一話 帝都
一話
1-1 西都―帝都
空は快晴、日は南中に上る頃である。
神州帝國西都発――帝都行の高速列車の一般座席でいかにも神経質そうな男がひじ掛けに乗せた腕に頬を乗せ、苛立たし気に貧乏揺すりをしていた。
隣には乗り合わせた若い親子の内、母親は気まずそうに座っていたが、男は一向に気に留める様子もなく、ぶつぶつと愚痴のようなものを零している始末で、態度を改める様子もない。
男の態度の悪さは周辺の乗客に咎められても良いようなものであったが、それもなく誰もが知らぬ存ぜずを装っているのはひとえに男の装いにあった。
深い黒を基調とする軍装と席の脇に立てかけられた軍刀。言うまでもなく男が軍属の士官であることを示す明確な証拠である。
しかし、たしかに男の態度の悪さに加え軍属であることは市民にとって畏怖させる事柄であったが、それ以上に彼らを恐怖させる事実がある。
男の纏う黒の軍装は帝都及び西都の防衛に就く近衛軍のものである。
一般的に、地方に住むような者が近衛と思い浮かべれば、神州の帝都を守るにあたり、屈強な身体に強靭な精神を兼ね備え、統率された精鋭集団を思い浮かべるものも少なくはない。
しかし、
帝都の事情に疎い者では知らぬ事かもしれないが、実態としては西都、帝都、及びその周辺に住むもので近衛の悪名と言えば知らぬ者が居ない。
こんな言葉がある。
『生きていれば不幸もある。時には死にたくなることもあろう。しかし人として死にたいならば近衛に関わるべからず』
近衛を揶揄する言葉であるが、多少の誇張は入っているとしても帝都に住むものでその言葉を疑うような者は誰一人としていない。
帝都の住民にとって近衛とは災厄であり、災害に近しい意味を以て扱われるものである。
故に、車内で男に関わろうと考えるような輩は存在せず、ただ嵐の如く扱われる『それ』が過ぎ去るのをじっと耐えるばかりであった。
しかし、何事にも例外というものは存在するもので、不文律を知らぬ、意に介せぬ者というのは存在する。
子供というのは往々にして物を知らず、兎角退屈に弱いものである。例え駄目と言われても好奇心と退屈を押し殺すことが出来ないのは仕方のないことだろう。
車内の静寂に耐えかねた、男の隣に座る五つ六つ程の少年が男の袖を引く。
気付いた母親は慌てて子供の手を引き放そうとしたが既に遅い。
男はほとんど顔は動かさずぎょろりと、眼球の動きで無感情に少年を見た。
「なぁおっちゃん。軍人さんだろ軍人って何の仕事してんの」
「……」
「なぁ」
「…………」
男は心底どうでも良さそうに子供を見据え、やはりどうでも良さそうに一言だけ呟く。
「………………殺したり、殺さなかったりだ」
まるで、虫を観察するかのような無感情な視線と抑揚の無い言葉だった。
子供は男が自身を見る視線と言葉の冷たさに気づきそれ以上の口をつぐむ。
分別のつかぬ年頃であっても、いや、つかぬからこそ子供は身に刺さる悪意というものに過敏である。
それ以上に余計な口を開かぬあたり、比較的少年は賢明であると言えた。
男もまた少年から視線を外し、窓の外に目を向けた。
母親は、男が子供への気を失った事への安堵に内心で胸を撫で下ろし、ただ早く時が過ぎる事を願う。
それから一刻程、列車が帝都に到着するまでの間、男は口を開かず車窓の外を見つめ、やはり苛立たし気に貧乏揺すりを続けていた。
1-2 神州
神州において最も繁栄する場所とは何処か。
第一にこの國の皇にして現人神を称する『天帝』の君臨する帝都であることは言うまでも無いだろう。
神州においてこれに異論を挟む者はまずおらず、なにより疑念の余地がない。
『神州』と言う言葉の意味を理解する人間であるならば、考える事すら愚問であると嘲笑されるに相違ない。
では第二に挙げるとするならば、序列に意見は分かれるだろうが大きく四つに分けられるだろう。
神州における帝都に次ぐ都市、すなわち南都、西都、東都、北都の四大都市である。
それぞれが都市としては元より軍令部としての機能を併せ持つ要塞都市としての側面を併せ持つ神州四方防衛の要として存在している。
陸軍の本拠を併せ神州北端を支える北都。
海軍の本拠を併せ神州南端を支える南都。
空軍の本拠を併せ神州が大きく面する海洋を望む東都。
そして三軍から独立した指揮系統を持つ近衛の本拠を併せ、帝都に隣接する西都。
いずれも劣らぬ大都市ではあるが、この四大都市が大きく発展し、また軍事の要を担うようになったのはつい最近という話でもない。
これらの四都市に重きが置かれた背景には四大守護の存在が大きいと言えるだろう。
『四大守護』
『奉帝四家』とも呼ばれ、古来より神州の四方を治め、護る事を任ぜられた神州で最も古いとされる家の事を指す。
すなわち、
北方守護 園業
南方守護 守社
東方守護 凛藤
西方守護 硯
この四つの家の事を意味する。
古くはこの四つの守護が天帝の最側近とされ、権勢を振るう時代が長く続いた。
今日ではかつてほどの権威は持っておらず守護職という任も形骸化して久しいが、未だ神州において歴史の中でも多く登場する最も名の知られた家の名である。
四守護は旧来より神州の軍事を司る者達であり、現代に置いても彼の家に連なる者が軍に深い関わりを持つ場合も多い。これについて、守護職の意味を考えれば当然であると考える者もあれば、国政にも少なからぬ影響を与える守護家を軍内部に跋扈させる事は組織の腐敗に助長をもたらす旧体制から続く悪習と非難し、水面下では軍からの四守護の排除を望む声も少なくはない。
すなわち、帝都及び四大都市と呼ばれる都市は軍事面、政治面共に国主である天帝、国政を司る帝國議会に加え、軍と四守護の少なからぬ影響下にも置かれる領域であり、その絶妙な力関係故に、彼らと切り離しては考えることが出来ない難儀な土地柄とも言える。
立憲君主に移行しつつも、長らく同一の国体を維持し続ける神州と言う國ではあるが、これら旧態依然の体制から抱える弊害は少なくはない。
四守護の問題も全体から見れば極々ひと握りのもので近代から現代に至るまで神州はこの手の政治問題を多く抱え、今もなお増え続ける一方であり、執政に関わる者の頭を悩ませ続けている。
急速な文明の発達により、この世界における数多の国々が抱えるありふれた問題の一つであるが、この神州という國においてもそれは例外ではなく避けては通れぬ課題であると言えるだろう。
1-3 帝都
神州帝國帝都。
西都よりおおよそ二刻程の時間をかけて高速列車は帝都に到着した。
この國の大地を遍く統べる天帝の威光が最も強い土地に黒い軍装の男が降り立つ。
男は列車を降りて少しばかり歩み、そして足を止めると周囲を軽く見回した。
流石は天下の中心となる都市の駅舎と言うべきか。帝都駅の喧騒、そして人の密度は同じく大都市といえる西都を比してなお活気に満ち満ちている。
近年においては帝都の増え続ける人口と地価から飽和した者達が西都に逆流入という現象も起こり始め、元々大都市として栄えていた西都も今まで以上に飛躍的な発展を遂げているが、それでも帝都には遠く及ばないと男は感じ入った。
だが、その目覚ましい発展が帝都に利益だけをもたらすと考えるほど男が楽天的な考えを持っているわけでもない。
言うまでも無いが、人が多いという事はより商売の機会が増えより多くの金銭が動くという事である。より手広く大きい商いが雇用を生み、職を求める人間が地方から流入する。
神州では近代化以後、富と名声を求める人間がこぞって帝都に流入し、活発な商業活動は神州全体から見れば多くの潤いをもたらした。
しかし、富とは生まれ続けるものではなく、決して等しく与えられるものでもない。
帝都で起こる活発過ぎるとも取れる商業活動はさながら戦争とも呼べる様相を呈した。
そこから生まれた未曽有の富は一部の勝者に集中し、同時に多くの貧者を生み、二極化された貧富は多くの犯罪の温床となり、治安の悪化を招いた。
爆発的な人口増加は今までにない問題も噴出させ、法、社会基盤の整備を急速に進める必要性を生みだした。だが、現時点ではあまりにも早過ぎる帝都の発展に行政の対応が追い付いているとは言い難い状況である。
しかしそれは、それら不具合を是正するための調整が機能していないというだけで、富める者はより富み、貧しき者は貧しきまま。そんな当たり前の縮図が分かりやすく浮き彫りになっただけであるとも言えた。
短絡的な表現をすれば、ようするに、今この都は過剰な負荷によって歪なのである。
男が帝都の事情に詳しい訳ではない。このような問題は近年新聞を主とした報道機関でもよく取沙汰され誰もが知るような話題であるからだ。
……益体の無い事だ。
男は思う。
自分は為政者ではない。軍人である。ましてや門外漢である市井の心配をするような御大層な人格も持ち合わせては居ない。
余計な思想を持たず、課せられた役目を過不足無く果たす。そういった意味で男は正しく軍人である。
男は取り止めのない思考を打ち切り歩き出し、駅の改札を後にする。
少々入り組んだ駅構内の構造に足を迷わせ、ようやく陽の元に出ることが出来た男を迎えたのは、彼と同じく黒の軍装を纏った女性士官だった。
この國において、女性の軍人というものはさして珍しいものではない。さりとて溢れる程多いという訳でもないが。
確かに男の方がより『兵』と言う職業に向いている傾向が高いのは事実である。だが、この世界において『戦う者』としての資質はそれ以外の所に多く求められる。
有り体に言えば、異能の資質。より上位の、より戦いに適した『神術師』であるか否かである。
「貴官が、紺野少尉でしょうか」
そう問う女性士官の階級章が示すのは中尉、そして男の階級は少尉、言うまでも無く彼女は男の上官である。
女性とは言え軍人としては些か長いと思える背中まで伸ばした髪が一瞬男の目を引く。
柔らかくもなく、さりとて硬いとも言えぬ表情、そしてそれ以上に細かい所作に現れる軍人としての挙動は、彼女が軍籍に身を置く者であると容易く納得させる印象を彼に与えた。
「は、本官は本日付で近衛第二師団に着任致しました、紺野健太郎少尉であります」
男は右肘を挙げ、女性士官に敬礼を行い彼女の問いに答えた。
姓を紺野、名を健太郎。それが男の名前である。
紺野の敬礼に女性士官が返礼で答える。
「本官は近衛第二師団所属の羽場桐妙子中尉です。遠路ご苦労でした、ここから近衛の帝都司令部までは車両で送ります」
「は、ご配慮痛み入ります」
紺野と羽場桐は駅ロータリーの脇に止められた軍属の車両に乗り込み帝都駅を後にする。
窓の外で視界が流れてゆく、初めて見る帝都の街並みに紺野は横目を奪われながら、些細な疑問を浮かべた。
なぜ自身の迎えにわざわざ中尉が寄越され、その割にそれ以外、つまり車両の運転手すらも充てられていないのか。
運転を行なっているのは羽場桐である。同乗者は他になく、紺野は助手席に座る形となっている。
紺野は近衛の事情や様式について詳しいわけでもない。実を言えば身に纏う近衛の軍装もつい先日に届いたものであり、衆目に晒されるという意味では今日初めて袖を通したと言っても過言ではない。
必要でなければ余計な口は叩くべきではない。基本的に兵としての紺野はそう考えている。
それに、そんな下らない疑問を問うたところで時間の無駄にしかならないだろう。と、そう断じ質問を控えた。
しかし、車両を操る羽場桐にその疑問は見通されていたらしい。紺野が質問を投げるまでも無く彼女の口から語られた。
「この時間に手を空けられる者が私しかいなかったんです。今回貴方を招請した場所は近衛の中でも少々特殊な部類に入りますから」
あまり詳しいことはここでは喋れないですけれど、と付け加える。
初対面の遣り取りからすれば彼女は砕けた口調でそう言う。
特殊、というのは頭に引っかかるが。つまり機密漏洩、防諜の観点からと言う訳だ。
逆説的に考えれば、彼女はその『特殊な部類』に関連、もしくは所属する人間であり、少なくともその情報を秘匿出来る能力と信頼を持つ事になる。
道理で一海軍士官から近衛に転属と言う不可解な人事、着任日以外何一つ知らされることが無いという杜撰な命令が下される訳であると彼は内心で納得する。
それについて紺野は不満を感じているわけではない。行けと言われれば可能な限りそこに行き、やれと言われれば可能な限りやるのが自分の仕事だと考えている。
『そこ』がどういった所かは紺野には知る由が無いが、そう言った場所に呼ばれる理由と言うならば彼自身に十分すぎる程に心当たりがあった。
『この世界で最も価値のあるものは何か』
現行の人類史においてそれは一度たりとも変わりの無いものである。
『この世界で最も力を持ち不平等な物、それは魂である』
それがこの答えだ。
紺野健太郎は神術師である。それも世界、いや歴史から見ても極めて高位の、
『神州帝國顕能位階等級 正二位』(国際基準A+)
この長ったらしく、仰々しい肩書が紺野健太郎という人間の存在価値の大半である。
これは彼という人間性を貶める評価では決してない。ただ、それ以上に彼の持つ神術師としての適性から来る『命の価値』と『人間性の価値』を天秤に掛けた場合その比率が著しく偏ってしまうだけの話である。
神州における異能の位階は六段階に正従を併せた計十二段階。下は従六位(国際基準E-)から最上位は正一位(国際基準S+)に分けられている。
各位階において神術師は正従の壁を跨いで半位階を上げる例はそれなりにあるものの、例えば正四位から従三位に上がると言うような一位階の壁を跨ぐような例はほぼ絶無と言える。
なぜか、
これは位階を一つ繰り上げるための指標となる数値が指数的、天文学的に跳ね上がるからである。
例えば、人がいくら筋肉を付けようが体重を増やそうが、構造的に象のような巨体と重量を得ることが出来ない事と同じ理屈と言える。
つまりこの世界において、位階を一つ隔てるという事は同じ人間同士においても生物としての格が違うと言う事である。
一般的には、戦闘に適性のある従四位程度(国際基準C-)の神術師に対してさえも、現代の携行銃器では有効な効果を見いだせなかったと言う実証結果も出ている。(当然、個人差はあるだろうが)
ならばそれを上回る位階ではいかほどの力になるのか。
それを実証した例は歴史的にみても余りに少ない為、明確な答えは出てはいない。しかし、
―――曰く、個人で軍隊に匹敵する力。
―――曰く、個人で国家を脅かす力。
―――曰く、個人で人類を滅ぼしうる力。
―――曰く―――曰く、
時に笑い飛ばしたくなるような、実に様々な風説がまことしやかに囁かれており、しかしそれを一笑に付して否定することが出来ない。つまり彼らはそういう存在である。
故に、より高位の神術師は本人の意思に関係なく、国家に対する義務と制約と特権が課せられる。
これは神州のみならず世界共通の認識であり、常識とも言えた。
それだけ神術師という存在がこの世界で重きを成しているかの証左とも言えるだろう。
紺野は今車が向かっているであろう『其処』がどんな場所であるかは知らないが、少なくとも兵ではなく『神術師としての紺野健太郎』を求められている事は理解できる。
その事実からは、どう楽観的に考えても厄介事を押し付けられる未来しか見えなかった。
紺野健太郎は必要な仕事は必要な分だけこなす人間であるが、求められた以上に完璧にこなす程仕事に熱意と向上心を持つような類の人間ではない。
そういう意味では紺野はごく一般的な月給取りのような、悪く言えば小市民的な思考を持っていた。
彼はその思考に基づいて、新たな職場がせめてその面倒に報いるだけの報酬とそれなりの遣り甲斐と休暇を提供してくれれば良いなと、実にささやかなで庶民的な希望を胸の内で願うのである。




