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幻想帝都 神州御親領衛記  作者: ニュートリノ鈴木
三章 東都が夜に落ちる日
106/193

百四話 倉の鍵


百四話 


104-1 倉の鍵



クレーンの関節。貨車の連結。台車の車輪。


そういう音が、夜の残りを押しのけて港を起こす。港は海で動いているのではない。番号と重量と順番で動いている。だから、いったん間違った順番が入り込むと、海よりしつこい。


高倉源三は門の前で足を止め、まず靴底に伝わる地面の硬さを確かめた。

舗装の継ぎ目が多い。荷重が偏る場所だ。偏る場所は、現場の人間が無意識に嫌う。嫌うはずの場所へ、今朝は台車の轍が妙に揃っていた。


「……嫌な整い方してやがる」


呟いてから、胸の内ポケットの紙片を指で押さえる。

羽場桐妙子から渡されたのは、番号だけが書かれた薄い紙だ。宛名はない。宛名がないから、まだ誰の責任にも固定されていない。


固定される前に値札を見る。それが今日の仕事だった。

門衛が通行票を見て、敬礼する。港湾の敬礼だ。近衛ほど硬くないが、現場の汚れがある。


「御親領衛九席、高倉源三。照合だ。倉から見る」


高倉は階級を言わない。港ではそれで通る。

門衛は一拍だけ迷い、すぐ頷いた。


「第七倉庫です。補給廠側からも人が来ています」

「来てる、ね」


高倉は礼も言わずに中へ入った。礼を忘れたのではない。いま礼儀を増やすと、向こうが"手続きを通した顔"を作る。


湾岸の空気は湿っている。

だが紙の匂いも混じっていた。港の紙は本来、潮で少し弱る。弱った紙は現場の紙だ。

今朝の匂いは違う。乾いた机の紙が、港へ運ばれてきている。


クレーンが一本、ゆっくり動く。

ゆっくりなのに、迷いがない。迷いがないということは、もう順番が決まっている。

第七倉庫の前には、補給服の男が一人立っていた。

若くはない。肩の力が変なところに入っていない。現場の顔だ。


「高倉さんですね。補給廠の山科准尉です」

「そう呼ばれるほど偉くねえよ。高倉でいい」


山科准尉は苦笑しかけ、やめた。

笑える現場じゃないと、もう分かっている。


「封印と受領票、全部揃っています。ただ——」

「ただ、がある時点でおおよそ値段は分かる」


高倉は准尉の横を抜け、倉の扉へ向かった。

封印札が二枚。重ねて貼られているわけではない。重ねて見えないように、少しずらしてある。

喉の奥が先にざらついた。

紙を見ただけで口の中が乾く時は、だいたい中身より順番の方が先に腐っている。

封印札の朱の輪郭が二重に濃いだけだ。

押した後にわずかに紙をずらした印。責任を二つに見せる押し方。

しかも糊が浅い。おそらく今朝だ。


「……貼り直しじゃなく、押し直しの体面を作ってるのか」


高倉が言うと、山科准尉の目が僅かに揺れた。

答えが見えている揺れだ。


「鍵はあります」

「そのまま持ってくれ。俺は開けた顔を持ちたくない」


高倉が言うと、准尉は頷き、鍵を差した。

現場の人間に開けさせる。責任を押し付けるためではない。現場の順番を殺さないためだ。


扉が開く。

中の空気は重い。木箱と油布と段ボールの匂い。

本来なら、もっと雑多でいい。雑多でない倉は、整えられすぎている。


104-2


倉の中は暗い。だが暗さの割に、箱の並びが綺麗だった。

木箱が二列。

奥に紙箱。

手前に油布をかけた長物。

現場の並べ方じゃない。現場はもっと嫌々並ぶ。これは見せるために整えた列だ。


「これです」


山科准尉が指した箱は、釘の打ち方が新しい。

だが木の擦れは古い。古い箱に新しい蓋を乗せたある。

高倉はしゃがみ、箱の角に手を当てた。

重量はある。だが重さの種類が気持ち悪い。中身が詰まっている重さではない。

空間を殺すために、どこかへ偏らせた重さだ。


「開けてくれ」


山科准尉が釘抜きを差し込み、慎重に板を外す。

釘の鳴る音が乾いている。乾いているのに、箱の内側から返る音が湿っている。

蓋が開いた。


詰め物だった。

油布。木片。紙。

重さを合わせるための鉄片。

本来入るべきものの代わりに、"運ばれる時に変に思われない形"だけが丁寧に詰められている。

高倉は口を閉じたまま息を吐いた。

怒鳴ると安くなる。ここは怒鳴る段じゃない。


「数は、合っています」


山科准尉が低く言う。


「合ってるから怖えんだよ」


高倉が返した。


「数が合ってて、中身がねえ。受領票もある。封印もある。そういう時は、現場じゃなく帳場が勝ってる」


箱の中の鉄片を指で押す。

冷たい。冷たいが、倉の冷たさじゃない。今朝運んだ鉄の冷たさだ。

詰めたのは最近だ。しかも、この港で。


「他もか」


山科准尉は即答しなかった。

答えられないのではない。答えると、倉全体が"そうだと知っていた側"になる。

高倉は視線だけで列を追った。


同じ高さ。

同じ札。

同じ角の擦れ。

違うのは、台の沈み方だけだ。三箱だけが、微妙に床へ食い込んでいる。

——本物が混ざっている。


「全部じゃねえな」


高倉が言う。


「……分かりますか」


山科准尉が顔を上げた。


「分かるように置いてんだろ。全部抜いたら現場が気付く。三つだけ残してる。三つだけ残すと、現場は"抜かれてねえ箱もある"って方に寄る」


高倉は立ち上がり、列の三箱目へ歩いた。

箱の釘が古い。封印札の角が少しだけ浮いている。

現場が一度、触ろうとしてやめた箱の顔だ。


「これも開けろ」


山科准尉が開ける。

今度は、中に本物があった。金属の治具。通信部材。梱包票。

票の紙質だけが違う。白すぎる。机の紙だ。


「……混ぜてるな」


高倉は小さく言った。

全部抜くより嫌なやり方だ。

残した三つが"正しさの保証"になる。保証があると残り十七を疑いきれない。


「上には……報告を」


山科准尉の喉が鳴る。


「するな、とは言わねえ」


高倉は言い、箱の中の梱包票を見た。

数字。品番。行先コード。

行先は地名ではない。符号だけだ。

西都湾岸で使う符号ではない。

東へ抜ける時の、連絡用の短い符号だ。見覚えがなくても、港の人間の札じゃないことは分かる。


「ただし、いまこの場で"全部抜かれてた"って騒ぐな。騒いだ瞬間、誰かが来て綺麗に片付ける」


山科准尉は頷いた。

現場の頷きだ。納得ではない。生き延びるための頷き。


104-3


倉の外で、金属の低い鳴きがした。


貨車が動く音だ。大きくはない。だが港では、その小ささが一番嫌だ。

派手に動けば止めやすい。小さく動く時は、もう"動いていい順番"ができている。


「さっきから動いてんのは、どの線だ」


高倉は振り返りもせずに言った。


「三番線の入替です。今朝、追加が入りました」


山科准尉が答える。


「追加か」


高倉は倉の外へ出た。

朝の光が少しだけ強くなっている。強くなった分だけ、影の輪郭が硬い。


三番線の奥で、貨車が一両、ゆっくり押されていた。

機関ではない。人力だ。台車の列がその前に整列している。

人力で押す時ほど現場は雑になる。雑にならない人力は、先に順番が決まっている。


高倉はそこへ向かわず、足元の轍を見た。

台車の車輪跡が二種類ある。現場の痕と、さっき作った痕。

新しい轍の方が、妙に綺麗だ。急いでいるのに慌てていない。


「紙の人間は何人入ってる」


山科准尉が即答できない。

だが答えないこと自体が答えになる。


「……帳場の人間が二人。あと、回付の兵が」

「靴、綺麗だろ」


准尉は目を伏せた。

伏せたのは恥ではない。認めたくない現場の敗北だ。

高倉は倉の壁に貼られた掲示を見た。


「演習協力搬出」「安全確認済」「一時移送」


どれも字が綺麗で、どれも一点留め。外しやすい。差し替えやすい。

主観では、紙の白さが朝日より強く見えた。

朝日が強いはずなのに、紙の方が明るい。

明るい紙は、暗いことをしている。


掲示は三枚。

そのうち二枚は、今朝貼られた糊の硬さをしていた。

つまり、ここは今日から"演習の顔"を与えられた。


「……始まってるな」


高倉が言う。誰に向けた言葉でもない。

倉庫や港は、始まった後でしか気付けない場所がある。


「どうします」


山科准尉が小さく問う。

高倉は答える前に、胸の内ポケットから小さな紙を出した。

八百屋の帳場で使う、薄い控え紙だ。

番号だけ書く。箱の列番号。封印札の貼り直し。中身が抜けた箱の数。本物が混じっていた列。三番線の動き。

字は汚い。

汚い字は整形しにくい。整形しにくいから、残る。


「残す」


高倉は短く言った。


「倉の番号、列、時刻、三番線。宛名は書かねえ。宛名を書いた瞬間、向こうの書式になる」


山科准尉が頷き、自分の手帳も出した。

現場の手帳だ。罫線は雑だが、筆圧が強い。


「……高倉さん。これ、止められますか」


高倉はすぐには答えなかった。

止められるかどうかは、ここでは荷の話じゃない。どこまで順番が回ってるかの話だ。

遠くで、また貨車が鳴る。

今度は前より少しだけ高い音だった。

別の線が動いた。


「ここじゃねえ」


高倉がようやく言った。


「ここで全部止めると、港が先に死ぬ。だからまず、値段を持って帰る」


山科准尉の顔が固まる。

見捨てられたように聞こえたのだろう。

だが違う。全部をここで止めるのは、相手の勝ち方だ。


「箱は残せ。封印も残せ。騒ぐな。開けた箱だけ、"開けた順番"を残せ。あと——」


高倉は三番線を見た。


「動いた時刻を、現場の手帳にだけ書け。帳場の簿冊にはまだ書くな。帳場に先に行くと、綺麗にされる」


山科准尉はその意味を理解した顔をした。

帳場は嘘を嫌う。だが空欄は許す。

空欄のまま綺麗に整えられる前に、汚い手帳で先に値段を付ける。そういう話だ。


104-4


港を出る時、風向きが少し変わった。

潮の匂いが薄れ、油と紙の匂いが前に出る。

高倉は歩きながら、端末を取り出した。機械の詳しい理屈は分からない。だが、いま連絡すべき相手は知っている。


「護国少尉に繋げ」


繋がるまでの短い無音が嫌だった。

嫌なのは、応答が遅いからじゃない。応答が遅くても、その遅さ自体がもう"手順"になりかねないからだ。


「護国宗一だ」


宗一の声が入る。


「こちら高倉。西都湾岸、第七倉庫」


言いながら、高倉は後ろを振り返らなかった。振り返ると、"見ていた顔"になる。いまは値札だけ渡せばいい。


「どうです」

「空箱だ。重さだけ合わせてる。全部じゃねえ。三つだけ本物混ぜて、残りを保証の顔にしてる。封印は貼り直し。糊浅い。三番線の貨車が人力で動いてる。掲示は今朝貼り」

「控えは」


宗一の返事は早かった。


「残した。番号と列と時刻だけ。宛名は書いてねえ」

「了解。倉は騒がず箱を残してください。今そこを止めると、次の線に全部流れる」


高倉は鼻で笑いかけ、笑わなかった。


「こっちもそう見てる。あと、紙の人間がいる。靴が綺麗だ」


端末の向こうで一拍。


「了解。羽場桐中尉に上げます。高倉さん、もう一つ。梱包票の白さは」

「机の紙だ。港の紙じゃない」

「.....了解した」


通話が切れる。

切れた後の風が、少しだけ冷たく感じた。


高倉は内ポケットの汚い控えをもう一度押さえた。

今日の値段は、箱の中身じゃない。

空箱が"正しい荷の顔"をして運ばれる、その順番だ。

西都の朝は、箱の中身より先に責任を積む。


高倉はそう思いながら、港の門を出た。

出た瞬間、後ろでクレーンが一本、止まった。

止まり方が綺麗すぎた。

綺麗すぎる停止は、誰かが次の順番を切り替えた音だ。


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