだ中央に置かれていない。


意図して空けた可能性が高い空白。そう運用上の判定は出た。だからといって、その判定がそのまま次の手順を決めてくれるわけではない。隊の中でどう持つか、誰がどこまで入るか、その順番を決める仕事が残っている。


午後、紙の整理が一段落したところで、人が抜けた。

護国は羽場桐と別室へ、通常粒度の整理表を写しに行った。東雲は三つ子を軽任務へ流し、志摩は端末線へ、真名と樋道は搬送後処理へ回る。高倉は八百屋の店を一度見に戻ると言って帽子を被った。


資料室に残ったのは、紺野と陽鳥だけになった。

戸が閉まる音は小さい。小さいのに、二人の空気には十分だった。


「……姉さん」


紺野は机に手をつかず、少し離れたまま言う。

陽鳥の手が一拍止まる。いつもの反応だ。呼ばれること自体は想定しているのに、毎回そこだけ止まる。


「なに」

「研究局に来た紙」


紺野は封筒の方を見ずに言う。


「順番の話だってのは、分かる」


そこで一度、喉の奥のざらつきを飲み込む。


「でも、俺の反応も見てただろ」


陽鳥は否定しない。否定しない顔で、端末を机に置く。


「見てたよ」


低い声だった。


「健ちゃんが紙に入ると、向こうが何を拾うかも見る必要があったから」

「俺を使いすぎだ」


紺野の指先が、机の端ではなく自分の掌に食い込む。


「使ってる」


陽鳥は答える。


「守る時も、止める時も、隊を壊さない時も、全部同じ手で済む相手じゃないから」


資料室で聞いたことのある温度だった。安全圏の確保。隊のためでも、自分のためでも、相手のためでもある、あの嫌な正しさ。


「選ばせろって言ってるんだよ」


紺野は目を細める。

陽鳥は数秒黙る。笑わない。白衣の袖口を少し握る。黒い点は出ない。今日は出さない。


「全部は無理」


言い切った。


「でも、前よりは増やす。説明する線も、先に見せる線も」


少し間を置く。


「妙子ちゃんの順番を壊さない範囲で」


また順番だ、と紺野は思う。羽場桐も言う。陽鳥も言う。どちらも正しい。正しいから、怒鳴る先を失う。


「……じゃあ一個だけ」


紺野が言う。


「次は俺を外すな。あの紙の前で」


陽鳥の目が少しだけ細くなる。嬉しい顔ではない。痛いところを掴まれた時の顔だ。


「外したい日もある」

「あるだろうな」

「でも」


陽鳥は端末を持ち直す。


「次は外さない。健ちゃんが先に噛まないなら」

「そっちの都合で振り回すのはいい加減にしてくれよ」


紺野は鼻で笑う。だが笑いになっていなかった。


「加減はしてるよ」


陽鳥は小さく言う。


「最近、我慢覚えてきたから余計に怖いもの」


軽口の形を作ったところで、戸の向こうから羽場桐の声がした。


「紺野少尉、珠洲原主任。次の紙、こちらへ」


仕事の声だ。温度が違う。二人ともすぐに返す。


「はい」

「いま行く」


仕事の会話へ戻る。戻れるうちは、まだ崩れていない。

だが、さっきのやり取りで火種が消えたわけではない。むしろ言葉を持ったぶんだけ、前より扱いにくくなった。


72-3


夜の執務室で、荒臣は書類ではなく湯呑みを持っていた。


珍しいことではない。ただ、机の前で持つのではなく、窓際で立ったまま飲んでいる時は、部屋の中の空気を聞いていることが多い。羽場桐はそれを知っているから、報告を短く切る準備だけして入った。


「外周接続線の導入観測、予定通り終了しました」


羽場桐が言う。


「手口の輪郭は確保。崩れない運用へ移行済み。以後は外周の異常報告のみで、観測は継続しません」

「理由は」


荒臣は湯呑みから目を上げない。


「導入観測を続けると、こちらの観測手順自体が相手の教材になるためです」


羽場桐は答える。


「手間に対して、主線の進行を食います」


荒臣が鼻で笑うでもなく、湯呑みを少し傾ける。


「良い切り方だ」


そこでようやく視線を向ける。


「保留の値段は」


羽場桐の返答は一拍遅れた。問いの形が、運用の話ではなくなっているからだ。


「……隊内の疲労は積みました。ですが、崩壊は避けました」


言い直す。


「加えて、保留していた記録線の再確認へ戻るだけの材料は得ています」

「記録の空白か」


荒臣の言葉は短い。


「自然欠落としては不十分。運用上は、意図して空けた可能性が高いと判定しました」


羽場桐は頷く。続けて、研究局への個人宛て照会の件も要点だけ伝える。


「内容ではなく、時刻管理・粒度差・補記表現・担当の筆癖を見ています。外で拾った手順採取の線と、見方が一致しています」


荒臣は湯呑みを机に置いた。音は小さい。


「妙子」

「はい」

「お前の保留は正しい」


羽場桐の指先がわずかに固くなる。


「だが」


荒臣が続ける。


「正しかった保留は、遅くなるほど"隠していた"ように見える」


窓の外ではなく、羽場桐の顔を見る目だった。


「次は値段が上がる。払う準備をしておけ」

「承知しました」


羽場桐は深く頷く。

そこで戸が二度、控えめに叩かれる。護国だ。


「失礼します」


入室して、封のある紙を差し出す。


「近衛本部経由。硯少将宛て、至急扱いです」


荒臣は封を受け取り、表を見ただけで少し口元を動かした。笑ったのかどうか分からない程度の動きだった。封には近衛の印だけではない。もう一つ、見慣れていて、ふだんここへは直接来ない類の印が押されている。


「来たか」


荒臣が言う。


「内容確認は」


護国は視線を上げない。


「あとでいい」


荒臣は封を机に置く。


「妙子。紺野少尉と珠洲原主任はまだ離すな」


羽場桐が目を上げる。


「次の三日、隊内の順番を崩すな」


荒臣の声は平坦だった。


「上が動く前に崩れると、説明の値段が倍になる」


四家の名は出ない。天帝の名も、南方守護の名も、北方守護の名も、東方守護の名も出ない。だが封の印と荒臣の言い方で十分だった。羽場桐にも護国にも、次に来るものの重さだけは伝わる。


「承知しました」


羽場桐が言う。


「了解しました」


護国も続ける。


荒臣は封を指で二度叩いた。考える時の癖とも、苛立ちとも違う。数を数える時の手つきだ。


「東雲の茶、今日は当たりだった」


急にそう言う。

護国の眉がわずかに動く。羽場桐は返しを迷わない。


「伝えておきます」


会話はそれで終わりの形になった。

廊下へ出ると、本部の夜は静かに見えた。

だが、羽場桐の手の中には、もう一段上の重さが落ちてきている。


導入観測は畳んだ。

火種は固定された。

保留の値段は上がる。


次は、隊の外側の重力が、同じ机の上に乗ってくる。


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