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五話 招集.弐


五話


5-1 招集.弐


子供は喋らない。

意思がないのではない。喋れない。喋れば守りが剥がれ、喋らなければ守りが残る。その単純な取引が喉の奥に杭として打ち込まれている。低位の現場に、低位では作れない沈黙がある。ここを外すと全部読み違える。


護国宗一少尉は少年の手首にはまった拘束具を確かめながら言った。


「名前を」


少年は唇を開かない。目だけが動く。左右、床、天井、逃げ道。逃げ道がないと確認した上で沈黙を選ぶ。


「答えなさい。君は被疑者だ。黙秘権はある。ただ、黙秘すれば状況は悪化する」


護国の声は丁寧で落ち着いている。丁寧で落ち着いているまま温度がない。罪に対して冷酷になるとはこういうことだ。怒っていないし軽蔑もしていない。ただ処理している。


紺野健太郎少尉は壁の焦げ跡を見ていた。

焦げ跡そのものではなく形を見ている。燃えたのではない。燃やされた。燃焼に意思が乗っていた跡だ。意思があるなら供給源がある。


「……喋らせる必要はない」


護国が視線だけ上げる。


「喋らせないのか」

「喋れない。喋ると死ぬ」


護国の眉がわずかに寄る。意味を問う顔ではない。線引きの確認だ。誰がどこまでやる前提か、それだけを見ている軍人の顔だ。


紺野は少年を見る。少年も紺野を見る。

視線が触れたのは短い時間だが十分だった。嘘の前に恐怖が出る。


「ここで聞き出すのは無理だ。場所を変える」


護国が頷きかけたところで、少年が喉の奥を擦るように笑った。


「……変えても無理だよ」


声が出た。出せるはずのない声が出た。その時点で異常だ。異常には代償が付く。


──空気が冷えた。


温度ではない。世界が黙る方向へ傾く感覚が先に来る。

俯瞰すると、室内の反響が痩せ、皮膚表面の圧が均され、呼吸の立ち上がりが浅くなる。薄い膜が一枚張られ、言葉の輪郭だけが曖昧になる。

護国が目を細めた。


「……何だ、これは」


紺野は動かなかった。動けなかったのではない。動かなかった。

本能が告げる。これは攻撃ではない。攻撃なら斬れる。斬れるものはまだ楽だ。これは攻撃より厄介な前処理に近い。


少年の口角が上がる。

笑っているのは少年本人ではない。背後にいる何かだ。


「喋ったらだめって言われたの。でも、ちょっとならいいって」


言い終わる前に少年の鼻から血が落ちる。一滴で止まらない。止まらないのに泣かない。泣く感情が薄れている。泣くという行為そのものが面倒になっている。減衰している。


護国が一歩踏み出す。

その一歩で護国の肩がわずかに沈んだ。筋肉が重くなる。思考が半拍遅れる。感情が遠ざかる。怒りも同情も義憤も、同じ距離で遠のく。


「……志摩か」


護国が呟いた。

名が出た瞬間、少年の笑いが止まる。血がさらに増える。喋った代償ではない。名を出した代償だ。背後がこちらからの接触を認識した。


紺野の手が刀にかかる。

だが抜かない。抜けば切れる。切れば終わる。終わるのは現象だけで、根は残る。止めているのは慈悲ではなく合理だ。


「護国少尉。下がれ」


命令に近い声だった。

護国が一瞬遅れて反応し、その遅れに自分で気づいて顔を硬くする。能力の影響下にいると理解したからだ。

少年の目が虚ろになっていく。虚ろなのに口だけが動く。


「……アネゴ……」


護国は知っている。そう呼ぶ者を

羽場桐妙子のことだ。志摩龍二がそう呼ぶ女の名だ。


呼んだ瞬間、少年の唇が裂けた。裂けたというより、裂かれた。喋らせないための裂け方だった。


護国が躊躇なく顎を押さえ止血に入る。罪に冷酷でも、血に冷酷ではいられない。それは仕事だからだ。

ただ、その仕事の重さは紺野にも落ちてくる。喋らなければ根に繋がる。喋れば死ぬ。喋らせれば繋がる。繋げば殺せる。その連鎖の真ん中に子供が置かれている。


「……終わったな」


紺野が低く言うと、膜のような気配がふっと消えた。音が戻り、温度が戻り、呼吸が人間の速度に戻る。

残ったのは血と沈黙と証拠だけだ。


「本部へ戻る。羽場桐中尉に報告する」


少年は虚ろな目で天井を見ていた。喋ったことを後悔していない。後悔という感情そのものが削られている。


残酷なのは末端ではない。背後だ。背後のさらに奥だ。

この国ではいつも、そこに届かない者から先に血を流す。


5-2


御親領衛本部の廊下は静かだ。

正しい施設の静けさではない。危ない場所の静けさだ。ここで声を荒げると、その声そのものが何かの引き金になる気配がある。


だから羽場桐妙子中尉の声はよく刺さる。音量は高くないのに硬い。


「報告を」


羽場桐は机に座ったまま言った。手元には報告書、出動記録、処理記録。平時を繋ぎ止めるための帳簿だ。帳簿がなければ軍は動かない。帳簿があっても現場は死ぬ。だが帳簿がなければ、死んだことすら残らない。

護国が要点を並べる。


「対象は低位三名。位階測定は未了。能力は火の位相固定に近い。背後に事象減衰系の介入あり。短時間ですが現場に膜状の場が形成されました」


羽場桐のペンが動く。速いが粗くない。必要な情報だけを拾い、記録の形に落としていく。


「志摩龍二の能力波形に似ている、と」

「似ている程度です。本人が現場にいたわけではない。ただ減衰の方向が同じでした」


羽場桐は頷き、そのまま紺野を見る。


「紺野少尉。所感を」


紺野は短く息を吐く。


「末端が喋れない。喋った瞬間に壊れる。沈黙が保護されてる。背後に精神干渉があると見ます」


羽場桐のペンが止まった。

止めたまま彼女は言う。


「“精神干渉”は便利な言葉です。便利すぎる。裏を取る前に報告書へ置くと、以後の調査が全部その言葉に引っ張られる」


声は丁寧だが、内容は明確な拒絶だ。

紺野は黙る。ここで押せば攻撃性が前に出る。攻撃性が出れば羽場桐が止める。止められた時点で話は閉じる。それは分かっている。


「ただし」


羽場桐は続ける。


「あなたの直感を捨てるつもりもありません。こちらで扱える形にします」


扱える形。

事務の言葉だ。だがこの部隊では、その言葉の精度が命の死に方を変える。

羽場桐が一枚の紙を差し出す。


「次は四名で出ます。紺野少尉、護国少尉、東雲さん。それから志摩君」


護国が息を呑む。紺野は眉がわずかに動いただけだった。


「本人には伝えてあります。拒否はありません」


志摩が従順だからではない。あの少年は不良だ。拒否がないのは、自分の能力がどれだけ危険か知っているからだ。危険だと知っている者ほど、使うべき局面を外さないことがある。

護国が静かに問う。


「羽場桐中尉。子供はどうなりますか」


羽場桐は一度だけ目を伏せてすぐ上げた。帳簿へ戻る。感情を置く場所がない動きだ。


「警察へ引き渡します。ただし医療班を付けます。精神の減衰は治療という言葉で片付くものではない。それでも、壊れたまま放置はしない」


護国が頷く。

紺野は何も言わない。言わないまま胸の奥に薄いものが積もる。怒りでも悲しみでもない。手の届かないものが増えていく感覚だ。

こういう感覚は後で効く。しかも、一番悪い時に効く。


5-3


「……で、結局また増えたのか」


部屋の奥から声がした。硯少将だ。

若い声なのに古い。年齢というより距離の古さがある。人間から半歩ずれたところで聞いている声だ。

羽場桐が立ち、紺野と護国もそれに倣う。軍属は階級が先。ここは軍だ。例外はない。


荒臣は机に座ったまま書類の端を指で揃えていた。山のように積んだ紙を睨んでいるわけでも、仕事に追われている顔でもない。暇つぶしに札を切るみたいに一枚ずつ扱っている。その手つきの軽さがかえって不気味だった。

羽場桐が簡潔に報告する。


「末端は低位。背後に減衰系の介入あり。沈黙の保護が強いです」


荒臣は鼻で笑う。


「沈黙の保護、か。いい言葉だ。誰が考えた」

「現場の所感です」

「なら尚いい。現場の言葉は下手な会議資料より役に立つ時がある」


軽い調子だが、現場を慰める響きではない。世界そのものの出来の悪さを面白がっている種類の軽さだ。


荒臣の赤い目が紺野へ向く。

深い赤だ。色の話以上に、視線の重さが先に来る。見た目以上の何かだと分かる。それだけで十分だ。この段階でそれ以上を知る必要はない。


「少尉」

「はい、少将閣下」

「海軍から来たんだったな。海はどうだ。まだ平和か」


雑談の形をしているが、雑談の手触りではない。試すような問いだ。

紺野は軍人として答える。


「有事はありません。平時です」

「平時、ね」


荒臣は机上の書類を一枚めくり、紙端を折って戻す。意味のない動作をわざとやっているように見えた。


「平時でこれだけ歪む。面白い国だ。狂っているとも言うが」


羽場桐が間を置かず返す。


「皮肉ですか、少将閣下」


荒臣は肩をすくめる。


「皮肉だよ。半分は現実だ」


紺野は喉の奥に苦いものを覚える。憤りでも諦めでもない。道具として数えられる感覚だ。高位の神術師である以上、そう見られるのは当然だと分かっている。分かっていることと、平気でいることは別だった。

羽場桐が次の紙を差し出す。


「次の出動は四名。志摩君を入れます。減衰の方向を照合します」


荒臣は頷いてから、ふと机脇の冷めた茶を口にした。すぐ顔をしかめる。冷えていることを知っていて飲んだ顔だ。


「いい。志摩を出せ。あれは自分の刃の危なさを知ってる分だけ、まだ扱いやすい」


それから視線を紺野へ戻す。


「少尉。勝とうとするな」


紺野は黙って聞く。


「勝てる相手には勝て。勝てない相手には……まあそうだな、生きろ」


優しさではない。戦術でもない。格の話だ。世界の階段の話だ。

荒臣はそう言って書類を戻し、次の紙ではなく机の端に転がっていた壊れかけのペンを手に取って回した。年若い少女のような指先の動きなのに、部屋の温度は少しも軽くならない。


この国の上澄みは、見た目と中身の距離がおかしいらしい。

その事実だけが、静かに残る。


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